第2話 『恋愛ごっこ』をしてみないか?ー本気じゃなくてまねごとをする?
「もう5年ほど前のことだけど、本社に来てしばらくしたころ、打合せで提携先の会社を訪問した時に、頼まれて合コンに出ることになった。そこで彼女と知り合った。彼女は有名女子大学を出ていて美人で良家のお嬢様と言うか、気立ての良い優しい娘だった。僕は一目で彼女が気に入った」
「先輩も一目惚れしたんですね」
「どういう訳か、彼女も僕のことが気に入ってくれて付き合いが始まった。彼女は二人姉妹の次女で、姉は結婚していた。付き合って半年くらいで家に招かれて両親に紹介された。田園調布にある大きな一戸建てだった。父親は商社の取締役で、我が家とは雲泥の差だった」
「私とも雲泥の差です。良家のお嬢様ですね。素敵ですね」
「そう思って僕は彼女を大切にして付き合った。デートの場所やレストランにも気を遣った。プレゼントにお金も使った。そして男女の関係にもなった。素敵な娘と付き合うのが嬉しかった。でも段々付き合うのに疲れて来た」
「どうしてですか? そんな素敵な人なのに」
「それというのは気を使うのはいつも僕の方で彼女はそういうことに慣れていた。素敵な娘だったので、周りがそうしていたんだと思う。僕の気遣いが当たり前で、彼女から何か気を使ってもらったという記憶がないんだ」
「そこは私にはどうしてか彼女の気持ちが分かりません」
「一年位付き合ったころだったけど、そんな一方的に気を使う関係に疲れてきて、そう思っていることを話した。でも、彼女には僕が感じていることが理解できなかったみたいで、そういう関係も変わらなかった。それでしばらくして別れを切り出した。彼女は突然の別れ話に驚いて泣いていた」
「苦労がなくて、ちやほやされていたお嬢さんだったら分からなかったのかもしれないですね」
「今思うに、彼女は悪くなくて当たり前に自然に振舞っていただけだった。彼女には本当に悪いことをしたと思っている。こんな僕は恋愛には向かないのかもしれない」
「吉岡さんは悪くない。元々相性が合わなかったのだと思います」
「それからは女性とは無理をしてまで付き合おうとは思わなくなった。気遣いするのが面倒に思えて」
「そういうことですか、よく分かりました。でもそんな人ばかりではないと思いますが。私だったら別れたいと絶対に言わせなかったと思います。先輩のような良い人に!」
「慰めてくれてありがとう」
沙知は聞き上手だ。こんな話をしてしまうとは思わなかった。気のおけない彼女だから安心して話せたのかもしれない。聞いてもらったら、いままで持ち続けた鬱積がなくなって少し楽になった気がする。気立ての良い娘より、苦労した娘が良いのかもしれない。
「ところで上野さんはどうなんだ。恋愛経験はあるんだろう」
「私、父親と二人暮らしだったので、あまりそういうことに関心がなくて。高校生の時は大学受験で精一杯でした。大学でも男子学生が多かったけど、在学中に父が亡くなったので、生活のためにアルバイトしたりで、卒業するのに精一杯でしたから」
「百瀬先生から聞いているよ、大変だったね」
「大学を続けるのをあきらめようとしていたところ、百瀬先生には卒業だけはしておきなさいと奨学金の手続きをしていただいて助かりました。こうして就職して生活していけるようになったのも百瀬先生のお陰です」
「それなら、恋愛のトレーニングをしてあげよう」
「トレーニング?」
「そうだな、僕と『恋愛ごっこ』をしてみないか?」
「『恋愛ごっこ』ですか?」
「『ごっこ』というのは本気じゃなくて、ただ、まねごとをするだけ。むしろ本気にならない方が良いだろう。付き合い方を教えてあげる。これでも失敗はしたけど恋愛経験はあるからね。上野さんの実験台になってあげよう」
「先輩と『恋愛ごっこ』本気じゃなくて、まねごとをする?」
「そうだ、まあ、お芝居みたいな感じかな、やってみるかい。ただし、このことは周囲には秘密にしておく。今後、上野さんが本当に誰かと恋愛するときにまずいだろう」
「分かりました。『恋愛ごっこ』やってみます。よろしくお願いします」
「じゃあ、今週の土曜日にでも第1回目を始めようか?」
「ええっ、もう始めるんですか?」
「だいたい週末は空いているから」
「急な話なので少し準備をさせてください。それに心の準備も必要ですから」
「それならいつにする?」
「今月の最終土曜日ではどうですか?」
「3週間ほどあるけど、随分準備期間が必要なんだね」
「かっこいい先輩に恥をかかせないようにしっかり準備しようと思います」
「じゃあ、それまでに上野さんがどこへ行きたいか考えて、集合場所と時間をメールで入れてくれればいい。その方が僕も気楽に『恋愛ごっこ』ができるから」
「それとひとつだけお願いがあります」
「何?」
「今日はご馳走になりますが、これからは割り勘にしてください。恋愛の仕方を教えてもらって、ご馳走になるわけにはいきません」
「分かった。気にするならそうしよう。それならあまり費用のかかるところは止めておこう」
「ありがとうございます。これで気兼ねなく『恋愛ごっこ』ができます」
沙知とは帰る方向が同じなのが分かっている。僕は二子新地に住んでいる。沙知の住まいはそこからごく近くで3駅向こうの梶ヶ谷だと聞いている。二子新地で先に電車を降りたが、沙知は意を決したかのように真剣な顔つきで帰って行った。
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