古の記録

 遥か昔、北の国は四方を海に囲まれた、年中気温の低い国であった。特に数年に一度起こる大寒波の時には大雪が降り、人々は非常に厳しい生活を強いられていた。国を治めていた国王は、人々が苦しい生活を送る中でも、彼らに重い納税を強いた。人々の中には苦しい生活に耐えきれず、逃げ出そうとするものや自ら死を選ぶ者まで現れた。

「国王、国は日々衰退しております。国民の暮らしは非常に厳しい。このままでは…。」

国王の召使の中でも一番偉い、長い髭を蓄えた男が国王に進言した。

「分かっている。」

国王は山の上に聳える城の窓から、吹き荒れる雪と枯れた大地を見下ろし、呟いた。

 その年は例年にも増して非常に厳しく長い寒波が国全体を襲った。国王は、数名の召使達に山を下らせ村の視察に遣った。国の中でもまだ生活がしやすいとされていた城下町の方でさえ、その状況は過酷な物であった。畑は雪に埋もれ、食べる物もなく、吹雪で半壊した家で寒さを何とか凌ぎ生きていた。

「ここまでとは…。」

召使の一人は唸った。その時一人の女がとぼとぼとこちらに近づいてくることに気づいた。その女はガリガリの腕に赤子の死体を抱えている。召使達は一様にその女に視線を投げかけた。

「国王の…召使の方ですか。」

女は低く、消え入りそうな声で話しかける。

「もうこの街に…いえ、この国に食べる物はもはやありません。一体どうやって税を納めろと言うのですか。」

女の瞳に光はない。女は召使達の横を一歩一歩と通り過ぎ、吹雪の中に消えていった。

 程なくして寒波は去り雪は止んだが、国民の半数が寒さと飢餓で亡くなった。国王は数名の召使と広間で小難しい話をしている。

「このままでは国は倒れてしまいます。やはり拠点を別の場所に移すことも考えられてはどうですか。」

一人の召使が深刻そうな顔で進言したが、国王は断固としてそれを拒否した。

「ならぬ!ここの島は代々私の一族が生きてきた場所だ。私にはここで国を発展させる義務がある。」

「しかし!守るべき国民は寒波によって半数が死亡しています。」

「年々島を襲う寒波は強くなってきています。」

「寒さで作物も育たなくなってきているというのに…!」

召使達が口々に進言する。国王は目の前の机をバンと両手で叩くと

「国の方針を決めるのは国王であるこの私だ!」

と叫び広間から出て行ってしまった。その話し合いの翌日、数名の召使が見せしめとして処刑された。

 国王は数年前に妻を亡くしていた。妻は村出身の女で、国王に見初められて城にやってきたのだった。政治などには明るくない女であったが、村での生活を知っていたため、かつては国王の決定に幾らか提言をしていた。しかし、妻が病に伏し、程なくして亡くなってからは国王は国民に対してさらに厳しい税を課すようになってしまった。召使達も、国王の荒々しさや横暴な性格を知っているため、これまでは強く意見を言う事もできなかった。しかし今は非常事態である。国王はどうにもうまくいかないこの国の状況に頭を抱えた。


 時刻は深夜、闇夜に紛れてその男はマントを目ぶかに被り、城を抜け出た。向かった先はあの城下町。そこには半壊した建物や家主を失った家々が静かに佇んでいた。その時、男は背後で人の気配を感じた。

