薔薇と、星と。

 街のランタンがぼうっと灯り、人々が酒を飲みながら騒ぎ出す頃、シリウスは大通りにある露店の席に座って、魚や貝がゴロゴロと入ったスープと硬いパンを食べていた。シリウスは日中港町で商いを行なっている商人や街の漁師、宿屋の主人など多くの人々に地図を見せながら情報収集に励んだが、収穫は無かった。シリウスは食べる手を止め、一度長く息を吐き、辺りを見渡す。各々が楽しい時間を過ごしているようだ。シリウスは最後一欠片のパンを口に詰め込むと、露店を後にした。シリウスは昼間にいい雰囲気の酒場を見つけたらしく、そこで静かに飲むことにした。その酒場は船着場の近くにある、港町にしてはお洒落なバーのようなところであった。重厚なドアをゆっくりと引くとチリンとベルが鳴った。シリウスはカウンターで注文を済ませると、数組のカップルが小洒落た酒や料理を楽しむ横を通り過ぎ、海が見えるテラス席にどかりと座った。海は月明かりに照らされ、ざあざあと心地の良い音で夜を彩る。程なくしてシリウスの注文したミントの酒が運ばれてきた。ひとくち口に含むと、晴れた夏空のような爽やかな青が広がった。シリウスは暫し酒を楽しんだあと、机の上に例の地図を広げた。食事の間に地図のインクはどんどん薄くなり、今は謎の文字のようなものの一部しか見て取れない。シリウスの頭には、ソルクダンカの船の修理ドックの仲間のこと、昔一緒に船に乗って旅をした仲間のこと、顔も思い出せない両親のことが思い起こされては、弾けて消えてゆくのだった。店内にいたカップルたちは一組、また一組と仲睦まじそうに夜の街に消えて行く。何とは無しにその後ろ姿を追っていると、一人の少女が目に入った。夜に映える白い肌に栗色の髪を靡かせて大通りの方へと抜けていく。何となく、薄汚れた港町には不釣り合いな少女という印象を受け取った。その少女は露店をきょろきょろと覗きながら通りを行き、人混みに紛れて見えなくなった。シリウスは閉店まで波の音を聞きながら酒をちびちび飲み、停泊させていた船へふらふらと帰っていった。

 翌日の昼前、シリウスはようやくベッドからもぞもぞと這い出た。欠伸をしながら甲板に出て左手側の街の方を見ると、多くの人々が商いを行なったり、商人たちが船から大荷物を下ろしていた。一方、右手側の方には倉庫街が広がっており、酒場や商店の店主たちが酒の瓶を運び入れたりしている。シリウスは船室に戻り着替えを済ますと、昨日と同様に街に繰り出して行った。

 海岸線沿いの倉庫街に西陽がさす頃、ロゼはコンテナの中で財布をひっくり返しうんうんと唸っていた。毎日消えてゆく一方のお金をどうにかしなければと、ここに来てようやく考え始めたのだ。ロゼは今まで一度も働いたことがなかった。『仕事』と言えるようなことと言えば、学校の慈善活動で街の清掃をした程度だ。しかも日中は動けないとなると、選択肢はかなり狭まる。ロゼは夜の街で男と共に暗がりに消えてゆく、きつい化粧をした女たちの姿を思い出し、いやいやと苦笑いしながら首を振った。

 陽が完全に落ちたあと、ロゼは重いコンテナの扉を押し開けて街に繰り出した。その日は日中ずっとコンテナの中で過ごしたため、一応斑が出ていないかを一通り確認したあと、水色のショールはコンテナの中に置いて出てきたのであった。ショールを被らずに街を歩くのが久しぶりだったロゼは、その開放感に浸りながらぶらぶらと散策を開始した。ロゼはワルダ村で購入したシャツとパンツ一着ずつでは不便だと考え、最低限の着替えを買うことにした。大通りの奥の方に服屋が数軒並んでいた。店先には派手なドレスや黒やピンクのレースの下着類などが雑多に並べられており、派手な化粧の女や、顔を隠した娼婦らしき女があれこれ悩みながら服を選んでいる。そんな中に港町には似合わないような格式高そうな店を見つけ、ショーケースにふと目をやった。そこには煌びやかな装飾のついた帽子やひらひらのレースのワンピース、ピカピカのヒールの靴が並べられていた。以前のロゼであったら目を輝かせて飛び付いたことだろう。しかし、ロゼは自分の着ている土埃で汚れた服にちらっと目をやると、そのまま前を通り過ぎるのだった。結局、大衆向けの服屋に入り、シンプルな白いブラウスに茶色のロングスカート、黒の下着を購入し倉庫街に戻っていくのだった。しかし、倉庫街に辿り着く手前の大通りでロゼはその男に出会った。男は突然、背後からロゼの首をひっ掴んだ。ロゼは声も出ないままばっと後ろを振り返り手を振り払った。薄灰色の髪のがたいの良い狼のような男が目を見開いて立っていた。

