図書室の2人と1時間の推理

ロム

第1話 図書委員

 1



 4月中旬のある晴れた日、上毛中央じょうもうちゅうおう高校の1年1組では委員会決めが行われていた。

 教壇の上に立っているこのクラスの学級委員である男子生徒が、クラスメイトに向かって問いかける。


「はい、それじゃあ次に図書委員になりたい人は挙手をお願いします」

「……」


 クラスメイト全員が下を向いて黙り込んでしまった。


 それもそのはずだ。


 図書委員会は、この上毛じょうもう中央ちゅうおう高校に存在する委員会の中で最も仕事が面倒な委員会として有名なのだ。

 1年生の主な仕事は、週に1回、放課後に本の貸し出しの手伝いをすること。そのため、毎週、放課後を丸々奪われてしまう。

 そんな面倒な仕事を誰もやりたがるわけがない。


 現に、1年1組のクラスで作られたグループラインにはこの話題が広まっていた。そして誰もが、やりたくない、やりたくないと口々に話していたのだ。


 誰もが誰か挙手してくれないかと期待し、黙り込んでいる。嫌な沈黙がしばらく続き、学級委員がため息をつき始めた。

 そんな重々しい空気の中で、俺はそっと手を挙げた。


「……あの、俺やります」


 すると、「おぉ〜」という声と共に、クラス中から賞賛の拍手が挙げられた。そして、黒板に白いチョークで名前を書かれる。


 図書委員 伊崎涼太


 伊崎いざき涼太りょうたというのが俺の名前だ。


「ありがとう、伊崎くん」


 学級委員の男子生徒は、ほっとした表情で俺に向かって小さく頭を下げた。学級委員としての感謝を伝えているらしい。

 だが正直に言って、俺自身は図書委員になること自体に一切の不満がなかった。読書は元から好きであり、休み時間や放課後に特にやりたいことがないからだ。つまり、学級委員がわざわざ頭を下げて感謝を伝える必要はないのだ。


 俺は申し訳程度に会釈しておく。


「それじゃあ、あともう1人図書委員になりたい人はいませんか?」


 委員会は、各クラスから2人ずつ出さなければならない。つまり、このクラスからもう1人図書委員にならなければならないのだ。

 誰もが、再び訪れようとしている沈黙にため息をつこうとした。しかし、その予想は一瞬で覆された。


「はい、私やります」


 1人の女子生徒がスッと真っ直ぐに手を挙げていた。クラス中の誰もが彼女に注目して、驚きの声を上げた。


「えっ!? 前橋まえはしさんが図書委員に!?」

「マジか! なら、俺も図書委員なりたい!」

「俺も、俺も」

「俺もやりたいです」


 クラス中の男子が手を挙げ始めた。数分前の誰も手を挙げずにいた重い空気が嘘のようだ。


「皆さん、静かにしてください。立候補は先着なので、伊崎くんと前橋さんが図書委員として決定です」


 学級委員の男子生徒からの言葉に、クラス中の男子が深いため息をついた。

 この大きな空気の変化には、当然のことながら「前橋さん」が関係していた。


 前橋琴音ことねは1年1組のマドンナ的存在の女子生徒だ。


 ロングヘアーのサラサラとした真っ直ぐで少し茶色味がかった髪、クールさを漂わせる顔立ちに少し子供っぽさの残る愛くるしい目、すらっとした細長いボディライン。

 その全てがクラス中の男子を魅了していた。その魅力は恐ろしいことに、自己紹介を行ったその日に、俺を除くクラスの男子全員が彼女とラインを交換するほどだ。

 さらに言えば、女子からの人気も凄まじいのだ。学力テストでは上位に入り、体育の体力測定でもクラス1位の成績を取るほどだ。また、教室にいる時の立ち振る舞いも鮮やかで、お手本のような優等生だ。当然のことのながら人気者になり、クラスの上位女子グループの中心にいるのだ。


