10 白の王

「おはようございます、カイ様。移動のご準備は宜しいでしょうか?」


 そう言って部屋を訪れたのは、以前、庭園にいたカイを大聖堂へ案内した人物だった。


 ハメルの補佐官を務めている彼は、紫色の短い髪型をしており、顔半分が長い前髪によって隠されている。彼の唯一窺うことができる紫色の右目は、カイの前に現れる度にいつも冷ややかな色を湛えていた。

 今日も淡々とした口調で業務的に声をかけられ、カイは気にしないようにしつつ普段通りの返事を口にする。


「おはようございます。今日も案内、よろしくお願いします……それから、一つお願いがあって」

「――お連れの猫様の件でしょうか? それなら既にハメル様より伺っております。ご一緒していただくようにとの言伝でした」

「え!?」


 相手の口から予想もしない言葉を耳にしてカイが驚けば、リプカが地面からカイの肩に飛び乗る形で移動する。


『ほう、説明の手間が省けたな。そら行くぞ、カイ!』

「え、何でリプカの事をハメルさんが知って……」


 そんなカイの疑問は、肩の重みが教えてくれた。


『どうせあの王からの指示だ、気にするな』

「その通りにございます。王より言伝を賜ったそうです……それでは参りましょうか」


 リプカと従者である彼の会話により、強制的に言葉を打ち切られ、カイは疎外感を感じつつも従うしかできなかった。





 補佐官である男に連れられてカイとリプカがやって来たのは、カイの居た部屋から随分と離れた場所にある、シンプルな扉の前だった。

 ここへの移動は、城の中をただ黙々と歩くだけとなり、カイたちが着いた時には、既に先客の姿があるようだった。


「ハメル様、カイ様をお連れ致しました」

「あぁ、ご苦労様です。案内有難うございます、ルカ」


(へぇ、あの人そんな名前だったんだ)


 足を止めた扉の前では、そんな会話が交わされる。どうやら、ハメルは二人より一足先に着いていたらしい。優しく微笑むハメルは、いつも通り優しい空気を湛えていた。


 そんな彼らの会話に耳を傾けつつ、見慣れない周囲の光景を眺めていると、ハメルがちょうど立っている隣に、木目調の扉が存在することが分かった。しかも、妙なことに、そこからはほんの僅かな魔力の気配を感じる。


(なんだ? 歪んでる?)


 その感覚を、あえて口で表現するなら「何かが歪んでいる」だろうか。

 周囲と見比べてみても、明らかに違和感があったのだ。豪華なつくりに彩られている城の中で、それはあまりにもシンプルな形をしていた。

 その扉の違和感が妙に気になり、カイが凝視するように扉をジッと見つめていると、これまで肩の上に乗ったまま静かにしていたリプカが、感心したように口を開く。


『ほぉ、気付いているようだな。貴様も端くれ程度には魔力探知が出来るらしい』

「え?」


 どういう意味だと、カイが隣を見る。しかし、それは少し離れた場所からかけられた声により、尋ねることは叶わなかった。


「――おはようございます、カイ様。体調はお変わりありませんか?」

「っ! おはようございます、ハメルさん。えぇ、おかげさまで相変わらず元気です」

「それは安心しました」


 ハメルの呼びかけに顔を動かしたカイは、ハッとした様子で挨拶を口にする。いつの間にか、二人の会話は終わっていたらしい。カイの前に居たはずの補佐官は、気が付けばハメルの背後に控えるように立っていた。

 カイの体調について触れてきたハメルは、それから、カイの肩に乗っている黒猫に気が付いた様子で口を開いた。


「あぁ、フィリオール様が仰られていた方は、貴方様でいらしたんですね。初めまして、私はハメルと申します」

『リプカだ』


 ハメルはリプカが精霊だと知っているのだろう、猫が口をきいても特に驚いた様子もない。

 一通り精霊と挨拶を終えたハメルは、少しだけ真剣みを含んだ声で笑った。


「それでは皆さん揃いましたね、では参りましょうか」

「よろしくお願いします」


 ハメルが魔法のかけられた扉に手をかざす。すると、何かが解除されたようにバチっという音を立てた。それは恐らく、密度の高い結界が解かれた音だったのだろう。

 引きつるような音と共に開口された扉の奥は、真っ暗で何があるのかも分からない。それも恐らく魔術による目くらましだ。相当厳重にその扉の奥は隠されているらしい。


 カイがこの扉を見た時に感じた違和感の正体は、恐らくこの魔法が原因だ。よく見ると随分と濃密に魔法がかけてあるようだった。

 その魔法をカイは「違和感」として受け取ったが、普通の人間であれば気にもせずに通り過ぎてしまう程度のものだろう。カイの目にその扉がシンプルに見えたのも、違和感としてその空間を把握したせいだった。


