第8話 本
1
夏祭りから数日が経った。
気がつけば夏休みはあっという間に終わってしまい、2学期が始まってしまった。
「おはよう」
「おはようーー。なんか学校久しぶりだね」
「あれ? お前なんかめっちゃ黒くなってね?」
「海行ったらめちゃくちゃ日焼けした。お風呂入った時死ぬかと思ったわ」
こんな会話が教室の端々で聞こえてくる。
そんな中、俺は彼らの会話をソワソワとしながら聞いていた。
これは決してトイレを我慢している訳ではない。では何が理由でソワソワしているのかというと、夏祭りでとある事件があったからである。
数日前、俺は夏祭りに行った。多少のトラブルはあったものの、祭り自体は大いに楽しむことができた。
だがしかし、夏祭りの終盤に事件は起きてしまった。
夏祭りの終盤、つまりは打ち上げ花火が上がっている最中である。俺は同じ図書委員である
その際、俺はこんな言葉を前橋に対して伝えた。
『前橋も俺の隣りにいてくれてありがとな』
…………まずい。
あの日、あの時、あの場所で、この言葉を言った際は、それほど思い悩むことはなかった。
しかし、一晩経ってから落ち着いて考えてみると、かなりイタイことを言っていると気づいた。
そして、そんなイタイ発言をした俺のことを、前橋はどのように思うのかと気になって仕方がなかった。
というわけで、俺はかなりソワソワしていた。
すると、教室の前方のドアが開く音がした。
「みんなおはよう」
明るい音色で教室に入ってきたのは、茶色みがかったロングヘアをなびかせた前橋だ。
「おはよう。前橋さん」
「おはよう、琴音ちゃん」
男女問わずみんなが前橋と挨拶をしている。
夏休みが終わっても、前橋の人気はまだまだ終わっていないらしい。
そんな様子を見ていると、ふと前橋と目線が合ってしまった。まずい。どんな表情をすべきだろう。
そう考えている間に、前橋がスッと目線を斜め下の方に流した。前橋の表情はというと、何だか気まずそうに見えた。
「はぁ……。何であんなことを言ってしまったんだ……」
図書委員の当番日ができる限り遅くやって来ることを願うのだった。
2
4日後、金曜日が当然のごとくやって来た。俺の願いはもちろん叶うことがなかった。
放課後、俺は生徒玄関にいた。理由は単純で、図書室に行かず、帰ろうとしていたからだ。
下駄箱から自分の靴を取り出す。
「いっくん?」
俺の手を止めるかのようにニックネームが呼ばれた。
この世で、俺のことを「いっくん」と呼ぶ人物は1人しかいない。
「何だよ。理央」
そう。幼馴染である
「今日って金曜日だよね? なんでいっくんがここにいるの?」
「俺が生徒玄関にいるのがそんなに悪いか?」
「いや、そういう意味じゃなくて。金曜日って、図書委員の当番じゃないの?」
「……」
「あっ、分かった! いっくんもしかして、仕事サボろうとしてるね?」
「サボろうとはしてない。ただ図書委員の仕事を忘れてただけだ」
「ふ〜〜ん。まぁ、いっか。早く図書室に行ってあげなよ。コットン一人じゃお仕事大変だよ」
「あ、あぁ。これから行くつもりだよ」
そう言って、俺は図書室のある方向へと向かった。そして、真っ先にトイレに入った。個室に入り急いで鍵を閉める。
便意は一切ない。だがしかし、個室からは出たくないので深々と便座に座った。
俺の考えは、ここで55分間鎮座し残りの5分だけ図書室に顔を出そうというものだった。
前橋には悪いが、できる限り前橋一人に仕事を頑張ってもらいたい。
「……」
すると、隣の個室から水の流れる音がした。
俺もトイレットペーパーのようにこの場から流れて消えてしまいたい。
そんなことを考えていると、妙に自分が虚しく感じてきた。
「何やってるんだ。俺は」
独り言と共に個室から出た。トイレに鎮座した時間は5分にも満たなかった。
図書室に一歩ずつ近づく。数秒後には図書室のドアの前まで来てしまった。見慣れていたはずの図書室のドアは地獄への入口のように見える。
ドアに手をかけて動きを止める。深呼吸をして心を落ち着ける。
「いつも通りにすればいいだけだ。……よし」
意を決して、俺はドアを開けた。
カウンターの方に目を向けると、肩を吊り上げて驚いた表情をした前橋がいた。
「よ、よう」
