呪術と没落

 ドナは家の窓から荒れる空と海の境目を睨んでいた。相変わらず風が轟々と音を立てて吹き荒れ、大きな雨粒が窓を叩いている。

「お茶入れたよ。体を冷やすと良くない。」

ドナの夫は温かなお茶の入ったコップをドナに手渡した。ドナの夫は、冤罪で投獄され、流産まで経験し、精神的に厳しい状態の彼女の体調を気遣い、あれこれと甲斐甲斐しく世話をしていた。ドナはふっと表情を緩め、礼を言うとお茶を一口啜った。彼女の好きなハーブのお茶であった。ドナはマグカップを机に置くと、

「ちょっと外の空気を吸ってくるわ。」

と告げ、玄関に向かおうとした。

「待って。こんな天気で外に出るのは危険だ。」

夫はドナに投げかけた。しかしドナは制止も聞かずに、嵐の中に出ていってしまった。

 ドナは木も薙ぎ倒すほどの嵐の中、ずんずんと進んでいく。雨は一層強くなり、雷が稲光を引きながら落ちていく。ドナは真っ黒な気持ちを抱えてある場所へと急いだ。

「ごめんください!」

ドナは門にかけられていた大きなベルをガラガラと鳴らしながら叫んだ。

風がびゅうびゅうと音を立てて吹き、ばらばらという雨音がドナの声を掻き消す。

「リリー!いる?」

ドナはさらに大きな声で叫び、ベルを力一杯鳴らした。

すると、屋敷の入り口の方に灯が灯り、ドアが開いた。

「ドナ!」

屋敷の入り口からは厚いレインコートをしっかりと被ったリリーが、焦った様子で走ってきた。

「こんな天気の中来たの?びしょ濡れじゃない。さあ入って!」

リリーは雨音にかき消されないように声を張り上げる。

「こんな天気だったから、あなたの様子を見にきたのよ。」

ドナは水を滴らせながら、リリーに腕を引かれ屋敷の中へと入った。

「ちょっと!誰かタオルを持ってきてちょうだい!」

リリーが広い玄関から声を上げると、パタパタと音を立てながら一人の男がタオルを数枚抱えて走ってきた。それは屋敷で下働きをしているレイヌであった。

レイヌはドナにタオルを渡しながら

「ドナ。」

と呟いた。ドナは礼を言い、タオルを受け取るとレイヌの瞳をちらっと垣間見た。そこからは心配、悲しさ、やるせなさが垣間見えた。

 彼はドナが投獄されるという時、自分の耳を疑った。そしてレイヌは気づいたら体が勝手に動いていた。

「長、無礼は承知ですが、私に意見を述べさせてください。」

レイヌは長の前に走り出て跪いた。長は話の先を促した。

「ドナは確かに北の国で反乱を起こしたリーダーでもあります。しかし、彼女は無差別に、何の正義もなく人を殺すような人ではありません。証拠も上がっていないのにそこまでする必要があるでしょうか。」

レイヌは頭を下げながらも、毅然とした声色で申し出た。長は少しの間考えた。そして数名の男たちに目配せした。一人の男がレイヌの近くに跪き、彼を立たせた。長はゆっくりと諭すように

「確かに証拠は不十分。だが、この島で人を殺せるような者は今までいなかった。それに、彼女は呪術も使えるらしいではないか。島民から疑わしいと名前が上がった以上、そのままにしておくわけにもいかない。」

レイヌは、この人は北の国王とは違うのだ、と自分に言い聞かせた。先の反乱で命を落とした国王は、横暴ではあったが、そういった犯罪に対する捜査は、徹底的に証拠を集めさせてから慎重に行なっていた。この国では島民がいかに生きやすいかを重視している。違う国なのだ、とそれ以上の意見を飲み込んだ。結局レイヌの意見は聞き入れてはもらえなかった。

 ドナは礼を言い、タオルを受け取ると軽く顔や髪の水を拭き取りながら、辺りを見回した。すると、廊下の奥の方から数名が話合う声が聞こえた。ドナがそちらに視線を投げると、

