狐と狼
ブルーノはいつものように、新聞の入った籠を地面に置きその横に座った。彼はこの早朝の静かな時間がとても好きだった。ブルーノは旅人や商人から聞いた面白そうな話を思い返しては、頭の中で自分を主人公にした冒険譚を作るのであった。しばらくすると顔馴染みの村人が新聞を買いに来た。ブルーノがここで新聞を売り始めてから数年が経ったが、売れ行きは好調だった。娯楽の少ない小さな村では、ブルーノの書く新聞は自分たちの知らない世界を覗き見れる窓のような存在であった。ブルーノが今日の分の新聞を売り捌き帰ろうとした時、目の前の立ち入り禁止の空き地の前で不審な男女二人が何やら話し込んでいるのを見た。格好からして余所者のようだ。ブルーノはズボンについた土埃を払うと、籠をかかえ歩き出す。その時青いショールを被った女の方がこちらをちらっと垣間見た。するとその人物は嬉しそうに手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。
「あなた!あの時の新聞屋さんね!」
ブルーノは警戒した。
「あなたのおかげで私は生き延びれたわ。本当にありがとう。」
と言いブルーノの手を取ってぶんぶんと振った。ブルーノが突然のことで目を白黒させていると、女はブルーノの手を離し、隣で怪訝そうにしている男に説明をしだす。
「この少年が追手から逃げる手伝いをしてくれたんですよ。」
ブルーノは呆気に取られながらも、まじまじと女の顔を見る。
「あ!あの時の旅のお姉さん?」
ブルーノが驚いたように声を上げると、ロゼはそうよと返した。
「あの後どうなったのか心配していたんだよ。無事だったんだね!ところで…その格好は?こんなところで何してるんだよ?」
ブルーノは驚いたり笑ったり怪訝そう見つめたり、表情がころころと変わる。ショールの女は続けた。
「あの後ちょっと色々あってね。もし良かったらあの後どうなったのか教えてもらえないかしら?」
女が大柄の男の方に目配せすると、好きにしたらいい、と肩をすくめてみせた。するとブルーノも
「いいけど、その代わり俺もその後の旅の話を聞いてもいいかい?」
と子犬のように目を輝かせる。三人はブルーノの家で話をするとこにした。
ブルーノが新聞を売っていた場所から歩いて二十分ほどの場所に古い民家が見えた。
「ここが俺が新聞を書いている所さ。ちょっと古いけど良かったら入って!」
ブルーノは二人を家に招き入れた。家は木と土壁でできており埃っぽかった。中には小さな台所とトイレ、窓際には硬そうなベッドが置かれている。ベッドの横にはテーブルと二つの木の椅子、木の棚が置いてあり、新聞や乱雑に書き散らされたメモのようなもの、地図や分厚い専門書のようなものがずらっと並べられていた。ロゼはきょろきょろと興味深そうに部屋の中を見回した。ブルーノは硬いベッドにぴょんと飛び乗ると、二人に椅子を勧めながら尋ねた。
「ところで、お二人さん名前は?俺はブルーノ。ここで新聞を書いて村で売っているんだ。じいちゃんと二人で暮らしてる。」
二人は椅子に座りながら自己紹介を始めた。
「私はロゼよ。あの時はありがとう。訳あって街の追手から逃げていたところをあなたに助けられたわ。今はこの人と一緒に旅をしているの。」
ロゼが男を指さす。
「俺はシリウス。海賊だ。」
男が手短に済ませると。ブルーノは紙とペンを持ち出し、新聞のネタを探る。
「じゃあますは、ロゼが何で追手から逃げてたのか聞かせてよ。」
ロゼは迷った。本当のことを言うべきか。しどろもどろになるロゼを見かねて、ブルーノは
「俺怒ったりしないよ。君が新聞に載せて欲しいと頼んできたあの記事はノンフィクションだ。今までの自分でなくなるということ、つまり生まれ変わるためには死ぬことが必要なんだよ。それにさ、今更うちの新聞で『化け物』が生きてたなんて書いてみろよ。俺があの街の警備隊に殺されるよ。あいつら君のことを必死こいて探し回ってたらしいから。」
