蜥蜴と浪漫

 ワルダ村の奥地、庭付きの薄暗い家がアンバーの家らしかった。ルージュは新聞屋からもらったメモと家を見比べ、入り口から呼びかけた。

「ごめんください。」

しばらくした後、家のドアが少しだけ開き男が外の様子を伺った。

「あ、突然すみません。アンバーさん…でしょうか?」

ルージュがそう言うと、ドアがゆっくりと開き、中から長身の蜥蜴のような男がぬっと出てきた。

「はい。そうですが…。」

アンバーは少し警戒している様子だった。

「えっと、私この村で生物学者をしていますルージュと申します。アンバーさんの研究についてちょっとお伺いしたいことがありまして。」

ルージュがおずおずと申し出ると、

「研究に興味がおありで?おお、そうでしたか!どうぞ中にお入りください。」

と、アンバーは嬉しそうに目を細めながらルージュを家の中へと招き入れた。

 ルージュはアンバー宅の書斎に通され椅子に座ると、お互い手短に挨拶などを済ませ、本題を切り出した。

「アンバーさんはこの島の歴史にお詳しいと聞きまして。少し教えていただきたいのですが。」

ルージュがそう伝えるとアンバーはええと頷いた。

「この島の気候はいつからこうなのですか?」

ルージュがアンバーに尋ねると少し考えた後、それなら、と階段を駆け上り、しばらくして一冊の分厚い本を持って降りてきた。その本の表紙には屈強な刺青の男たちとそれを慕うように取り囲む人々が描かれている。

「この島は遥か昔、ある一族が統治していたのですが、ある日を境に一気に衰退し始め、ついには全滅してしまったのです。」

アンバーは本をパラパラとめくり、あるページを指差した。

「この年表を見てください。ここからここまではその一族の統治時代です。そして、ここを境に衰退。このあたりの地域では作物が取れなくなり飢饉や暴動が起こりました。」

アンバーはここまで説明し、ルージュの様子をちらっと伺った。ルージュは真剣に年表を見ている。

「この時何が起こったかと言うと、この島全体を覆う霧の発生です。突然、前が見えなくなるような濃い霧が発生したのです。そのせいでこの島の人々は太陽という存在すら知らない人もいますし、いつの頃からかこの霧が災厄から守ってくれているという言い伝えが広がり、皆それを信じ切っています。」

と、アンバーは資料をなぞりながら語った。その時、ルージュはアンバーの持つ資料の中に、一枚の奇妙な象形文字の書かれた古い紙を見つけた。

「これは何ですか?」

ルージュの質問に、

「それはかつてこの島を統治していた一族の貴重な資料です。彼らの資料は殆ど残されていないので。」

と、アンバーは答え、その資料をルージュに差し出した。そこには大きな丸と極々小さい多数のダイヤのような図、大木、数人の人々が描かれている。

「これは何を示しているんですか?」

ルージュはその紙をまじまじと見ながら質問する。

「これは一族の最後の生き残りが身を隠したとされる場所のヒントです。そこには一族の遺骨や遺品などが残されているらしいですよ。資料が少なすぎて解読は出来ていませんが。月、星、大木、島民などから夜の儀式の図ではないかと思っています。この一族は占星術にも長けていたそうですので、そういった儀式をしていた場所にヒントがあるのかもしれないです。」

そしてアンバーは一枚の大きめの羊皮紙をルージュに見せた。

「この資料と一緒に丸められていたんです。恐らくこの羊皮紙も何かのヒントだと思います。この羊皮紙の上部と下部に文字列があるのですが、その間が不自然に抜けているんです。きっとこの二枚の資料がこの一族の全容を解明する手助けになると信じています!」

