12 王の覚悟

 虹の王国――イストーリアについて、語りだすフィリオールの口調はどこか重苦しく、カイの耳には届いていた。

 カイの肩に静かに乗っているラピカも、静かな表情を浮かべており、恐らくその事実を知らないのは、異邦人である自分だけなのだろう。


『イストーリアは、古くから生命の樹に纏わる調査を行っていた国で、その国の“役割”は長い歴史を紐解き、それを末永く後世に伝えるための記録を残すことでした。我々のこの世界が、生命の樹について多くの情報を得ているのも、あの国のおかげなのです……どうぞこちらへ』


 滅んだ国について説明していたフィリオールは、カイをある場所に案内する。それは、大樹が大きく地面に根を張り巡らせている場所だった。


 大樹に近づくと改めて、その大きさを実感する。地面からは一部の根が顔を出している影響で、下からでは触れられない位置に太い幹の部分があるようだった。


『何故イストーリアが滅ぶに至ったのか、それは、あの結晶化によるものです』


 フィリオールは案内した位置から少し上部を指さして、カイに何かがある位置を教えた。つられて顔を上げれば、そこには無数の根に絡みつかれた、水晶の塊が見える。


「あれは……まさか?」

『――えぇ、あれが私の本来の体になります』


 少し距離があるが、目を凝らしてよく見ると、その中にはカイが先ほどから会話を交わしている相手――フィリオールの姿があった。

 水晶の中に閉じ込められた彼女は、目を閉じて眠っているようにも見える。

 では、何故今こうしてカイと幽体らしき彼女は会話を交わすことが出来ているのだろう。

 そのことを疑問に感じたカイが怪訝そうに彼女を見上げると、フィリオールは薄く笑みを湛えたまま説明を続けた。


『イストーリアが滅んだ理由は、あの結晶に国の全てが呑み込まれてしまったからです。理由は未だに何も分かっておりません……本来であれば今頃セオレム大陸全てがあの結晶化に呑み込まれていました。しかし、いち早くその異変に気が付いた守護天使様により、虹の王国は繋がっていた大陸から大地を裂かれ、孤立させられる事でその浸食を留めました……』

『そうか、あの時の地割れはそういう事だったのか……』


 フィリオールの説明を受けて、妙に納得した様子を見せたのは、カイの肩に乗っていたリプカだった。

 カイはその説明を受けて、フィリオールが口にした出来事を頭の中で整理する。

 

「……つまり、五年前に謎の理由で結晶化に巻き込まれた虹の王国を、天使様は大地を切り離す事で被害を最小限に留めた、ということですか?」

『はい、その通りです』


 とんでもなく規模の大きな話だ。リプカの言葉から推測するに、地割れと表現されていることから、大地を割ったという認識が正しいのだろう。

 それが世界を守る方法だったとはいえ、天使の力が改めてどういった物かを理解する。

 そんな力を自分は授かったという事なのだ。

 その事実にカイが表情を引きつらせていると、フィリオールは続けた。


『そして、あの地は、結晶化が起きてしまうほどの濃密な魔力の固まりに包まれてしまった事で、今では氷の大地としてセオレム大陸の北側に存在しております。ちょうど“くろの王国”と“あかの王国”からその一部が海の向こうに確認できると思います』

「そんな場所が今も残っているんですか?」

『えぇ。もちろん今は誰も足を踏み入れる者はおりません……ですが、そのイストーリアの滅亡を期に、聖域への瘴気汚染が始まりました』

「え? じゃあ、聖域は五年前から既に……?」

『はい、時間をかけて少しずつ侵されておりました』


 まさかそれほど長い間、聖域が危険に冒されていたとは知らず、カイは目を丸くして驚く。

 では何故もっと早く対処をしなかったのかという疑問が頭をよぎるが、その答えはフィリオールの言葉により、すぐに解答を得られる事となった。


『当然最初は、我々だけで対処をしておりました。しかし、どのような魔法をもってしても、その瘴気を完全に取り去ることは出来なかったのです。そうしている間に、徐々に生命の樹へ送られるエネルギーは枯渇してゆき、今から三年前に突如現れた結晶化に私は呑まれることとなりました』

『故にお前の器はこのようになったというわけか』

『はい』

「……じゃあ、どうして王様はその……幽体みたいな姿になっているんですか?」


 幽霊と表現するのは気が引けたので、幽体と形容する。すると、彼女は笑いながら、少しだけ自慢げに胸を張った。凛とした表情の中に、彼女がもつ本来の明るさが垣間見える。


『――幸い、完全に体が結晶に呑まれる前に、自身の意識を分離させる事が出来たからです。こう見えても私は魔法を扱う事が得意なのですよ……ですのでこうして誰かとの疎通を今も行う事が出来ます。しかし、瘴気に侵された聖域が回復しなければ、やがてこの地を満たす魔力も枯渇して、この大樹は枯れてしまう……故に、聖騎士様を召喚する必要があったのです。結果としてはその準備に数年はかかってしまいましたが』

