狼の視線

 シリウスの部屋のドアを開けると辺りにムスクの香りが漂った。シリウスはロゼを部屋に招き入れると、ベッドに座るように指示した。ロゼはシリウスの顔をちらと垣間見ると、静かにベッドに座った。シリウスはロゼにバスタオルを投げ渡し部屋を出ていった。ロゼは閉まった扉をしばらく見つめると、服を脱ぎ大きな窓に近づいた。ロゼは深く呼吸しながら、赤く燃える太陽にその身を晒した。くっきりとその斑模様が全身に浮かび上がる。ロゼが小さく合図をするとシリウスが再び部屋に入ってきた。ロゼはそわそわと落ち着かない様子で、蚕のように大きなバスタオルにくるまっている。シリウスはふっと笑いながら机と椅子をベッドの横に移動させそこに座ると、引き出しの中からペンと紙を取り出した。

 シリウスは一度ロゼの顔を正面から真っ直ぐ見据えると、手元の紙に視線を落とし蠢く斑を紙に描き写していく。シリウスの瞳が左右に動く度に夕陽を反射してきらきらと光った。するすると動くペン先によって描き出される地図はとても美しく、ロゼはその手元に見惚れた。次にシリウスはロゼの顎を掴み右に左に捻り、傾ける。先ほど描かれた地形に続くようにペン先が紙の上を滑る。

「はい、次仰向け。」

シリウスが短く指示すると、ロゼはベッドに仰向けになる。シリウスはバスタオルを剥いでしまうと、ロゼの腕を掴み掌を上に向けて体の横にぴったりとくっつけた。ロゼは赤く波の形を反射する天井を見つめている。シリウスは呼吸で上下に動く斑の地図を視線で辿り、ペンを走らせる。その度にインクの匂いが鼻を掠めた。

「うつ伏せ。」

作業は淡々と続く。シリウスがロゼの肩にかかった柔らかな髪をまとめ、左側に流す。体の前面、側面との位置関係を確認しながら地図を完成させていく。

 最後の線がくねくねと走る海岸線を描き終える頃には、陽は沈みきりランタンのオレンジ色の明かりが優しく部屋を照らしていた。

「お疲れさん。」

シリウスはふうと息を吐き、完成した地図を満足げに眺めた。ロゼは横に置かれていたバスタオルを広げもぞもぞとくるまると、ゆっくりと起き上がり完成した地図を一緒に確認する。

「わあ。すごい…。」

シリウスの横から覗き込むロゼの瞳が輝く。シリウスは地図に見惚れるロゼにちょっと目を遣ると、椅子から立ち上がり、ベッドの横に丸めてあったシャツをロゼに投げやった。ロゼが驚いて顔を上げると、シリウスは首や肩をぼきぼきと鳴らしながら部屋を後にするのだった。

 服を着てロゼが部屋の外を覗くと、シリウスはいなかった。ロゼはコーヒーでも飲もうと、キッチンでお湯を沸かし始めた。ロゼはダイニングに戻り、先ほど完成した地図をダイニングテーブルの上に広げ、自分の腕の斑と交互に見比べた。途中途中線が変な切れ方をしていたり、異様に歪んだりしていることに気が付いた。ダイニングテーブルの近くの棚には、研究施設で発見した資料などが置かれている。ロゼはその資料の中から古いワルダ村の地図を手に取った。所々破れがあったり、水に濡れたのかインクの滲んでいる部分や掠れがある。ロゼは地図右上あたりに二重の半円が描き足されていることに気がついた。ロゼはダイニングテーブルの椅子に腰掛けるとその地図をよくよく眺めてみた。ロゼは嘗てアンバーがそうしたように、地図を読みながら頭の中でワルダ村の土地を歩き回る。その印が描かれているのは村の奥の方、あの空き地の付近である。ロゼは何かを考えるように他の資料も手に取ってみる。象形文字のようなものが描かれた古い資料。

「一族、太陽、霧、斑…。」

ロゼは呪文を唱えるように呟いた。ロゼの中で思考の糸がぐちゃぐちゃに絡まる。その時、キッチンでやかんからピーという煩い音が鳴った。ロゼはキッチンへと移動し火を止め、コーヒーを淹れた。その時、甲板に繋がるドアがばんと開き、紙袋を抱えたシリウスが入ってきた。

「お帰りなさい。」

ロゼはマグカップを持ってダイニングへと向かった。

「おお。飯食うか?」

シリウスはダイニングに入ると紙袋をテーブルに置き、自身も椅子にどかっと座った。

「あ、ありがとうございます。買ってきてくれたんですか?」

ロゼが紙袋の中を覗きながら少し驚いたように尋ねる。

「ああ、お前その体じゃ外出歩けないだろ。」

ロゼの顔、腕には未だはっきりと斑の地図が浮かび上がっていた。シリウスはロゼが覗く袋をひょいと取り上げると、中からパンや果物、菓子類を取り出しテーブルに並べた。

「ありがとうございます。いただきます。」

ロゼはそう礼を伝えると小さな包みに入った焼き菓子を一つ手に取り頬張った。ほんのりと甘いその焼き菓子はコーヒーとよく合う。

「で、難しそうな顔して何見てたんだ?」

シリウスはリンゴを齧りながらロゼに尋ねた。

「ちょっとこの地図を見ていました。」

ロゼはコーヒーを啜りながら答えた。シリウスもテーブルの上に並べられた資料を手に取り見ている。すると、シリウスは思い出したように、先程写し取った地図を手に取りある記号を指差した。

「これ、前にも話したが、港街で俺がお前の首の後ろに見えたって記号。」

とロゼに示しながら続けた。それは碇のマークにも似ているが、先端が木のようにまっすぐ伸び、そこから蔦と花のようなものが左右に伸びている。

「これは地図上で方角を表す記号で、ほとんど全ての地図に描かれてはいるが、地図ごとに若干形が違うんだ。この地図のはかなり特徴的な形だったからすぐにピンときたんだ。」

ロゼはもごもごと菓子を食べながら示された記号をみる。

「ん?これって…。」

ロゼは地図上のある印を見るや否や、研究所にあったワルダ村の古い地図を引っ掴んで一生懸命に見比べだした。シリウスは何だ?と首を傾げながら怪訝そうにロゼを見据える。

「やっぱり同じ!」

ロゼが確信を持った声で呟く。シリウスは怪訝そうに首を傾げる。

「シリウスさん!見てください。この二枚の地図に同じ記号が描かれてます!」

ロゼが嬉々としてシリウスに二枚の地図の一箇所を指差して言う。

「だから、その記号は大体の地図にあるって…」

シリウスが制止しようとするが、指さされた記号をまじまじと見つめ黙ってしまった。指されていたのはインクの掠れた二重半円の印。

「研究所から持ってきたこの古い地図と、私の体から写した地図。どちらの地図にも同じ記号が描かれています。しかも研究所から持ってきた地図ではわざわざ手描きで描き足されているんです。」

シリウスは怪訝そうに二枚の地図をまじまじと見比べる。

「しかも、ワルダ村の地図には、あの空き地の奥の林道も森も描かれていないんです。もしこれが印のところで重なるとしたら…」

ロゼは二つの地図を、半円が一つの円になるように並べた。

「この羊皮紙の地図や私の斑が表す物はあの森や研究施設、更にはその奥の土地の全容なんじゃないでしょうか。」

ロゼの話を聞きながら、シリウスは他の資料も手に取り、ばらばらと見始める。そして、丸や木のような謎の象形文字の描かれた資料を手に取ると、ニヤリと笑った。

「ロゼ、お前やるなあ。」

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