第6話 光を運ぶ少女

どこまでも続く、黄色い砂。

時折見かける、細長い茶色の木。

たまにある、萌葱の草。




それらが、あたしが、11年間見てきた光景だ。



この台地に名付けられた名前、『サダム』。

それが、瘦せ細ったあたしの故郷。


その故郷にある、あたしの村、それが『キリ』。

見慣れた砂と同じ色の、四角い石の建物が20ほど並ぶ、活気のない町だ。

もちろんというと語弊があるが、住んでいる人も活気が無い。


食べ物がないからだ。

そして飲み水も。




「今日は、これだけだ」



午前11時に、家に帰ってきた父さんが言った。

そして、砂で固めたテーブルに、手のひらの半分くらいの大きさの干し肉と、コップ一杯の水を並べた。


「これでもうちは多い方だ。

子供がいない家はもっと少ない」


そう言う父に

母さんは干し肉を台所へ持っていきながら、言った。


「どんどん、少なくなっているわね。

水があるだけ、ましなのかもしれないね」


そう言う母さんの声に、元気は感じられなかった。

それから、会話はなくなった。


あたしは3等分に切られた干し肉を母さんから受け取った。

あたしは、ありがとう、の言葉の代わりに、頭をぺこ、と下げた。


「メルメにはもっと、食べさせてあげたいんだけどね。

ごめんね」


自分が悪くもないのに、母さんはあたしに謝罪すると、

あたしをおいしょ、の掛け声と共に、自分の膝の上に乗せた。

そして、左手であたしの頭をよしよしと撫でる。


その手は、かすかに震えていた。


母さんの膝にいるあたしに

父さんは、飲めと言い、コップを渡してきた。

あたしはそれの3分の1を飲んで、黙って、母に渡した。


「ああ、ありがとう」


母さんはすぐにはそれを飲まなかった。

父さんと母さんが水と肉を身体に入れたのは、夕暮れになってからだった。




夜になると、父さんと母さんは、あたしのいる部屋とは別室に行き、

行為を始めた。

母さんの喘ぎ声が聞こえるようになると、あたしは、ベッドの上で休むのをやめ、

外に出た。


すでにあたりは暗かったが、あたしは、その中を800mほど歩き、

町から少し離れた雑草の多い、小高い丘に登った。


丘で、あたしは端坐位すると、茶色いぼろぼろの襤褸のポケットから小さい干し肉を取り出し、それを少しずつ口に入れ、嚙み始めた。


すると、すぐにどこからともなく、

ピンク色の大きな光がふわふわと近づいてきた。


それはあたしの肩に乗ると、声をかけてきた。



「メルメ

それだけじゃ、足りないだろうが」



そのピンクの光は、そう言うと、あたしの座る横に、真っ赤なリンゴを一個、生み出した。

何もないところから発生したそのリンゴは、5cmほど地に落ちると、こん、という音をしゃべった。


「これも食えよ」


(要らない。あたしだけで食べたくない)


あたしはこの光に対して、心の中で返事をした。

干し肉を食べて、小さい水筒に入れた、水を飲んだ。



(村のみんなの分もあるなら、食べる)


「そんなには、出せないんだよ。

俺はお前に食って欲しいんだよ」


あたしは、光の声を無視して、肉を食べ続けた。




思い返せば、

その光との関係が始まったのは、1年前だ。


ピンク色の光は、光の精霊だった。

あたしは、その精霊とだけ、話すことができた。


あたしは、生まれながらにしてしゃべることができなかった。

そういう、障害を持っていた。


精霊は、人の心を読んで、テレパシーで会話する。

あたしが初めて会話したのは、そのピンクの精霊とだった。



1年も話していると、その精霊のことがだいぶ解った。


その精霊は皆と違う、自身の風変りなピンクの光のせいで、友達がいなかった。

だからいつも一人、いや一体でおり、

同じくしゃべる友達もいないあたしと友達になった。


そして、精霊には特別な力があった。

それは他の精霊にはないものだった。

ピンクの光は、何もないところから、物を生み出すことができた。




「町のやつらを全員食わせられるような、家畜は出せないし、

魔力が尽きるから、そんなに量は出せない。

お前くらいしか、食わせてやれないんだよ」



ピンクの光が話すので、あたしは、思い出話の世界から戻った。


そう光が話す通り、

ピンクの光の力は万能ではなかった。

そして、その力にあたしは、頼りたくなかった。


(リンゴを一人だけで食べても、美味しくないし

悪い気がするだけ)


