落日
霧で島全体が覆われてから一週間が経った頃、レイヌは夜の闇に紛れて、切り立った崖のある森へと向かっていた。レイヌは太陽の一族の下働きとして屋敷に住んでいたが、島民からの排斥が始まった頃に、数名の下働きとともに解雇され、逃がされたのであった。レイヌは辺りをきょろきょろと見まわし、誰もいないことを確認すると、森の中へと静かに入っていった。辺りは鬱蒼と生い茂る木々に囲まれ、霧が立ち込めている。
「誰?」
突然茂みの中から女の鋭い声が聞こえた。
「私です。」
レイヌが落ち着いた声で囁くと、女は茂みからひょっこりと顔を出した。
「レイヌ…!」
リリーはナイフを握りしめながら茂みから抜け出ると、レイヌの手を握った。
「どうしてここに?」
リリーは泣きそうな顔でレイヌの瞳を見つめて呟いた。騒ぎを聞きつけ、他の一族の者たちも武器を片手に茂みから出てきた。レイヌは皆の顔を一人一人見まわし、
「やっぱり、皆さんを見捨てて一人逃げるなんてできません。私もここにおります。」
と懇願し、跪いた。長はゆっくりと人々の間を縫って前へ出ると、跪くレイヌの前に自身もしゃがみ込み、レイヌの手を取った。
「栄えるものはいつかは必ず衰えゆくのだよ。」
長はレイヌの瞳をじっと見つめながらそう優しく諭すと、一枚の大きな羊皮紙と何かの図案の書かれた紙が丸められたものをレイヌに持たせた。
「これは?」
レイヌが問いかける。
「それは我が一族が最後に向かう場所だ。再び太陽が現れる時、我々の一族は目覚める。我々は必ずこの地に還ってくる。あの『陽虫』のようにな。」
そういうと、長は、レイヌを伴って茂みの中を歩き出した。霧の中、しばらく長の背中を見ながら歩き続けると、少し開けた場所に出た。そして、近くにあった背の低い若木を指差した。
「島民が血眼になってこの木を探していた。恐らく他の木は切り倒されてしまっただろうが、この若木だけはそれを逃れたようだ。陽虫はこの木に繁殖する特殊な虫で、太陽の光に当たるとその色を変える。我々は代々この虫を使って刺青を入れていたんだよ。」
長は若木を労るように、優しい視線を投げかけた。レイヌはその横に跪き、
「ですが、ドナが霧で太陽を隠してしまいました。木は育たない。」
レイヌは悲しそうに呟いた。いや、と長は微笑みながら首を振った。
「陽虫は、繁殖している木が朽ち果てると、他の木を目指して大移動をするんだ。その時に、元いた木のエネルギーを次の木に運ぶんだよ。この木は一番大きく育つはずだ。」
長がそう言うと、後ろについて来ていたリリーや他の人々も若木を見つめ、力強く頷いた。レイヌは羊皮紙を握りしめ、
「必ずこの私があなた方を再び太陽の元に還してみせます。」
と涙を流しながら伝えると、長はレイヌの背中をポンと叩き、さあ、お行きと一言呟いた。レイヌは振り返ることなく一人夜の闇に紛れていった。
翌朝、ドナは家の窓から一族が身を隠す森に視線を投げた。霧が立ち込めはっきりとは見えない。しかし、彼らはちょこちょこと森から出ては食料や水を調達しに出ており、島民に見つかると何度も追い立てられ、その姿を見ていい気味だと鼻で笑っていたのだ。しかし、その日は朝、昼、夕と何度確認しても彼らの姿はない。遂にやったか?とドナは一族の最後の無様な姿を見てやろうと森に向かった。
「誰かいる?」
ドナは大きな声で呼びかけるがもちろん返事などない。ドナは松明を握りしめ一歩一歩と進んで行く。少し開けた場所に出た。そこには焚き火をしたであろう跡が残されていたが、辺りを見回しても肝心の彼らの姿はない。ドナは島民を集めて彼らの捜索を指示した。森の中を手分けして何度となく探したが、彼らは一向に見つからなかった。一人の男は切り立った崖の下を覗き込み、
「海に身投げしたんじゃないか?」
などと漏らした。
「あの一族が身投げなどするだろうか。」
ドナは不審に思い、森、山、海底まで捜索を指示したが、一週間探しても彼らの痕跡や遺体が見つかることはなかった。
レイヌは島の外れの一軒家に身を隠していた。レイヌは一族の長から託された羊皮紙を机の上に開いた。羊皮紙の上部には『我ら太陽の一族』、下部には『太陽の元に再び還るだろう』という二行のインクの文字。その間は広く空白となっていた。そして、その羊皮紙と一緒に丸められていた一枚の紙に目をやる。そこには、燦々と燃える太陽、特徴的な木の根元から、陽虫が大木に向かって飛ぶ様子、それを崇める人々が描かれていた。レイヌは拳を握りしめて涙を流した。
太陽の一族は、若木からすでに透明になってしまった陽虫を掬い上げ羊皮紙に墓の場所を示し、一枚の図と共にレイヌに残した。そして根の大きく這い出した木の根の奥を掘り、一族はそこに眠った。ドナは、その後、その森一体を『禁忌の森』と名づけ、人々の出入りを一切禁じ、厳重に管理することにした。レイヌは、託された羊皮紙の地図と一枚の図案を大切に保管し、太陽の一族に関する本を秘密裏に執筆し始めた。後にこの家系の一族は考古学者を名乗り、太陽の一族の伝承者となるのだった。
時が経ち、ドナの一族は「守護者『霧の一族』」と呼ばれるようになっていた。しかし、太陽が隠れたことにより島外からは呪われた島と噂されるようになったため、移住者もはたと途絶えてしまった。島民は、島の中央に聳える鉱山から取れる資源をを主な収入源として、島を発展させていったのだった。
霧の一族は島に大きな屋敷を建て、そこで暮らしていた。しかし、代を追うごとに呪術師の血は薄くなっていき、とうとう霧の一族は呪術を使えなくなってしまった。しかし、このまま霧を維持できなければ、守護者としての地位は奪われ、インチキだと島民から非難を浴びるだろう。そこで、彼らは人工的に霧を発生させるべく研究を開始したのだった。彼らには非常に高度な知識と、技術があった。彼らは人が近づくことがない禁忌の森のほど近くにその研究施設を建て、人目を避けて研究に没頭した。彼らは最後の呪術師が亡くなるまでの間に霧を発生させる大掛かりな装置を完成させ、なんとか守護者としての地位を守ったのだった。
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