「今、長や皆んなが今後について話をしているのよ。」

と、ため息混じりに伝え、リリーは玄関の窓から暗い空を見つめた。

すると、ドナは二人の間をさっと横切り、小走りでその部屋までまっすぐに進んで行った。

「ちょっと?ドナ?」

リリーは焦って声をかけた。レイヌははっとし、その後を追いかける。

「私がこの天候をなんとかしてみせましょう!」

ドナは広間の扉をスパンと開け放つと、凛とした声で言い放った。話をしていた人々はしんと静まり、視線が一様にドナに集まる。

「何をしている!勝手に入ってくるんじゃない!」

扉の近くにいた男が立ち上がり大きな声をあげた。レイヌは我に帰り、すみませんと謝りながらドナの手を引いてその場から離れようとした。しかし、ドナは構わずに続けた。

「この天候は何かの呪いの類でしょう。非常に強力で悪意を感じます。」

「呪いだと?」

のその男が食い気味に声を上げると、ドナに一歩近付いた。ドナがええと頷くと、男はちらっと長の方を見やった。長はじっとドナの瞳を見ている。ドナは続けた。

「ですが、私の家に代々伝わるさらに強力な呪術で、この状況を打開できるかもしれません。あなた方も私が呪術師であることはよくご存知でしょう。」

と、ドナはやや暗い声色で語りかけ、長たちの瞳をじっと見つめた。その瞳は不安、期待、居心地の悪さ、気まずさを表していた。長たちは、無実の罪でドナを投獄し、お腹の子供を殺してしまったことを非常に悔やんでいたのだ。外は相変わらず大荒れで、雷がゴロゴロと鳴っている。

「それは本当か?」

人々が居心地が悪そうに沈黙している中、長が口を開いた。ドナは

「ええ、呪術といっても、この天候のように悪意のあるものから、人を助け得る呪術まで様々です。私はこの状況から皆を助けたい。」

と一人一人の目を見ながら訴えた。相変わらず人々からは疑り深い視線が投げかけられる。

「呪術なんてインチキだろう」

「そんなことできるのか?」

「彼女は怪しい」

人々の瞳からそんな声が聞こえてきた。しかし、ドナの背後に立つレイヌからは、期待や希望という明るいものを感じ取った。ドナは人々の視線を振り払うように一度天を仰いだ。長はじっとドナを見つめた。

「では手始めに、雷を止めてみせましょう。」

ドナは淡々とそう言うと一人窓辺に向かい、窓を開け放った。突風と雨が部屋の中に入り込み、雷が一層大きく響いた。ドナは両手を突き出し何やら意味の分からない呪文を唱え始めた。長たちは黙って、心配そうに見守っている。しばらく呪文を唱える低い声だけが部屋に響いた。すると、先ほどまでごろごろと稲光を落としていた雷雲が静かになった。一人の男はドナに近づき、開け放たれた窓から空を見上げた。

「雷が止んだぞ…。」

その男は呟いた。広間の入り口付近で様子を見ていたリリーやレイヌも唖然としている。人々の視線が一同にドナに注がれた。

「私にやらせてもらえませんか?」

ドナは長を見据えてそう伝えると、柔らかく微笑んだ。

 

 ドナは長達を連れ立って小高い丘の上にやってきた。空には依然として雨を降らせ続ける雲がどんよりと漂い、突風が吹き付ける。長達は静かにドナの様子を伺っている。近隣の数件の家に住む住民は何事かと不安そうにその様子を見ていた。ドナが一人波の砕ける崖の方に近づき、空に向かって両手を広げる。辺りにはドナの呪文の声が響く。ほどなくして、バラバラと音を立てて降っていた雨の粒が小さくなっていった。長や一緒にいた男達からどよめきが聞こえる。ドナはさらに呪文を唱え続ける。すると、びゅうびゅうと音を立てていた風が止み、みるみるうちに小雨も止んだ。どんよりと立ち込めていた雲もはけていく。

「おお…!」

その時、一本の光の道筋がドナに向かって降り注いだ。近くの家から様子を伺っていた人々から歓声が上がった。ずっと隠れていた太陽がようやく姿を現したのだ。

「彼女が…!ドナがこの国を救ったぞ!」

ドナはさらに呪文を唱え続け、ついには雲一つない青空へと変えてしまった。人々から彼女を称える大きな歓声が上がる。長は空を見上げ驚きを隠せない様子であった。リリーやレイヌは空を見上げて笑みをこぼし、ドナの方に駆け寄った。彼女はほっと安心した様子を見せ、

