13 天使の力
手のひらに魔力を集中させてスキルを発動させる、カイは頭の中でそう魔法をイメージしていた。しかし、これまでカイがスキルを発動しようとしたときに呼応していた魔力が、何故かこんな時に反応を示さない。
(……あれ?)
『カイ様?』
戸惑いを浮かべたカイに、フィリオールが声をかける。
リプカはただ静かにその様子を見守っていた。
(なんで?)
もう一度試してみる。しかし、やはり結果は変わらない。本当に何も起きないのだ。
いくら力んでも、いくら願おうとも、カイのイメージする通りに鍵は現れてくれない。
何故だろう? そう思い、カイが顔を上げると、そこには静かな表情を浮かべて眠るフィリオールの姿があった。そして気が付く。
これまでスキルの発動条件として必ずあったものが、そこには存在しなかったことに。
(そういう、ことか……)
それは鍵穴だ。
カイの目の前には、ただ水晶に閉じ込められている女性の姿だけがある。そこには当然、鍵穴なんてものは存在しない。解錠スキルは鍵穴を開けるための能力だ。
これまでカイが開けてきたのは、閉ざされていたもののみ。
(じゃあ、どうやって“あの力”を使えばいいんだ?)
ほかにもこのスキルには出来る事があった。
呪縛を解いたり、ありとあらゆる縛りから開放したり――以前ステータスを開いた時には、確かにそう説明が記載されていた。
(まだ、何かあるはずだ。絶対に、何かある……)
自分が気付いていない発動条件の何か、見落としている何かがあるはずだとカイは思考を巡らせる。
すると、そんなカイを見ていたリプカが、その場に座りながら助言を寄越す。
『おい小僧』
「……俺の名前はカイって言うんだけど?」
人が集中しようとしている時に限って声をかけてくる黒猫に、カイが冷たく返事をすると、リプカは目を細めて不満げに呟いた。
『何故貴様は、あの時扉の違和感に気がついた』
それは、黒猫なりに何かヒントを教えてくれようとしているようにも見える。
「……あの時?」
リプカが口にしているのは、恐らく鏡が置かれていたあの部屋に入る直前の話だろう。
(そういえば、何で俺気づいたんだ?)
思い返せば、魔法をこれまで扱った事がない自分に、魔力の淀みなんて分かるはずがなかった。
(違う……“何かの気配”が扉の奥からしたせいだ)
そう考えたカイは、一つ息を吐いて心を落ち着かせる。
すると、生命の樹が周囲の風に揺られてザワザワと音をたて始めた。
そんな周りの異変に気が付かないカイは、ただ静かに観察するように視線を動かす。
最初カイが見つめていたのは、ここでは“異物”であるはずの水晶体の方だった。しかし、根源はそこではないと、視線を更に広範囲へと動かす。
地面から伸びている太い根、それからさらに上を見上げる事で目視できる逞しい幹。
(何だろう、目の奥が熱い)
何かを探すように、観察するように、その違和感に気が付けるようにぐるりと視線を巡らせていると、やがて視界の中に薄っすらと何かが浮かび上がってくる。
(あれは、何だ?)
最初それは靄として視界の中に現れた。そして次第に、真っ黒な鎖へと姿を変えていく。すると、それに比例するように、水晶に絡みついた木の根も正体を暴かれたように鎖へと変化する。
その様子を観察していたカイの瞳にも異変が表れていたようだった。
彼の瞳は、これまでの黒から、青へと染まり、そこにある“異物”に反応しているように見える。恐らくそれも、彼に与えられた“天使の力”だったのだろう。
(あれが原因か!)
カイの中でそれが確信へと変わる。よくみるとその鎖は、水晶体にから生命の樹へと伸びているようだった。
黒く淀んだ鎖に絡めとられた大樹は、ひどく窮屈そうで、それを目視したカイは自然と空へ手を伸ばしていた。
彼が手をかざした場所にあったものは、淀みを放ち、光すら通さないような真っ黒な靄が集まった場所だった。大樹を蝕む鎖は、どうやらそれが元となり伸びていたらしい。
(あれは、呪い……だろうか)
靄の奥には、何か特殊な陣が描かれているようにも見えたが、よく分からない。だが、何故かこの時のカイの頭には、それが“呪い”なのだと理解できた。
すると、カイの動きに合わせて魔力が手のひらへと集まり始める。
『これは……?』
これまで静かに眺めていたリプカが、驚いた様子で声を上げる。気が付くと、周囲から魔力の粒子がカイの元へと集まっていたからだ。
『まさか……?』
その異変に気が付いたフィリオールが、全てを理解した様子で、信じられないというように、翡翠色の瞳を震わせた。
『……これは、原初の鍵』
『原初の鍵?』
きっとリプカには聞き覚えが無かったのだろう。怪訝そうに、その言葉の意味を尋ねる。
『セリカ様が、持つとされる天使の力です』
『ほう』
『あぁ、なんと……何という事でしょう』
生命の樹から放たれる金色の粒子は、きらきらと輝きを放ちながらゆっくりとカイの手元へと集められていく。
その光景を尊いもののように眺めたフィリオールは、まるで祈るように両手を組んだ。
すると、鍵を手にしたカイの動きに合わせて、静かだった世界に、風と木々のざわめきが生まれる。
一方、カイは集中を切らさないように、歯を食いしばって魔力がじわじわと削られていく感覚に耐えていた。
(これだけの大きさの縛りを解こうとすると、相当な魔力が必要になるってことか)
『ここが生命の樹のそばで良かった』と、心の中で唱えながら、変化した青い瞳で鎖を凝視する。
額やこめかみには薄っすらと汗が浮かび、散り散りの魔力を形として保とうとする彼の右手は、その反動と集中で小刻みに震えていた。
魔力が、鍵としての形を成した瞬間、脳裏に言葉が浮かぶ。
それを合図と踏んで、カイの喉が震えた。
『「――汝よ、開け!!」』
(頼む、うまくいってくれ!!)
