16 守護天使セリカ

 カイが目を覚ました場所は、生命の樹が存在する、星空が広がる空間だった。記憶を失う前もそこに居たはずだが、おかしなことに周囲にフィリオールとリプカの姿はない。

 何故かその代わりに守護天使セリカの姿があった。


『俺、もしかしてあの後死んだ……?』

『……え?』


 記憶が途切れる前、確かに自分は体のあちこちを負傷していた。それに加えて、慣れない魔法を行使し続けたせいで、魔力だって相当消費していたことを考えると、フィリオールの治療中にぽっくり逝ってしまったと考えてもおかしくない。


 そんなカイの反応に、目の前の少女は不意を突かれたような顔をして、首を横に振る。


『ううん、キミは死んでなんかいないよ? ここは夢の中』

『夢の中……?』

『そう、ボクがキミをここに導いたのさ――それに、ボクの祝福を受けているから、そう簡単には死なないよ』


 『だから安心して』と言われ、カイはなんだか複雑になる。

 この世界を守る守護天使と呼ばれる神に、“力を分け与えたから安心して”と言われても、一般人として平穏に生きたいカイとしてはあまり喜ばしい事ではなかった。

 だが今回、カイが生き残れたのも、彼女の加護あってこそだということを自覚しているので、複雑な表情を浮かべたのだ。

 そんなカイの反応に、セリカは後ろ手に手を組むと、下から覗き込むような仕草でグッと距離を近づけてくる。


 その仕草はあまり人と変わらないように見える。それでいて本当に愛らしい顔立ちをしていた。


『もしかして、嬉しくない?』

『え?』

『それもそうだよね、キミはそういう“人間”だから……』


 まるで全てを見透かすように微笑んだ少女は、くるりと身を翻す。彼女の言葉に、カイは否定する事が出来なかった。


『――少し歩こうか? キミには色々と聞きたいことがあるだろうし、ボクも君とは話がしたいんだ』





 彼女が向かった先には、空を覆うほどの枝葉を広げた生命の樹があった。

 生命の樹の根元に立ったセリカは、大樹に優しく触れながらゆっくりとした口調で説明を始める。


『本当はもっと早くキミに会いたかったんだけど、生命の樹に与えられるエネルギーが弱まっていたせいで、中々キミを呼びつけられなくて……遅くなってごめんね』

『……いえ……生命の樹と一心同体って話は本当だったんですね』

『うん、そうだよ』


 そう語った彼女が守護天使であることは恐らく本当なのだろう。彼女がこうしてカイと話が出来るようになった理由に、カイは心当たりがあったからだ。

 それは、カイがあの場所で生命の樹を縛っていた鎖を解き放ったことが原因だと考えられた。


 彼女はそんなカイの考えを肯定するように、口を開く。


『――まずはボクたちを助けてくれて有難う』

『……頑張ってくれたのはリプカです』

『キミも十分奮闘してくれていたじゃないか』

『見ていたんですか?』

『意識はあったからね』


 さらりとそんなことを言われて、一瞬カイは言葉を詰まらせた。

 すると、何かに気付いた様子のセリカが、いたずらっ子のような表情を浮かべて首を傾げる。


『あ、いま“それなら助けてくれればよかったのに”って思ったでしょ』

『……人の心を読まないでください……』

『ふふっ、ごめんごめん。けど、あの時のボクはキミに力を貸せる状態じゃなかったから』


 長い間呪いをかけられていたことを考えれば、解呪したからと言ってすぐに力が取り戻せるわけではないのだろう。助けてほしかったのは事実だが、相手にも事情があったのだろうと納得する。


(もしかしたら、聖域が完全に浄化できなかったのも、あの呪いのせいだったりするのか?)

 