「良かった。」

と呟いた。しかし、内心はちょろいもんだとほくそ笑んでいた。


 その一件があってから、ドナの噂は島中に瞬く間に広がり、彼女は島の中での呪術師としての地位を確立した。何か島で不都合があるたびに、島民はドナの元を訪れアドバイスを求めた。そして、その問題はドナの手によって次々に解決されるのであった。島内では徐々に太陽の一族に対する不満を口に出すものが多くなっていった。

「あいつらは天候が荒れていた時に何もしてくれなかった。」

「もうお飾りじゃないか。」

「あいつらドナに無罪の罪を着せて、ドナを殺そうとしたらしいぞ。許せない。」

人々は口々にそう漏らすのであった。さらには、大嵐が起こっていた時に太陽の一族が代々守り続けてきた大船で、自分たちだけこの島から逃げるつもりだったというあらぬ噂まで流れる始末であった。

 徐々に島民は太陽の一族から離れていくようになり、ドナを教祖のように崇めるのであった。そしてついには、ドナが望んだように、お飾りで上に立つ太陽の一族を排斥しようという動きが出てきた。ドナは自分を苦しめた太陽の一族を追い出し、その地位を手に入れようと初めから企てていたのだ。島民はもはやドナの手中にある駒のようであった。島民は太陽の一族から受けたかつての恩恵を忘れ、ドナを上に押し上げるために一族に圧力をかけるようになっていった。そして、ついに太陽の一族は屋敷を追われ、島民から逃げ隠れる生活を強いられることとなった。


 一族の排斥運動が活発化する中、リリーをはじめとする一族の者達は森に身を隠していた。そこには切り立った崖と、鬱蒼と生い茂る木々が広がっていた。

「どうしてこんなことに。」

リリーは力なく呟いた。リリーはドナを友人だと思っていた。しかし、殺人犯だと疑いをかけられた時に、それを否定できなかった自分を非常に責めていた。リリーの母はそんなリリーの肩を抱き慰めた。

「あの時彼女に謝りたかった。でも忙しいからって、会ってはくれなかったわ。もうこれが最後だったのに…。」

リリーは悔しそうに啜り泣いた。そんなリリーに長は近づき、

「リリー、ドナの件については一族の過ちだ。本当に申し訳ないと思っている。」

とこぼした。そして、

「ドナの力は神の領域にも達するもの。いい方に使えば人々を救えるが、我が儘に振る舞えば国が破滅する。」

と、この島の行末を案じたが、島民の心が離れてしまった今、自分たちの力だけではどうにもならないことは分かりきっていた。

「代々守り続けてきた先祖の船も島民に壊されてしまったわ。もう私たちは終わりよ。」

リリーは膝を抱えて泣いた。

 小高い丘にある一軒の家の窓から、ドナはその様子を見ていた。ドナはさらに追い打ちをかけようと思案を巡らせた。ドナは島民が多く集まる広場にやってきた。島民は、何が始まるのか、と期待を孕んだ熱い視線をドナに投げかける。ドナは空に向かって両手を広げると不敵な笑みを浮かべながら、呪文を唱えた。すると、どこからともなく濃い霧が発生し始め、ドナの頭上を覆った。それを見ていた島民からは歓声が上がる。

「ドナの力は本物だ!」

ドナの動向を見守っていた島民の一人が声を上げた。辺りにいた人々も口々に賞賛する。しかし、ドナの作り出す霧はどんどんと濃く、辺りに広がっていく。島民からの歓声はどんどんと小さくなっていき、狼狽えた。ドナは島全体を濃い霧で覆い尽くしてしまったのだ。

「これはなんだ?」

島民は口々に不安を漏らす。ドナは広場の中央で両手を広げ、島民に向かって投げたけた。

「皆さん、大丈夫です。この霧は多くの災厄から皆さんを守ってくれる守護のベールです。これがある限り、私たちは守られています。これで、あの一族を象徴する忌まわしい太陽も隠れます。今こそあの一族と決別を!」

ドナが叫ぶと、静まっていた観衆から再び大きな歓声が上がり、ドナは人を支配するという心地よさでその身体を震わせるのだった。翌日、さらにドナは島民を集めてある指示を出した。島民達は斧を持って島の各地を回る。そして、空に向かってまっすぐに伸びるある木を切り倒して回った。それは、太陽の一族が刺青を入れるときに使う染料が取れるという木であった。島中に生えていた木は丸二日かけて綺麗に切り倒されてしまった。

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