「な、何するんですか…。」

ロゼは驚きと恐怖で、首の後ろをさすりながらこの一言をようやく絞り出した。男も自分の行動に少し驚いているようで一瞬口籠もったが、

「あ…。悪かったなお嬢ちゃん。その、ちょっと話聞かせてくれねえか?その首のやつについて。」

と自分の首の後ろを指刺しながら小声で話した。ロゼは困惑する。

「何のことですか?」

ロゼは男につられて小声で聞き返すと、怪訝そうな目で男の顔を見つめる。男はそれだよ、と言うとロゼの背後に回った。

「その痣みたいなやつ。」

ロゼはその言葉を聞いた瞬間、柘榴を潰したみたいに心臓から一気に血液が送り出される感覚を覚えた。冷や汗が背中を伝い、金縛りにあった時のように体がうまく動かなかった。

「し、失礼します。」

とようやく一言伝えると、ロゼは首の後ろを手で隠しながら倉庫街の方に走った。男が背後で何かを叫んでいるが、ロゼが足を止めることはなかった。ロゼは息を切らしながら倉庫街に着くと、重いコンテナの扉を開け、さっと中に身を隠した。ロゼは暫くコンテナの奥でうずくまっていた。

「なんで…。今日は一日隠れていたはずなのに。」

ロゼは困惑した。確かに今日は一日コンテナの中で隠れていたため、今までの経験から考えると斑は出ないはずである。それに、もし斑が首の後ろに出ていたとしても、わざわざ首を掴んでまで声をかけるだろうか。ロゼはどっと疲れた頭でぐるぐると考えた。ロゼの寄りかかる背中側の壁には錆びた小さな穴が空いていた。


 船の中、シリウスは自室の机に地図を広げた。

「やっぱり。」

ぽつりと呟き顎をさすった。シリウスは、数時間前に大通りで前を歩いていた少女の首の後ろに浮かび上がっていた痣の形が、地図に載っている記号と同じであることを確信した。シリウスはようやく宝の在処に一歩近づけたことにニヤリと笑みを溢した。しかし問題がある。少女と再び接触しなければ何も情報は得られなということだ。なんせ知らない男から突然首を掴まれ、しかも体の痣の話を聞かせろと迫られたのだ。街で見かけて声をかけたとしても、きっとまた逃げられてしまうだろう。シリウスはため息をつき、首を掻きながら今日の自身の行動をちょっと反省した。

 翌朝、シリウスは珍しく日の出前に目が覚めると、潮風にあたろうと甲板に出た。シリウスは伸びをしながら辺りを見回した。街はまだ眠っている。すると、右手側の倉庫街の奥に人影を認めた。それは昨日大通りで見かけた痣の少女であった。その少女は外で洗濯をしており、持っていた服を洗い終えると古びたコンテナの中へと消えていったのだ。シリウスは黙ってそのコンテナを見つめた。