そう言うと、ピンクの光は寂しそうに光を弱めたので、

あたしはちょっと申し訳なかったかなと思い、

こう『思う』ことにした。


(でも気持ちだけはもらっておくね

キラメ、ありがと)


キラメという名前の、ピンクの光が少し、大きくなったように見えた。

この日、あたしとキラメは、それから1時間は一緒に過ごした。



あたしは、精霊に会った日、精霊には名前がなかったので、

あたしのメルメという名前に似た、キラメという名前を付けてあげた。


キラメは、いつも口が悪い。


でも中身は見た目によく似て、柔らかくて、温かい事をあたしは知っていた。

口が悪いのは、恥ずかしいのを誤魔化しているのだ。

いつの間にか、あたしはそれも、知っていた。



あたしは暗い中、リンゴを持って、村へ戻った。

そして、村の中央、石碑がある場所へ行った。


あたしが見上げた

その石碑には、こう綴られていた。



『この土地が細く痩せた時

一人の透明な少女が現れ

大いなる光をもたらし、人は救われるだろう』



その石碑に書かれていることは、父さんから聞いたところ、

大昔から伝わっている村の伝説なのだそうだ。

なんでも、昔は皆、魔法の力が強く、預言者、という未来が見える人もいたらしい。


石碑は、その預言者が、未来をみて書いたもの、なのだそうだ。


あたしは、その石碑の石の上に、リンゴをごと、と置くと

石碑に書いてある『少女』の部分を睨み、心の中で言った。



(いるなら早く、みんなを救ってよ)



その悪態はあたしの中にしかこだませず、あたしはその後、すごすごと家に帰った。




翌日、朝日が上がるや否や、

あたしは家の外から聞こえる喧噪で起きた。


その物騒な喧噪はなんだと思い、石でできた窓から外を覗くと、

7人くらいの男たちが1つの赤い玉を取り合っていた。

皆、顔や肩に擦り傷ができており、爪にも赤が滲んでいた。



あたしは、

(あんなとこにリンゴを置いたあたしのバカ)

とやはり心の中で、自分に悪態をついた。



その後、2時間後に、父さんが帰ってきた。

父さんは、先ほど争いごとを起こしていた皆と同様のテンションであった。


「くそ!」


そう言った父さんはテーブルに、一杯の水が入ったコップだけを置いた。


「今日は砂漠を2時間も走ったのに、

一匹も動物を見かけなかった。

この土地は、もう終わりだ……」


父さんは、はあはあとした息遣いでそう言った。

母さんは、そんな父さんの肩を撫でて、疲れたでしょ、休んで、と言った。


あたしは、何も言わず、というか言えず、

家を出て、いつもの丘へ向かい、

光と一日を過ごした。




次の日、父さんは朝から具合が悪かった。

原因は、昨日、無理をしたのと、栄養失調だった。


父さんは、昨日の夜と同じ体勢で木のベッドに横たわったまま、

すまないと繰り返した。


母さんは、父さんに変わって、配給を取りにいったが、

その手に持って帰ってきたのは、昨日と同じものだった。



その間、あたしは父さんの横に座って、父さんの具合を見ていた。

そして、母さんが帰ってきて、1分もしない時のことだ。


父さんを看る、背後に、帰ってきた母さんがいるのを感じた。

しかし、母さんは立ち竦んで動かない様子だった。


(どうしたんだろう?)


