誰よりも強く

増田朋美

誰よりも強く

その日は風が何よりも強く吹いて寒い日であった。多分こういう日であれば花粉も飛んでいるのだろうなと思われることもあるが、杉ちゃんみたいな人は、バカは花粉症にもかからないというのであった。みんな薬とか、そういうもののお世話になっているけれど、杉ちゃんという人は平気で居るのである。

「杉ちゃん悪いねえ。わざわざ、病院に付き添ってもらっちゃって。」

一緒に来た伊能蘭は、申し訳無さそうな顔をした。

「いやあ良いってことよ。病院に付き添うなんて、たいしたことないよ。それより花粉症で良かったじゃないか。それなら、大したことなくて、大きな病気でもなくてさあ。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「本当に杉ちゃん明るいね。それでは、いつまでも明るく居られるんだな。そういうことができるってのは、ある意味一種の才能なのかもしれないよ。」

と、蘭は、杉ちゃんに感心するように言った。

「いやあ、何でもそうだけど、深刻に悩んでは行けないさ、そんな事したって、何も大したことにならないじゃない。それよりも、明るく楽しく元気よく、それが一番じゃないの。」

そんな事言う杉ちゃんはすごいと蘭は思うのである。

杉ちゃんたちは、診察が終わって薬をもらうため、病院近くにある薬局へ行った。杉ちゃん一行が、薬局に入ると、薬局は患者さんたちですごく混んでいた。中にはおくすり手帳を持っていない患者さんも居て、そういうところから、医療機関に掛かる人の多さがうかがえる。なんか最近の人は、健康に関心が高いのは良いことなのかもしれないが、報道であまりにも健康であることの大切さばかり流されているせいか、ちょっとしたことでも直ぐ気になる人が多すぎるような気がする。それは、どうしてなのだろうか。なんだか、テレビも健康の事を報道しすぎなのではないかと、思われるのだが。

とりあえず蘭が処方箋を渡して、薬ができるのを待っていたとき。一人の若い女性が、家族だろうか、それとも友達だろうか、年齢のあまり変わらないように見える女性と一緒にやってきた。一見すると、そんなに年は違わないように見えるのだが、会話の内容を聞いているとやはり親子であった。その内容とは、こういうものであったから。

「もう私って、能力が無いんだわ。あれほど苦労して書いた原稿を、パソコンで消してしまうなんて。」

若い女性はそう言っている。

「何を言っているの。そんな事大した事じゃないわよ。それは、たまたま、パソコンがそうなってしまうのを知らなかっただけのことじゃないの。」

と、隣に居る女性はそう言っているのである。これを聞いて杉ちゃんは思わず馬鹿笑いをしてしまった。

「はあ変なやつだなあ。パソコンでデータが消えたくらいで、病院に来てしまうのか。」

「ええ、だって。」

とその若い女性は杉ちゃんに言った。

「だって、仕事をやっともらえて、それでようやくニートを卒業できると思って書いていた原稿だったのよ。」

そうやって、誰でも関係なく話してしまうのは、やっぱり若い世代だなと蘭は思ってしまうのであるが、でも、そういう仕事でしか、生きがいというか、そういうものを見つけられない若い世代が増えていることが問題だと思った。この世の中、仕事はいくらでもある。中には、食べ物を作るという、生活の基本のきの字のような仕事をしている人も居る。だけど、そういう仕事に魅力を感じないで、育ってきてしまったために、変なところで生きがいを見出し、自立できない生活になってしまう若い人が多すぎる気がする。

「そうなんだね。じゃあ、原稿を書くのはやめろとは言わないが、ちょっと、僕らが、外へ出るのを手伝ってくれんもんかな?僕ら、ご覧の通り歩けないんだ。だから、ちょっと手助けするつもりでさ。僕らが、ここから出て、車に乗るまで、ちょっとお手伝いしてくれよ。」

そういう人の話に直ぐに乗ってしまうのが杉ちゃんだった。そういうところは、他の人にはない、杉ちゃんの良いところだった。

「お手伝い?そんな事自分でやればいいじゃない。」

若い女性はそういうのであるが、

「いやあ、僕らはねえ、自分でやれと言われてもできないんだよ。いくら立とうとしたって絶対立てないもん。歩けないから。それは、お前さんだって見ればわかるだろ。そういうやつも居るんだよ。居てもいいと思わなくちゃ。そういうやつの手助けは、他の仕事についている人がすることで、自分がしなくて良いとは思っちゃだめだぜ。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そうなのね。あなたって変な人ね。自分のことは、自分でやるって、さんざん学校で言われてきたのに、できないなんて。そんなこともご存知ないの?」

