第20話 ミドリのオトが聴こえる

中庭の真ん中で、あたしは突然、立ち止まった。

あたしの土気色のショートヘアが、一瞬遅れて、同じように、止まった。




あたしと一緒に歩いていた同じクラスの友人2人は、あたしが止まったので、遅れてそれに続いた。

その2人に全く気遣いしないかのように、あたしは遠くを見ながら、声を出した。



「聞こえる。何か話してるみたい」



それを聞いたの友人の一人、カセイは口から、はあ、と息を漏らした。

今まで何度となく見た光景に飽き飽きしたのだろう。



「また、出たな、不思議ちゃんが」

「やめなさいよ。ミオ、大丈夫?」



もう1人の友人、カグラがあたしに言った。カグラはあたしに駆け寄ると、肩に優しく触れた。

あたしの中には、尚も声が聞こえていたが、二人にこれ以上心配をかけるのはいけないと思い、嘘をつくことにした。



「もう大丈夫、聞こえなくなったみたい。ごめんね、いつも」



そのあたしにカセイが返事をした。



「ミオ、俺も精霊魔法が強いから分かるけど、この中庭には幽霊なんかいないぞ。何を聞いたんだ?まじで何かの病気なんじゃないの?」



それに対してあたしは目をうつ伏せて、小さく、そうかも、とだけ答えた。カセイの次に溜息をもらしたくなったのはあたしだったが、それは心の中の世界だけに留めておくことにした。

それからあたしたちは、次の講義のために教室へ移動した。




あたしが『それ』が聞こえるようになったのは、6歳くらいの時からだ。

森や、公園、道を歩いている時など、あたしにはそれが聞こえた。


それ、は

「元気か?」

と言う時もあれば、

「こっちくんなよ」

と毒を吐く時もあり、

「水くれない?」

と要求してくる時もある。


とにかく、他の人には聞こえない声が聞こえるのだ。



これはカセイが言うように、幽霊の声ではなかった。


精霊魔法、この魔法の世界でこの力が強い人は、精神に干渉することができる。人ではない、霊の類と話すことも可能だ。どうやら、あたしも精霊魔法は強いらしいが、他の精霊魔法が強い人には、あたしが聞こえるあの声は聞こえない。

結局、今まで、この声の正体は分からず仕舞だ。



あたしは、本気で自分が何かの病気なのかと疑い始めてきていた。

精神的なものなのかもしれない。



あたしは昔から、この声のせいで突然立ち止まったり、急に何かと会話したりするので、『不思議ちゃん』というアダナがついていた。それが元でちょっとしたイジメにあったこともあった。