「誰です?」

男は緊張した様子で後ろを振り返った。そこには、あの時吹雪の中に消えていった女が静かに立っていた。

「何をされているのですか?」

女は警戒した様子で男を見つめ、投げかけた。男は何とか自身を落ち着かせ、

「私は国王に仕える者です。国民の生活の様子を確認するのは私の仕事の一つです。」

とはっきりと告げた。女は疑り深げに

「そんな格好で、ですか?」

と投げかけ、男の頭から足先までを怪訝そうに視線で追い、じっと男の目を見据えた。男は居心地が悪そうに身じろぎした。

「…レイヌ。」

突然の女の言葉に男はぎょっとした。女は辺りをさっと見まわし、

「ここは少し場所が悪い。移動しましょう。」

と、男の腕を掴むと、暗がりの中を走り出した。崩れかけた家々の間を駆け抜け、海岸線に程近い一軒の小さな家に辿り着く。女は古びたドアを開け男を中に押し込んだ。

「何をするんです。」

男は何とか言葉を絞り出し、マントの内側に隠し持つナイフの柄を握った。

「ことを大きくして困るのはお互い様でしょう。」

女は非常に冷静であり、レイヌを静かに嗜めた。

「私にはあなたの全てが分かる。あなたは国王に仕えるレイヌ。今日は国王に黙って城を出てきたのですね。国王の悪政に疑問を感じ始めている。」

女が紡ぎ出す言葉にレイヌは息を呑み、後ずさった。

「あなたは、何者なんですか。」

レイヌは震える声で問いかけた。女はまっすぐレイヌを見据えた後、足元にある床下の倉庫につながる扉の取手に手をかけた。ぎいという音と土埃を上げながらその扉は開いた。

「私はドナ。この国へ、反乱の意思を示します。」

ドナと名乗るその女は凛とした声でそう伝えた。


 床下の倉庫は広く、埃っぽい。薄明かりの中、数名の男女が円を作って座って話をしていた。ドナがレイヌを伴って倉庫へと入ると、人々の視線が一同にレイヌに向かった。

「ドナ。その男は誰だ?」

一人の男が警戒して声を上げた。レイヌは固まった。

「この人は国王に仕えるレイヌという男。」

ドナはレイヌの腕を掴み、円を作って座る人々の近くに座らせた。

「国王に…?何でそんな危険な人連れてきたんだい?」

 年長の女が小声でドナに耳打ちする。

「彼は私たちと同じ類の人間だ。」

ドナは女を諌める。その女の横にいた男は、怪訝そうにレイヌをじろじろと見やり、

「まあ、ドナが言うなら大丈夫だとは思うが…。」

と漏らした。ドナはレイヌに向かって話し始めた。

「レイヌ。私たちは今の国王の政治に不満を持っていて、国中に同じ意思を持つ者が多くいる。彼らは国王の悪政によって大切な家族を亡くした者たちがほとんどだ。」

ドナはここ数年で、国中に散らばる反乱因子に声をかけて回っていたらしい。レイヌは座っている人々を見まわした。

「ここにいる者たちは、私を含め呪術師の一族だ。」

皆各地で反乱を起こすために準備をしているため、一様に疲れ切った顔をしているが、その瞳には強い意志が宿っていた。レイヌは何も言えなかった。国王への忠誠心は本物だと、そう信じきっていた。しかし、召使達の忠言を聞かない国王とそれに振り回される国民。レイヌは城の外の世界をあまりにも知らなすぎた。


「…あなた達は、私の王を殺しますか?」

レイヌはようやく言葉を紡いだ。しんと重い空気が流れる。

「ああ。」

ドナは毅然とした態度で一言そう言い放った。


 ついに反乱が起きたのは、大寒波が去って半年が経った時のことだった。国中の反乱部隊が集まり、山の上に聳える城を攻めた。

「王を殺せ!今こそ国を変える時だ!」

反乱軍の一員である大男が叫んだ。すると、大火が上がり、城に住む人々は逃げ回る。国王は突然の襲撃に狼狽えた。

「なぜだ。なぜここまでうまくいかない!」

国王は頭をガシガシと掻きむしりながら叫んだ。

「国王、あなたは逃げ延びるべきだ。」

召使は国王の手を取って逃げることを提言した。国王は残った数名の召使を従えて、城からの脱出を試みた。途中数名の召使は反乱軍に捕まり殺された。レイヌは追っ手を撒くために二手に分かれることを提案し、国王を火の手の上がっていない庭の方へと先導した。

「ここからロープをおろし、山に逃げ込みましょう。」

レイヌは庭の柵から、下数メートルに広がる森を見下ろしながら国王に提案した。国王は少しの悲しさと怒りに満ちた眼で燃え盛る城を見上げた。その時、何かが引き千切れるような音が聞こえた。突然のことに国王は無言のままうつ伏せに倒れる。

「国王!」

レイヌは倒れる王に駆け寄り呼びかけた。国王の背中から胸にかけて短剣が深々と突き刺さっている。剣を刺した相手はすぐ近くにいた。その人物はフードを目ぶかに被り、国王を見下ろしている。

「誰だ!」

レイヌは叫んだ。フードの人物は無言のまま、倒れる国王の背から短剣を引き抜き、さらに首を切りつけた。国王の瞳には真っ赤な血飛沫とレイヌの哀しそうな顔が映っていた。レイヌは国王の瞳から光が消えるその時まで、国王に呼びかけ、そばに寄り添った。


「そろそろ出発しよう。」

ドナは深々と被ったフードを脱ぎながら、国王の近くで跪くレイヌに声をかけた。返事はない。ドナはやれやれとため息をつくと、レイヌの横に膝をつき、

「あなたは最後まで、ちゃんと彼に仕える立派な召使だった。」

と肩に手を置きながら労った。レイヌは胸の中につっかえていたものを吐き出すように、長く息を吐いた。

「あなたは最期まで、私の王だった。」

と、レイヌは霞んでゆく視界の中で王の亡骸に語りかけた。

 

 レイヌとドナは城の中の階段を一気に駆け下り、最下層に到着した。そこにはすでに数名の反乱軍がおり、大きな荷物などを運んでいる。

「ついにやったのね。」

女がドナに駆け寄って声をかける。ドナは静かに頷いた。

「よし、準備は完了だ。早いところ出発しよう。」

男が声をあげた。レイヌが声のする方に視線を向けると、そこにはかつて国王が使っていた大きな船が一艘波に揺られていた。レイヌは一度だけその船に乗ったことがあった。国王は数名の召使を連れて、その船に乗って海で釣りをしたり、地平線に沈む夕陽を見たりしていたのだった。レイヌは静かに目を瞑り、瞼の裏にその情景と国王の顔を思い起こしていた。

「ここからまっすぐ用水路を抜ければ海に出られます。」

レイヌは目を開けると、淡々と説明した。数名を乗せた大きな船はゆっくりと用水路を進み海に出ると、数カ所の港を巡った。そこでさらに数名といくつかの荷物を乗せ、荒れた海へと消えて行ったのだった。

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