 その日の午前中、シリウスは街に出かけ情報収集や買い物をしたりして過ごした。強いて自ら少女のいるコンテナに行くこともなく、船に戻ってからは船の上から時々様子を伺っていた。しかし少女はコンテナの中から出てくることはなかった。動きがあったのは日が沈み切ってからであった。コンテナの扉がそろっと開き、中から例の少女が出てきた。少女は辺りをきょろきょろと警戒し、人影がないことを確認すると、大通りの方へ小走りに消えていった。シリウスは丸められた古い地図を握りしめると、少女を追って船から降りた。大通りは今日も漁師や商人でごった返している。シリウスは人々の間をずんずん進んでゆく。途中、娼婦らしき女から今夜どうかと声をかけられた。シリウスはまた今度と断ると人混みの中に少女を探した。しばらく大通りを行くと、前方に少女の姿を捉えた。しかし少女の影は大通りから外れて細い小道に入っていく。シリウスもその後を静かに追う。すると少女は古びた建物の前ですっと足を止めた。少女は古びた建物の小窓から中の人物に話しかけている。そこは、港の売春婦たちが客を連れ立って訪れる宿のようであった。シリウスは何となく説教でもしたい気分だった。しかし暫くして、少女は何やら宿の主人と揉めているようだ。少し近づいてよくよく話を聞いてみる。

「あのなお嬢ちゃん、確かに部屋は空いてるんだが、うちの宿は一人じゃ入れてやれねえんだ。相手連れてきて二人で入ってもらわねえと。」

宿の主人は困ったように眉を下げている。

「いえ、相手とかいないんです。一人なのですが。」

ロゼは淡々と説明する。

「いやあねえ。一人のやつがこんなとこに泊まるわけがないだろ。前も色々と問題になったことがあったんだよ。とにかく泊まりたけりゃ相手連れてきな。」

店の主人はやや面倒くさそうにしっしと少女を追い払う。シリウスは、この少女は何やら訳ありだと踏んだ。そして背後からすっと少女に近づき、店主の男に金を渡しながら伝えた。

「こいつの連れ。一時間で頼む。」

すると、店主は二人を見比べてハイハイと返事をするとシリウスに部屋の鍵を渡し、受付の窓の奥へと消えてしまった。少女は恐る恐る後ろに立つ男を振り返り、その顔を見るなり青ざめた様子で目を見開き固まってしまった。シリウスは少女の腕を掴むと、ちょっと話があると小声で伝え半ば強制的に宿の中に引き摺り込んだ。宿の入り口を開けるなり、一組の男女とすれ違った。男は葉巻を咥えた渋めの中年。女は崩れかけた派手な化粧に擦り切れたヒールを引きずっている。派手な女は男に次の約束を取り付けようと猫撫で声で必死だ。きつい香水の匂いがあたりに漂う短い廊下を抜け、古くて足を乗せるたびに軋む階段を登り二階に上がると、部屋という部屋から犬のような唸り声や甲高い悲鳴、運動会でもしているかのようなどんどんという煩い音が聞こえてくる。少女は目を丸くしながら辺りを見渡し、困惑しながらもシリウスにずるずると引き摺られていく。シリウスは一つの部屋の前で立ち止まり、片手で鍵を開けると少女の腕を掴んだまま部屋へと入っていった。

 ロゼはこの数分の間、「何で」という一言だけで頭が埋め尽くされていた。ロゼは日が沈む頃荷物をまとめてコンテナを出発し、安い宿に拠点を変えることを決意した。大通りから少し離れた安い宿を見つけそこで宿泊したいと伝えると、宿の店主は部屋はあるのに泊まれないというのだ。ロゼは昨日の不審者のこともあり、どうしても宿に泊まりたかったのだ。ロゼは食い下がるが店主も譲らない。すると突然背後から男の声がして腕を掴まれた挙句、宿に拉致された。宿に入ってから気がついたが、どう見ても男女が事を致すための宿。店主が言っていたことも今では理解ができ、やってしまったと非常に後悔した。しかもその男は昨日の暴力不審者であった。ロゼはもう少しマシな場所で死にたかったと心から思うのであった。ロゼはなるべく毅然とした態度で相手と話をしようと口を開いた。

