11 全ての始まり

 ハメルが用意した姿見の向こうには、カイが朝方夢の中で出会った人物の姿が映りこんでいた。

 自身がフィリオール・ディアだと名乗った美女は、戸惑うカイを前に口元に笑みを浮かべたまま話しかけてくる。


『お会いできて光栄です。わたくしが鏡の中に映っていて驚きかと思われますが、どうぞ鏡に触れてみてください。“こちらへの道”は既に開いております』

「……鏡に、触れる? 触れたらそちらへ行けるんですか?」

『はい。どうしても特別な行き方でなければならず、お手数をおかけしてしまい、申し訳ありません』


 その話によると、どうやら彼女は城の中に居ないらしい。

 色々と詳しい話を聞くためには、当然彼女の元に行く必要があるだろう。だが、鏡の中を通り抜けて移動するなど、経験した事のないカイにとって、その言葉を素直に信じて良いものか不安になる。

 しかし、迷っていては始まらないと、意を決して鏡に手を伸ばすことにした。すると、まるで見えない何かに引き寄せられるように、体が鏡の中に吸い込まれていく。


(なんだ!?)


 その未知の感覚に、反射的にカイが目を閉じて衝撃に備えれば、体は一瞬の浮遊感を味わった後、どこかへとたどり着く。

 目を閉じていたにもかかわらず、何故そう把握できたかは、地面の上に足が着地した感覚があったからだ。


 バクバクと逸る心臓の鼓動を落ち着けるように息を吐き、恐る恐る目を開けてみる。すると、そんなカイを安心させるようにふわりと優しい風が吹いた。

 気が付くとカイは、美しい星空の下に立っていた。


「――っ! ここは……!」

『なるほど、生命の樹がある場所か』


 その答えを口にしたのは、カイの肩に乗っていたリプカだった。

 どうやら黒猫は、カイの肩に乗ったまま鏡の中を移動してきたらしい。

 リプカの言葉につられ、カイも近くにある大樹を見上げる。

 

(そうか、あれが生命の樹)


 そこには、青白い光を自ら放つ大きな樹――生命の樹が存在していた。

 その大樹は、カイが空を見上げたところで、全てが視界に映らないほどの枝葉を空いっぱいに広げており、葉を揺らす様はまるで、大樹が生きているように思えた。

 そこには、神聖な空気とそれでいて暖かな魔力に満ちた空間が広がっている。


『美しい景色だな』


 まるでカイの心の声を代弁したような言葉だった。そう呟いたリプカは、その景色に見惚れている様子だった。赤い目を輝かせて魅入る姿は、ただの黒猫のようで、カイの口元に笑みが浮かぶ。


「リプカもあの樹を目にするのは初めてなのか?」

『無論だ、あれはそう易々と目にできる代物ではない』


 以前カイがいた世界にも存在したようだが、こうして実物を目にしたのは今回が初めてだった。自然を司る精霊でも『あの大樹を実際に目に出来る者は少ないのか』と感動していると、近くから聞き覚えのある声が聞こえてくる。


『まぁ! カイ様は、もうその方と“お友達”になられたのですね!』


 その声がした位置は随分と近い。景色に見惚れて本題を忘れかけていたカイは、その声にハッとする。するとそこには、幽体のように薄れているフィリオールの姿が浮かんでいた。


「っ!?」


 カイが目にしたその姿は、どこからどう見ても幽霊と呼ばれるものだ。


(まさか、間に合わなかった!?)


 その光景にカイが顔を青ざめさせれば、彼の肩に乗ったままの猫は不快そうな声で叫んでいた。


『誰が友だ! この小僧とは偶然遭遇しただけだ!』


 両手を合わせて目を輝かせたフィリオールに、リプカが唸るような声を出す。しかし、彼女は気にした様子もなくニコニコと笑っていた。その様子は完全に会話を楽しんでいる。


『ですが、そのように肩に乗せて貰っているではありませんか』

『この方が楽なだけだ!』

『ふふ、そういう事にしておきます』


 これまでのリプカの態度から、おおよその想像はついていたが、やはりこの精霊と王は気の知れた間柄であるようだった。

 二人のそんなやり取りに、カイはどう反応をして良いものか困る。

 すると、それに気が付いたリプカが、ため息と共に話題を戻した。


『――俺の話はもう良い……それよりも、貴様の“本体”は何処にある?』


 リプカの指摘に、ようやくその事情を話す気になったらしい。フィリオールは、眉を下げて謝罪を口にする。


『あぁ、申し訳ありませんカイ様……驚かせるつもりはなかったのですが……私がこのような姿になったことには理由がありまして……私の体は大樹の根元にあるのです。そこへ移動しながら少しお話をしましょう』


 どうやら、フィリオールが幽体になっていたのには理由があるらしい。ということは、彼女はまだ生きていると考えて良いのだろう。

 そのことにカイが胸をなでおろすと、彼女は先導するようにカイたちの前に出た。


『全ての始まりは、今から約五年前に遡ります――……』

「五年前、ですか?」

『はい』


 五年前、そう告げられてカイは驚く。てっきり世界に起きている異変はここ最近のことだと思っていたからだ。

 

 どこか遠くを懐かしむような表情を浮かべた王は、そうして事の始まりを語りだした。


『――その日、一つの国が滅びを迎えました』

「っ!?」


 カイの反応を受けたフィリオールは、苦笑を浮かべ、続けた。


『カイ様が驚くのも無理はありません、本来この世界には7つの国が存在していたのです……あの日、その全てが氷に覆われ、王も、民も、全ての人々の行方が分からなくなったのは、イストーリア……虹の王国と呼ばれていた国でした』

「虹の王国……」


 それは、カイがこの世界にきて存在すら知らされていない国の名前だった。

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