道標
シリウスは、しばらくの朝の静かな通りを歩き、メモに載っている酒場に到着した。入り口のドアを開けると、床やテーブルで無造作に寝る男や、真っ赤な顔でビールを煽り続ける男たちが目に入った。
「船の修理ドックの者ですが。」
シリウスがそう伝えると、船長と思わしき男が嬉しそうに近寄ってきた。
「船の修繕は完了している。引き渡しに関してはこれを読んでくれ。」
とメモを渡し伝えた。船長と思わしき男は、思っていたよりも早く船の修繕が済んだことを大いに喜んだ。シリウスは要件を済ますと、さっさと酒場から出て行った。背後からは「すぐに出航準備だ!」「海に出られるぞ!」という威勢のいい声が飛び交っていた。
シリウスは港にある小さな自宅に到着すると、ベッドに寝転び、船長から貰い受けた『宝の島へのヒント』を眺めていた。ボロボロの羊皮紙には見たこともない象形文字が薄いインクのようなもので描かれていた。しかし、かなり古いもののようで解読はできない。シリウスは昨日の棟梁の言葉を思い出していた。
『海賊ってのは馬鹿だからよ。一回突っ走ると止められないんだよ。ロマン馬鹿だな。』
シリウスは羊皮紙をベッドの横にあるテーブルに置くと、しばらくそのままで天井を見つめていた。いつの間にか眠っていたらしい。気がつくと夕刻、部屋に夕陽が差し込み出した。横目で窓の方に視線をやる。シリウスはハッとした。羊皮紙に地図が浮かび上がっていたのだ。シリウスは飛び起きてその地図をよく見ようと夕陽の光に当てた。するとみるみるうちにはっきりと濃い線で、入り組んだ海岸線の島が浮かび出たのだった。
「やっぱり、地図だったんだ…。」
シリウスは目を見開いて呟いた。謎の文字しか書かれていない羊皮紙だと思っていたが、船長は確かに『地図』と呼んでいた。
シリウスはその地図をまじまじと見つめると、勢いよく家を飛び出した。足は船の修理ドックに向いていた。そこには正午の船の引き渡しを終え、工具類の手入れをしている棟梁がいた。
「おう、シリウス。もう船の引き渡しはとっくに終わったぞ。」
膝に手をついて肩で息をするシリウスを不思議そうに見つめた。その手にはボロボロの地図が握りしめられていた。シリウスは顔を上げ、意を決して棟梁に告げる。
「棟梁、俺、また海に出たいんだ。だから…」
棟梁はじっとシリウスの瞳を見つめる。そしてふっと呆れたように笑いながら
「お前もやっぱり馬鹿なんだよな。」
と漏らすと、棟梁はため息とともにシリウスの横をすり抜けた。すると、徐に修理ドックの奥の小さなシャッターを開けた。そこには古い小型のゴブラン船が波に揺られていた。
「この船はな、あと少しのところで航海に出られなくなっちまった可哀想な船だ。これを修理してしっかり乗れるようにしてみろ。そのあとはお前の自由に使ってくれていい。」
棟梁はシリウスの目の奥をじっと見つめながら言う。シリウスは言葉に詰まった。棟梁は前々からシリウスがまた海に呼ばれていることに気がついていたのだ。シリウスはじっとゴブラン船を見つめたまま動けずにいた。
「ほら、早く修理始めねえと海に出られないぞ!」
棟梁は工具箱をシリウスにどんと渡すと、首の後ろをぼりぼり掻きながら修理ドックから出ていった。シリウスはその背中に精一杯の礼の言葉を投げかけた。
その日からシリウスは仕事の合間を縫って古い船の修繕を始めた。仲間の修理工たちは、その様子を遠くから静かに見守った。数日後の日が暮れる頃、シリウスはようやく船の修理を終えて、一服していた。そこに棟梁が両手にビール瓶を抱えながらやって来て、よお、と声をかける。二人は修理ドックの外で少し話をすることにした。港のブロックの上に並んで腰掛け、ビール瓶を開ける。ざあざあと打ち寄せる波の音が心地よかった。
「お前は海賊上がりだってのに真面目すぎて心配だったんだ。」
棟梁はビールの王冠を弾き開け、口を開いた。
「他の海賊上がりの奴らはな、こう、目に鈍い輝きがちっとでも残ってるんだよ。チャンスさえ与えられればカラスの目玉みたいに輝き出すような。だがお前にはそれが全くないというか、元からそうだったみたいに、何も感じさせない目をしていた。だが、今お前の顔見て安心したよ。」