「あの、昨日から一体何なんですか。私に何か用でしょうか。名前も知らない、会ったこともない人にこんな宿に連れ込まれて正直迷惑です。」

明らかに声が震えた。男がドアの前で腕を組んで立っているため、窓くらいしか逃げ道はない。このままでは襲われる。最悪殺される。男はゆっくりと口を開いた。

「昨日、今日と手荒な真似して悪かったな。俺はシリウス。海賊だ。」

ロゼは海賊という単語に目眩すら覚えた。しかしそれと同時に、ネーべルの街の警備隊や追手ではないことに少し安堵した。シリウスは続ける。

「安心しろ、お前を抱こうとは思ってない。ただ、俺はお前と話がしたいんだ。名前は?」

ロゼは海賊と接点があっただろうか?自分の行為で海賊を怒らせるようなことがあっただろうか?などと変な汗をかきながら脳をフル回転させた。

「私はロゼです。その…。私何かしましたか?」

ロゼは後ろに半歩下がりながら恐る恐る聞く。すると、シリウスは丸めた古い地図を開いてみせた。昼間に一度日光に当てた地図のインクは今は薄くなってきている。ロゼは首を傾げながらまじまじと地図を眺める。

「この地図について何か知らないか?」

シリウスが問う。ロゼはシリウスの持つ地図をよく見ようと近づいた。しかしロゼはその地図に全く見覚えがなく、なぜ自分に聞くのかと怪訝そうな顔で首を傾げた。

「いいえ、見たことないです。」

するとシリウスはロゼに近づき背後に回った。ロゼは身を硬くする。

「あれ、痣がない。確かに昨日はあったように思ったんだがな。」

シリウスは不思議そうに呟き後ろ首の辺りにあったはずの痣を探す。ロゼはさっとシリウスから離れ、シリウスの狼のような目をまじまじと見つめた。沈黙が続く。ロゼは早まる呼吸を整えて言葉を絞り出す。

「早く離れた方がいいですよ。これ、何かの呪いですから。」

ロゼが言いたくもない言葉を吐き出すと、辺りの音が消え去ったように感じた。シリウスは中腰になりロゼと視線を合わせる。

「あのな。」

ロゼは視線を外さずに後ずさる。そしてシリウスは子供に言い聞かせるように言う。

「呪いなんて非科学的なもの、この世には存在しねえんだよ。」

畜生、海賊にだけは言われたくない。ロゼは今までに感じたことのない非常に屈辱的な感情を覚えた。ロゼはついムキになって言い返す。

「私だって好きでこんな体になった訳じゃないです!この島の霧が無くなってしまったせいで私の人生は変わってしまったの!全身に変な斑が出て日中は動けない。不便たらありゃしない!」

ロゼは今までの不満を爆発させた。シリウスは、こいつは訳ありな上にかなり厄介だとげんなりしたが、先程のロゼの言葉に何か引っかかるものを覚えた。ロゼは感情的になり更に続ける。

「で、シリウスさんでしたね。あなたはこれについて聞きたいって言っていましたよね。一体この気持ち悪い斑の何を知りたいって言うんですか?」

シリウスは黙って聞いていたが、はあとため息をつくとロゼを窓辺にあった椅子に座らせ、自身も向かい側に座った。シリウスはロゼに地図を見せながら一つ一つ経緯を説明した。

「俺は前乗っていた船の船長からこの地図を貰い受けたんだ。見たことない文字で読めなかったし破れも酷い。そこでとりあえず未開の島だったこの島に来てみることにしたんだ。でも港で有益な情報は得られなかった。そんな時に、首の後ろに痣のあるお前を偶然見つけた。どう見てもこの地図に描かれている記号とお前の痣の形が一致していたんだよ。」

そこまで聞いてロゼはえっと小さく声を上げた。シリウスは地図の二つの記号を指さす。一つは象形文字のようなもの、もう一つは地図上で方角を表す地図記号のようなもの。シリウスは地図をなぞりながら続ける。

「一瞬しか見えなかったが、二つの位置関係も同じだったと思う。で、今のお前の話を聞いててピンときたんだ。お前の痣は島の霧が掃けて、太陽が出た日から現れたんだよな。実はこの地図も元はこの文字列しかなかったんだ。」

