14 崩壊の足音

「どうして、貴方がここに?」


 もしかしたら、ハメルに何かを頼まれて来たのだろうか。

視界の先で俯いている彼の表情は、ただでさえ見えにくいというのに、顔に影が落ち、何を考えているのか分からない。


 カイの前に立つリプカは、変わらずに警戒を続けている様子だった。


『貴様、どうやってここに来た!』


 その言葉に、カイはハッとする。ここに来るためには、特殊な方法が必要だったことを思い出したからだ。

 ルカはゆっくりとした動きで顔を上げると、これまで見たことが無い表情で口元に笑みを浮かべた。

 それから、何が起きたのかカイには理解が出来なかった。


『――させるか!!』


 聞こえたのは、リプカが唸り声に混ざり発した声と、それから何かがぶつかる衝撃音。気が付けば、そこには目が眩むほどの眩しい炎の障壁が、視界を覆っていた。


「なっ!?」


 凄い熱気だ。どうやらそれは、黒猫の力により作られた魔法のようだった。きっとルカから放たれた何かから、二人を守ってくれたのだろう。

 唸り声をあげたままのリプカは、驚きに固まるカイとは違って、素早く状況を把握した様子だった。


『フィリオールを守れ!!』


 その言葉に、カイが顔を上げると、炎の障壁デフェールを突き抜けた黒い火球バーンが一直線に飛んでくるのが見える。


「っ、どういう事だよ!?」


 とにかく、フィリオールを守らなければと考えたカイは、とっさに彼女の体を抱えてそれを避けた。

 カイがフィリオールをかばうように立ち上がると、視線の先にいる補佐官――ルカが言葉を吐き捨てる。


「やはり、先に消しておくべきはお前の方だったか。力の覚醒がまだのようだから、後回しで良いと思っていたが……まさかあれを解呪されてしまうとは……」

「お前は、誰だ……?」


 そんな表情を浮かべる人を、カイは知らない。

 カイが知る、ルカと呼ばれた男は、常に冷静沈着で、何を考えているのか分からない人間だったからだ。

 明らかに人が変わったような表情を浮かべる相手に、カイは怪しむような視線を向けた。すると、カイの瞳はその違和感を見抜こうとするように、青く染まっていく。

 それを見たルカは、虫唾が走ったように顔を顰めた。


「忌々しい、天使め」


 目が合えば、ルカの体から黒い靄のようなものが滲み出ているのが分かる。カイはそれに見覚えがあった。それは先ほど、大樹を縛っていた鎖にも見られた現象だったからだ。

 それと同時に、ルカの体が“何者かに乗っ取られている”と直感する。そして、その靄がこのおかしな事が起きている全ての原因だと理解した。


「――その人に、一体何をした!!」


 状況を把握したカイが叫ぶ、すると、劈くような声が別の方角から聞こえた。


『右だ、小僧!!』

「――っ!! あ、ぶなっ!!」


 その言葉に視線を動かした直後、ほぼ反射的にカイは体を前方にずらしていた。

 バランスを崩しながらも、地面に手をついて何とか立ち上がったカイは、先ほどまで自身がいた場所に真っ黒な刃が突き刺さっているのを目撃する。

 一瞬、フィリオールの身を案じたが、そこは素早くリプカが守りに徹してくれていたようだった。

 その光景に安堵したものの、緊張の糸が緩んだ直後、腕に鈍い痛みが走る。


「っ……!」


 視線を動かせば、傷口から血が滲んでいるのが分かった。先ほどの刃がどうやら右腕を軽く掠っていたらしい。


(さすがに、避けきれなかったか)


 心の中でそう冷静に呟いたカイは、この状況をどうやって切り抜けるか画策する。

 未だに意識を失っているフィリオールは目を覚ます気配がない。

 目の前の敵は、ルカの体を操っているようだが、体の主導権を完全に握られている以上、戦うしか道はない。

 だが、あまりにも分が悪かった。


(猫一匹に、俺でどうやって王様を守り切れと)