あたしは様子が変だと後ろを振り返った途端、

母さんは、あたしの肩を両手で掴み、隣の部屋に強い力で連れて行った。


あたしは叫びたかったが、声はやはり出なかった。


母さんは昨日の父さんと同じように、息を荒げながら、強く、あたしを壁に押し付けた。

そして、右手に持ったナイフをあたしの喉元に突きつけた。


あたしは心の中で、ひ、と言った。



「もう、生きていくには、こうするしかないんだ。

メルメ、悪いけど、もうこうするしかない。

あたしとパパはお前を忘れないよ。


お前を殺せば、あと3日は食っていける。


だから、済まないね」



母さんはそう言いながら、目からぼたぼたと貴重な水をこぼしつつ、

顔を歪めていた。


母さんの手は昨日あたしをだっこした、3倍は震えていた。


そして、母さんの手に力が籠もる寸前、

あたしと母さんの間には、見知ったピンクのちりちりが割って入っていた。


そのピンクのちりちりは、母さんの目を覆うと同時に、

あたしに叫んだ。



「速く、逃げろ!」



目を塞がれた母さんは、なんだこれと大声で叫びつつ、

部屋の中を転げ回った。

手に持ったナイフでふわふわを斬ろうとしたが、その一撃は空を切ったに過ぎなかった。


あたしは、母さんを振り返らずに、

外へ向かって、全力で駆けていた。




それから、30分後、

あたしはいつもの丘にいた。


隣には、いつものようにピンクの光がいた。


(食べたい、飲みたいって

欲があるから、人は争うんだ。


欲が無くなればいいのにね)


あたしは、遠くに見える村を眺めながら、そう思った。

それにピンクの光は、表情の無い顔で、答えた。


「生きている限り、欲はある。

満たされても、人は争うんだよ。

人ってのは、ちんけだねぇ」


それにあたしは、心の中でも答えなかった。


しばらく沈黙した後、全く別のことを考えたくなり、

あたしはその考えを心の中で、口にしていた。


(昔、この土地でも魔法は栄えていたみたい。


今も魔法はみんなが使えるけど、ちっちゃな火を出すだけとか、

一滴の水を出すだけとか、ほんとに魔法なんて言えるものじゃないほど、ささやか。

隣の家のおじいちゃんは前に、言ってた。

みんなの魔法が弱いのは、伝説の透明な少女に魔法の力を全部、取られちゃってるからだって。


水を出せる人なんて、一日中、水を出すことを強いられて、

たったコップ一杯の水を作るのに、倒れるほど、疲れてる。


バカみたい……。


キラメ、

その伝説の少女って、ほんとにいると思う?)


そのあたしの長い話は、ほとんど、独り言だったが、

キラメは優しいから、ちゃんと答えてくれた。


「そんな少女がいたって、

村を救えるとは思えないけどな。


俺ぁ、そんなやつより、メルメの方がよっぽど、

すごいと思うぜ。


孤独だった一匹の精霊を救ったんだからな」


あたしはそういったキラメに、お礼は言わなかった。

口がきけないから、言えなかったし、心の中でも言わなかった。

言わなくても、ありがとうと言いたいことは、通じていることが思ったからだ。


あたしはそれから、両腕でふわふわしたそのピンクの光をだっこして、

丘から景色を見た。


馴染みのある、ほとんどの黄色と、少しの茶色。

そして空には、青の光を含んだ風が吹いていた。

この世界においては、風が、光だった。


あたしはお腹が空いていたし、喉も乾いていたけど、

温かいふわふわを抱いて、心は満たされていた。




夜になっても、あたしはその丘にいた。

長い事、同じ姿勢でいて、疲れたあたしは、ふわふわをだっこしたまま、

横になった。


深夜になり、遠く、村の方からまた、喧噪がかすかに聞こえてきた。


喧噪は、今日では終わらないだろう。

明日以降、さらに激しくなるはずだ。


あたしは、明日取り合いになるのが、リンゴで済むだろうか、と思い、目を伏せた。




(キラメ、

あたしあまだ幼くて、魔法、使えないけど、

力を貸して欲しい)



あたしは腕の中にいる、ピンクの光に、強い口調でそう言った。

キラメは半分、寝ていたのか、ん、と小さくつぶやくと、

あたしに対して、

何する気だ?と聞いた。



(あたし、悪者になるから。


キラメの魔法の力、

貸して欲しいの)



あたしは、キラメを抱いたまま、立ち上がった。

そして、目もないキラメを大きい瞳で見つめた。


キラメは、精霊で、人間の心を読める。


一呼吸の間を置いて、キラメは言った。


「お前……それは……


村に入れなくなるぞ。

いいのか?」


それにあたしは、強い目線で応えた。



(あたしが村に居れなくなったら

一緒に、逃げてくれる?)