と、ペンを回しながら口を尖らせる。そして、さあと話の先を促す。
「そうね。あなたには命を助けてもらった。真実を話すわ。あの時私は『化け物』として街の警備隊に追われていたの。」
そういうとロゼは窓から差し込む光に腕を晒した。みるみるうちに腕に斑の地図の一部が浮かび上がる。
「わあ。」
ブルーノはその光景に声を漏らし、斑を凝視した。
ロゼは続ける。
「霧が裂けた日。この斑模様が突然現れたのよ、身体中にね。霧の件で街はパニックになっていた上に、急に不気味な斑が出たものだから、呪いだって街を追われたのよ。きっと捕まったら殺されるって思ったから、何とかしてこの村まで逃げてきてあなたに助けられたのよ。『化け物』が死んだって分かったら捜索も中止になるし、両親にもこれ以上迷惑をかけたくなかったの。」
ロゼは腕のさすりながら目を伏せた。
「そんなことが…。」
ブルーノは眉を下げ、メモを取ることも忘れて話に聞き入っていた。少しの沈黙。
「それで?その後はどうなったのかしら?」
ロゼは無理に明るい声でブルーノに話を振った。ブルーノは何かを考えていたようだったが、ああ、と言いながら一部の新聞を手に取った。
「君と別れた後、言われた通りに記事を新聞に載せたよ。」
ブルーノが一つの記事を指さす。
「次の日に村に売りに行ったら、街の警備隊が数人来ててさ。この新聞を買って行ったんだ。そしたらすごい青ざめた顔して、この記事について話を聞かせてくれって言うもんだから、君から預かってた青いワンピースとかを渡したんだよ。そしたらそれ持って急いで街の方に帰って行って。その後は村で警備隊は見ていないよ。俺の演技力が功を奏したってとこかな。」
ブルーノが得意げに鼻を鳴らす。ロゼはそこまで聞き終わると安堵のため息をついた。
「で、そっちの話、その後はどうなったのさ?」
ブルーノはそわそわと話の先を促す。
「あの後私な小さな街や村を転々としていたわ。そこで、ある港町から島の外に出られる連絡船の存在を知ったの。その港町でシリウスに捕まったのよ。」
ロゼがずっと黙って話を聞いていたシリウスに話を振る。
「捕まったとは失礼だなおい…。」
シリウスは頭をかきながら続けた。
「俺は、前乗ってた船の船長から一枚の地図をもらったんだ。何でも宝の在処を示す地図らしい。でも書かれてる文字も読めねえし地図もボロボロ。で、とりあえず最近話題になってた『呪いの霧の島』に行ってみることにしたのさ。そこで…」
シリウスは一瞬の沈黙の後、突然斑の浮かぶロゼの腕を掴んでブルーノの目の前に突き出した。
「このお嬢ちゃん、俺の船を連絡船と間違えて潜り込んだのさ。俺は気づかずに船出しちまって大騒ぎよ。」
シリウスは呆れたように首を振ってみせた。ロゼはシリウスの瞳を一瞬覗き込む。彼の瞳は一度こちらに向き、すぐにブルーノを捉えた。
「ははは!なんだよそれ!それで?その宝は見つかったの?」
ブルーノはペンを握りしめそわそわと先を促す。どうやらロゼの話よりも宝の地図が気になっているらしい。
「で、この島に来てみたんだが、なかなか収穫がなくてな。暫くしたらまた船を出す予定さ。」
シリウスが続けると、ブルーノは少し残念そうにしながらも、
「じゃあ!宝見つけたら俺にも教えてね!絶対だよ!」
とシリウスにせがんだ。その時、入り口のドアがぎいっと音を立てて開き、一人の白髪の老人が杖をつきながら入ってきた。ロゼは反射的に斑の浮かぶ腕をショールにしまった。
「あ。じいちゃんお帰り。ちょっとお客さん来てる。」
ブルーノはそう言いながら老人に駆け寄ると、杖を預かり介助する。
「おお、お客さんとは珍しい。狭い家だがゆっくりして行ってくれ。」
老人はよぼよぼとベッドに腰掛けながら笑った。
「俺のじいちゃん。何十年も前からここで新聞を書いてるすごい人なんだ。最近は目も脚も悪くなっちゃって俺が代替わりしたんだけど。」
ブルーノが台所でコップに水を入れ、老人に渡しながら言う。老人はコップを震える手で掴み、口元に運んだ。すると、