そこまで話して、アンバーは少し気恥ずかしそうに俯いた。ルージュは目の前に広げられた二つの資料を黙って見つめている。

「すみません。ついつい熱く語りすぎてしまいました。」

と、アンバーは資料を丸めながらごにょごにょと漏らした。ルージュは未だ何かを考えている。

「それで、他に聞きたいことは?」

アンバーに尋ねられ、ルージュはことの経緯を話し始めた。

「今日の新聞に出ていた記事の中に、ある商人が謎の感染症に罹患したという記事が出ていたのをご存知ですか?」

ルージュは持参したしわしわの新聞記事を示した。

「ああ、この記事は僕も読みましたよ。手が黒く変色するという病ですよね。私も聞いたことがなかったので、とても興味深く思っていました。」

アンバーは記事に視線を落としながら頷いた。ルージュは記事の挿絵を指差して続けた。

「この挿絵を見ていただきたいのですが。この男が触れている大木は、私が研究している生物が繁殖するという木にそっくりなんです。そこで私は、この記事がワルダ村に来た商人の話なのではないかと考えました。」

アンバーはえっと声を上げた。

「その生物が繁殖する木はこの島にしか自生しません。そして、この木が存在する場所は村の奥地。立ち入り禁止となっている『禁忌の森』です。」

ルージュが説明すると、アンバーは

「あの忌み地の『禁忌の森』に!?あの森は誰も立ち入れないようになっているし、濃い霧の中あの森に辿り着くこと自体至難の業だ。」

と反論した。ルージュはその言葉を制した。

「ですが、この島の住人でなければ忌み地であるなんて知らないでしょうし、この挿絵の木や男の行動、そして謎の病。どうしても気になってしまって。」

ルージュは続けた。

「私の研究している生物というのは小さな『寄生虫』です。しかしその寄生能力は凄まじく、一度寄生するとその肉が腐り果てるまで寄生し続けます。仮に、この商人が禁忌の森に侵入し、あの大木に触れていたとしたら。彼の手には寄生虫がいる可能性が非常に高くなります。」

アンバーは頷きながらルージュの瞳の奥を探っている。

「私は今まで、色々な条件下でこの奇妙な寄生虫を観察してきました。厳密に言うと、寄生虫であろうもの、ですが。」

ルージュは言葉を一度切った。

「であろうもの、と言いますと?」

アンバーは投げかけた。

「はい。実はその寄生虫は今は目には見えないのです。」

アンバーはポカンとしている。

「私の一族は代々生物学者をしており、私の家の研究施設には、この島の多くの生き物の生態データやサンプルがあります。その中に奇妙なサンプルがありまして。」

ルージュはカバンから一つの小さな瓶を取り出し、アンバーの目の前に置いた。

「これは…、木の皮ですか?」

アンバーは瓶を手に取り興味深そうに観察している。

「はい。木の皮を細かく砕いたものです。ですがその中には数千、数万という寄生虫が入っていると言われています。」

ルージュがそう告げると、アンバーはそっと瓶を机の上に戻した。

「このサンプルは私の古くの先祖が作成したものだと聞いています。一見木の皮しか見えません。しかし、ラベルには確かに『寄生虫生体』と書かれてずっと保存されているのです。遥か昔に取られたとされるこの虫の記録があるのですが、ある日を境にその記録や記載が途絶えています。」

「死んでしまったのではないですか?それか逃してしまったとか。」

アンバーは尋ねた。

「いえ、その記録によると、目に見えていた時からたびたび見えなくなってしまっていたのだとか。いわゆる擬態や変態のようなことだと思います。しかし、時間が経つとまた目に見えるような形に戻ると記載があるのです。」

ルージュはそこまで説明を終えると、瓶を手に取った。

「そこで、私は例の証人の件に関して一つの仮説を立てました。それは、『寄生虫が島外の何らかの刺激によって活性化し、肉眼で見える形に変態した』のではないかというものです。」

アンバーはなるほど、と呟きながら

「確かに…無い話ではなさそうだ。ですがそれを立証する方法は何かあるのですか?」

と尋ねた。

「ええ、そこなんです。その商人を捕まえて直接話を聞くことは難しいと思います。ですので、私がこの虫の生体サンプルを持って島外に出るのです。」

ルージュは目を輝かせながら自信満々に答えた。

「え!?島から出る!?待ってください。それは不可能です。一体どうやって…

。」

アンバーは狼狽えた。

「何でもやってやれないことはないです!それに、この島の歴史を聞いてピンときたんです。」

ルージュは目を輝かせながら訴えた。そして、アンバーが丸めた二つの資料を指差しながら言い放った。

「それ、私には夜空には見えない気がします。」

「えっ?」

アンバーは短く声を上げた。

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