 そんな大人気の彼女が不人気の図書委員になることに、俺は少々驚いた。一体何が理由で図書委員になったのだろう。


「はい、それじゃあ今日の放課後、各委員会の集合場所に集まってください。これでホームルームを終わりにします」


 学級委員の男子生徒の一言で、委員会決めは幕を閉じた。


 放課後。図書委員会の集りで、俺は初めて前橋と面と向かって話をした。


「よろしく、前橋さん」

「『前橋』でいいですよ」

「え?」

「名前の呼び方です。わざわざ『さん』をつけなくても大丈夫です」

「あぁ、なるほど。それじゃあよろしく、前橋」


 俺が軽く頭を下げると、前橋も俺を真似て小さく頭を下げた。


「よろしくお願いします。それで、私は伊崎くんのことをなんと呼べば良いでしょうか?」

「まぁ、前橋の呼びやすい呼び方でいいよ」

「では、このまま伊崎くんと呼ばせてもらいます」


 こうして、軽い自己紹介を終えて、この日の前橋との会話を終えた。



 2



 委員会決めから数日が経った。

 図書委員会の活動は本格的に始動しはじめた。

 俺と前橋の担当の日は、毎週金曜日と、図書委員会の集まりで決まった。

 そして、今日はまさにその金曜日なのだ。俺は放課後になるとすぐに図書室へと向かった。


 ガラガラと音をたてながら図書室のドアを開ける。あたりを見回して、視界に入ったカウンターに向けて歩く。カウンターの中には、すでに前橋がパイプ椅子に座っていた。


「前橋って、図書室に来るの早いな」


 俺が1年1組の教室を出たのは、帰りのホームルームが終わって軽く友達と話してからすぐだ。そんな俺よりも早いとは、さすがの優等生である。


「ええ。今日が初めての仕事なので、早めに来ようと思っていまして」

「なるほどね」


 そう返事をすると、カウンターの向こう側にあるドアが開いた。そして、メガネをかけた50代前半の女性が出てきた。彼女はこの上毛中央高校の図書室の司書の先生だ。


 彼女は俺と前橋の姿をゆっくりとした目つきで確認すると、更にこちらに向かって歩いてきた。


「貴方達2人が金曜日の担当?」

「はい。1年1組の伊崎涼太です」

「同じく、1年1組の前橋琴音です」


 俺と前橋の名前を聞くと、手に持っていた何かしらの書類を確認しだした。恐らく、図書委員の生徒の名前が書かれているものだろう。


「わかりました。1年生の図書委員の主な仕事は、私がいない間の放課後1時間の本の貸し借りよ。2人は今までに図書委員になった経験はありますか? 小学生の時とか、中学生の時とか」

「俺は中学生の時、ずっと図書委員でした」

「私はこれが初めてです」


 これは意外だった。前橋が図書委員に立候補したのは、てっきり図書委員の経験があるからかと思っていた。となると、前橋は単に読書が好きなのかもしれない。


「わかりました。では、前橋さんに図書委員の仕事について教えましょう。こちらに来てください」


 司書の先生は、並んでいる本棚に向かって、ゆっくりと歩き出した。前橋もその後ろをトコトコとついていく。


 さて、残された俺は何をすべきだろう。とりあえず、カウンターにあるパソコンでもいじってみるか。

 カウンター上のパソコンには、コピー機やバーコードリーダーなどの線が繋がっていた。ちなみに、バーコードリーダーは本の貸し出しの際に使うものだ。

 俺はマウスを動かして、操作を確認する。どうやら中学の頃の図書室にあったパソコンと、それほどの違いはないらしい。


 ここで、パソコンのデスクトップに並ぶアイコンの中に俺の目を引くものがあった。それは、本の貸し出し履歴だ。これを見れば、誰が、どの本を、どんな時間に、どれほどの期間借りたのかを知ることができる。