棟梁はそう言うと笑いながら酒瓶を傾けた。シリウスはずっと黙ったまま話を聞いていたが、ゆっくりと口を開いた。
「俺は、正直もう海に出たいとは思っていなかったんです。」
シリウスは遠くの地平線を真っ直ぐに見つめた。
「棟梁のところで受け入れてもらえてからは、もうそれが自分にとって当たり前になっていたみたいで。でも、やっぱり俺は馬鹿な人種だったみたいですよ。」
と目を伏せて力なく笑った。
「いいんだよ、ここはやりてえことが見つかるまでの避難所だ。目標が見つかったなら突っ走れ。若えうちにな。」
と夜の海に向かって投げかけた。二人はビール瓶を軽くぶつけ合うと、一気に飲み干した。
次の日の早朝、シリウスは荷物をまとめソルクダンカの港を一人出発していった。シリウスはまだ薄暗い海の優しい揺らぎに目を閉じ、潮の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。シリウスはフロレンツから託された地図を片手に握りしめ、甲板から望遠鏡を覗いた。遠くに小さく島が見えている。シリウスは好奇心に引きずられるがまま航路を行くのだった。数年以来の船の上での生活は、シリウスにとって非常に懐かしくもあり、新鮮でもあった。これまでは海賊団をまとめ上げる船長、航路を決める航海士、決められた航路に忠実に船を進ませる操舵手とそれぞれ与えられた役割を果たしていたが、今は一人でそれをこなさなければならない。慣れない作業もあったが、船の作りや操舵に関しても知識があり難なくこなせた。夜になると空には満月が輝き、たくさんの星が瞬いていた。シリウスは最近忙しく働いていたため、夜空をゆっくり眺めることもなくなっていた。シリウスは甲板にごろんと寝転がると、一面に広がる夜空に抱かれて機嫌よく鼻歌を歌った。翌朝、早い時間に例の島に到着した。その島はオーブスト島というかつての呪われた島である。シリウスは島の港町であるサンドバルトの船着場に自身の船を停泊させ、街の中を散策することにした。シリウスは初めて行く街で商店を覗いたり、現地の食べ物を食べてみたりするのが好きだった。久々の感覚に自然と足取りは軽くなる。しかしまだ朝早く、閉まっている店が多かったため、唯一開いていたコーヒーショップに入って時間を潰すことにした。コーヒーショップのマスターは気さくな男で、その日おすすめのものをシリウスに提供した。こだわりの直火焙煎のコーヒーはとても美味かった。
「うまい!こんなうまいコーヒー飲んだ事ないな。」
シリウスが独り言を呟くと、マスターは気を良くし、にこにこしながらシリウスに尋ねた。
「この島に来るのは初めてかい?」
シリウスはああ、と頷いた。
「霧が晴れてからこの港には多くの船が寄港するようになったんだ。呪われた島なんて言われていたみたいだけど、大きな街もあるし、色々見て回るといいよ。」
マスターはコーヒーカップの手入れをしながらシリウスに話しかけた。シリウスはああ、と返すと徐に鞄から一枚の地図を取り出し、目の前に広げた。
「ちょっと聞きたいんだが、この島にこんな地形の場所ってないか?」
地図のインクは薄く掠れている。マスターはボロ地図を受け取ると、眼鏡を外して地図をよくよく見てみる。しかし、
「うーん。掠れててよくわからないな。それにこの文字みたいなものも見たことがない。」
マスターは首を横に振り、申し訳なさそうに地図を返した。一時間ほどコーヒーを飲んでゆっくり過ごした後、辺りが朝日に照らされると商店などがまばらに開き出した。シリウスはマスターにお金を渡し礼を言うとコーヒーショップを後にした。シリウスは情報収集も兼ねて街を散策してみることにした。
