第7話 夏には早い瑠璃色の

それは、この世のものとは思えない輝きを放っていた。




可憐、というには言葉が足りな過ぎた。

それは、瑠璃色の蝶だった。


今日、あまり訪れない野原の彼岸花で蜜を吸っていた、

その輝く蝶を

僕は虫取り網で捕まえていた。


蝶を捕まえ感極まった僕は、

その宝石を手に入れた瞬間、「やったぁ」と叫んでいた。


そして、僕は、大切に大切に、蝶を

虫籠に入れた。


網から籠に移す際には、細心の注意を払った。

蝶を傷つけないように、触らないように、僕はこれほど人生で気を付けたことがあるだろうか、というくらいの慎重さを見せた。




籠も大切に、まるで、母が赤子を持つような、慈愛を込めた優しい手つきで

自宅の部屋に、運んだ。


自宅の部屋で瑠璃色の蝶を見ると、蝶は、羽をはためかせ、

元気にしているように見えた。

僕は、宝物を手に入れた気分になり、嬉しかった。


そして蝶を大切に守っていこう、という意思を強く心に刻んだ。




その日の夜、午後10時。


うとうととし、自室でそろそろ寝ようかと思っている僕を、窓際から伸びる青白い光が覚醒させた。


その光は、窓の外から伸びていた。

窓をそっと開け、見下ろすと、家の庭が激しく発光している。


普段なら、気味悪がって近づかないか、両親に報告するところ、

今日の僕はその光がなぜか、親しみがあるもののように感じた。


そして、眠い目をすぐに起こし、部屋の外の階段を下りた。

靴を履いて、外に出る。


恐る恐るという具合に庭の光っている場所を見ると、

一人の女の子がそこにいた。

女の子はうちの庭に設置してある、ブランコに座っていた。


年齢は僕と同じくらいで、12歳くらいに見えた。

緑色のノースリーブのワンピースを着ていて、髪は肩まで伸びていた。

そして、露わになった腕には、2本の包帯が巻かれていた。



少女は僕が来ると、光を弱めた。

そして、美しい瞳で僕をちら、と一瞬だけ見た。

その後、すぐに目線を下へ落とす。


その美しさは、この世のものではないと僕は思った。

クラスにいる同級生とは似ても似つかない美を持っていた。




「何か、用?」




緑の女の子は、口だけを動かして僕に言った。


なぜか、僕は、彼女が僕に話しかけたと解った。

もちろん、周囲には僕しかいないからだったのだが、それとは別の何か直感的なものがあった。


「ここで、何してるの?」


僕は当然のようにして発生したその疑問を口にしていた。


彼女は、その質問を聞いていたのか分からないような神妙な顔つきで地面を見た。

それから、口を開いた。



「私がここで何をしているか、

あなたはとうに知っているはずよ」



僕はそれを聞いて、意味が分からなかったが、別の質問を重ねた。

「包帯をしてるけど、痛いの?」


彼女はその質問にも、どこか精霊のように透き通った声で答えた。



「身体は別に、痛くはないわ。

それよりも、あなたのことを教えてくれる?」



僕は逆に質問されたので、どきっとしたけど、すぐに、いいよと答えた。

彼女のテンションは、一定を保っていた。




「人は、どうして物を欲しがるの?」




人は、というその問いは、僕に聞いているのかそもそも曖昧であったが、

僕は自分に聞かれているという前提で、その質問に答えることにした。


「昔から、欲しいものを我慢できないんだ。

父さんや母さんは、ガマンしなさいっていうけど、僕が子供だからか。

欲しいと思ったら、手に入れたいと思ってしまう。

これは、変なのかな?」


僕は逆に質問してしまっていたが、その質問に彼女はすぐに答えてくれた。



「どうかしら。

私も欲しいものは手に入れたいと思ってしまうものだけれど、

ただ、相手を傷つけてまで、手に入れるほどだと思う?」



彼女に、そう言われて、僕はううんと考え込んだ。


欲しいものはたくさんあるけど、例えば、クラスメートの隣の子が持っているものを奪ってまで欲しいかと聞かれると、今まで考えたことはなかったが、それは違う気がした。


「誰かを傷つけてまで、欲しいと思うのは……

ちょっとやりすぎかもしれない。

今まで考えたこと、なかったけど、それは違うと思う」


「そう」


彼女はやはり何も見ていないように機械的に答えたっきりだった。