 俺は、僅かながらの罪悪感を持ちながら前橋の履歴を確認することにした。あの人気者の前橋が、一体どのような本を借りているのか興味があったからだ。

 マウスを動かして前橋の履歴をクリックする。表示されたのは真っ白な画面だった。つまり、一切の本を借りていないのだ。


「それじゃあ、なんで図書委員なんかになったんだ……」


 俺が小さな独り言を吐いていると、説明を終えた司書の先生と前橋が戻ってきた。俺は慌ててパソコンの画面をホーム画面に戻す。


「あら? 伊崎さん。パソコンで何をしているんですか?」

「パソコンの操作が中学校にあったものと同じか確認していただけです」

「そうですか」


 感心した様子で司書の先生が微笑んだ。


 正直めちゃめちゃ焦った。俺は冷や汗を滝のように流しながら、なんとか平気な顔をしてその場を凌いだ。


「では、2人は今日から毎週金曜日、私が図書室にいることのできない放課後の1時間、ここで私の代わりに仕事をしてください」

「はい」

「わかりました」


 司書の先生は「お願いします」と小さくお辞儀をすると、スタスタと静かに図書室を出て行った。


 こうして、図書室は俺と前橋の2人だけとなった。


 俺は司書の先生が図書室を出ていったことを確認すると、カウンターの中のパイプ椅子に座った。すると、前橋も俺を真似て、俺の横にパイプ椅子を置いてそこに座った。

 図書室にはパイプ椅子の軋む音だけが響いている。

 まだ前橋のことを詳しく知らない俺は、何を話そうかと悩んだ。すると、前橋がゆっくりとこちらに顔を向けた。どうやら、俺の顔色を伺っているらしい。


「えっと、俺の顔に何かついてる?」

「いいえ、何もついてません」

「そうか……」


 なら、なぜ俺の顔をそんなに見ているんだ、と言いたくなったが、それを言えるほど、俺は女子との会話に慣れていない。


 すると、前橋が突然俺の手を掴んできた。


「伊崎くん」

「ひゃい」


 前橋のいきなりの行動に変な声を上げてしまった。


「ひとつ、質問をしてもいいですか?」

「質問?」

「はい」


 前橋の目は真剣そのものだった。


「わかった。一体どんな質問だ?」

「……私は、なぜ図書委員になったと思いますか?」


 俺は少々困惑した。


「えっと、それってどういったことを言えば良いのでしょうか?」


 前橋の様子を伺いながら疑問を投げかける。ただ、変に気を使いすぎて敬語を使ってしまった。


「伊崎くんが思ったことを言えば良いんです」


 疑問に対する返答はこれだけだった。

 つまり、俺が思う、前橋が図書委員になった理由を、ただ純粋に答えればいいのだ。


「……」


 とはいえ、出会ってから間もない相手の、図書委員になった理由など、そう簡単に分かるものではない。


「あの、少しだけ考える時間をくれないか?」

「はい、良いですよ。ただし、タイムリミットは今日の図書委員の仕事が終わるまでの、約1時間です」

「わかった」


 タイムリミットがあるのか。ならば、少し焦らなければならない。俺はひとまず、前橋の読書に対する関心について聞いてみることにした。


「前橋って、読書は好きなのか?」

「嫌いではありません。でも、あまり読む方でもありません」


 つまり、読書が理由で図書委員になったわけではない。となると、他の理由を考えなければならない。


「委員会を選ぶ時、たまたま運任せに選んだのが図書委員だったってことは?」


 前橋は首を横に振った。


「いいえ。しっかりと考えた上で図書委員になることを決めました」


 つまり、何かしら明確な目的と理由があるというわけだ。では、今までのことを踏まえて、いったい何が理由で図書委員になったのだろうか。

 例えば、俺がそれほど読書が好きではなく、図書委員を選ぶとしたら、いったい何を理由とするだろう。


 1番に思い浮かんだのは、友達と同じ委員会を選ぶことだ。しかし、俺と前橋はそれほど深い関係を築いていない。


 次に考えられるのは、そこに好きな人がいることだ。だとすれば、前橋は俺のことが好きというわけになる。しかし、それが理由ならば、こんな質問を俺にするわけがない。


 ならば、見方を変えてみよう。


 例えば、他にやりたくない委員会があって、そこから逃げたということはないだろうか。しかし、図書委員会は最も面倒な委員会として有名だ。となると、他に逃げたい何かがあるのではないだろうか。


