虚像と真実

 深夜、ロゼは自室のベッドの上で目を覚ました。まだ眠りについてから数時間しか経っていなかったが、ロゼは完全に覚醒してしまった。ベッドからむくりと起き上がると、部屋の明かりをつけた。オレンジ色の優しい灯りが部屋全体を包んだ。ロゼは椅子に座ると、もうほとんど消えて無くなっている両手の斑に目をやり、この旅を始めた時のことを思い出した。この忌々しい斑のせいでロゼの人生は大きく変わってしまった。大きな街で両親と幸せに暮らし、医者になるべく勉強をしたり、友人と遊んだりした日々は、もう今のロゼにとっては違う人の人生のように思えた。ロゼはゆっくりと立ち上がり、自室のドアを開けた。ダイニングは暗く、涼しかった。ロゼはキッチンに向かい小さな明かりをつけると、小鍋と牛乳瓶を取り出した。音を立てないように瓶を開け、鍋に注ぐと火をつけた。辺りに柔らかな香りが漂う。ロゼは温まったミルクをマグカップに注ぎ頭上の棚からはちみつを取り出すと、スプーンで掬い取ってミルクに混ぜた。ロゼはホットミルクの入ったマグカップを片手にダイニングの椅子に腰掛けた。窓からは優しい月明かりが差し込み、ロゼの肌を照らす。ロゼは甘いホットミルクを啜ると、しばらくの間目を閉じ、波の音を聞きながら心地いい睡魔が訪れるのを待った。

 朝方、まだ陽も昇らない時刻、シリウスとロゼは再びワルダ村に向かって歩みを進めた。ビルセンの外れにある港は人通りが少なく、やや寂れた様子である。ロゼの斑模様は一晩のうちに綺麗に消えていた。この時間帯はロゼが唯一顔を隠さずに外を出歩ける貴重な時間だ。シリウスは横を歩くロゼの嬉しそうな横顔をちらっと見やった。特に何を話すでもなく、二人は朝のひんやりとした空気を楽しんでいた。ヤブランの葉がそよそよと風に靡き、心地よい音を奏でる。農道や畑の横を通り過ぎたあたりで、朝陽が差し込んできた。ロゼはあっと声を上げると、日光を避けるようにシリウスの背後に回り、いそいそとショールを頭から被った。そこから程なくして、目の前には最後の関門である急な坂道が見えてきた。ロゼはややげんなりした様子を見せたが、一歩一歩と坂を登り始めた。シリウスはロゼの横で地図を確認しながら同じペースで歩みを進める。港から歩いて約一時間、二人はワルダ村の入り口に到着した。ロゼはショールをしっかりと被り直し、村のゲートを潜った。二人が向かう先は村の奥にある荒れた空き地。途中こちらをチラチラと見やる数人の村人とすれ違ったが、別段声をかけられるでもなく、二人は空き地の前に到着した。

 

 「草、気をつけろ。」

シリウスは村の奥地にある空き地の草を足で払いながら進んでいく。ロゼもその後に続くように空き地を抜けた。森の入り口でロゼは一度立ち止まり、嘗てここに住んでいたであろう住人達の面影を見た。森には柔らかな朝陽がキラキラと降り注いでいる。二人は枯れかけた池の横から奥へと伸びる翳った遊歩道へと足を向けた。相変わらず森の中は生き物の気配はなく、しんと静まり返っている。遊歩道を進むにつれて、朝陽を反射して鏡のように光り輝く湖や、ドームのように根の這い出した木々が見えてきた。

「相変わらず変な形の木。」

ロゼが遊歩道近くに生える大木に触れながらぼそっと呟いた。シリウスもその木の根の前にしゃがみ込んで中を覗いている。

「人が三人は入れるな。」

シリウスは木の根のドームの中に入り、何かを確かめるかのようにその壁に触れた。

 二人がさらに森の奥へと足を進めると、錆びた古いバリケードが静かに佇むのが見えてきた。穏やかな朝の森には似合わない異様な光景である。シリウスがロゼの体をひょいと持ち上げると、ロゼはバリケードの上部を両手で掴み、よいしょという掛け声と共に乗り越えた。ロゼが手に付いた錆びや砂をぱっぱと払っていると、シリウスはいとも簡単にバリケードの上部に飛び乗り、ロゼの近くにすとんと着地した。シリウスは辺りを見まわす。錆びたバリケード、やや草の伸び始めた庭、異様な研究施設。シリウスは一つ一つ確認すると、鞄から一枚の地図を引っ張り出した。それは自身がロゼの体から写し取ったものであった。

「線は歪んでいるが使えそうだ。恐らくこっちの道だろう。」

シリウスは地図を確認しながら、研究施設の裏側へと回った。その時、シリウスはぴたっと足を止め、上を見上げて絶句した。

「何だこれ…。」

そこには見たこともないような巨大な機械が、建物の影に静かに鎮座していた。二人はしばらくの間沈黙した。

 


 

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