元から、あたしは人との会話が下手で、なおかつ変な行動を取るため、友達が少なかった。カセイとカグラを除いたら、いないも同然だった。

この日も、友人に申し訳ないという気持ちを抱いたまま、時間だけが過ぎていった。



それから夕方になり、講義が終わると、あたしはゼミへ行った。


あたしが通っている魔法専門の上校のゼミでは、植物に含まれる魔法の研究を主に行っている。

夕方、先生にあらかじめ呼び出されていたので、呼び出し時間通りゼミの研究室へ行くと、ゼミの研究員ほぼ全員が揃っていた。


そんな中、先生が大きな箱を持って、研究室へ入ってきた。



「みんな、集まってもらって悪いな。

実は北の森でマジックダケを2株、捕獲したんだ。3日後、このマジックダケを解体して、魔素を取り出して解析してみようと思う。

忙しいところ悪いけど、3日間、交代でこのマジックダケの世話を頼む」



そう言って先生は、箱から密閉された大きなビーカーを取り出した。

そのビーカーには手のひら大の大きさの、茶色いマジックダケが2株、『立って』いた。



あたしはそれを見るのは初めてだったので、うわ、と声を漏らしてしまっていた。

マジックダケは一般的なキノコに手足と頭が生えた姿で、なんと目や口、耳まであり、それは人のようにワキワキと動き、ビーカーの中をゆっくり歩いていた。

他の研究生もマジックダケの姿を見て、小さい悲鳴を上げた。



「うわ、きもーい」

「これ、生きてるんですか?」



マジックダケは目をぎょろぎょろ動かして、あたしたちの方をビーカー越しに見ているようでもあった。



「このキノコは、生きているけど、知恵や意識はないんだ。

安心してくれ。


これは、動く植物だと思ってくれていい。

今日から、1日に3回、霧吹きを3回くらいずつかけて、ビーカー内の湿度を保ってくれ。夜はキノコも動かなくなるから、みんなは寝ていいよ」



1匹のマジックダケは先生の言葉の最後あたりで、あたしと目があった。

そのマジックダケは口を動かして、何かしゃべったように見え、その途端、あたしには軽い耳鳴りがした。

あたしが眉間にしわを寄せるやいなや、先生の言葉が飛んだ。


「じゃあ、みんなよろしくな。今日は解散!」



その後作られた当番表では、あたしは、2日目にあたっていた。




それから1日過ぎ、あたしの当番の日がやってきた。


ゼミの研究室の端っこにある箱を開けると、ビーカーの中にいる2匹のマジックダケはあたしをじーっと見上げた。

それを見たあたしは思わず、少し震えた。とても意思が無いようには見えなかったのだ。



そしてビーカーを机の上に持ち上げ、口元の栓を開けると、すぐに声がした。

声はビーカーの中から、聞こえた。


それは昔からよく聞こえる、あの脳に直接呼びかけてくるような声に近かった。



「ここ、どこなの?」

「あなた、聞こえる?」



その声はいつものようなぼやっとしてものではなく、あたしの目の前からはっきりとしたオトとして聴こえた。

あたしはきゃあと叫び、思わずビーカーを突き飛ばしてしまった。


ビーカーはそのまま机から落ち、がしゃんと大きな音を立て、割れた。

そしてビーカーの中にいた2株のマジックダケは少しの間を置き、むくっと起き上がった。



「ちょっと何するの。痛い」

「あなた、声、分かる?」



あたしはそのキノコを魔物だと思い、身体が震え、助けを呼ぼうと声を出そうとしたが、恐怖からか声は出ず、代わりにあたしの脳にはキノコたちの意識が直接、流れてきた。



(わたし、あなた攻撃しない)

(わたしたち、怖い存在、違う)



その声はなぜか妙な説得力を持って、あたしの中に流れてきた。

理由は分からなかったが、あたしの身体の震えは止まっていた。



「今、何をしたの?」



あたしの声にも、震えはなかった。



「あなた、精霊魔法、すごく強い、だから共感」

「あなたに直接、わたしたちの意思、送った。ダケ」



あたしはそれを聞いて、先生の言葉を思い出していた。そして、咄嗟に疑問に思ったその質問を口にしていた。



「あなたたちって、もしかして意識とか、意思があるの?」


「ある。人、知らないダケ」

「わたしたち、心もある」



それを聞いて、あたしは愕然とした。

みんなが植物だと思っていたキノコには人のような心もあるのだ。そしてそれはおそらく、あたししか知らない。



「わたしたちに人、何するの?」

「なんでここ、連れてきた?」



あたしが黙っていると、マジックダケはあたしが質問されたくないことを聞いてきた。

あたしはマジックダケ達の無垢な瞳を直視できず、目を反らしながら、咄嗟に嘘をついた。



「今、あたたたちがいた森をちょっと手入れしていて、ここに移動してもらっているだけだよ。

明日の夜には帰れるから、大丈夫……」


「ふうん」



あたしの嘘はあたしの心臓に針を刺した。

心がズキン、と痛んだ。


マジックダケはあたしの説明に納得したのか、それ以上、何も言わなくなった。

あたしは割れたビーカーの代わりを用意して、「この中で休んでね」と2匹のマジックダケ達を中へ促した。


マジックダケ達はそれに素直に従い、のそのそとビーカーに入ってくれた。

そして、彼らとはその後、会話はなかった。



深夜になるとマジックダケ達は眠ったので、あたしも隣の部屋の研究室のソファで眠ることにした。

しかし、心の中に沸いたわだかまりは、どんどん、大きくなっていった。



(このまま、あのキノコ達をここに置いてていいの?嘘までついて……

まるで見殺しじゃない……

人の実験なんかのために、あの子たちを犠牲にしていいの……?)