「こ、こんにちは。……少し遅かったですね」
「ごめん。トイレに行ってて……」
途切れた会話に嫌な汗を流しながらも、前橋の隣のパイプ椅子に座る。
何も話さないまま数分が経過する。
改めて考えてみると、俺は今までどのように前橋と関わってきたのだろう。いつも通りとはどういうものだったのだろう。
沈黙を味わいながら、俺は密かに思った。
俺と前橋の関係は、気まずいまま忘却の彼方へ消えるのではないかと。
すると、背後のドアがギィと音を立てて開いた。ドアの向こうには司書の先生がいた。
「あら、2人目も来てくれたのね」
司書の先生の言葉から察するに、俺が来るよりも前に前橋は司書の先生に会っているのだろう。
「ごめんなさい。トイレに行っていて遅れました」
「はい、分かりました。それでは、2学期もお仕事よろしくおねがいします」
「「よろしくおねがいします」」
俺と前橋で同時に返事する。
返事を聞いた司書の先生は優しく微笑むと、ゆっくりと本棚に向かって歩きだした。
「2人とも。1度こちらに来てもらえますか?」
「「はい」」
立ち上がって司書の先生の後をついて行く。
司書の先生はとある本棚の前に立ち止まった。
「ここに横になっている本があるでしょう?」
司書の先生が指を指したのは本棚の下から2段目だ。
そこには、かなり薄めの本2冊が背表紙を下に向けて置かれていた。そのため、その2冊だけが本棚から少しだけはみ出ている。
この本がどうかしたのだろうか。
「本棚の整理をする時に、この本だけはこのままの状態にしておいてください」
「はみ出たままの状態にしておくということですか?」
前橋が尋ねた。
「そういうことです。とある生徒からそのように頼まれたので、是非、お願いします」
なんとも珍しい頼み事があるものだ。
要件を伝えた司書の先生は、俺と前橋に向けて丁寧にお辞儀をすると、ゆっくりと歩いて図書室を出ていった。
俺と前橋はそれぞれ本棚で適当に本を選び、カウンターに戻った。再び沈黙が始まってしまう。
今は本を読んでいるためそこまで気まずくはない。だが、どうしても前橋という存在が気になってしまう。そのせいで、読んでいる本の内容もまるで頭に入ってこない。
現に、俺は3回も同じ文章を読む羽目となっている。
「はぁ……」
嫌でもため息が出てしまう。
「伊崎くん!」
「っ!」
突然、前橋が俺の名前を呼んだ。
しなっている弓から矢が放たれたような勢いのある声に、俺はビクッと驚いた。
「な、なんだ?」
「先程、司書の先生は、横になっている本をそのままにしてほしいと言っていましたよね?」
前橋の口調はどことなくぎこちなさを感じる。察するに、前橋もこの空気感に悩んでいたのだろう。
「あぁ。あの2冊だけはな。それがどうした?」
「その、もう1度、その本を見に行きませんか?」
「別にいいけど……」
前橋は一体何がしたいのだろう。
疑問に思いながらも、本棚へ向かって歩く前橋の後ろを歩いく。
目的の本棚の前に到着した前橋は、膝を曲げてかがむようにして横になっている本を凝視した。
「どうした、前橋?」
「その……、カウンターで本を読んでいた時に、とても気になったんです。なぜ、本を横にしておく必要があるのかと」
「まぁ、確かに珍しい頼みごとだからな」
「はい。なので、その」
かがんでいた前橋はその姿勢のまま、サラリとした髪の毛を耳にかけた。そして、上目遣いで俺を見てきた。
「伊崎くん。推理してみませんか?」
「……!」
前橋の言葉に俺の心がザワついた。
つい数週間前に聞いた言葉なのに妙に懐かしく、それでいて安心感のようなものを感じた。
「……よし、推理しよう」
前橋は口角を上げ、目を輝かせた。
「伊崎くん。よろしくおねがいします」
「分かった」
3
ひとまず俺は、横向きの本を詳しく見てみる。
横向きの本の表紙には日本の国民的キャラクターが描かれていた。
内容を見ようとするも、ページ同士がくっつき開きづらい。指先に力をいれるてどうにか開くことができた。内容はマンガで、見覚えのあるキャラクターたちの土壇場な日常が描かれている。
「これって、日曜日の夜にテレビで放送しているアニメのマンガですよね? なぜ学校に置かれているのでしょう?」