シリウスは羊皮紙の上下に一行ずつ書かれた文字を指差し、続けた。

「だが、太陽光当てたらこの地図が浮かび上がったんだよ。しかも太陽光に当てた直後には濃くはっきり出る。暫く放っておくと地図は薄く掠れていく。」

ロゼは興味深そうに、黙ってシリウスの話に聞き入っている。

「もしかしたらお前の痣の正体も分かるかもしれない。」

シリウスの目が一瞬だが、ぎらりと鈍く光る。

「一緒に航海してみないか。」

「え。」

ロゼは突然の誘いに困惑した。シリウスは椅子の背もたれにぐうっともたれかかると、頭の後ろで手を組んで続けた。

「そしたらこんなボロ宿で身体売らなくてもいいし、錆だらけのコンテナで寝泊まりする必要もなくなるぞ。」

シリウスは狡い笑みを浮かべた。ロゼの思考は先ほどから停止している。相手は失礼暴力海賊。この人と一緒に航海?考えられないが、迷惑な斑の正体が分かれば治す方法も見つかるかもしれない。シリウスは首を傾け誘っている。ロゼは帰る場所もゴールもない一人きりの旅に不安もストレスもあった。ロゼは葛藤の末、首を縦に振った。シリウスは満足そうにニッと笑う。チェックアウトの時間になるまで二人は軽い自己紹介や街を出て逃げ隠れてこの港にたどり着いた話などをするのであった。

 二人が宿を後にする頃、街はまだまだ活気に満ち溢れていた。ロゼは生きて再び大通りに戻って来られたことにひどく安堵していた。ロゼは一人でずんずん進んでいくシリウスの後ろをちょこちょこついていく。途中二人は商店に寄って必要そうな日用品を買い揃え、船へと向かった。船着場には何隻かの船が停泊しており、シリウスはその中のやや小ぶりな船の前で止まった。

「今日からここがお前の家だ。小さい船だがな。」

シリウスはロゼの手を取り船の中へと誘う。ロゼは生まれて初めて乗る船に目を輝かせた。

「すごい!本当に船だ!」

まるで小さい子供のようにはしゃぐロゼの横を抜けて、シリウスは船内の案内を始めた。

「ここがキッチン。そこはトイレ、風呂、好きに使ってくれていい。俺はここの部屋にいるから何かあったら声をかけろ。」

ロゼは心を躍らせながらシリウスの後を子犬のようについて回る。船内はシンプルな作りであったが、手すりや柱には細やかな装飾が施されている。キッチンには酒の瓶や紙袋に入ったパンや果物などが雑多に並べられている。シリウスは一番奥の船室の前で止まりドアを開けた。

「ここがお前の部屋な。狭いが好きに使ってくれ。」

「え、私の部屋?」

ロゼは自分専用の部屋があるとは思っていなかったため、目を丸くした。ロゼに与えられた小さな部屋はオレンジ色のランタンの光で優しく照らされていた。

「シリウスさん!ありがとうございます。その、何か手伝えることがあったら教えてください。私船の上での生活は初めてで。」

ロゼがおずおずと切り出すと、

「何もないな。今は。」

と呟き、シリウスは後ろ手に指をひらひらさせながら自室に戻っていった。ロゼは小さな自室に足を踏み入れた。部屋には大きめの窓があり、その脇に簡素なベッドと小さなテーブルが置かれていた。ロゼはベッドに腰掛け一息つくと、安心感に包まれた。暫く波の音に耳を傾けていたが、ここでふと異臭に気がついた。ここ数日まともに風呂に入れていない上に錆びと埃くさいコンテナで生活をしていたから無理もない。ロゼはちょっと顔を顰めると徐に部屋を出て、隣の部屋にいるシリウスに一言声をかけ、シャワールームに入っていった。ロゼは久々のちゃんとしたお風呂に感激した。頭から温かなお湯を被ると汚れが溶けて落ちていく。ロゼは鏡に映る自分を見つめた。ネーべルの街にいた頃からすると痩せて肌もボロボロになっていた。ロゼは両手を見つめながら、斑も一緒に流れてくれたらいいのにと思うのだった。

 ロゼはシャワー室を後にすると、シリウスに礼を伝えて自室に戻った。ロゼは薄いマットレスの敷かれたベッドに横になる。コンテナの硬い床や、誰が使ったか分からないような、スプリングの馬鹿になったボロ宿のベッドとは比べ物にならないくらい上質なものに感じた。気がつくとロゼは深い眠りについていた。その横の部屋でシリウスは明日からどうするかベッドに横になり考えていた。とりあえずロゼに接触はできたものの、何も手がかりなし。ロゼにどう協力してもらおうか。シリウスは天井を見つめ悶々と考えていたが、やがて面倒臭くなり明日考えることにした。

 

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