薔薇の地図

 ルージュは急いで家まで戻り、ドアに鍵をかけ家中のカーテンを閉めた。先に村の警備隊に話をしにいくか迷ったが、やるべきことはたくさんあった。次は自分だと分かっていた。ルージュの頭の中にはぐるぐるとあらゆる事柄が走馬灯のように渦巻いていた。ルージュは自室に入ると、ロゼをソファに座らせた。そして持っていた血塗れの鞄から地図と寄生虫の瓶を取り出す。作業台いっぱいに地図を広げると、少しの間眉間に皺を寄せながら何かを考え、一本の筆を手に取った。

 ルージュは作業台に向かって淡々と何かの作業をしている。一連の作業を終えて筆をしまうと、ソファーで不安そうにこちらを見上げるロゼにちらっと目をやった。

「ごめんね。」

ルージュはポツリと呟くと、ソファに近づきロゼを抱き上げた。そしてロゼの服を全て脱がしてしまうと、小さな体を地図で包んでしまった。ロゼは地図の隙間からルージュの方を垣間見ようとした。しかしルージュが力いっぱい地図ごとロゼを抱きしめたためその顔は見えない。そのとき下の階で誰かがドアを力一杯叩き、何かが割れる音が響いた。続いてバタバタと暴れるような音と奇声が聞こえる。ルージュはさっとロゼから離れると、急いでロゼに服を着せ机の下に隠れさせた。

「あなたはここにいて。耳を両手で塞いで。絶対に動いちゃダメ。泣いちゃダメ。分かった?」

ロゼはすでにぐずっていたが、何とか耐えていた。ルージュはもう一度ロゼをしっかりと抱きしめると自室を出ていった。

 ロゼは言われた通り机の下で耳を塞ぎ、動かずに隠れていた。五分、十分。待ってもルージュは帰ってこない。その時部屋の扉がぎいっと開いた。

「?」

ロゼは音を立てないように机の下からドアの方を垣間見た。そこには血塗れの目が真っ黒の男が立っていた。


 事件の翌日、ある人物がワルダ村を訪れていた。その人物は、ネーべルの街で医者をしているマリアという女性だった。ワルダ村には大きな病院がなく、定期的にネーべルの街から往診に来ていたのだ。マリアはルージュのお産を手伝った医師でもあった。久しぶりにワルダ村に来たマリアは、大きく成長しているであろうルージュの子供を一目見たいと考えていた。家の前につきドアをノックするが誰も出てこない。そこで、ドアに一枚の紙が貼られていることに気がついた。そこには、汚い字で『研究の旅に出ますので、暫く戻りません。』とだけ書かれていた。そういえば研究者だったなあと思い返して帰ろうとしたとき、微かだが子供の泣くような声を聞いた。マリアは不審に思い、辺りを見回すが泣いている子供は見当たらない。よくよく耳を澄ますと、庭の方から聞こえてくる。マリアは少し悪い気がしたが、恐る恐る庭の方に入った。庭は手入れがされており、しばらく家を空けているような様子はなかった。

「誰かいるの?」

マリアは声をかけた。すると庭の奥の方で女の子の泣く声が聞こえた。

マリアは声のする方にゆっくりと近づいていく。すると、小さな池の横で小さな女の子がしゃがみ込んで泣いていた。マリアは急いで近づくと、

「大丈夫?怪我したの?パパやママは?」

と優しく聞くが、女の子は一層大きな声で泣くばかりであった。困ったマリアは女の子を抱き上げると、庭の方に抜け、事情を知っていそうな村の住人に話を聞いてみることにした。

「ごめんください。」

マリアが小さな商店の入り口から呼びかける。すると、店の奥から店主がまあと声をあげながら駆け寄ってきた。しかし、マリアの腕に抱かれている女の子を見るなり狼狽えた。

「ロゼちゃん!」

マリアは腕の中の子を見つめる。

「この子はあそこの家の子だよ!ほら!アンバーとルージュの子。」

マリアはえっと声を漏らし、さっきのドアの張り紙を思い出した。

「この子の両親は?さっき家に行った時に研究で家を空けるって貼り紙がしてあったわ。この子を置いて行ったってこと?」

マリアは小声で店主に聞いた。

「数日前まではいたんだけどねえ。それに調査に行く時にはうちにロゼちゃんを預けに来ていたから。あの二人、そんなことをするような人たちじゃなかったんだけど…。」

店主は困ったようにロゼを見つめた。マリアはネーべルの街で暮らしており、結婚して五年経っていたが子供に恵まれなかった。マリアは泣きじゃくるロゼを放ってはおけなかった。マリアは暫く考えると、ロゼを近くの椅子に座らせ、その前にしゃがんで優しく話しかけた。

「ロゼちゃん。あなたのパパとママは今旅に出ているみたい。もし良かったら、私の家に遊びに来ない?大きな街だから色んな店もあるし、楽しいと思うわ。」

ロゼは涙をいっぱいに溜めた瞳で、じっとマリアを見つめた。

 マリアは商店の店主に連絡先を渡し、ロゼの両親が戻ってきたら連絡をするように伝えた。商店の店主は分かったよと頷き、馬車で村を出ていく二人を見送った。

 それから数日が経った頃、商店の主人が不審に思って村の警備隊に二人の捜索を頼んだ。その日のうちに警備隊は二人の家の中に入り、荒らされた部屋や人が引きずられたような血痕を確認した。程なくして、アンバーとルージュの遺体が森の中の湖から上がった。何度も刃物のようなもので刺された跡がなんとも痛々しかった。その日のうちに商店の店主からマリアの方にも連絡が入った。

「そんな…。」

マリアは言葉に詰まった。マリアは電話口で、ロゼはうちで引き取ります、とだけ伝えた。広い家の庭ではロゼとマリアの夫であるトムが楽しそうに遊んでいる。

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