そのあたしの問いにキラメは、

「そんなの、答えなくても分かるだろ?」とだけ言った。




それからあたしは、村へ戻った。

そばにはキラメも一緒だった。


戻った村は暗闇で覆われており、

点在する石造りの家からは等しく、黄色い灯が漏れていた。

周囲には人の姿は全く、なかった。


そんな中をあたしは、キラメと一緒に歩き、

村中央にある、石碑の前に立った。


そして、あたしがキラメに目配りすると、

あたしの中に

キラメの魔力が注がれた。


キラメから、あたしに透明な緑色の布が伸びていく。



あたしは、初めて自分の身体に魔素が流れるのを感じると同時に、

『自分の中の秘められた自分』に気付いた。


あたしの中の本当のあたしが目覚めるのを、感じた。

本当なら、キラメの力を借りようと思っていたあたしは、

予定を変更して、自分の力を使うことにした。




それからあたしは、目覚めた自分の力を使って、

石碑の上にふわーっと浮いた。


自分の背中に、緑色の魔法陣が浮かぶのを感じた。




(みんな、ごめんね

ずっと、あたしを恨んでいいから)




あたしは心の中でそう言うと、

目を閉じ、両手を村を覆うように広げた。



村はあたしが作った透明な球に覆われていった。


そして、透明な世界が村全体を覆うと、

あたしの目が開いた。


自分では見えなかったが、あたしの目は透明に変わっていた。




次の瞬間、

村にある家々からは、光の球が、建物を透過して

現れた。


光の球は、村人の数だけ、存在していた。


ある球は動かず、

ある球は激しく右往左往し、

ある球は、騒ぐように、びかびかと光った。




全ての球が村の建物の外に出た時、

あたしとキラメの姿はもう、村にはなかった。




あたしとキラメは、遠く、いつもの丘で、

その光達を見ていた。


光達はざわついているようだった。


その光達の中に、あたしの父さんと母さんもいるのが分かった。

もう他と同じに見える、光だが、あたしはある2つの光が、父さんと母さんだと、本能的に分かった。

あたしは、心の中で、さようなら、父さん母さん、とつぶやいた。



「あいつらみんな、俺と同じになっちまったな。

まぁ、俺みたいにピンクじゃないけどな」



あたしの肩に乗ったキラメがそう言った。



「これからどうすんだ?

伝説の少女さん?」



そう言われたあたしは、透明な目でしばらく、光達を見た後に、

微笑んで、言った。


(人に、あたしも含まれるなら、

自分も救わないとね)



そう言ったあたりで、

空には青い風を含んだ光が走った。


少しずつ、その風は厚みを増していく。



「朝か」


口もないのに、キラメはそう口を開いて、言った。




青の風に流されるように、

町の光達は、風とともに、皆、流れていく。


光が皆、いなくなるのを確認したあたしは、

視界にうつる村を、右手をすっと、撫でた。


再びあたしの目が村を映すことはなかった。

村は、忽然と消え、跡にはよく見慣れた荒野があるのみだった。



(あたしのこの力は、本当はあっちゃいけないもの

人と一緒にいたら、傷つけてしまう。

だからあたしには、生まれつき、声がないんだね……)



あたしが少し悲しそうにそう話すと、隣のふわふわは元気よく言った。



「声がなくても、俺とは話せるじゃねえか。

なあ、俺を運ぶ少女さん」



そう言うと、

キラメはあたしの目の前に、

白い大きな、直径4mくらいの紙飛行機を突然、作った。


よく見るとそれは紙でできておらず、何かの毛でできていた。


キラメは、その飛行機に乗れ、とあたしに心でささやいた。

あたしはもう、魔法を手に入れて、キラメがしゃべらなくても何を言っているか分かるようになっていた。


あたしが飛行機に乗ろうとすると、

あたしが着ていた襤褸が、ぱっと、

黄色いワンピースに一瞬にして変わった。



「ドレスコードというのが、あってだな。

お嬢さん」



そう言いつつ、ピンクのふわふわは

あたしの黄色い肩に、乗った。


あたしは、飛行機によいしょと腰掛けると、



(リンゴ、くれる?)



とキラメにお願いした。

キラメは


「リンゴだけじゃ、足りないだろ?」


と言い、リンゴとパン、そしてチーズもぽん、と出現させた。


あたしは心の中で、おお、と感動し、

現実では、パチパチと拍手した。



しゃり、とリンゴを噛みつつ、あたしは、飛行機を浮かせる。

緑の風に乗って、飛行機は空を浮かんでいく。


光達が去った、南とは逆の北へ機首を向ける。

そこには、はるか遠く、

虹色の風が集まっていく大陸が微かな影として、見えた。



(じゃ、いくよ)



走り出した白い飛行機の上を

あたしの黄色いスカートが跳ねた。



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