それから彼女は目を伏せると、小さくつぶやいた。


「今日はもうお休み」




その彼女の声を聞いた僕は、

目を開けていた。



気付けば、僕は、部屋のベッドで眠っていた。

壁の時計を見ると、午前2時を刺していた。


『緑の女の子と話していた気がする

あれは、夢だったのか……?』


ふと、僕はなぜか気になり、机の上にある、虫籠を見た。

そこでは、瑠璃色の蝶が狭そうにはためいていた。



僕は、真夜中にも関わらず、一階から、それよりもっと大きい虫籠を持ってきて、

木の枝や、植物、水などの容器を入れると、蝶を触らないように、優しく、引っ越しさせた。


蝶は前より少しだけ、自由にはためいてるように見えた。




翌日、学校終わりにテレビを見ると、ニュースがやっていた。


『もう4月ですが、

明日にかけて、珍しく冷え込み、雪になる可能性があります』


この日も、すでに寒くなっており、冷えると思った僕は、厚着して夜を過ごした。


そして寝ようかという時間になると、

今日もまた、部屋から見下ろす庭より、青白い光が差した。



僕はやはりあの緑色の女の子がいると思い、

なぜか会いたいという気持ちから、急いで一階へ降りた。


女の子はやはり、庭におり、やはりブランコに座っていたが、

腕の包帯の数は増えていた。


女の子は僕が話しかけるより早く、口を開いていた。




「人は、どうして好きな人を傷つけてしまうの?」




僕は悪い頭をフル回転させ、女の子の質問に答えようとした。


「人は、素直になれないんだ。

好きなものに好きと言えない。

嫌いなものには、嫌いと言えるのに。

人間は、バカな生き物なんだ」


それを聞いた女の子は、ふうん、とつぶやき、答えた。



「だから、なくしてから、よく泣くの?」



僕はそれを聞いて、心が痛んだ。


似たような経験を何度もしているのを思い出したからだ。

好きなおもちゃを自慢したくて、友達の家に持って行ったことがあった。

帰ってから、おもちゃの部品がないことに気付き、友達に探してもらったが、見つからなかった。

あの時、僕は、おもちゃを友達の家に、持っていかなければよかったと後悔した。


しかし、似たようなことをまた、やってしまう時もあった。

その度に、僕は自分を恨んでしまうのだ。


「そうだ。

人はなくしてから後悔するんだ。

大人も似たようなことをよくしてる。

なくす前に、どうとでもできたのに。

泣いてからじゃないと、わからないんだ。」



「なるほど。

あなたもそうなの?」



女の子は、初めて、僕の目を見た。

透き通っていて、まるで全てを見透かすような目をしていた。


「僕もそうだ……。

でも、そんなのやめたいって、今、強く思ったよ。


子供のうちに、やめたい」




そう言った僕は、次の瞬間には、自宅のベッドに寝ていた。

目は開いていた。


時計を見ると、午前2時だった。

昨日と同じ……。



ふと気づくと、部屋は寒かった。

蝶を見ると、羽を動かすのをやめていた。

ちょっと震えているようにも見えた。


僕は伝わるわけはないのに、蝶に向かって

「ごめんな」

と言うと、部屋の暖房を付けた。


それから、蝶の籠の水と蜜を増やした。

蝶はもちろんしゃべらないが、少し喜んだように見えた。


作業中に10秒ほど、籠を開けっぱなしにしていた時があったが、


なぜか蝶は逃げなかった。




翌日、朝からニュースで言っていた通り、朝に、雪が降った。

4月には珍しいもので、すでに咲いていた花などはいきなりの雪に枯れるものもあり、


早く孵化し、外を飛んでいた蝶達は、皆、地に落ちた。



部屋の暖房をつけっぱなしにして学校へ行った僕は、

部屋に戻ってから、すぐに蝶の様子を見た。


蝶は水も蜜も飲んでいたようだが、

飛べるほどのスペースがないその籠の中で、

狭そうにしているように思えた。



その夜はまた冷えたが、

僕はまた、青白い光に誘われ、庭にやってきていた。


少女は雪が少し積もったブランコに座っていた。

包帯の数はさらに増え、ほどけた包帯が風ではためいていた。



この日、初めて僕は自分から口を開いていた。

僕の心臓の鼓動は早まっていた。



「君は、幸せなのか?