「お前さんだって、自分で生活してないじゃないか。それと一緒だ。」

女性は、杉ちゃんにそう言われて、ちょっと小さくなった。それと同時に、薬局の係員が、伊能蘭さんと蘭の名をよんだ。蘭は、ちょっと行ってくるからと言って、車椅子を動かすと、杉ちゃんが、蘭が薬を受け取りに行くのを手伝ってやれと指示をだした。女性は、急いで蘭の車椅子に手をかけて、薬を受け取るカウンターまで連れて行ってあげた。

「えーと、伊能蘭さん。今日は花粉症ですかね。まあ、毎年のことですが、いつもこれだけたくさんの薬を飲んでらっしゃいますと、結構重症なんですかねえ。」

中年の薬剤師は、なんだか嫌そうな顔をして蘭をみた。何故か、世の中そうなっている。普通の人が患者となると、普通にやり取りしてもらえるのだが、車椅子の人が患者となると、ちょっと扱いが違うものになるらしい。それは、どんな職業についている人を相手にしても同じである。

「まあそうですね。重症なのかは自分でもわかりませんが、でも毎年悩まされては居ますよね。」

蘭は、ちょっと恥ずかしそうに言った。

「それでは、毎年出されているからわかると思うんですが、腕に貼る薬と、あと飲み薬と目薬ね。忘れないようにしてください。使い方は、もうわかっていらっしゃいますよね?」

薬剤師は面倒くさそうに言った。

「了解です。また薬が切れたら来ます。」

蘭はそう言って、薬の代金を支払い、車椅子の車輪に手をかけたが、あの若い女性が車椅子を動かして、入口まで連れて行ってくれた。入口は、車椅子でも通れるスロープがあったから直ぐに出ることができた。杉ちゃんの方の車椅子を動かすのは、お母さんのほうがした。

「どうもありがとうよ。それなら、僕たちタクシーで帰るから、それに乗り込むまで一緒に居てよ。」

杉ちゃんにそう言われて若い女性は、嫌そうな顔をしたが、お母さんの方はわかりましたといった。蘭がスマートフォンを出して、介護タクシー会社に電話し始めた。いわゆる、UDタクシーというものを保持しているタクシー会社が最近増えてきたが、それだけではまだ追いつかず、蘭たちは、一般的な介護タクシーを頼まなければならないことのほうが多かった。若い女性は、タクシーなんてスマートフォンのアプリで呼び出せば済むことなのになんて言っていたが、お母さんのほうが、それを止めてくれた。

「それで、お前さんは、どうして仕事してないの?」

杉ちゃんが若い女性に聞いた。

「ちなみに僕らは、こういう足が悪くてもちゃんと仕事してんだよ。僕は和裁屋で、蘭のほうが、」

「まあ、あんまり口に出して言いたくないですけど、刺青師をしています。」

蘭は、杉ちゃんの話にそういった。

「へえ、刺青師さんなんですか。そう言うと、極道みたいな人も相手にするんですかね。そのお体でお相手するのは大変なのでは?」

とお母さんが蘭にきくが、

「いえ、あいにく僕は、極道は相手にしていないのです。そういう人ではなくて、一般的に居る女性の方々ばかりですよ。」

と、蘭は正直に答えた。

「でも、外国と違って日本では刺青というと、怖い人と言うかそういう人しか来ないでしょう。」

お母さんがそう言うと、

「いいえ、僕のところでは怖い人は居ません。みんな悩みのある人ばかりです。」

蘭はそう答えた。すると、若い女性が、

「例えばどんな人が来るんですか?」

と蘭に尋ねた。

「そうですね。まあいろんな人が来ますけど、不良っぽい子はあまり来ませんね。それより、幼いときは優等生だったけれど、成長するに連れて自分を失ってしまって、すがるものを体に入れたくて、観音様をほってくれとか、あるいは親からの虐待や他の人に殴られたあとを刺青で消してくれと言う人も居ますよ。あとはですね、昔からコンプレックスになっている体の痣を刺青で消してくれという方や、ひどいリストカットや根性焼きなどに走ってしまった方で、それを消してくれという方も居ます。そういう依頼をしてこられる方が一番多いですね。まあ、みんな自分の弱いところが割りとはっきりしていて、それと必死で向き合おうとするために、刺青をツールにしているんじゃないのかな。」

