知恵と船

「まさか!こんな仮説は思いつかなかった!本当にルージュ先生のおかげです!」

アンバーは、知り合いのコートという男の家に向かう道中、何度となく声を上げた。

「いえ、アンバーさんね、これはあくまでまだ仮説段階ですし、そうと決まったわけでは…。」

ルージュは興奮気味のアンバーを落ち着かせるのに必死だ。

「これは大きな発見に繋がるかもしれない!」

アンバーは意気揚々と山道を進んでいく。ルージュはその背中を困ったように見つめ、追いかけた。

 コートは庭先で薪を割っていたが、自分の名を呼ぶ声が聞こえ顔を上げると、遠くに見える人影に向かって手を振った。

「やあ、アンバー。久しぶりだなあ。」

「お久しぶりです、コートさん。お元気でしたか?」

二人は握手を交わし、久しぶりの再会を喜んでいる。コートと言われるその男は、アンバーの顔馴染みらしく、親しげに話すアンバーの後ろから小さくルージュが会釈をする。

「おお?おお!何だお前、やるじゃねえか!一丁前に別嬪さん捕まえやがって!」

とコートはアンバーの肩をバシバシと叩き笑った。

「いや、違うんです!彼女はルージュ先生。生物学者です。今共同で研究をしていて…。」

アンバーがしどろもどろになりながら紹介する。

「ああ、君がルージュか。噂通りの美人さんだねえ。俺はコート。よろしく。」

コートはルージュと握手を交わすと、二人を家の中に招き入れた。コートの家はワルダ村から数キロ離れた山の中にあり、緑に囲まれたロッジで一匹の猟犬と共に暮らしていた。部屋の中には手作りのテーブルやスツール、薪のストーブが置かれていた。三人はテーブルに着くと、早速アンバーがことの経緯を話し始めた。

「コートさんもご存知の通り、僕はこの島の歴史とある一族の研究を、彼女は生物の研究をしています。この度ルージュ先生が研究をしている最中に非常に画期的な仮説を立てられました。それを立証すべく、コートさんに少しお手伝いをお願いしたくて。」

アンバーの説明を聞いたコートは、

「まあ、研究のことはよく分からねえが、俺にできることだったら手を貸そう。何をすればいいんだ?」

と協力することを承諾した。アンバーとルージュは目配せし、頷くと

「実は…島の外、つまり霧の外に出たいのです。」

ルージュがおずおずと口を開いた。その言葉にコートが

「はあ?霧の外に出たいだ?あのな、お前たちも霧の外に出たら呪いをもらうって知ってるだろ。俺は確かに昔漁船に乗っていたがな、霧の境界線を越えたことは一度もない。」

と首を振って拒否した。

「ですが、今回の発見は僕たちの研究を大きく進めるきっかけになるかもしれないんです。お願いできないでしょうか?」

すかさずアンバーが食い下がった。

「私からも、お願いします。お願いできる人はコートさんしかおりません!」

ルージュも頭を下げた。

「そんなこと言ったてなあ…。」

コートは腕を組みながらしばらく考えた。二人は何度となく頭を下げて、お願いしますと懇願する。そんな二人の様子に困ったようにため息をつきながらコートが口を開いた。

「全く学者ってのは突拍子もないこと思いつくんだな。よし、船は出してやる。ただし、条件がある。俺は霧の外には出ねえ。船に小さなボート積んで、霧の境界線から先にはお前ら二人で行きな。それでいいな?」

その言葉にアンバー、ルージュは目を輝かせ、

「ありがとうございます!」

と手を取り合って喜んだ。その様子にコートはやれやれと肩をすくめ笑い、コートの飼っている猟犬はくうんと鳴いた。

 二人がコートの家を出発し、山道を下っている間、アンバーは再びルージュのたてた仮説の秀逸さを褒めるのだった。ルージュは困ったようにアンバーを見つめたが、その少年のような表情を見て、ふふっと笑うだけだった。二人はそこからお互いの研究の話や、家系の話などをして村を目指した。途中、ルージュはアンバーに投げかけた。

「コートさんとはそういったご関係なのですか?」

とても親しげに話す二人を見て、ルージュは気になっていたのだ。アンバーは、ああ、と呟くと、

「コートさんは、僕が小さい頃によく面倒を見てくれていたんです。」

アンバーは懐かしむように続けた。

「僕の両親は二人とも考古学者でした。よく調査の旅に出ていたようで、私は両親の知り合いだったコートさんの家に預けられていました。」

「そうだったんですね。」

ルージュは頷きながら先を促した。

「コートさんは昔漁師をしていたので、よく船にも乗せてもらっていたんですよ。船の上で魚を釣って、それをコートさんが調理してくれて。とても懐かしいです。」

アンバーが記憶を辿りながら紡ぐ言葉ひとつひとつを、ルージュは琥珀のように艶やかだと思った。

 

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