 そこで、俺は1つの答えに辿り着いた。


「なんとなく、分かったかもしれない」

「本当ですか?」


 俺の言葉に、前橋は眼光をわずかに広げて驚いていた。しかし、しばらくすると元通りの落ち着いた表情に戻り、口を開いた。


「では、答えをどうぞ」


 俺は呼吸を整えると、緊張しながらも答えを言う。


「……もしかしてだけど、クラスのみんなから逃げるため?」


 出した答えはこれだった。正直、合っているかの自信はない。

 俺の答えを聞いた前橋は、驚いた顔をしたまま俺をジーッと見ていた。その表情が俺を不安にさせるので早くやめてほしい。


「えっと、合ってる?」

「……ほとんど正解です。でも、どうやって分かったんですか?」


 反応からすると、どうやら前橋は俺が理由を答えられないと考えていたらしい。


「うーん、1番のヒントはクラスにいる時の前橋の姿かな。前橋って、クラス1の人気者だろ?」

「まぁ、自分で自分を人気者と言うのは少し恥ずかしいですが、他の人と比べると確かにそうと言えますね」


 前橋は頬を僅かに赤く染めて、俺に顔を見せないように軽く俯いた。前橋にこんな姿をさせたことに、少しの申し訳なさを感じながら、俺は話を続けた。


「人気者って、いつでも周りに人がいるし、いつでも誰かに見られてるだろ? それってなんとなく辛いんじゃないかなって思ったんだ。俺は人気者じゃないから分からないけど、人気者になる人って、その本人がなりたくてなってるわけじゃないでしょ?」


 説明を終えた俺は、ふぅと息を吐いて心を落ち着かせる。


 図書委員になることで、半強制的にクラスのみんなから逃げることができる。だらこそ、前橋は不人気の図書委員になることを選んだのではないだろうか。


 俺の説明を聞いた前橋は、しばらく目を閉じて、じっとしていた。しかし、数秒ほどすると再び目を開けて真っ直ぐに俺の目を見た。そして、小さく微笑んだ。


「伊崎くん、お見事です」


前橋からの言葉に、俺はそっと胸を撫で下ろした。どうやら俺の考えは合っていたようだ。


「正直に言うと、私はクラスのみんなから離れたかったんです。言い方が悪いかもしれませんけど、みんなと一緒にいることに、少々疲れてしまったんです」


 前橋は困ったような笑顔を見せながら、ゆっくりと話し始めた。


「私、中学生の頃までは、こんな人気者になるような人間ではなかったんです。というより、私の通っていた中学校の同級生は、全員幼稚園からの付き合いなので、周りの人間が私に特別な感情を抱かなかったんです。

 でも、高校に入ってから、私は驚きました。『あっ、私は人気者になるような人間なんだ』と。やはり、自分で言うのは少し恥ずかしいですね」


 テヘヘと恥ずかしさを隠すように笑っている。


 そんな前橋の姿に、俺は思わずドキッとしてしまう。


 しかし、前橋はそんな俺のことを気にせずに話を続ける。


「最初の頃はとてもうれしかったです。いつでも話してくれる人が周りにいて、みんなからかわいいと褒められ、まさに天国にいるような気分でした。 ……でも、数日するとその考えは変わりました。どんな時でも気を抜くことができず、放課後には沢山の人に囲まれて、帰りたい時にも帰ることができませんでした。いつでも『人気者の前橋』でいること。それが嫌だったんです」