蘭は正直に答えた。

「そうなんですか。じゃあ、本当に暴力団とかそういう人は来ないですか?」

と若い女性がそうきくと、

「ええ、刺青というと、そういうイメージ持たれちゃうんですけど、そうとも限りません。それは意外に知られていないことですけどね。」

と蘭は答えた。

「そうですか。彫師の先生って結構怖いイメージあったけどそうでも無いんですね。それでは、その仕事に対して醍醐味というか、すごいところはなんですか?」

お母さんが蘭にそうきくと、

「そうですねえ。まあ、彼女たち、僕のところにお願いに来る人は、大体女性ばかりなんですけど、彼女たちが、観音様や花模様を体に入れることで、支えができて、生きるのが少し楽になってくれたと言ってくれるときが一番うれしいです。機械彫りはできないので、どうしても手彫りになりますが、そのときは激痛を伴いますから、そのときにお客さんたちが、自分の事を嘘偽りなく話してくれることも、刺青師の特権かな。」

蘭は、そうにこやかに話した。

「嘘偽りなく?」

お母さんが聞くと、

「ええ。彫るときはどうしても痛いですからね。それを和らげたくておしゃべりをするお客は多いですけど、そのときに、痛みのために、嘘や偽りを、取り繕っている暇は無いんです。だからみんな自分のこととか、家族のこととか正直に話してくださいます。みんな、たいへん苦しんでいたんだろうなと思われる悩みを抱えていて、人から辛い目で見られないように、あるいは自分の支えが欲しくて刺青を入れるんですけど、僕は、必ず彼女たちに、入れる前の自分には戻れないので、二度と自分を責めないであなたらしく生きてくれと忠告しているんです。彼女たちは、誰にも悩みを相談できないで暮らしてきて、これからも相談できないから、観音様をほってと言うのですが、そんな彼女たちが、これからも辛い世の中を生きていけるように、僕はお手伝いができることが、ほんとに、この仕事をやってきてよかったと思っているんです。」

蘭は、しんみりと話してしまった。そういうことは、なかなか口に出して言えることではないが、若い女性は、真剣に蘭の話を聞いていた。そのうち、くすんくすんと泣いている声が聞こえてきたので、

「ああ、すみません。ついペラペラ。」

蘭は思わず言った。

「いいえ良いんです。あたしだって、子供の頃は、そういう仕事ができることが将来の夢だったんです。」

と若い女性は泣きながら言った。

「つまり、刺青師になりたいということですか?」

蘭が急いでそう言うと、

「いいえ、そういうことじゃありません。先生が、言ってた、辛い世の中を生きていけるように、お手伝いができること。それを私もしたかったんですよ。子供の頃は、クラスでいじめられていて、よく、泣いていました。それで、もうお前なんか必要ない、消えてしまえとよく同級生から言われましたので、うんと将来は必要とされる人になるんだって誓いを立ててました。」

と若い女性は言った。

「そうなんですか。そういう意志があるんだったら、福祉とかそっちの方の仕事についても良かったんじゃありませんか?」

蘭が一般的な事を言うと、

「それが、中学校のときに成績が悪くて、内申が取れなくて、いい高校に行けなかったんです。私、一生懸命頑張ったつもりなんですよ。だけど、成績が悪かったんです。塾にも行ったけれど、ただ答えを暗記するだけの勉強がどうしてもできなくて。よく、授業では態度が良いのに試験で良い点が取れなければ、何も価値がないって、父や母に叱られました。だから、自殺未遂したこともあったんです。」

と、彼女は言った。

「それでその成績では、福祉関係の学校には行けないと言われて、諦めるしか無いって言われたんですよね。その時から、現実から逃げ出したくて、小説とか随筆などを書くようになりました。その時から、もう勉強とかどうせできないからって、そういうものばかりを書いてました。」

「そうなんですか。それもまたすごいと思うけど。」

蘭は正直な感想を言った。

「それで結局、不良みたいな学生しかいない高校にしか行けなかったんですよ。そこはもう地獄でした。高校であれば、もう少し専門的に勉強できるから、個性的でもいいかなって思ってたんですけど、周りの生徒さんは不良ばかりで、スカートは短くするし、だらしない制服の着方をして、毎日先生に怒鳴られるんです。それが毎日ですから。中には剪定ばさみで髪を切られた生徒さんもいました。それくらい、不良ばっかりの高校しか行けなかったんです。だから、日本では、成績が良くないと幸せになれませんよね。それで私、大学に行く気力もなくしてしまって、高校を卒業してから体調をずっと崩して、家に引きこもるようになったんです。」