 戦うには相手があまりにも強すぎた。その力量は、リプカの炎の障壁を貫いたことで、ある程度は理解できた。

 本当に、とんでもない状況だ。

 先ほど放たれた死角からの一撃を、そう何度もかわせない事も自覚する。


(ごっそり魔力を持っていかれたせいで、体が重い)


 泣き言を言っている場合ではないが、まずは自分を落ち着ける方が先だと、カイは息を吐く。

 まさかこんなところで、聖騎士試験の戦闘訓練が役に立つとは夢にも思わなかったカイは、必死に思考を巡らせた。

 すると、先ほどから何度か相手に攻撃をしかけているリプカが、苛立った様子で叫んだ。


『おい小僧、何でもいい! とにかくコイツをどうにかしろ!』

「――っ、そう言われても、俺はさっきのスキル以外の使い方を知らないんだよ!!」

『チッ、役に立たない小僧め』

「……それは傷つきます」

『もういい、邪魔だ下がれ!』


 炎の火球を連続で放つリプカは、カイが役に立たないと分かると自身が前に出て戦う選択をしたらしい。

 完全にお荷物である事を宣言されたカイは、直球すぎる言葉を胸に受けて素早くフィリオールの前に立ち、後方からの支援方法を考える。


「ちょこまかと鬱陶しい猫め!!」

『俺は猫ではない!!……ふっ、どうした? 防戦一方では此方は倒せぬぞ!』


 それにしても凄い光景だ。

 カイが後方に下がった事で、先ほどまでの比ではない量の炎の魔法――超新星爆発ノヴァがルカめがけて飛ばされている。それは、魔力によって作られた炎の球が、標的に向かって飛ばされた後に、高火力の爆発を起こす魔法だ。

 それにより、湖のほとりに立っているルカは、それ以上下がる事を許されない状況に追い込まれているようだった。


 ただの黒猫のようにも見えるが、さすが精霊と言ったところだ。魔力量もきっとカイの比ではないのだろう。

 防いでも、相殺しても次から次へと炎の攻撃を浴びせられて、相手は相当苛立っているようだった。

 もし、このまま消耗戦が続く場合、もしかしたら勝機はこちらにあるのかもしれない。


(――とにかく、フィリオールさんを起こそう!)


 その隙に、彼女を起こす選択をしたカイは、未だに目を閉じたままの相手に声をかける。


「フィリオールさん、起きてください!!」


 カイが何度か体を揺すると、微かに反応があった。力なく地面に置かれた手がピクリと動いたためだ。もしかしたら、彼女の覚醒は近いのかもしれない。

 長い間、体と意識が分離していたせいで、魔法の効果が完全に失われるまで少し時間がかかっているのだろう。

 改めて考えると凄い事だ。だが、今のカイに感心している暇はない。


「フィリオールさん!!」

 

 カイが肩を揺すって叫んだときだった、前方で異変が起きたのは。


『何だこれは!?』

「――っ!」


 黒猫の動揺する声にカイが顔を上げれば、そこには空間の歪から黒い鎖がリプカを拘束している姿が見えた。


「リプカ!!」

『くそっ!!』


 これまで、防戦一方だった相手はカイの思惑に気が付いた様子で、先にリプカの動きを封じにかかってきたのだろう。

 だが黒猫も負けじと、素早く炎をまとってその鎖を焼き切ろうとする。しかし、鎖はビクともせずに、拘束を強めているようだった。


「お前は邪魔だ、そこに寝ていろ」

『何っ!?』


 地面に横たわった黒猫は、何とかその拘束から逃れようともがく。だが、避けた割れ目から伸びたままの鎖は、決してリプカを離そうとはしなかった。


 しかも厄介なのはそれだけではない、絡みついた先からリプカの魔力を吸い取っているようだった。


『ぐっ、魔力が……!』

「抗う分だけ体力を削られるぞ? こちらは言ったはずだ、“寝ていろ”と」


 魔法を使おうにも、行使しようとした先で奪いとられてしまえば、その拘束を解くこともままならない。

 地面に横たわり、赤い目を向けてくる黒猫を冷めた目で見降ろしたルカは、視線をその後方へと動かした。


『小僧、逃げろ!!』

「――っ!」

 