「前はわしも色々な所に出向いて、面白そうな記事を探しに行っていたんだ。今はこの通り老ぼれなものでな。孫の書く新聞は斬新で村の方でも人気だそうじゃないか。よくやっているよ。」
と嗄れた声で呟くと、ブルーノの肩に手を置いた。ブルーノは少し気恥ずかしそうにしている。そこで、シリウスは老人に投げかけた。
「じいさん、ちょっと聞きたいことがあるんだが。」
老人はなんだい?揺れる瞳でシリウスを捕らえた。
「この村の奥にある立ち入り禁止の空き地。あそこって前は何があったんだ?誰かの所有地なのか?」
シリウスが問いかけると、老人は目を瞑り頭の中に地図を広げた。
「ああ、あそこの空き地だね。あそこは昔とある夫婦が住んでいた場所だよ。仲の良い夫婦だった。確か旦那の方は民俗学とか考古学とかやってる人で、妻は生物学者だったと思う。小さい子供がいて三人でよくあの辺りを散歩していたものだ。だがな、ある日突然姿が見えなくなってしまったかと思ったら、夫婦は事故で亡くなってしまっていたみたいでね。子供は別のところに引き取られたようだが。そこからあの家は空き家のまま放置されて、最近になって漸く取り壊されたんだよ。」
老人は時間をかけて記憶を辿りながら言葉を紡ぎ出した。
「その事件は未解決のままなのか?」
シリウスが尋ねると、老人はうむと頷き、
「犯人は結局見つからなかったらしい。無理もない。捜索が開始されたのは失踪してからしばらく経ってからだったみたいだしなあ。」
と続けた。シリウスは老人の話に耳を傾けているロゼを垣間見ると一瞬考えてから口を開いた。
「あの空き地の奥に森があるだろう。その奥の森も入れないのか?」
老人は伏せていた目を開けてシリウスを見つめ、
「あの森は昔から立ち入りが禁止されている。禁忌の森だ。決して入ってはならん。」
凄みのある声で注意を促す。
「その森には何かいるんですか?」
ロゼがおずおずと質問を投げかけると、老人は首を横に振りながら、
「いや、…もう何もいない。」
と声を潜め、おぼつかない足取りでベッドから立ち上がると、ドアの方へと歩みを進めた。ブルーノがすかさず手を取ると、少し外の空気を吸ってくるね、と杖を持って出ていくのだった。
ロゼとシリウスはブルーノに礼を言うと、村まで戻ることにした。ロゼは途中シリウスに投げかけた。
「何であの時嘘をついたんですか?」
シリウスは、ロゼをちょっと見やると
「馬鹿正直に話す馬鹿がいるか、馬鹿。」
と呆れている。
「あの少年はお前にとっては命の恩人かもしれないが、あいつにとってお前は生活するための手段、俺にとっちゃただのガキだ。その上新聞屋に売った情報は世間に広まっても文句言えないだろう。話す相手、話す内容は口開く前に吟味しろ。」
そう言うと、シリウスは自身が持っていた鞄の外ポケットから袋に入った数枚のコインを取り出した。そこには「情報提供ありがとうございました。ブルーノ」と書かれたメモが貼ってある。
「そう言うことだ。」
ロゼは浮かれていた自分が恥ずかしくなり、黙ってシリウスの後について行くのだった。
ワルダ村に帰って来た二人は、遅めの昼食を取った後、再び例の空き地の前に来ていた。空き地は雑草で覆われ、古びた看板には汚い字で立ち入り禁止と書かれている。
「この奥の森の遊歩道を進んでいくと、バリケードと例の建物が見えてきます。」
ロゼが奥の森を指差しながら言う。森の奥は昼にもかかわらず薄暗い。
「なんだか気味が悪い森だな。」
シリウスは薄暗く生い茂る森の奥を見つめながら呟いた。ロゼはシリウスの様子を横目で確認する。言葉とは裏腹に、シリウスの目は獲物を捕らえんとする獣のようであった。ロゼはげんなりしたが、一人雑草を踏み倒しながら進んでいくシリウスに置いていかれないように後をついていくのだった。
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