女性は、申し訳無さそうに言った。

「そういうことで、私、もう疲れちゃいました。もう生きていなくてもいいかなって。何度か市民文芸とかそういうところには応募するんですけど、それでも当選することはなくて。だから、もうこの世から必要ないんだって思ってしまいました。それで、なにかあるごとに感情が安定しないとか、そういう事言われるようになってしまったんですけど。」

「そうなんですね。なにか支えになってくれるもの、例えば具体的な人間ではなくても良いんですよ。神様とか、仏様とか、そういう存在があったらまた違うかもしれないですよね。僕のところに来る方もそういう人がいます。彼女も、あなたと同じように、学校でも家でも居場所がなくて、自分は一人ぼっちだと嘆いていらっしゃいましたから、僕は彼女の背に観音様をほってこれで大丈夫だと言ったんです。以降、彼女からは、毎年年賀状が来ていますが、今は結婚して、立派なお母さんになっていますよ。」

蘭は、そう女性の話にアドバイスした。自分としては、自分のしてきた経験を話すしかできないが、それがこの女性を救うことになるんだと思いながら。

「そうなんですね。でも宗教は、ちょっと悪いイメージがあって、例えば何万円も、布施を出させるとか、、、。」

若い女性はそういう事を言うが、

「いえいえ、そういうものは、最近になって出てきた偽の教えです。何年も前から続いている教えには、ちゃんと日常生活に腰をおろしていて、それ故に心にやすらぎを与えてくれます。それは、誰でもそうです。そうなる権利は誰でもあります。」

蘭はそう女性に言った。

「そうなんですか。でも、私には、そういう人が、いてくれるわけでもないし一度社会から切り離されてしまっているので、もうもとに戻ることもできないですよね。お手本になってくれる人もいないし。だからどういうふうに生きていったらいいか。それも何も無いんです。みんな、なくなってしまったので。」

そういう女性に杉ちゃんがでかい声で、

「お手本になってくれるやつなら、右を見ろ。直ぐ隣に居るじゃないか?」

とお母さんを顎で示した。

「何を言っているんです。私は、娘にこうしろと言えるような親ではありませんよ。ただの平凡な生き方しかできなかった親ですし、なにか大きな事業を起こして大成したわけでもありませんから。」

お母さんは、そう杉ちゃんに言うのであるが、

「少なくとも、日常生活が送られるという、幸せは得られたんだから、一番強いやつはお母さんだと思うけど、違うのかよ。」

と、杉ちゃんはでかい声で言った。

「どんな高尚な職業につかなくても、どんな大きな事業をしなくても、毎日ご飯が食べられて、毎日あんして眠れる。これこそが、一番幸せで、一番理想的な生き方ではないのか?お前さんは手もあるよ。足もあるよ。目もあるよ、耳もあるよ。そういう必要なものはすべて揃っている。僕みたいに、車椅子を使わなくても、自分の意志で、歩けるよ。すごいことじゃないか?いいか、僕らは、こういうふうに、介護タクシーを利用しなければ、どこにも行けないんだ。」

杉ちゃんがそういったのと同時に目の前に大きなワゴン車がやってきた。これがいわゆる介護タクシーなのだ。直ぐに、制服姿の運転手が出てきて、利用ありがとうございますと言いながら、杉ちゃんと蘭を車の中に乗せた。若い女性は手伝おうと思ったが、運転手はしっかりしていてちゃんと杉ちゃんたちを、介護タクシーの中に乗せてくれた。その手際は非常に鮮やかで、まるで天の羽衣でも着せる天人みたいな衝撃だった。

若い女性が、唖然としている間に、運転手は、タクシーに乗り込んでエンジンを掛け始めてしまった。ただ、天の羽衣ではなかったのは、タクシーの窓から杉ちゃんが顔を出して、

「じゃあな!誰よりも強いやつは誰なのか、ちゃんと考えて生き抜けよ。」

と言ったのが大きな違いだった。蘭が、二人に、ありがとうございましたと言って頭を下げているのが見えた。そして介護タクシーは、後を振り向くこともなく、走り去っていってしまった。それはもしかして異世界へ向かっていくそらとぶ車のような気がした。お母さんは、頭を下げた蘭に向けて頭を下げ返したが、若い女性はまだ呆然としているようで、前方を見つめているだけだった。






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誰よりも強く 増田朋美 @masubuchi4996

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