そうしている内に眠気が襲ってきたので、あたしは隣の部屋に向かって小さく、「ごめんね」と囁き、目を閉じた。




マジックダケが研究室に来て3日目の朝。

あたしは次の当番が来る前に、マジックダケが入ったビーカーを研究室の外へ持ち出していた。


あたしはそのビーカーを誰もいない中庭に置くと、栓を抜いた。

中にはまだ眠そうなマジックダケ達が横になっていた。



あたしはマジックダケ達が寝ぼけた目をこするのを見て、自分も目をこすった。

あたしの目はちょっとあつぼったくなっていた。

昨日の夜、あたしは結局、一睡もできていなかった。


あたしは、朝まで、マジックダケを騙したことを悔やんで過ごしていた。



「ごめんね、昨日あたし、嘘ついたの」



あたしは少し大きな声でマジックダケ達に頭を下げた。

マジックダケ達はまだ寝ぼけていたのか、少しの間、黙っていたが、やがて片割れが口を開いた。



「知ってるよ」



それを聞いてあたしは顔を上げ、え、と言い、マジックダケの言葉は尚も続いた。



「わたしたち、森の精霊だから、心分かる。

あなた嘘ついたの、知ってた」

「でもあなた、ほんとは嘘つきたくない、それも知ってた。

だからわたしたち、大人しくした」



それを聞いたあたしは、声を大きく、叫んだ。



「そんな!じゃ、自分達が後で殺されるってことも知っていたってこと!?」



あたしの言葉に、少しの間を置いて、片割れのマジックダケが小さく答えた。



「知ってたよ」


「なんで抵抗しないの!?死んじゃうんだよ?」



あたしはビーカーを両手で強く掴み、まるで人と話すようにキノコに大きな声で言った。

マジックダケ達はそのあたしの言葉に、どことなく悲しそうな表情をすると、静かな声で話し始めた。



「わたしたち、弱い。人は、強い」

「わたしたち、自然。いつも人には敵わない。抵抗、意味ない」



それを聞いたあたしは、声が出なかった。

人として、人の側にいる存在として、彼らにかける言葉がなかった。


あたしはあたたたちの味方だと言いたかったが、自分も今まで、どれだけの森や木や草を、踏みつけて生きていたのだろうか?

それを思うと、彼らにかける言葉はなかったし、彼らの味方だなどと軽々しく言えなかった。



「ごめんね。


人は自分達の利益のために、ひどいことをするの。

相手に心があるかどうかなんて、関係なしに、ひどいことをする。


たぶん誰もあなたたちに心があることを知らないけど、心があると知っても、同じことをするかもしれない。

人は、そういう心が黒い生き物なの。


あたしもその一人……」



そう言ったあたしに、マジックダケの片割れが「そうじゃない」と言ったので、あたしは、え?と反応した。



「あなた、生まれてからずっと、心、透明な人。

他の人と、ちょっと違う。

人より、わたしたち、精霊に近い。


だからあなた、あたしたちミドリのオト、聴こえる」



そう言ったマジックダケの声をあたしは、彼らの入ったビーカーごと自分の自転車の方へ運びながら、聞いた。

そして、ビーカーを自転車のカゴに置くと、



「ありがと」

と言い、自転車にまたがり、

ペダルを踏んだ。



「あたし、昔から色んな声が聞こえて嫌になってたけど、今日は感謝してる。

あたし、人とはあまり仲良くできないけど、代わりにあなたたちとは仲良くなれるのかもね」



そう言って、あたしの自転車は風を切った。

自転車が向かう先には、ミドリに包まれた北の山がそびえていた。

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