灰色の星

 「おいお前ら!この記事読んだか?」

ソルクダンカの港町。賑わう酒場で夕食を取っている大男たちが、ビールジョッキ片手に机の中心に広げられた新聞を囲んで興奮気味に語り合っている。見出しには大きく『霧の島 オーブスト島の呪い解ける』とあった。

「あの薄気味悪い霧の島のことか!あの霧のせいで俺ら漁師は迷惑被ってたもんな。」

「漁師だけじゃないぜ!船乗りや商人たちも気味悪がって近寄らなかったもんな。」

「しかし、なんでまた急に呪いが解けたんだ?祈祷師でも連れてきたのか?」

一人の大柄の漁師が首を捻りうんうんと考えている。他の男たちもさあな、などと答えながらソーセージを齧った。そこで細身の漁師の男が人さし指を立てながら、この話知ってるか?と得意げに切り出した。

「俺の爺さんが昔話していたんだがな、あの島の霧は遥か昔、突如として発生して島を覆っちまったらしい。それまでその島はある一族が統治していた豊かな島だったらしいが、その霧のせいでお天道さんの光が遮られちまってな。食い物も少なくなって大変だったらしいぞ。」

漁師の仲間たちは食事の手を止め、頷きながら真剣にその話に聞き入っている。

「でだ、霧の島には海賊でさえ怖がって近寄らなっかたから、その一族の遺産とかが未だに島に眠っているらしいんだよ。」

細身の漁師はどうだと言わんばかりにニヤリと笑った。漁師の仲間たちは、

「ロマンがあるなあ。」

「お前行ってこいよ!」

「俺は海賊じゃあねえよ!」

などと笑い合いながらビールを飲み干した。

 しばらくすると、一人の男が店に入ってきた。薄灰色の髪をサイドで刈り込んだ、がたいの良い男である。男はこの店の常連のようで、手を挙げ店主に軽く挨拶すると店の一番奥の少し暗いソファ席にどかりと座った。男は首や肩をこきこきと回し一息つくと、店員の男にビールと簡単なつまみを注文した。ほどなくして厨房から、女が注文の品を持って席にやって来た。

「あら、いらっしゃい。今日はいつもの楽しいお仲間はいないのね。」

ビールとつまみをテーブルに置きながら話しかける。

「ああ、明日は工場が休みだからな。他の野郎どもは皆女探しに街に出ていったよ。」

と返し、ビールジョッキを掴むと一気に飲み干し、はあと息を吐いた。店員の女はあらあらと微笑むと、ジョッキを持って奥の厨房に消えていった。男はつまみの揚げ物をぽいっと口に放り込むと、何かを考えるように一点を見つめていた。店員の女がビールのおかわりを持ってきた。

「今日はいつもに増して店が賑やかだな。」

男がビールを受け取りながら尋ねる。

「そうなのよ。もう霧の島の話で持ちきりよ。ほら、あそこに小さく見えるあの島。」

店員の女が窓の外を指さした。

「今日の新聞に載ってたんだけど、あそこの島の霧が突然晴れたらしいの。原因は分からないのだけど。港の漁師が漁場を広げたり、商人たちがビジネスチャンスを狙ってこの港町に集まってきているみたいなのよ。なんでもあの島には財宝が眠っているらしいわよ。詳しくは知らないけどね。」

店員の女がウィンクしながら席を離れると、男は興味なさげにへえと呟き、鞄の中に丸めて入れてあった古くてボロボロの羊皮紙を取り出した。それは所々茶色く変色し、記号や文字らしきものが書かれているようだったが掠れて読めないところが多かった。

 シリウスというその男はソルクダンカの港町で船の修理工をしていた。港には多くの商船や漁船が停泊し、シリウスの働く修理ドックは毎日忙しなく稼働していた。修理ドックでは数十名の修理工が働いており、皆出身地も経歴も様々であった。シリウスも元は航海士として海賊船に乗って世界中の海を旅していたが、海賊団が解散した数年前、知り合いの男が棟梁を務めるこの修理ドックに弟子入りしたのであった。シリウスはがたいが良く、船の作りや物理などに詳しかったため、すぐに船の修理工としての頭角を現した。シリウスはボロ羊皮紙を見つめながら、酒が回ってきた頭で船の上での自由気ままな生活を思い出していた。


 ホッフェン海賊団は南の暖かな海域を拠点に活動する海賊団だった。海賊団の一行は拠点の海域から東に数百キロのところにある無人島を目指して航海をしていた。

「おい航海士さんよ!次の島まではどの航路で行くんだ?」

ホッフェン海賊団船長のフロレンツは甲板で望遠鏡を覗くシリウスに声をかけた。

「風向、海流、島の地形から考えて、今回は一度北に回ってから東に向かう航路が良いと思います。」

シリウスはコンパスと航海図を見比べながらそう答えた。フロレンツは甲板まで駆け寄ると横から地図を覗いた。

「次の島は俺がずっと行ってみたかった島なんだ。ここで見れる夕陽はこんなもんじゃないらしい。こんなに楽しみなのは久々だな。お前の波風を詠む力は群を抜いてる。お前に任せときゃ安心だな。」