「この本のタイトルの文字を読めば理解できるだろ」
前橋に本の表紙を見せる。
「あっ、英語ですね」
「そうだ。多分、英語の学習教材として置かれているんだと思う」
「なるほど」
本棚の下から2段目、つまり横向きの本が置かれている棚には、同じシリーズの本がズラリと並んでいて、その巻数は100巻にまで至っている。
その中で横向きになっているのは第2巻と第68巻だ。
「なぜこの2巻なのでしょう?」
「ん……、手がかりが少ないな。よし、カウンターでこの本の貸出履歴を確認してみるか」
「あっ、待ってください」
「何だ?」
振り返ると、前橋が本の裏表紙を指さしていた。
「この本には貸出の際に利用するバーコードが貼られていません。つまり、貸出をすることができない本ということです」
「なるほど」
つまり、この本は図書室でしか読めないということだ。
本棚を近くで眺めて他の手がかりを探す。すると、急に鼻がむず痒くなった。
「クション!」
俺のくしゃみが静かな図書室全体に響く。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。突然くしゃみしてごめん」
「いえ、問題ありません。それよりも、伊崎くん、もしかして花粉症ですか?」
「いや、違う。俺は軽いハウスダストアレルギー」
「大変ですね」
「まあな」
よく見てみれば、この本棚はホコリまみれだった。図書室の掃除担当の人にはしっかりと仕事をしてもらいたいものだ。
「ここに長くいるとくしゃみが止まらなくなりそうだから、一度カウンターに戻ろう」
「そうですね」
移動し、カウンターの中で推理を続ける。
「伊崎くん。今の時点で本を横向きにする理由が推理できましたか?」
「いいや、まだだ。でも、なんとなく手がかりが掴めている気がする。前橋」
「なんですか?」
「前橋は2学期も昼休みに図書室に来ているのか?」
「はい。毎日来ています」
人気者はいつまでも大変らしい。
「それじゃあ、図書室に来ている人の中で、何か変わったことをしている人はいないか?」
「変わったことをしている人ですか? ……特にいないと思います」
答えながらも、前橋は不思議そうに俺を見ていた。
恐らく、俺の質問の意図が読めないからだろう。
しかし、質問の度に説明をしていては、1時間という時間はあっという間に過ぎてしまう。
ここは前橋に不思議と思ったままでいてもらう。
「そうか。それじゃあ、図書室の中で何か流行ってるようなことはないか? 例えば、自分の出席番号の本を横向きにすると願いが叶うとか」
「そういった占いのような類のものは流行っていません。でも、『魔法使いシリーズ』の本は流行っています」
「魔法使いシリーズの本? それはどういう内容の本なんだ?」
「ちょっと待ってください」
そう言うと、前橋はおもむろに立ち上がった。そして、本棚の奥に消えると、厚めの本を持って戻ってきた。
「この本です」
「分厚いな」
前橋から本を受け取る。
国語辞典よりも厚みがあり、かなり重い。両手に持てばいい筋トレができそうだ。
「これはどういう内容の本なんだ?」
「魔法使いの主人公が仲間を集めながら世界を旅するお話です。確か、3巻まで続いていると思います」
「なるほど。それが流行っているのか?」
「はい。1巻が出た当時から人気のもので、3ヶ月ほど前に映画化されて、更に人気が出たそうで、今、多くの本屋で売り切れになったそうです。また、来月には4巻目が出版されるそうです」
そんなにも大人気だったのか。それならば、今後の図書委員の仕事中に読んでおくとしよう。
「でも、現状を見る限りだと、その人気も落ち着いたんだな」
「なぜそのように思うんですか?」
「大人気の本だったら、こんな風に図書室に残ってはいないはずだ」
前橋は首を横に振った。
「この本は、貸出不可の本なんです」
「これもか」
手に取った本の2冊とも貸出不可とはおかしなこともあるものだ。ここが本当に図書室なのかを疑ってしまう。
「以前は貸出可能だったらしいです。しかし、借りた人物の中にネットオークションで高値で売ろうとする人が現れて、それを学校側が見つけて貸出不可にしたんです」
「そんなことがあったのか」
全くもって知らないことだった。
