第10話 テレシア、ヴィクトルへ興味を持つ

 私が他人を信じてみようなどと考えたのはいつぶりでしょうか。


 アスクレピオス男爵家。かつてはそれなりの爵位があった貴族だったのらしいですが、年々衰退の一途を辿り、なんとか貴族としての体裁を保っているだけの家系。


「その汚らわしい顔を見せないでちょうだい!

 その顔を見ていると腹が立つのよっ!」


 それは継母の言葉。


 継母は私を見る度、頬を平手打ちし、叫び声を上げていました。幼いながらも、ああこの人はなんて心に余裕がないんだろうかって思うくらいの態度です。


 継母は私のことをひどく嫌っていました。それもそのはず。私の母は父の従者だった女性ですから。


 父の火遊びが原因で産まれた私は家族の中では冷遇されていました。


 それに私は高すぎる魔法への素養、紋様のせいで体調を崩しがちで、何度も死にかけたことだってあります。


 日に日に身体機能が欠落していく私。そんな私にも少ないながら娯楽というのがありました。


「こんなものしか買ってあげられないけどごめんね」


 母が謝りながら買ってくれた紅茶と塩キャラメル。


 私の妹はいつも同年代の貴族令嬢とお茶会を開き、高級な紅茶や茶菓子を頬張っていました。


 それを羨ましいと思ったことはありません。しかし母はそう思っていなかったのか、少ない賃金で私にそれを買い与えてくれました。


 私にとって大切で、思い出の味。それだけあれば良かったのに……、どうやら神様はそんな些細な幸せすら許してはくれなかったようです。


「かわいそうなお姉様。ああ、なんてかわいそうなのかしら。唯一の味方だった人を亡くした気分はいかが?」


 母は馬車で街に向かう道中、不慮の事故で亡くなりました。


 あの時の継母、妹……そして当主である父の言葉と表情は忘れません。


「当主に逆らったのを神様は見かねたんだわ。ああかわいそうな人。従者風情が逆らうからいけないのよ」


「だが不慮の事故である以上仕方ない。本当はお前の母とよく話したいが……それも必要なかろう。お前はゾディアック家との交渉のために使わせてもらうぞ」


 継母と当主のお言葉。


 当主は魔法の素養が高く、紋様を全身に発現させている私をゾディアック家に嫁がせることを考えていました。


 表向きは私の治療のため。しかし真実はより優れた遺伝子と母体を提供し、ゾディアック家から恩赦を貰うためです。


 私の才能のことは、貴族であれば知らない人はいません。


 百年に一度の天才。神の寵愛と悪魔の微笑みを一身に引き受けた深窓の令嬢と呼ばれているらしいですね。


 体が弱いため、表舞台に立つことはないが、魔法の才能はピカイチ。全身に紋様を発現させられるほどの才能を持ち、それは伝説の勇者や聖女、大魔導師と同等の才能を誇る。それが貴族の間での私の評価です。


 当主はそんな私をゾディアック家に差し出すことで恩赦をもらうことを目的としていたのでしょう。


 それに反対していたのが私の母です。


 愛のない婚約、それも婚約者は悪名高きヴィクトル・ゾディアック。根暗で嫉妬深く、卑屈で、小心者ゆえの攻撃性を持ち、人を道具としか見ていない……そんな悪評が絶えないほどの人。


 私の母は必死に反対したのでしょう。しかし、アスクレピオス家が成り上がるには絶好の機会。


 愛してもいない娘を一人差し出して、アスクレピオス家が再び栄華を掴むのなら安いもの。


 母の懇願を当主は無視し、それでも退かない様子の母を不慮の事故と偽って殺したのです。


 調べれば証拠は幾らでも出てきました。壊れるように細工してあった馬車、雨の日の無理な出発、運転手は正規の人間ではなく、金で雇われた浮浪者などなど。


 しかしそれだけなのです。証拠があったとしても、死んだのはたかが従者一人。それに、家で冷遇され、力を持たない私ではどうしようもないのです。


「せめて……この手で彼らを……。づ、がはっ、ごほっ!」


 魔法に頼れば復讐できたかもしれません。


 しかし、それではよくて道連れでしょう。私の身体は皮肉なことに、私の魔法行使に耐えられないのです。


 それほどまでに長年の境遇とエーテル病による蝕みが私の身体を弱らせていました。


 結局、私にどうすることもできず、私の婚約が決まり、私はゾディアック家へ。


 ゾディアック家は様々な種類の魔法使いを輩出している名家。ここ百年は目立っていないが、元は錬金術の名家だったと聞きます。


 私の素養があれば、錬金術でエーテル病を緩和する魔法薬なら作れるでしょう。そうすれば私は魔法を使えるようになるはず……それだけが私がゾディアック家に向かう理由でした。


 ヴィクトル・ゾディアックからどんな扱いを受けるのも覚悟の上。今更人間らしい扱いなど期待していません。


 噂に聞くヴィクトル・ゾディアックなら私のことをこれでもかと虐め、自分の快楽や愉悦のためにこき下ろすことでしょう。


 そんな風に思っていたはずだったんですが……。


「いや、大丈夫ですよテレシア。僕は平気です」


 彼との出会いは私の想像を裏切るものでした。


 一体どこから悪評、噂が立つのか分からないくらいの善人性。人当たりは柔らかく、困っても薄く笑うだけ。


 他人に対する嫉妬や負の感情は一切見せず、私の全身の紋様に対して畏怖や嫌味など一つも言わず、挙げ句の果てには私を救うと言い出す始末。


 一体彼は何者なのでしょうか……?


 噂とは乖離した人格、私を救うことに対する自信……。エーテル病が不治の病と知りながらも、それに対するアプローチを知っているかのような口ぶり。


 実に興味深いです。


 同年代の子達がいう恋愛感情や好きという気持ちは分かりません。ですが、彼に対する興味は湧き出るばかりです。


 いずれにせよ、利用できるものは利用するだけです。彼の好意もまた利用して、私は私の復讐を完遂するだけ。


 ですが……もし叶うのなら少しでも多く、彼と接してみたいとは思います。


 一体彼が何をしてくれるのか、彼の錬金術はいかほどなのか、彼にどんな目的があるのか……。


 それを少しでも見てみたい。私はこの日初めて、他人へ興味というのを示したのでした。

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