禁忌の開拓

 アンバーとルージュは研究のノートや羊皮紙から写しとった地図、寄生虫の瓶などを詰め込んだ鞄を手にし、まだ幼いロゼを連れて家を出た。三人が向かったのは家から歩いて数分の商店であった。

「ごめんください。」

ルージュは店主に声をかける。

「あら!いらっしゃい!」

店主の女は四十代半ばで、顔馴染みであった。軽く挨拶を済ませると、おずおずとアンバーが申し出た。

「あの、すみません。実は一つお願いがありまして。」

女店主は何だいと先を促す。

「僕と妻で今日一日調査の旅に出たいと思っていまして。まだ幼いロゼを調査に連れていけるわけもなく。今日一日この子を預かっていただけませんか?」

アンバーは申し訳なさそうに依頼した。

女店主は

「何だい!そんなことお安い御用さ!」

と豪快に笑ってみせた。二人は女店主に礼を伝えロゼを預けると、商店を後にした。


 時刻は昼過ぎ。庭から続く森の入り口に二人は立っていた。二人は意を決したように森へのゲートを潜る。そこには小さな池や木の切り株、赤い実のなる低木などがあり、池の横から遊歩道が伸びている。二人が奥へと進んでいくに連れて、辺りには背の高い、根が地表に這い出した奇妙な木が並び、大きな湖も見えてきた。

「変わった形の木ね。」

ルージュが湖近くに生えている木を指差して言った。

「あの木は根が特徴的だね。小さい頃はよくあの根の中に入って一人で遊んだものだよ。」

アンバーは懐かしそうに語った。辺りの霧はだんだんと濃くなっていく。どれくらい歩いただろうか。行き止まりにあたった。

「ん?何だこれは?」

アンバーその壁に触れながら呟いた。

「もしかしてここが禁忌の森の入り口じゃないかしら?」

ルージュは不自然な壁を前にして、やや小さな声で伝えた。

「禁忌の森はもっと奥の方だと聞いていたんだが…。」

とアンバーは不審がっている。二人は壁に沿って周りを歩いてみた。しかしその壁はどこまでも伸びており、その両端は崖になっていた。遊歩道のところまで戻ってきた二人は、足元に比較的新しい修復の跡を見つけた。

「誰か管理しているのかしら。」

ルージュは辺りを見渡す。霧が濃く見通しが悪い。

「よし、僕が君を持ち上げるから、壁の向こうがどうなっているのか見てくれないか?」

アンバーがそう言うとルージュを肩車した。その時、ルージュはあっと声を上げた。

「アンバー…何かあるわ。霧でよく見えないのだけれど、建物かしら。灯りみたいなものが見える。」

ルージュの声は少し震えている。

「何だって?建物?」

アンバーは目を丸くする。二人は壁の外でしばらく考えた。

「向こうに行くのは危険じゃないかしら。嫌な感じがする。」

ルージュは引き返そうと提案した。しかしアンバーは首を横に振った。

「灯が見えると言うことは人がいるってことだろう。その人に話を聞いてみよう。」

アンバーは足元の修復に使われていた金属のボルトを踏み台にして、壁に手をかけると、ひょいと向こう側に着地した。ルージュは驚き、少しの間どうするべきか迷った。

「君はここで待っていてくれ。僕が中を見てくる。」

壁の向こうからアンバーが話しかける。

「待って!やっぱり私もいく。」

ルージュはアンバーがしたようにボルトに足をかけ、思い切って壁の上に向かって手を伸ばし、何とかよじ登った。そして、向こう側で腕を広げて待っているアンバーに向かってジャンプした。二人は辺りを警戒しながら少しずつ建物に近づいていく。辺りは木も草も綺麗に手入れされている。徐々に建物の全貌が見えて来た。薄暗い中に佇む不気味な建物を前に二人は足を止めた。

「なんだ、これは。」

アンバーは唸った。少しの沈黙の後、二人は意を決してゆっくりとその重厚な扉に手をかけた。ぎいっと音を立てて扉は開いた。中にはいくつかのランプが灯っている。二人は顔を見合わせて、頷いた。

「ごめんください!どなたかいませんか?」

アンバーの声が辺りに嫌に響いた。しんと静まりかえっている。しかし、暫くすると奥の螺旋階段を降りてくる足音が聞こえた。二人に緊張が走る。

「どなたです?」

降りてきたのは白衣を見に纏った男だった。白衣の男は二人を睨みつけている。

「すみません。霧が濃くて道に迷ってしまって。」

アンバーは咄嗟に嘘をついた。すると、白衣の男はため息をつきながら

「お引き取りください。ここは立入禁止区域です。」

とぶっきらぼうに言い放ち、再び螺旋階段を登っていってしまった。

「待って!ここは立ち入り禁止区域だけどあなたはここにいる。あなたは何者なんですか?」

アンバーは勇気を振り絞って投げかけた。

「ここはね、代々私の一族が持つ私有地だ!私以外の人間は決して入れたくないんだよ。帰ってくれ。」

白衣の男はうんざりしたように吐き捨てた。それでもアンバーは食い下がる。

「僕はこの村の考古学者です。昔この村を統治していた一族に関しての研究をしているんです。ここには寄生虫の住む大木があると聞きました。ここがあなたの私有地なら何か知っているはず…」

そのとき白衣の男の顔が更に険しくなり、階段をゆっくり降りてこようとした。

「何だと…?」

ルージュはこれ以上は危険だと思い、

「お、お忙しいところ突然押しかけてしまい申し訳ありませんでした。私たち、帰ります!」

と早口で言うと、アンバーの腕を引っ掴んで壁まで猛ダッシュした。背後では男が何かを叫んでいる。アンバーはルージュを肩車して壁を登らせ、自身は大きくジャンプして壁の上を掴み、よじ登った。二人は急いで遊歩道を走って引き返した。霧で視界が悪く、途中何度となく転びそうになった。暫く走ったところで二人は足を止め、霧の中にある元来た道を振り返った。男はいない。心臓はばくばくと音を立てている。二人は不安そうに顔を見合わせると足早に森の出口に向かって行った。森を抜け自宅についたのは夕方ごろであった。二人は少し落ち着かない様子で商店にロゼを迎えに行った。


 その日ロゼが眠りについた後、二人はダイニングで向かい合って、今日見た物のことや今後の研究について話をした。

「あの男、絶対に何か知っている感じだった。僕が研究の話を出したときに顔色が変わった。」

アンバーは独り言のように呟いた。

「アンバー。あなたの研究を応援したい気持ちは嘘じゃない。だけど、あの森何か変よ。今の地図に載らないのにも何か理由があるんじゃないかしら。深追いするのは危険だと思うわ。」

ルージュは時折窓の外を気にしながらアンバーを諭した。しかしアンバーはうんと返事しながらも、諦めきれない様子であった。


 霧の深い森の奥に佇む研究施設でその男はあれこれと忙しなく動いていた。

「うむ、今日も問題なく動いたな。」

男は安心したように呟いた。しかし、今日研究所にやってきた怪しげな二人組のことを思い出し、彼の眉間の皺は深くなった。

「何者なんだ。もう私は最後の一人だというのに。ここまで追い詰めてくるとは。」

男は研究所の窓から森の境目にある壁を見下ろし呟いた。そして、一階へと続く螺旋階段をカンカンと鳴らしながら降りると、外に出て建物の裏に回った。


 


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