割れる琥珀
次の日、アンバーは再びあの壁の前に来ていた。昨日より辺りの霧が濃い。アンバーは小さな鞄を握りしめ、昨日と同じように壁を超えて建物に近づいていく。建物の窓から一人の人物がアンバーを見下ろしている。しかしアンバーはそれに気づかない。アンバーは建物の前で深呼吸すると、扉に手をかけた。
「ごめんください。」
アンバーが呼びかけると、男はすぐに金属の螺旋階段をカンカンと鳴らしながら降りてきた。
「何です?また道に迷ったのですか?ここは立ち入り禁止区域だと昨日お伝えしたはずですが?」
白衣の男はイライラした様子で、相変わらず厳しい目つきでアンバーを刺す。
「すみません。でも、僕はあなたとお話がしたくて。」
アンバーは少し小さくなりながらそう伝えた。
「私は立ち入りを許可していない。私は忙しくてね。君に構っている余裕はないんだ。帰ってくれ。」
白衣の男は人差し指を突きつけて言い放った。アンバーは大きな声で叫んだ。
「お願いします!この研究が僕の全てなんです!この島について、一族について、太陽について、何か知っていることがあるならば教えてください!」
白衣の男の目が一気に真っ黒くなったのが分かった。
「なんだと…?」
白衣の男はポケットからナイフを取り出しアンバーに向けた。アンバーは一気に青ざめ、ゆっくりと後退する。
「お前はあの一族の生き残りか?なぜそんなに嗅ぎ回るんだ!もしや、俺のことも知っているのか?どうなんだ!」
白衣の男は興奮してナイフを振り回しながらアンバーに迫る。流石に身の危険を感じたアンバーは壁に向かって走った。しかし今日は興奮した白衣の男も後を追ってきた。壁の手前、アンバーは右肩を二度、そして首の辺りを切り付けられた。
「…!」
アンバーは痛みに顔を顰める。白衣の男は再び大声を上げながらナイフを振り上げた。今度はすんでのところでかナイフをかわし、白衣の男の腹に一発蹴りを入れて壁をよじ登った。男は蹲っている。アンバーは首を押さえながら霧の中を逃げ惑う。
ルージュは、洗濯物を干し終え、食事の準備をしようとキッチンに立ったときに、ダイニングテーブルの上に一枚の手紙が置いてあることに気がついた。そこには、『もう一度あの建物に行って話を聞いてくる。寄生虫の瓶借ります。終わったらすぐに戻ります。』と書かれていた。ルージュは一瞬、恐ろしい剣幕で捲し立てる白衣の男の顔を思い出し身震いした。そのとき、昼寝をしていたロゼがわんわん泣き始めた。ルージュはベビーベッドで寝ていたロゼを抱っこすると、優しくあやしながら、窓から見える森の入り口を心配そうに見つめた。暫くすると、そわそわと落ち着かない様子で、ルージュはロゼを抱えたまま玄関まで向かいドアを開けた。庭を抜け一歩、一歩と真っ黒に口を開く森へと近づいていく。腕の中のロゼは未だにぎゃあぎゃあと泣いている。ルージュは意を決して森の中へと足を踏み入れた。引き返したい気持ちをグッと堪えて、ロゼをしっかりと抱きしめながらゆっくりと進んで行く。森の中はしんと静まりかえっている。小さな池の横を通り、遊歩道をゆっくりと進んで行くと、血だらけで倒れているアンバーを見つけた。
「アンバー!」
ルージュは悲鳴をあげて駆け寄り、アンバーを抱き寄せた。
「アンバーしっかりして!何があったの?」
アンバーの声は弱々しく、体は冷たくなってきている。
「君の忠告を聞いていれば…。あの男は危険だ。」
アンバーは息絶え絶えに、ルージュの手を取って持っていた鞄を渡しながら続けた。
「君はロゼを連れてこの村から逃げるんだ。この資料だけは絶対に絶やさないでほしい。どうか…。ロゼ、ママの言うことをちゃんと聞くんだよ…。ルージュ、愛している。」
アンバーは最後の力を振り絞りそう伝えると、ゆっくりと息を吐き動かなくなった。
「…アンバー?」
ルージュの呼びかけに反応はなかった。腕の中のロゼは今はきゃあきゃあと楽しそうに笑っている。ルージュは遊歩道の奥に目をやった。霧は白く濃く、異様な湿気を含んでいる。ルージュは目に涙を浮かべながらアンバーを抱き寄せ、開かなくなった瞼に唇を寄せた。
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