 リプカが感心していた理由をようやく理解して、カイは身を引き締める。これだけ厳重に魔法がかけられているということは、王がこの奥にいるという事だ。


「私の後に着いてきてください」

「はい」


 行ってらっしゃいませ、というルカの言葉に見送られ、二人と一匹はその暗闇へと消えた。





 真っ暗な世界を通り抜けると、そこには随分と広い空間が広がっていた。カイが与えられた部屋よりも大きく、それでいて生活感のある私物が綺麗に整頓されていることから、ここがフィリオールの部屋という事だろう。だが、そこには女性らしき人物の姿は何処にも見当たらない。もしかすると、この後ここへ来るのだろうか。

 そんなことを考えていると、ハメルは慣れた様子でカイを奥へと案内する。


「どうぞカイ様、こちらへ」

「……はい」


 内装の装飾はどことなく、カイが使っている部屋のものに似ているが、置かれているベッドや鏡や化粧台など、そのどれもが女性らしさを感じさせる作りとなっていた。

 王の部屋というだけあり、緊張の面持ちを浮かべるカイに対して、肩に乗っている黒猫は何故かニヤリと口元を歪めていた。


『さては貴様、女経験が無い餓鬼か』

「は、はぁ!?」

『手と足が一緒に出ているぞ』

「っ!」


 指摘されて足元を見れば、確かに自分がガチガチに緊張している事に気が付く。

 カイを少し先で待っているハメルは、なにやら大きな鏡を移動させていて、カイと黒猫のやり取りに気が付いていない様子だった。

 それをいいことに、黒猫はカイをからかうように笑った。


『女の部屋に足を踏み入れたくらいで、何を緊張する必要がある?』

「お前の方こそ、今から真面目な話だっていうのに、気が散ること言うなよ!」


 一応、やり取りは小声で行われているので、ハメルが二人の様子を咎める様子はない。


 黒猫の余計な指摘により、ここが女性の部屋だということを自覚したカイは、心の中で最悪だと呟く。

 意識をすれば、確かに甘い香りが漂う空間であることが分かった。


(余計な事は考えるな、目の前の事に集中しろ)


 これから王を助けなければならないという使命を感じて緊張していただけなのに、リプカのせいで余計な緊張も増えてしまう。


 とにかく「不用意に物に触れないように細心の注意を払おう」と考えたカイは、肉球を押し付けてからかってくる猫を、抱きかかえて咎めることにする。しかし、リプカも「俺は猫ではない!」と言って抵抗し、猫との攻防戦が始まってしまう。

 その奥ではそんな二人のやり取りなど知らないハメルが、あたふたしながら鏡を用意し終えた様子で振り返った。


「お待たせしました、準備が終わりましたのでどうぞこちらへ……どうかされましたか?」

「――い、いえ。今行きます」


 猫に爪を立てられながら、何とか首根っこを捕まえる事で動きを封じたカイは、不思議そうにハメルに声をかけられて、慌てて猫を肩に乗せた。

 明らかに不満げな様子を見せたリプカだったが、ハメルの前で揉めるつもりはないらしい。不機嫌そうにカイを隣から睨むだけで素直にそこに収まって見せる。

 また猫が暴れたらどうしようかと考えていたカイは、そうしてようやくハメルが用意してくれた鏡の前に立った。


「この鏡がどうかしたんですか?」


 そこに用意された鏡は、姿見と思われるシンプルなもののようだった。

 少し違うところと言えば、鏡の周りに美しい模様と装飾が施されているところだろう。王が使うものとあれば、それなりに高価なものを使っているに違いない。だが、自身の姿を映す以外の役割はどうにもなさそうに見える。

 しかし、ハメルは何も分かっていない様子のカイに、優しい声で事情を説明した。


「この鏡を使い、王と会話が出来るのですよ」

「え?」

「フィリオール様、準備が出来ました」


 鏡に向かって不思議な呼びかけを行うと、たちまち鏡の中に居たカイの姿が水面に揺れたみたいに歪んで、別の誰かを映し出す。

 そこに現れたのは、カイも見たことのある人物だった。


「貴方は!」

『夢の中でお会いしましたね、カイ・エレフセリアさん。改めまして、わたくしはフィリオール・ディア、この国の王をしている者になります』


 そう言って美しく微笑んだのは、カイが夢で見た翡翠色の瞳が特徴的な人物であった。

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