祈る思いだった。しかし、その願いも虚しく、カイの手に握られていた光の鍵は、急に眩しく輝きだすと、まるで砕けるように光を散らして、手のひらから零れ落ちてしまう。
「っ!?」
その反応は、カイが今まで体験した事がない現象だった。
『一体何だ!?』
それを見ていたリプカが、離れた場所から声を上げる。
(まさか、失敗した!?)
集束させていた魔力が、消えていくのを感じて、カイは自身の右手を茫然と見つめる。
すると、状況を確認するリプカの声が飛んできた。
『おい、今のは失敗か?』
「……多分そう」
カイが悔しそうに顔をゆがめて呟く。そして、彼はもう一度手を強く握りしめると、覚悟を決めたように顔を上げた。
「次は、必ず成功させる!」
感覚は掴んだ、次こそはとカイが顔を上げる。しかし、それを静かな声が制した。
『――いいえ』
それは、フィリオールからのものだ。彼女は首を振り、薄く口元に笑みを湛えると、優しく微笑む。
『もう、十分ですよ』
「っ! 待ってください! 次は必ずうまくいきます、だから……」
あと少しだけ時間がほしい。
カイが訴えるような言葉を口にすれば、フィリオールはそれでも首を横に振る。
『もう、十分です……それに、これ以上無茶をしては、カイ様の体が持ちません。まだそのお力を授かったばかりで、体が適応しきれていないのでしょう? 魔力切れで倒れては、元も子もありませんよ』
その言葉は図星だ。
急に魔力を酷使したせいで、自分が思うよりも彼の体は疲労を訴えていた。
大樹を覆うほどの呪いだ。それを解呪しようとすれば、自然と使用する魔力は大きなものを必要とする。ここが魔力で満たされている空間だからこそ、魔力操作の基礎もないカイにもその可能性があったのだ。
それに加えて要求される精密な魔力操作は、カイの右手に相当な負荷をかける。よくみると、その手は反動で震えているようだった。
それを隠すように、カイは手を握りしめて顔を顰める。本人としては、まだやり切れていない状況が悔しくてたまらないのだろう。
フィリオールと、カイの目が互いの意見を譲らずぶつかっていた。
その様子を近くで眺めていたリプカが、ため息を漏らす。カイの様子を見て、潮時だと声をかけようとした直後、黒猫は、何かに気が付いた様子で、空を見上げた。
『……何だ?』
見上げた世界には、星が落ちてくる光景があった――いや、星に見えたのは、光の雨だ。それは、空を覆う大樹の枝葉の隙間から、少しずつ大地に降り注いでいく。
「雨?」
カイが驚いたように光に触れてみる。すると、光の雨に感じられたのは、魔力特有の暖かさだった。
気付けばいつの間にか、風はやんでいた。真っ暗な世界には、流星が流れる空と、光の粒が湖の水面を揺らす神秘的な光景が広がっていた。
『感謝します、カイ様』
「……え?」
フィリオールが、組んでいた両手を解き綻ぶ。
何に対するお礼だと、カイが戸惑いの声を漏らせば、リプカが代わりに口を開いた。
『あれを見てみろ』
「……?」
その指示通り、視線の先を追いかける。するとそこには、大樹に絡みついていた鎖が、光の雨によって洗い流されている様子が見えた。
「まさか……?」
『――どうやら、先ほどのあれは成功だったらしい』
「……っ!!」
目の前に広がる美しい景色に、カイは言葉を詰まらせる。
(成功、したんだ……!!)
だが、嬉しいことはそれだけでは終わらない。なんと、フィリオールを閉じ込めていた水晶が、中に居る彼女を開放するように亀裂を走らせたのだ。
パキパキ、という音を立てて水晶が砕け散ると、塊は魔力の粒となり、生命の樹へと吸い込まれていく。結晶化からの拘束を解かれたフィリオールの体は、支えを失い地面へと落下していくのが見えた。
「――まずい!!」
とっさの事に、カイが両手を伸ばして受け止めようとする。だが、あまり体躯差のない相手に、押しつぶされる形で彼は地面に倒れこんだ。
「いっ……王様!」
相手に怪我がないかと、慌てて声をかけるものの、フィリオールは変わらずに目を閉じたままだった。
周囲を見渡すと、幽体だった彼女の姿は見当たらない。
(一体、どうなったんだ……?)
本体が解放された事で、彼女の意識は無事にこの肉体へと戻れたのだろうか。
これでは確認のしようがないと、焦るカイの元へ駆け寄ってきたリプカは、動揺している彼に冷静に声をかけた。
『――落ち着け、魔法が解けたばかりでまだ意識が完全に戻らないのだろう。時期に目を覚ます』
「……良かった!」
その言葉を受け、カイはホッと胸を撫でおろす。
すると突然、黒猫は急に何かに気が付いた様子でカイの後方へと体を滑らせた。
『――誰だ!!』
「……リプカ?」
唸り声をあげた猫につられて、カイが振り返ると、そこには黒い空間の歪が出来ていた。
(何だ?)
それは明らかに、先ほどまでなかったものだ。カイが目を凝らして、その奥を観察すると、そこからは見知った人物が歩いてくるのが見えた。
「貴方は……ルカさん?」
そこに現れたのは、カイをフィリオールの部屋へ案内してくれた、ハメルの補佐官だった。
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