「……なるほどね」


 人気者になるということは、嬉しいこともある反面、人気者にしかわからない苦労が、確かに存在したのだ。


 全てを言い終えた前橋は、腕をぐーッと上に伸ばして背伸びをした。そして、胸が膨らむのが分かるほどの大きな深呼吸をした。


「あーー、全部言うことができてスッキリしました。伊崎くん、ありがとうございます」


 前橋は清々しい笑顔で俺に向かって頭を下げた。

 しかし、これで俺の気分が全てをスッキリすることはなかった。


「ちょっと待って。何で前橋はそんなことを俺に伝えようと思ったんだ?」


 前橋が人気者になって苦労していることは理解した。とはいえ、そういった自分の内心のことを話すのは、親友のような親しい人物に対してであるべきではないだろうか。それがどうして出会って間もない俺に話したのだろうか。


「それはですね……」

「それは?」

「女の勘です」

「え?」


 俺は前橋の言う「女の勘」を理解できなかった。


「1年1組の中で、入学式の日に私とラインを交換しなかったのは伊崎くんだけでした。その時、『あっ、この人は話しても大丈夫だな』と感じました」


 そう言って、前橋はニコニコと笑っている。その様子からは、嘘を感じられ無い。つまり、本気で「女の勘」を信じて俺に伝えてきたのだ。

 しかし、ここでもう1つの疑問が生まれた。


「それじゃあ、何で俺に質問形式でそれを伝えたんだ?」


 人気者の苦労を伝えるだけなら、普通に話すだけでも良いはずだ。


「それはですね……」

「それは?」

「伊崎くんが本当に良い人かを知るためです」

「それってどういう?」

「実は、私が図書委員を選んだ理由を当てること自体には、そこまでの意味はありませんでした。ただ単純に、そこで変な答えを言うかどうかを知りたかったんです」

「変な答えって?」


 すると、前橋は人差し指を伸ばして、ビシッと俺の顔の方に向けた。そして、低い声(恐らく俺のものまね)でこう言った。


「前橋が図書委員になった理由、それは、俺のことが好きだからだ! みたいな答えです」

「ばっ、バカ野郎っ! 俺がそんなこと、い、言うわけないだろっ!」


 その可能性を考えていたのも事実なので、なんとも恥ずかしい。しかし、俺は無事に正しい答えを推理できたわけだ。


「ちなみに、もし俺がそんなことを言ってたら、前橋はどうしてた?」

「これから1年間、ずっと伊崎くんのことを無視する気でいました」

「お前怖いなっ!?」

「ふふっ」


 俺の大声のツッコミに、前橋はおかしそうに笑った。


 前橋の背後では、オレンジ色の太陽がガラス越しに輝いていた。推理をしているうちに夕方になっていたらしい。

 彼女の笑顔を差し込む夕日が暖かく照らしている。それはなんとも綺麗な光景であり、本来の前橋の姿なのだと思う。



 3



 それからしばらく前橋と談笑していると、ガラガラという音と共に図書室のドアが開いた。


「2人とも、お疲れ様。今日はもう帰っていいわよ」


 司書の先生が落ち着きのある笑顔でそう言った。


「はい」

「わかりました」


 俺と前橋は自分の荷物を持つと一緒に図書室を出た。


 2人で校門までの道のりを歩きながら、俺は周りの風景を眺めていた。校門まで来ると、前橋が俺の肩を細い指でトントンと叩いてきた。


「あの、伊崎くん」

「ん、なんだ?」


 振り向くと、前橋は人差し指を伸ばして自分の口の前に当てている。そして、上目遣いで俺に頼んできた。


「あの、今日のことはクラスのみんなには秘密でお願いします」

「おう、わかった」


 俺の返事に安心した様子の前橋は、ホッと息を吐いて小さく微笑んだ。


「伊崎くんの家はどちらの方向ですか?」

「俺は駅の方」

「そうですか。では、私とは逆方向ですね」

「そうか。それじゃあここでお別れだな」

「そうですね。では、さようなら」


 前橋は俺に向かって小さく手を振った。


「じゃあな」


 俺も軽く手を挙げて返事をしておく。

 これぐらいの軽い返事ができるような関係を前橋と築けたことに、俺は心地の良さを感じるのだった。

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