君にとって、何が幸せなんだ?」




僕は、自分でもピントが合っていない質問をしていたのを自覚していた。

しかし、どうしてもそれを聞いておきたい自分がいた。


その僕の質問を聞いた彼女は、包帯だらけの指で髪をかき上げ、

口を開けた。



「私達は、幸せが何かを考えたことはないわ。

ただ、生きるだけよ。

生き続けることが幸せだとは思えないし

死ぬことが不幸だとも思えない。


例え、今日、私が偶然、生き残ったとしても

それはそれだけのことよ」



その言葉を聞いて、僕は、考えがまとまらないのに、何か言わなきゃいけないと思った。

何も言わないと、目の前の女の子は飛び去ってしまう気がしたのだ。

そんな儚げな雰囲気を、女の子は持っていた。



「幸せを感じないのに、生きるなんて、辛すぎる。

君は何がしたいんだ?

僕は君のしたいことを叶えてやりたいんだ」



そう言った僕に、彼女は昨日のように目を向けてきた。


その目には、今までにはない感情が込められているように思えた。

その感情が何なのかは表現が難しいが、初めて温かいというものを知った人のような戸惑った目だった。



「そう言うなら

久しぶりに、飛んでみたいわ」




そう言って、彼女は、ふと、空を見上げた。


そして、

僕も同じ空を見たがー




次の瞬間には、僕はやはりベッドで目を開けていた。

体中、汗をかいていた。


時計を見ると、時間はやはり、午前2時だった。


ふと、虫籠を見ると、蝶は顔を上げ、こちらを見ているように思えた。

外はまだ寒さが残っていたので、僕は、


「明日は温かくなるらしいから、籠から出すよ」


と伝わるはずもない言葉で蝶に言った。




翌日、朝から温かくなっていた。


僕は学校に行く前に、庭にいた。

手には、蝶が入った虫籠があった。


僕は、虫籠を開けると

「今まで、閉じ込めてごめんな」

と言い、フタを開けた。



蝶は、なぜか、すぐには飛び立たなかった。



だが、僕が瞬きを2回する間に、

蝶はゆっくりと飛ぶと、庭を一周して、

空へ消えていった。


僕は空へ向かって

「元気でな」と言い、家の中へ入った。


心のどこかでは、寂しさ以上の何かを感じていた。

しかし、同時に、なぜか蝶にお礼を言いたい自分もいたことに気付いた。


なぜ自分が蝶に感謝しているのか、僕はまだ良く分からなかった。


そして、その夜から、庭は光らなくなった。




それから、4日後のことだ。


前に瑠璃色の蝶を捕まえた公園になぜか行きたくなった僕は、

放課後にそこに行ってみた。


公園を歩いていると、

その公園の芝生であるものを見つけた。


それを見た

僕は、手足が震えた。




それは死にかけた瑠璃色の蝶だった。

おそらく鳥に食われたのか、胸はかけ、手足もほとんど失っていた。


僕は、その蝶に駆け寄った。

しゃがんで、蝶にそっと、触れた。


「なんで、なんで」と言いながら、

僕は、その蝶を両手で抱えた。


「せっかく寒さで死なずに、済んだのに……」


僕が蝶を顔の前に持っていくと、

蝶が少し、濡れた。




そんな目を閉じた僕に、

目の前から光が溢れた。


薄目を開けてみると、緑色の女の子がそこに透明な姿で立っていた。

身体中、包帯に包まれていた。


彼女の、透明な口から、言葉が漏れた。




「こうなったことが、悲しいの?」



僕は目を伏せながら、答えた。


「僕は悲しい。

僕もやっぱり、失ってから泣くバカだった。

こうならないように、ならないようにしたかったのに」



答えた僕に、彼女の声が続く。



「あなたはどうすべきだったと思うの?」



僕は、涙声で話をした。


「わからない。

でも、君のためになりたかった。


君はとてもキレイで、僕は自分のものにしたいと思ってしまったんだ。

だけど、それは間違いだった。

でも、どうすれば、君のためになったのか、今でもそれは分からない。


何が善いことで、何が悪いことなのかすら

僕はバカでわからないんだ」



それを聞いた瑠璃色の彼女は、

少しだけ、笑ったように、僕には見えた。

といっても、僕の視界は、汚れてしまっていたから、気のせいだったかもしれない。


そしてさらに透明になったその口から、彼女はかすかな声を出した。



「私にも、どれが正解なのかは分からないわ。


でも、

あなたに会えて、ちょっと幸せが分かった気がする。


ありがとう、


さようなら」




僕が目を開けると、瑠璃色の女の子は消えていた。



僕は、それから、ぼやけた視界のまま

蝶を優しく手で包むと、家に持ち帰り、


庭に丁寧に埋めて、お祈りをした。



そういえば、今日は、自分の13歳の誕生日だったことを思い出したのは、夜になってからだった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る