愛犬や愛猫にまつわる千差万別なエピソードに身を任せる度、
ほっこりする反面、どうしても思ってしまいます。
「いずれ別れるときがやってくるのだろう」と。
私も、かつてふたりの愛犬と生活を共にしたことがあります。
ひとりめは♂のシェルティで、幼稚園の送迎バスから降りたときに、
出迎える母の腕に抱かれた彼からいきなりムキ顔で吠えられたのが
最初の出会いでした。
もはやきょうだいも同然に育っただけに、別れの際には
人生でいちばんというくらいに大泣きしたのを覚えています
(これを書いている今でさえ、ヘタをすると…)。
16年6ヶ月の、まさに大往生でした。
ふたりめは、♀のシェルティ。彼女は所謂「保護犬」で、
悪徳ブリーダーのもとで「種付け犬」にさせられていたところを
保護されたらしく、正確な年齢も誕生日もわからない、
そして信じられないことに「吠え方すら知らない」と思わしき
彼女の様子を見るにつけ、それまでどんな「環境」での暮らしを
強いられてきたのか…そんな過酷な境遇を想像させるコでした。
大人しいけど好奇心旺盛、だけどもビビり屋さん ーーー そんな
彼女を、家族全員でこれでもかというほどに愛しました。
今までのクソったれな生を、全部忘れさせてあげたくて。
引き取ってから10年を迎えようかというところで、
唐突に彼女は逝ってしまいました。獣医さんの話によれば、
やはり「過去」の影響でカラダに相当ガタがきていたのだろうということ。
あんなに可愛かった彼女に、筆舌に尽くし難いほどの苛酷さを
強いた ーーー 名前も顔も知らないどこぞのクズブリーダーを、
私は生涯許すことはないでしょう。
今でもときおり、思います。
嗚呼、紋次郎と桜にまた会いたいな、と ーーー。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。m(__)m
まず、これはあくまで私の考えとしてのお返事になります。
「ペットは、飼い主を選ぶ事はできません。しかし、自分が飼い主になったとき最高の飼い主になる事はできると思います。」その見返りが想い出であり、共に過ごした日々であると私はそう思って当時飼っていました。
人にもペットにも個性があります、そしてあうあわないもあるでしょう。
それでも、「生きている」相手に対し「生きている扱いをしない」事はロクな事ではありません。
「お前の前の飼い主は屑だったけど、今はワイが飼い主やでワイがいい思い出いっぱい作ったるからな」位でもそれは「飼い主として一つの考え方」。
会いたい時に相手はいない、会える時にめいっぱいあっておくべきです。
遊びたい時に相手はいない、遊べる時に遊んどくべきです。
写真でも動画でも、お墓でも胸いっぱいの想い出でも。
「残せるものは、のこしておきましょう」
歳を取るにつれ、捨てる事は殆どの場合正しいです。ただ「捨てられないものこそ墓まで持って行くつもりで大事にしたい」私はそう思います。
私は、「このペット達への想いを、捨てられないものとして今でも大切にしています」。
読了ありがとうございました、そして優しいあなたに心からの賛辞を。
私が飼っていた三毛猫さくら も犬が好きでした。
仕事場のロン(雑種 女の子)と仲良しでした。
子猫の頃にロンちゃんが面倒を見ていたからかも知れないです。
実家のムク(雑種 じい様)とも仲良しに成りました。
朝の『今日のワンコ』を見るのが日課でしたが、猫嫌いな娘でもありました。
桃園の誓いのように一緒に生き、亡くなるなんて本当に仲良しだったのですね。
素敵なお話を、ありがとうございました。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。m(__)m
おぉ、そちらも犬と仲良しの猫が……。
昔々の実話ですが、飼い主として三匹同時にとは夢にも思ってなくて当時は何とも言えない気持ちでした。
3匹同時になんてもの凄い奇跡ですね。仲が良すぎたんだろうなぁ。
子供の頃実家で柴犬を飼っていましたが、亡くなった時はやはりペットロスになりましたね。
ボンちゃんみたいにマッスルでも賢くもないメスの柴犬でした。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。m(__)m
昔、イ〇バ物置のCMで人が一杯のってる感じの奴があったはずですがボンちゃんはガタイがよく歳とってもしゃんとして猫をのせて歩き回ってました。(マジで三匹の仲は良かった)
ペットというのは、可愛ければ可愛い程によく覚えているモノです。
賢くない事やマッスルでない事がかえって可愛いという事もありますので、いい思い出さえあれば飼い主冥利につきると私は思います。(*‘ω‘ *)