ロゼは白いシャツに黒いパンツ姿で、数日間村や小さな街を転々としていた。日中は日の光を浴びないようにできるだけ木陰や建物の中に避難しつつ、移動の時は頭から水色のショールを被った。また、夜は野宿する時もあれば、村の安い宿に泊まることもあった。ロゼはネーべルの街からほとんど出たことがなかったため、のどかな農村や少し寂れた村を回るのは非常に新鮮で刺激的であった。そして、ロゼはとある村の骨董屋で興味深い話を耳にした。ある港町からオーブスト島の外に船が出ているというのだ。その船は霧が晴れてからその運行を開始したらしく、日々多くの人々がその船に乗って島の外の世界を見に行っているというではないか。ロゼは興味津々でその話を聞くと、その商店の店主に持っていた地図を見せ、詳しい行き方を教えてもらった。さらに店主は昔のものだけれども、と港町の大まかな地図まで用意してくれた。ロゼは店主に礼を言うと、港街に向かってまた一人歩き出した。
ブルーム通りの事件からしばらく経った日の夜、ロゼはネーべルの街から三十キロほど離れた港町に到着した。そこはサンドバルトという港町で、非常に大きく活気に満ち溢れていた。霧が消えてから、多くの海賊船や商船が行き交うようになり、港にも大きな店が建ち、大通りは海賊、商人、漁師、売春婦などでごった返していた。あちこちの酒場からは笑い声やガラス瓶の割れる音、男どもが野太い声で歌う声などが響いている。表の通りでは、聞いたこともないラッパのような楽器の音色に合わせて歌い踊る人々。露店には見たことのない食べ物の数々。ロゼはネーべルの街では経験したことのない人々の力強さに目を輝かせた。ロゼは心を弾ませながら港町特有の雰囲気に呑まれて行く。ひとしきり大通りや露店を見て回った後、ロゼは思い出したように歩みを止め、地図を確認すると骨董屋の主人の説明を思い出し船着場に向かった。船着場には、煙管を吹かす髭の中年男がいた。
「あの、島の外に出る連絡船に乗りたいのですが。」
ロゼが乗り場にいた中年の男にゆっくりと近づき声をかけた。すると男は、
「ああ、連絡船はちょうど昨日運航日だったんだよ。次出るのは六日後だねえ。」
と肩を竦めた。ロゼは、そうですか。とだけ返し船着場を後にした。ロゼは少し休める場所を探そうと辺りを見まわした。辺りには大きな宿やレストランなどが軒を連ねている。ロゼは財布の中を確認すると、うーんと首を捻って財布を閉じた。財布にはまだ金が十分残っていたが、ゴールのない旅であるため節約も必要と考えた。しかし、港町の夜は治安があまり良くない上に土地勘もない。迷った末に大通りから少し離れた寂れた宿を発見し、そこに泊まろうと考えた。二階建ての灰色の四角い小さな宿には、入り口の横に小さな受付の窓があり、四十くらいの派手な女がタバコをふかしながら座っていた。ロゼは宿泊したいと声をかけた。しかしそこは数部屋しかない小さい宿で、その日は既に満室だと断られた。二階の部屋からは数名の男と女の犬のような声が聞こえている。ロゼは二階の部屋に恐る恐る目をやると、目にも止まらぬ速さで大通りの方に戻っていくのだった。受付の女はニヤニヤしながらその後ろ姿を煙越しに見送った。
大通りに出たロゼは露店の並ぶ一角の端にしゃがんで再び地図を見た。すると、海岸付近に倉庫街があることに気づいた。ロゼは行き交う大勢の人々の間を抜け、しばらく歩くと静かな海岸に出た。波の音がざあざあと鳴っているそこには、四角いコンテナのような倉庫がずらっと並べられていた。錆びてボロボロで穴の空いているものから比較的新しそうなものまで様々あり、ロゼは辺りをきょろきょろと見回すと、一番波打ち際に近い新しそうなコンテナの扉をゆっくりと引いた。扉はすんなりと開いた。中には大量の酒瓶を入れたケースが積まれており、中に入ることは難しそうである。ロゼは扉を閉めると、その横にあったやや古そうなコンテナの扉に手をかけた。扉は軋みながら開き、ロゼは恐る恐るコンテナの中に歩みを進めた。コンテナの中は空で六畳ほどのスペースがあり、潮風に晒された金属の錆びた匂いが漂っていた。ロゼはコンテナの入り口あたりに腰掛け、静かに波音を奏でる夜の海を眺めた。ロゼはこのコンテナを拠点に、船の出る六日後までを過ごすことに決めたのだった。その時ぐうと腹が鳴いた。ロゼは徐々に軽くなっていく財布を握りしめると、夕食を調達するために大通りに向かっていった。
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