画して、巣立った燕の子

月山タキ

第1話・・・仙台へと向かう

 あの日、興津おきつ編成局長から電話があったのは、昼休みを終えようとデスクに戻った頃だった。電話に出たのが同期の柏木かしわぎだったことは、こののち一生涯、彼が脳裏に焼き付つく所以となった。

 柏木から伝えられたように、午後一番で編成局長室に向かった。この時私の直属の上長にあたる編成局長は、前任者から引き継いで3週間と短いながら着実にその力を発揮しようとしていた。


 興津雅美おきつまさみ、大阪財界では特ダネ記者と言われ、大阪の社長たちは彼女のために宴席を設ける。大阪財界において彼女以上の情報通はいなく、また、彼女以上に貪欲な記者はいない。40代で大阪支社経済部長、本社経済部長という出世へのスターダムを駆け上がった。齢55にして、出世への貪欲な姿勢は衰えるところを知らない。次代の社長候補の一人にして、歴史上に比肩する者のいない女傑である。


安部あべ君、君の次の職場が決まったよ。仙台に飛んでくれないか。経済部長の椅子をなんとか用意できた」

 私は、一言も発さないまま翌週の仙台行きが決定したわけである。残念ながら本作の主人公は、私ということになるわけだが、もっと言えばこの女傑の出世物語を遠くから見守るだけの筆者であると言っても良いのかも知れない。この女傑の素晴らしい出世物語は、まだまだ続く。しかして私は、仙台に飛ぶことになった。

 

 新聞記者という仕事は恐ろしくも単純で、奥深い仕事なのかも知れない。大宮駅を越えたところで、車窓を遮るビルの背が、段々と低くなっていくのを呆然と眺めていた。東京を出る時、私を見送りに来てくれた同期の姿はなかったが、以外にも一人の女性の姿を認めた。無視をして、前を通り過ぎるつもりであったが、生憎にも呼び止められてしまった。

「処世術がなっとらんな、若造。仙台は良いところだ。行き掛けの駄賃だと思って持って行け」

 押し付けられた。横浜名物のシュウマイ弁当は、私好みの洋食バージョンだった。ああ、この人がやがては社長になる。その時、僕もどこかでこの人を支えることができるだろうか。彼女の中で、私は、どんな存在になれるだろうか。一握の不安は、今後も私が抱えなければならない。

 大宮という一つの関所を経て、私の不安はとうに的中したと言っても良い。シュウマイ弁当の紙袋を覗き込むと、丸文字で書かれた一枚の紙切れを認めた。

「その生涯は出世なり、しかして出世の道あらず。茨の丘こそ生涯の道と見つけたり」

 さすがは、経済畑出身である。以前、どこかで読んだ社長の書籍に同じような言葉を見た。ああ、比肩なき女傑なり、私の目には意味もわからぬ涙がたまっていた。


 

 私が仙台に着いたのは、正午をもう少し過ぎた頃だった。しかし、仙台には朝焼けの残り香をいまだに感じるところであった。仙台には、二人の同期とそれからもう一人、竹馬の友がいた。それでは、竹馬の友である彼、大場おおば君のことは仮にもO君と呼ぶことにしよう。仙台駅の単純なホーム構造を理解したところで、私はようやく改札を出た。


 改札を出ると、いや、改札を出る前からそんな事は予感していた。どうしても彼でなくてはならないんだ。

「安部。久しぶりだな」

 彼が俺を見つけるなり、そう言ってスーツケースを持ってくれた。こんなにも魅力的な男だったろうか。彼の記憶は、遠い中学の時代から変わっていなかったのかも知れん。

 長い夢を見ていたような、視界の端がぼやける時間がしばらくあって、私を乗せた彼の車は目的地の前に到着していた。全国紙というのは、それだけで十分箔になる。地方に支社を建てるとしてもその職責を十分に果たす必要がある。仙台支社は、北海道を含めた北関東以北を統括する東日本最大の支社である。

「夜に迎えに来るから、それまではどっかで時間潰してろよ」

 Oの車は、停車状態からすぐに発進していった。自前の支社ビルに入ると、受付前で男が立っていた。もちろん、玄関を往来する大多数は私を知らないわけだが、男だけはそうでもないらしかった。


 「安部さんですね。仙台駅までお迎えに上がりましたのに。私は、支社長室の長谷はせと申します」

 長谷はせ君は、私と同じか少し若いくらいだろう。律儀で愚直な男だ。事務方よりも、むしろ記者向きではなかろうか。ともかく、彼は私のことを、このビルのボスのところまで案内してくれるようだ。

 

 エレベーターが、最上階の13階に着いたところ。無駄な装飾はおろか、飾りっ気のない廊下が広がる13階。部屋といっても、支社長室と会議室、それから申し訳程度の応接室があるばかりだった。私は、本社時代から変わらない電子キーをかざして支社長室の扉を開けた。

 一つ目の扉は、支社長室、いわゆる事務方の詰め所で長谷君たちの部屋であった。ある程度の広さを持つそこには、長谷君のデスクも含めて10人くらいの配置がしてあった。二つ目の扉は、ボスの居城へと繋がった。


 「安部君、支社長の北宮きたのみやだ。興津君から話は聞いているよ。というよりも、久しぶりだね」

 

 北宮晴樹きたのみやはるき、取締役仙台支社長を務め、定年退職を待つばかりの老人。社内では有名な文芸界の長老で、穏和な性格と人徳を兼ね備えた菩薩でありながら、社内屈指の切れ者。新聞記者としての配属期間は短く、長い間出版部門にて経済誌の編集を担当。47の時、新設された本社文芸部に部長として君臨すると、その後出世のスターダムを駆け上がることになる。当初、落ち目とされてきた新聞文芸の世界で次世代の作家を次々と世に送り出すと、転じて次世代の新聞屋育成に従事。人事局人材育成部長、人材育成センター長、取締役人材教育・人材交流担当を歴任した後、仙台支社長に上り詰めた。支社長に至るまでの経緯は、のちに十分な補足をすることになるだろうから割愛する。

 私と彼との出会いについては、彼が定年を迎えるあたりでじっくりと語ろうではないか。取り敢えず、この北宮支社長はこれ以上の出世に興味を示さない、大変に珍しい人物なのである。彼の性格は、中央の在庁官人どもにとってはどうにも解せないようで、遠くに追いやられてしまったのであった。それでは、長谷君も差し詰、中央から送られた目付け役なのだろうか。無益な詮索を繰り返して駄弁を重ねても十分な議論には至らないので、ここいらで支社長室を後にした。


 どうやら、長谷君の仕事はまだ続くようで、彼は私を職場へと案内した。13階の支社長室を降りると、エレベーターは5階に停まった。彼に促されて階に降りると、エレベーターホールの一番近いところに経済部と社会部の部長室、少し離れて政治部の部長室。各部の記者たちがそれぞれの席を持ち、各部デスク(次長)たちが慌ただしく指示を出している。これが補給線の記者たちである。


「こちらですよ、どうぞ中へ入ってください」

 そうして私が通されたのは、経済部長室であった。机には、新たな名刺と朝刊、電子機器の類は一切置かれていなかった。



「日東経済新聞社 仙台支局経済部長」、私は画して、就いたわけであった。

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