 その声により、いよいよ窮地に立たされた事を理解する。

 地面に拘束されたリプカを、この距離では救いだすことはできない。今カイに出来ることは、とにかくフィリオールを守る事だろう。

 格上相手と戦う覚悟を決めたカイが立ち上がれば、相手はゆっくりとした動作で此方に向かってくのが見えた。


(凄い、殺気だ)


 ピリピリと肌を伝う重圧に、カイの表情が引きつる。

 魔力行使が出来ないカイに出来ることは、フィリオールが目を覚ます時間を稼ぐか、リプカの拘束を解くかのどちらかだろう。


(どうする……考えろ、考えろ!!)


 カイが必死に打開策を探っていた時だった。


「先に王を始末しようと思っていたが……我々の計画には“お前”の方が邪魔のようだ」


 ルカの体を操る何者かは、そう口にするなり手を薙ぎ払い、魔法を放つ。

 それは恐らく、 カイが余計な事をする前に、行動不能にするつもりなのだろう。現に相手は詠唱も無しに、次々と黒い刃を出現させた。


「……っ、冗談だろ……さすがに死ぬって!」

「抗えば痛い思いをするだけだ、こちらにいたぶる趣味はない」


 それはつまり『大人しくしていれば一撃で仕留める』ということか。


(全然嬉しくない!!)


 言葉通り、狙いを自分へと定めたらしい相手は、容赦なく淀みを放つ黒い槍を降らせてくる。

 時空を裂いて現れるそれは、規則性なんて当然在りはしない。相手はどこからでもカイを狙えるようだった。

 それでいて、狙いが的確で、速い。


「諦めろ、お前に勝ち目はない」

「――っ、ご忠告どうも!!」


 口では余裕ぶった事を言っているが、内心絶叫ものだ。先ほどから、避ければ避けるほど、向こうの精度が上がっている事が分かる。こちらの癖を既に相手は見抜いているのだろう。

 カイにはリプカのような精密な魔力探知は出来ない。だから一瞬だけ避ける方向を考えて動きが鈍る癖があるのだ。相手は、その動きに合わせて、カイを追い込んでいるようだった。


 右から、左から、バランスを崩しかけながらもかろうじて動き続けるカイに合わせて、容赦なく斬撃は彼を狙う。


「ぐっ……っ!」


 足や腕をところどころ深く抉られて、彼の漆黒の服が血で濡れていく。


(――あぁ、本当に最悪だ)


 体はひどく重たくて、本当なら今すぐにでも地面に倒れこんでしまいたい気分だった。

だが、それをしないのは辛うじて痛みで意識を繋いでいたためだ。


『くそ、煩わしい!』


 それを見た黒猫が、視界の隅で焦るようにもがいているのが分かった。

 恐らく、もう時間の問題だ。

 それでも、カイは歯を食いしばった。痛む四肢を気力で動かして、魔力を込める。


(一か八か……もし、本当に俺に魔法が使えるのなら、頼む、応えてくれ!!)


 魔法の正しい使い方なんて知らない。けれど、カイの心は最後まで足掻こうと、人らしく無様を晒してでも生きようとしていた。

 手のひらを強く握りしめて、自身を守るイメージを浮かべる。


「――まさか!」


 目の前に迫る男が、驚いた声を漏らし、舌打ちと共にカイめがけて火球バーンを放った。

 その火球は、先ほどリプカの生み出した炎の障壁デフェールを貫いた、高濃度の魔力で出来た魔法だ。

 そんなものがカイを直撃しようとしていた。


『小僧、何をしてる、逃げろ!!』


 地面に横たわっている猫が、焦り声をあげた。

 けれど、カイは動かない。否、動けなかったのだ。


(――駄目だ、俺が動けばフィリオールさんも大樹も危険に晒される……)


 絶体絶命の窮地に立たされたカイは、ただ静かに願った。


(俺に力を貸してくれ、天使様)


――そして、風が吹いた。

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