流石、お昼休みに図書室に毎日通っているだけのことはある情報量だ。
「人気が続いている証拠に、本を開けば、沢山の栞が挟んであるはずです」
前橋に言われて、俺は本を開く。
中には、確かに多くの栞が挟まれていた。同じページに2枚も栞が挟まっている箇所さえある。
「本当に人気なんだな」
「えぇ。図書室で毎日早い者勝ちで読まれているのを見ますから」
「そうなのか……」
そうしてその本をなんとなく眺める。すると、頭の中に1つの仮説が生まれた。
「前橋」
「はい。何でしょか?」
「横向きの本の理由が分かったかも知れない」
前橋が目を見開いた。その瞳が、眩しい朝日のように光り輝いているように見える。
「本当ですか!」
前橋が俺に一歩近づく。
俺は若干の緊張を感じながらも、理由を話すことにした。
「あの本が何のために横を向いていたのか。その答えは」
前橋がゴクリとつばを呑み込むのが見て取れた。それほど期待しているのだ。
更に緊張してきた。
「栞として使うためだ」
「栞……ですか?」
前橋は分からないようだ。俺は推理の経緯を説明する。
「まず第一に、横向きの本の状態についてだ。
横向きの本はホコリまみれだった。つまり、長い間読まれていない本ということが分かる。更に言えば、あの本が置かれている本棚自体がホコリまみれだった。つまり、あの本棚から本をとる人がそもそも居ないことも分かる。
さて、前橋」
「はい。何でしょうか」
「今の話を聞いて、横向きの本について分かったことは何だ?」
前橋は口に手をあてた。そして、数秒の間を空けてから話し出す。
「えっと……横向きの本は『読む』という行為以外で使われているということですか?」
流石、前橋だ。察しが良い。
「そうだ。
では第二に、本を『読む』以外で使うとすればどのように使うか。そんなに多くの利用方法はないはずだ。そこで、俺が考えたのは横向きの本の巻数を使う方法だ」
「この場合で言うと、2と68ということですか?」
俺は頷いて肯定する。
「2と68。この2つの数字で3桁の数字を表していると俺は考えた。つまり、268か682だ。さて、そろそろ分かったんじゃないか?」
「3桁の数字、栞として使う……、あっ! もしかして、ページ数を表しているんですか?」
「多分そうだ。この図書室には大人気だが貸出ができない本があるだろ?」
「『魔法使いシリーズ』ですね」
「その通り。
魔法使いシリーズの本には沢山の栞が挟まっていた。毎日早い者勝ちで読まれるほどだ。そんな人数が毎日のように読んでいれば、ミスを犯す人が現れる。夢中で読んでいる最中に他人の栞を落としてしまう人だ」
「なるほど! つまり、本を横向きにしておくように頼んだ生徒は、栞が誰かに落とされることが心配だった。そこで、図書室にある栞の代わりとしてあの2冊を横向きにしたんですね!」
「あぁ。恐らくな。これが、俺の推理だ」
一呼吸して、心を落ち着かせる。
前橋は拍手をしてくれた。
「流石です、伊崎くん! 何だかこの雰囲気がとても懐かしいですね」
「そうだな」
「ふふっ。いつの間にか夏休みの頃の雰囲気に戻りましたね。私たち」
言われてみるとその通りだ。約1時間前の微妙な空気感はなくなっている。
そうか。俺と前橋のいつも通りはこれなんだ。
2人で図書室での1時間を共有して、気になる謎があったら推理する。
これだけで良いのだ。
無理に話そうしなくても、無理におかしな事を言わなくても良いのだ。
そう考えると、何だか体が軽くなった。そして、自然と微笑んでしまう。
「どうしたんですか? 伊崎くん?」
「ん? 別に何でもない。さ、そろそろ帰ろう」
「そうですね。帰りましょう」
前橋の歩幅に合わせて隣を歩きながら、俺は考えた。
俺はミスをしていた。俺と前橋の関係が消えることはないのだ。良い意味でも、悪い意味でも。
だからこそ、あの気まずさはきっと、いつだって起こりうるものだったんだ。それこそ、楽しく読んでいた本に挟んでいた栞を落としてしまうかのように。
そう考えると、これからの図書室での時間がとても楽しみに思えるのだった。
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