うろおぼえのあなた

三鹿ショート

うろおぼえのあなた

 学生時代と比べれば、現在の私は、明らかに劣った存在と化していた。

 多くの友人に囲まれ、常に笑みを浮かべていた学生時代と異なり、今では一日中誰とも会話をすることなく、黙々と単純な仕事をこなす日々だった。

 学業成績が大したものではないということは理解していたが、どうやら私は、元々他者よりも能力が劣っていたらしい。

 それでも、学生時代において人々の中心に立っていたのは、私が人気を集めていたからなどではなく、私の阿呆な素振りを友人たちが笑っていただけなのではないだろうか。

 そのことに気が付いてから、私は学生時代を過ごした土地を離れ、友人が存在していない場所で生活をすることにした。

 寂しさを感ずることは多いが、他者に嘲笑されるよりは、良い毎日だった。

 ゆえに、不意に自分の名前を呼ばれたときには、驚きを隠すことができなかった。

 恐る恐る振り返るが、其処に立っていたのは、何処かで見たような女性だったが、私が再会を恐れていたような相手ではない。

 だが、名前や声などを思い出すことができなかったために、行き付けの飲食店などで見かけていた人間なのだろうかと思っていると、彼女は苦笑した。

「学生時代の私は、目立つような人間ではありませんでしたから、思い出すことができなかったとしても、仕方がありません」

 其処で彼女の名前を聞いたが、確実に思い出すに至ることはなかった。

 彼女から、同じ学級だったということを聞いたところで、教室の隅で常に読書をしていた女子生徒が存在していたということを思い出した。

 しかし、その女子生徒と眼前の彼女が同一人物であるかどうかは、自信がない。

 だが、常に読書をしていた人間かと問うたところ、彼女が首肯を返したために、どうやら正しかったようだ。

 其処で、私は学生時代とは異なる姿を見られてしまったということに対して、恥を感じてしまった。

 たとえ親しくはない相手だったとしても、かつての私の姿を知っているために、今の状態と比べられてしまうことは、間違いないだろう。

 顔面に熱を感じながら、彼女にどのように思われているのだろうかと考えていると、彼女は口元を緩めながら、

「現在のあなたが学生時代と大きく変化したということについて、言い触らすような真似に及ぶことはありません。そのことを話すような友人は、今の私には存在していないのですから」

 存在をほとんど忘れていた人間の言葉を即座に信ずることは間違っているだろうが、言質を取ることはできたために、ひとまず安堵した。

 それから我々は近くの喫茶店へと移動し、学生という身分を失った後の生活について、互いに話した。

 話を聞いたところ、彼女もまた、私と同じような人間だったために、私は親近感を抱いた。

 そのためか、我々は連絡先を交換し、共に食事をするようになった。

 やがて、我々が特別な関係を築いたとしても、不思議なことではなかった。


***


 収入に不安を抱えてはいるが、愛する彼女と共に今後も同じ時間を過ごしたいと考えた私は、彼女に結婚を申し込んだ。

 彼女は目を見開いた後、穏やかな笑みを浮かべながら、感謝の言葉を吐いた。

 その瞬間、私の身体に、衝撃が走った。

 気が付けば私は地面に倒れ、身体を動かすことができなくなっていた。

 見れば、彼女の手には、小さな器械のようなものが握られている。

 それによって、私は衝撃に襲われたのだろうか。

 その理由が不明だったために、彼女に何のつもりかと問おうとしたが、再び襲いかかってきた衝撃によって、意識を失った。


***


 気が付くと、私は地下室のような場所で、椅子に拘束されていた。

 眼前には、これまで目にしたことがないような無表情の彼女と、私と同じように、首から上は袋を被せられているために誰であるのかは不明だが、椅子に拘束されている複数の人間が存在していた。

 困惑しながらも、彼女に対して何故このような行為に及ぶのかと訊ねた。

 彼女は軽く息を吐くと、他の人間たちの袋を、順番に取っていった。

 その顔を見て、私は言葉を失った。

 何故なら、いずれも学生時代において私と親しかった人間たちだったからだ。

 目を見開いていると、彼女は私の耳元に口を近づけながら、

「あなた以外の人間は即座に捕らえることができたのですが、あなただけは土地を離れていたために、苦労しました。ですが、それもようやく終わりです」

 私は声を震わせながら、

「我々が、きみに対して、何か悪事を働いたのか。それならば、謝罪する。そして、きみが解放してくれれば、この件を口外することはないと約束しよう」

 私の言葉を耳にすると、彼女は首を傾げた。

「何故、解放するという選択肢が存在しているのですか」

 其処で彼女は私の髪の毛を掴んだ。

 髪の毛を引き抜くつもりではないかと思うほどの力に顔を顰めていると、彼女は明らかに怒気が込められた声色で、

「残された日記で、既に確認しています。私の友人があなたたちに解放してほしいと求めたとき、あなたたちは嘲笑したという話ではないですか。それならば、私は同じような行為に及ぶまでです」

 その言葉を聞いて、私は学生時代の罪を思い出した。

 かつて私は眼前に捕らえられている人間たちと共に、彼女のように目立っていなかったとある女子生徒を、玩具のように扱っていたのだ。

 もしかすると、その女子生徒は彼女の友人であり、その報復をするために、我々を捕らえたのではないか。

 私がそのことに気が付いたということを悟ったのか、彼女は短く息を吐くと、私の髪の毛から手を放し、部屋の隅に向かって歩き出した。

 其処に並んでいる数々の道具を見て、私は戦慄した。

 因果応報とは、このような状況のことを表現しているのだろう。

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うろおぼえのあなた 三鹿ショート @mijikashort

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