『うんそう。キミがあれを解いてくれたおかげで、ようやく瘴気の浄化はうまくいく……これでボクも力を取り戻すことが出来る、だから本当に感謝しているんだよ』

『……』


 また心を読まれたことに、思わず眉をひそめてしまう。

いくら相手が神とはいえ、心の中をそうずけずけと読まれては気分がいいものではない。

 少女は、カイの反応に「あぁ、ごめん」なんて言って笑っているが、あまり反省している様子はなかった。

 神からしたら「ごめん」なんて言葉も、ただの人の真似事なのかもしれない。

 彼女の本心はそれくらい、よく分からなかった。


 あまり深く考えることをやめたカイは、上機嫌の相手を前に一つ質問をすることにする。


『その、一つ聞いても良いですか?』

『どうそ』

『セリカ様はどうして俺をここに? ここは夢の中、なんですよね?』

『そうだよ、ここはボクがキミを連れてきた夢の中……言っただろう? キミと話がしたかったって』

『話、ですか?』


 呪いの件を解呪した事についてのお礼であれば、わざわざこの場を用意するだろうか。

 もしかしたら、呪いを解いたことでようやく聖域の浄化が行えて、自分はお役御免となったのかもしれない。


 カイの真意を求める視線に、セリカはゆっくりとした口調で再び語りだした。


『この世界に異変が起きたのが今から五年前……その話はもうフィリオールから聞いているね』

『えぇ』

『この世界を守るためには、異世界から素質のある人間の召喚が必要だった。だから君たちが呼ばれた……一人は、聖騎士としての役割を持つあの子……そして、キミだ』

『みたいですね』


 この世界に召喚された時は、絶対に何かの間違いで巻き込まれたと考えていた。だが、今となっては、意図的なものだったことを自覚する。こうして、目の前に力の源セリカに立たれては、認めるほかない。


『キミももう知っている通り、キミにはボクの力を分け与えている』

『はい……おかげで、何とかさっきは生き残れました……それで、俺の“役割”はフィリオールさんを助けて、生命の樹にあった呪いを解いたことで“終わった”で良いんですよね?』


 それ以外のやる事をカイは想像が出来なかった。

 ほぼ確信してそう尋ねれば、セリカは優しく微笑む。


『白の王国ではね』

『白の王国では?……え?』

『言っただろう、世界には異変が起きているって……キミにはその原因を解決してほしいんだ』

『――正気ですか?』

『もちろん、真面目な話だよ。そしてキミに拒否権はない』


(……マジか)


 いい笑顔で宣言されてしまい、カイは心の中で肩を落とす。

 拒否権を与えて貰えない以上、話を聞くしか選択肢はない。


『……それで、原因って、一体何のことですか?』


 カイの質問を受けた少女は、それから少し困った様子で空を見上げた。


『キミも、もう見ただろう? この世界の理を犯そうとしている者たちの存在を』

『それは……』


 先ほどの、二人組の事だろうか。


 思いついた人物を頭の中に浮かべると、セリカはカイの心の声に答えるように頷いた。

 相変わらず、向こうには自分の考えは筒抜けらしい。


『――そう、キミの考えた通りだよ。彼らが一体どんな目的で動いているのかは知らない……けど、ボクらに刃を向けたのは事実だ』


 彼女の口から紡がれた『ボクら』という言葉は、セリカと世界を守るべき立場にある王たちを現しているのか、それとも、セリカと生命の樹を現しているのかは分からない。どちらにせよ、敵が何かの思惑をもち、フィリオールの命を狙ったことは変わらない。それは、セリカに対する宣戦布告と言えただろう。


『本当はボクが表立って行動できればよかったんだけど……キミもアレを見ただろう? あの弓……あの力は、ボクの唯一の“弱点”なんだ。生命の樹と命を分けるボクに何かあったら、それこそ世界の存続の危機だからね……だから、キミを選んだ』

『……つまり、俺は貴女の代わりに、そいつらを倒すことがこの世界での“役割”ってことですか?』

『そう』


 彼女がカイに与えたこの世界での“役割”については理解ができた。ほんの少し前まで、ただの一般人だった自分には、あまりにも荷が重すぎる話だが、彼女曰く拒否権は無いらしいので、素直に受け入れる“努力”をするしかない。

 だが、それにしてもこちらが持つ敵に対する情報が少なすぎる。


 今回カイ達の前に姿を現したのは二人組だったが、正確な敵の数や規模が分からないうえに、何を目的に行動しているのかもまったくもって不明だ。

 敵の能力は、人の体を操ることと、あとは生命の樹を呪ってしまえるほどの実力者ということか。一体どういった方法でセリカの目を盗み、あれほどの仕掛けを施したのかもよく分からない。


(フィリオールさんの結晶化の件と、イストーリアが滅んだっていう理由について繋がっているのかもよく分からないし……何より厄介なのはアレだ)


 セリカが自分で“弱点”だと口にした、あの一撃である。


『あれは一体何なんですか?』

『あれは、“咎人とがびとの血”と言われて、ボクを殺すためにある力だよ』

『え、殺すって……何故、そんなものがこの世界にあるんですか?』


 本来、守護天使セリカは生命の樹と共に在り続けるシステムである。それを殺す力が存在するという事は、この世界を壊すのと同義だ。

 この世界を作ったのが彼女だと言うのなら、それは矛盾ではないだろうか。


 そんなカイの質問に、彼女は少しだけ切なさを含む声で答えた。


『あれは、人の愚かさにより生まれた業の深い呪い、かな……あの時にキミが受けた矢は、呪われた血を持つ人間が、自身の血を操ることで作ったモノさ』

『人の血で……?』


 まさかあんなものが、人の血液によって作られた呪いの矢だと言うのか。しかも、その呪いを生み出したのが人自身だと言うのだから驚きだ。

 その説明に、カイは目を見開いたまま固まる。

 カイが思う以上に、この世界は複雑な事情が幾つも重なり合っているらしい。


 セリカは、そんなカイを見て苦笑を零す。


『まぁ、キミはボクの祝福を受けているだけだから、当たり所さえ悪くなければ防げない刃だと思ってくれれば問題ないかな』


 果たしてそれは、本当に問題のない範囲だと言えるのだろうか。

 全ての情報を整理した後に、カイはとんでもない問題を丸投げされている気分になり、ため息を吐く。

 