フロレンツは、ははっと笑うとシリウスの髪をくしゃくしゃと撫でた。夕陽がゆっくりと二人を染め上げる。船室の方から船長を呼ぶ声が響いた。フロレンツは任せたぞーと手をひらひらとさせて船室の方に駆けていった。シリウスがホッフェン海賊団の船に乗った十五歳のあの日から、船長への信頼、憧れは変わっていない。船長が自分に製図や航路の決定を初めて任せてくれた時、シリウスは嬉しさで一日中ニヤニヤして他の船員たちに気味悪がられたこともあった。シリウスは深海の青い成分で造られたような船長のことが大好きだった。

 その数日後、フロレンツは熱病に倒れた。それはここ最近船乗りの間で流行っていた感染症らしく、船医が懸命に治療を行うが一向に回復する様子がない。船員たちは船長を街の大きな病院の医者に見せた方がいいと判断し、元来た航路を引き返そうと考えた。シリウスは航海士として

「航路を変更しましょう。」

とフロレンツに伝えた。するとフロレンツはベッドから上体を起こし、ふらふらと揺れながら必死に伝えた。

「それはならねえ。いくら航海士の指示とあってもだ。行き先は船長である俺が決める。このまま目的地まで進め。」

「しかし、船長の体調が一番です!一度戻ってしっかり診てもらいましょう。」

と食い下がる。フロレンツは上がる息を抑えながら言った。

「そんな簡単に死んでたまるか!まだ行けてない島、まだ見れていない景色、まだ食えてない食い物が山ほどあるんだ。俺たちが何で船に乗るか考えたことあるか?船に乗らないと見られないものを色んな奴らに教えてやるためさ。」

するとフロレンツは近くのテーブルの上に丸めて置いてあった古くてボロボロの羊皮紙を指さして言った。

「シリウス、この地図はな、まだお前がこの船に乗る前に、南の海域を航海中に見つけた死体の近くに浮いてたもんだ。これは宝の眠る島に辿り着くための何かのヒントに違いない。この世界にはな、まだまだ眠ったままの人間の夢がたくさん存在しているんだよ。これはお前にやる。次の目的地はここにしよう。それまでに航路を考えててくれよ。書かれてる文字読めないけどな!ははは!」

乾いてガラガラの喉で笑い飛ばし、シリウスの背中を力の入らない手でぱしんと叩いた。

 フロレンツはその二日後に息を引き取った。海賊たちは大海原で頭を無くし、混乱状態に陥った。引き返すかそのまま進むか。これからの海賊団は誰がまとめるのか。話し合わないといけないことは山積みであるのに、船長を失ったショックから誰もが前に進めずにいた。すると、船の船医がおずおずと切り出した。

「皆さん。フロレンツ船長から遺言があります。『俺が死んでも船は絶対に止めるな。必ず目的地まで航海を続けろ。俺は一足先に島に行って酒でも飲んでることにする。お前ら、楽しくやれよ。』…とのことでした。」

船医は嗚咽を抑えながら伝えた。船員たちは皆涙を流しながら、東の島を目指すことを心に決めた。船医のアドバイスで、船長の遺体は海洋葬にすることにした。棺代わりの木の箱に船長の遺体と酒、好物のドライフルーツとナッツ、船員の書いた手紙などを入れそれぞれがお別れを済ませた。船長が一番好きだった黄昏時、穏やかな表情で船長は静かに海に還ったのであった。

 船長の死から数ヶ月が経った日の夕刻、真っ赤に燃え上がる夕陽の中、東の島の遠洋に一隻のガレオン船が到着した。ホッフェン海賊団は途中数名の船員を失ったが、なんとか目的地に到着したのだ。船内では、目的地に着いた安堵感、船長との約束を果たせた達成感から、皆泣きながらお互いに抱き合ったのだった。

 その日の夜、ホッフェン海賊団一行は港の酒場で酒と豪華な食事を楽しんでいた。皆店員や他の客に航海中の武勇伝や、自分がかつて見つけた宝の話などを自慢げに語るのだった。閉店の時間になってもその熱は冷めず、酒場の店主から大量の酒と食べ物を購入すると、船に戻り朝方まで宴会を続けるのであった。 

 シリウスが痛む頭を抱え、甲板でもぞもぞと起き出したのは翌日の昼前であった。辺りに酒の瓶や食べかけの料理が散らばっている。一度船室に戻ろうとドアを開けると、海賊団で一番年長の男が他の船員たちと揉めていた。シリウスがドアの隙間から聞き耳を立ててみると、その年長の男は船を降りるというのだ。