「……じゃあ、ルクス……聖騎士が各地にある聖域を浄化すれば、王様はこの結晶化から元に戻れるということですか?」

『いいえ』

「……“いいえ”?」


 まさかそこに来てはっきりと否定されるとは思わず、カイは首を傾げる。

 相手を見れば、彼女は全てを悟りきった様子で口を開いた。


 カイの肩に乗っているリプカが、何かを悟った様子で視線を逸らした気配を感じた。


『聖域の浄化は生命の樹を救うための措置です。私の体をあそこから出す方法とは関係ありません。先ほども説明した通り、あの結晶は高濃度の魔力が塊となったもの……ですので、砕くことも、傷つけることも普通の人間には不可能です』

「普通の人間には? それは一体……?」

『そこで、カイ様をここへお呼びしたのです』


 とても静かな声だった。その世界が静けさに包まれているせいだろうか、それとも、カイが「聞きたくない」と考える言葉を、彼女が自らの意思で口にしようとするせいだろうか。


『あの結晶化が、今もあの大きさで留まっているのは、とある王の魔法による、時間停止のおかげです。しかし、長年の摩耗により、あの魔法もそう長く持ちません……もし、その時が来てしまえば、生命の樹はイストーリアと同じ末路をたどる……そうなってしまう前に貴方様のお力で、あれを粉々に砕いてください。形を保てなくなった魔力は、生命の樹へと還る……そうすれば、ルクス様が旅をされる間のエネルギーは保証されるはずです』

「――っ!?」


 それはつまり、“自分ごと”ということか。

 それもそうだろう、最初から中に居る人間を配慮して力を行使する事がカイに可能なら、“砕け”なんて言葉は選ばないからだ。


 フィリオールの言葉は王としての立場であるならきっと正しいのだろう。こんな危険なものが大樹の根元にあっては、いつイストーリアの二の舞になってもおかしくないからだ。

 

 だが、それでは彼女自身はどうなる。

 そんな考えを浮かべて、眉を寄せたカイに、フィリオールは、それが最適解だと言うように続けた。


『――幸い、王には代わりがあります。カイ様がこの世界に来てくださったおかげで、私の悩みもこれで解消できる』

「ちょっと、待ってください! 砕くって、言われても……俺にはそんな力ありません」

『いいえ、貴方様が持つ風の魔法は、ありとあらゆるものを裂くことが可能です。守護天使セリカ様が、イストーリアの地を切り離した時のように、貴方様にはそのお力があるのです』

「俺に人殺しをしろと、言うのですか? それに、そんな力をこんな場所で使ったら、それこそ生命の樹は無事では済まないはずです」

『いいえ、セリカ様の力は、決して生命の樹を傷つけたりはしません。その力の源はこの大樹そのものですから、なので“異物”のみを砕くことが可能なのです。これは、人殺しではなく、人助けだと思ってください』


 物は言いようとはよくできた言葉だ。

 カイの力の行使により、確かに彼女は『救われる』のかもしれない、だが、それを行った時、カイに残るのは、ただ人を殺めたという事実だけだ。

 そんなことは、絶対に嫌だと思う。


 カイが葛藤するように拳を握りしめ、顔を上げる。視界の先には水晶の中で目を閉じている王の姿があった。


(ハメルさんは、俺なら助けられるって言った……きっとあれは、こういう意味じゃない筈だ)


 あの時の、大聖堂でのハメルの表情は決してカイの力の秘密を知り、絶望などしていなかった。最後の希望だと彼は言ったのだ。

 

(もしかしたら、スキルならどうにか出来るのかもしれない……)


「……リプカ」

『何だ?』

「ごめん、少し離れててほしい。試したいことがあるんだ」

『ほう? 良いだろう』


 カイの呼びかけに、肩に乗っていた重みが身軽に地面へと着地する。まるでお手並み拝見だと言わんばかりに、その場に猫は腰を下ろした。

 そんなカイに対して、フィリオールは不思議そうな視線を送る。


『カイ様?』

「……試すだけ、試させてもらっていいですか?」

『一体、何を……?』

「俺の、スキルです」

『スキル、ですか?』

 

 何を言っているのか分からない、と言いたげな声をフィリオールが零した。

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