『貴女がどうして俺をここに呼んだのか、理由は分かりました……けど、何故俺なんですか? 魔法なんて使ったことが無かった、ただの一般人の俺に、どうしてそんな役割を与えたんですか?』

 

 その質問を受けて、彼女はカイが口にした「一般人」という言葉を肯定して、続ける。


『そうだね、キミは天使としてはあまりにも不相応だ……の聖騎士として役割を担う彼とは、真逆の立ち位置にある。実力もそうだけど、一番致命的なのは、人の先頭に立ち引っ張っていけるだけの、人を魅了する力がないところかな……だけど、だからこそキミを選んだんだよ』

『……言っている意味が分かりません』


 人に大役を押し付けている割には、酷い言い草だろう。だが、悲しいことにそれはカイも痛いほど痛感している部分でもあった。

 どうやらセリカはカイを買い被っているわけでも、過大評価しているわけでもないらしい。だが、それでは行動の辻褄が合わない。


 眉間に皴を作ったカイに、セリカは面白そうに目を細めた。


『ふふっ、強いて言うなら、キミのその魂の在り方をボクが気に入っているからかな』

『魂の在り方?』

『そう』


 彼女が口にした“魂の在り方”とは、一体何を指すのだろう。彼女の眼には一体、何が映っているのだろうか。

 神様の言う事は、よく分からない事だらけだった。


『キミは今でも“これが夢ならいいのに”って考えているだろう?』

『……人の心を読むの、辞めて貰えませんか』

『だって、解ってしまうんだから仕方がないだろう? キミは、そんな力を与えられても、自分のままでいようとする……だからかな?』

『どんな理由ですか……』

『キミは自分らしく、これからも頑張ってくれたら良いってことさ』


 何を言っても、きっとこの守護天使は折れないのだろう。

むしろ、先ほどからカイが嫌そうな反応を見せる度に、嬉しそうに笑っていることから、彼女にとっての正解をカイは既に持ち合わせているのかもしれない。

 こうなってしまえば、話は平行線を辿る一方だろう。

その様子を見て諦めたカイは、自分も一つ頼みごとを口にしてみることにした。


『……じゃあ、一つだけお願いがあります――もし、貴女が見ている先で、俺には役が務まらないと思ったら、すぐに俺を降格させてください。そして、俺が鍵開け職人として平穏に、一般人として過ごすのを許してほしいんです』

『――へぇ?』

『出来ることはやります。でも、俺は誰かの助けが無ければ、何もできないただのちっぽけな人間なんです……』


 カイが立場的に、セリカからの祝福を授かっている事が許されているのは、異邦人という特別な立場からだ。この世界にとって、異邦人は特別である事が実力を伴わなくても許されてしまう。

 だが、本来であれば、批判を受けてもおかしくない状況であることを、カイはよく分かっていた。

 ここに来るまで、自分がいかに周りに期待される人間から乖離しているのかを、目の前で見てきたからこその考えだった。

 カイの真剣な訴えを聞いた後、セリカは急にお腹を抱えて笑い出す。


『あははは! まさか、これほどとは……』

『え、何で笑うんですか!?』


 そんなにおかしな事だったかとカイが狼狽えれば、セリカは目元に溜まった涙を拭い、改めた。


『ううん、ごめんごめん。つい、嬉しくて』

『嬉しい……?』

『そう、改めてボクはみる目があったなって思ったのさ』

『今の話の何がそう思う内容だったんですか?』

『秘密』


 少女はわざとらしく口元に指をあてて人のような仕草を見せると、笑顔と共に告げる。


『――キミとのお喋りはとても楽しいけど、そろそろキミを帰さないとだね』

『え? 待ってください、さっきの返事をまだ俺は聞いてないんですけど』

『うん、考えておくよ……それじゃ、またね、カイ。キミがこの世界を旅して、好きになってくれると嬉しいな』


 天使は明確な返事を返さずにそう笑って手を振ると、強制的に会話を中断してしまう。

 そして、カイの意識はそこでプツリと、まるで電源を落とされたように暗く塗りつぶされるのだった。

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