「フロレンツが亡くなって数ヶ月航海したが、昔みたいな胸が高鳴るような感覚が分からなくなっちまったんだ。俺は見習いの頃からずっとフロレンツと一緒に海賊やってきて、ホッフェン海賊団も一緒に立ち上げたんだ。あいつがいない船で航海してもなんだか味気ないんだよ。」

男は俯き、目に涙を浮かべながらため息まじりに言った。すかさず言い合っていた船員が、

「待ってください!フロレンツ船長は航海を続けろって言っていたじゃないですか!海賊団を一緒に創設したんだったら尚更、この海賊団を繋いでいかないと!なんで…!」

と涙ながらに訴える。年長の船員はしばらく黙って、すまない、とだけ言い残し船室に戻ってしまった。船員はやるせなさを隠しきれず、拳を握りしめた。フロレンツの死後、船に乗り続ける理由を見失う者がいたのも事実だったが、船長の遺言であるこの島までは航海を続けようと心に決めていたのだ。だが、島に着いてしまえば燃え尽きたように、頭を失った船で航海を続けることへの虚無感が大きくなり始めたのだった。シリウスは静かに自室に入るとベッドに飛び乗り枕に顔を埋めた。自分は船に乗って自由気ままに航海することをやめたくない。だが、大好きだった船長の目標を達成してしまった今、次の航海に対してのモチベーションを保てるか、船長の期待に添える冒険譚を後世に残せるか、とぼんやり酒の残る頭で考えた。次の日、年長の男は荷物を一式持ち船を降りた。船員はなんとも言えない面持ちで男の背中を静かに見送った。その後、数名の船員が後を追って船を降りていった。シリウスを含めた残りの船員たちは今後の航海について延々と話し合った。しかし、船長の死後、海賊団をまとめていたのは船を降りていった年長の男であったため、半数以上は海賊団存続は難しいと感じていた。そこで一行は、本拠地のある南の海域に戻るのを最後の航海とすることに決めた。ホッフェン海賊団としての最後の航海はあまりにも味気ないものであったが、本拠地のある南の海域に入ると、実家に戻ってきたような安心感に包まれた。そして、ホッフェン海賊団は解散した。


 シリウスはテーブルに広げた羊皮紙をくるくると丸めてしまうと、残っていたビールを一気に飲み干し、しばらくの間何かを考えていた。離れた席から漁師たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。シリウスは席を立つと店主に金を渡し店を後にした。シリウスは家に向かってとぼとぼと歩みを進めた。途中自身が働く船の修理ドックの前を通りかかると、半開きのシャッターの隙間から光が漏れていた。中を覗くと棟梁が修理中の船の上で作業をしていた。シリウスは船に近づき下から声をかける。

「棟梁!」

棟梁は声のした方に顔を向ける。おお、と手を振ると船上から叫んだ。

「シリウス!こんな時間に何やってんだ!」

棟梁が問いかけると、シリウスは船に上がり、

「ああ、まあちょっと酒場で飲んでたんですよ。」

とどことなく歯切れの悪い返事をした。棟梁はへえ、そうか。と作業をしながら返した。

「棟梁こそこんな時間に作業ですか?」

とシリウスが話を変える。どうやら船の修繕を頼んでいた海賊団が、出航の日をどうしても早めたいと言ってきたらしい。今日の終業間際にその連絡を受けた棟梁は、日程的に無理があるとその時は突っぱねた。しかし棟梁は次の日が休みということもあり、夜遅くまで一人残って作業していたらしい。

「海賊ってのは馬鹿だからよ。一回突っ走ると止められないんだよ。馬鹿なんだよ。ロマン馬鹿。」

はははと豪快に棟梁は笑う。シリウスはその言葉に、やれやれと呟くと工具を手にし作業を手伝うことにした。棟梁は長年修理工を務め、大所帯の修理ドックを見事にまとめ上げていた。その腕前は多くの海賊や漁師から高く評価され、皆から慕われていた。 

 日の出前、ようやく船の修繕が完了した。二人は綺麗に仕上がった船を見上げ、満足そうにコーヒーを飲んでいる。棟梁はシリウスに一枚の紙を渡し、

「俺は一旦寝る。引き渡しの時間は今日の正午だと船長に伝えててくれ。対応は俺がする。奴らはここの酒場にいるから、それが終わったらお前も帰っていいぞ。」

と伝えると、欠伸をしながら奥の作業員控室に入っていった。シリウスは修理ドックの半開きのシャッターを少し押し上げ外に出ると、一度大きな欠伸をして、紙に書かれた酒場に向かったのだった。

 

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