碧い涙

 翌朝、ブルーノはいつもの場所に新聞の入った籠を抱えてやってきた。するとそこにはボロボロの青い布と見知らぬ靴が置いてあった。ブルーノは何だろうと不審に思いつつ、その布を広げはっと息を呑んだ。ブルーノはその布を丸め、新聞を入れていた籠に大事そうにしまうと、神妙な面持ちでうん、と呟いた。しばらくして数名の住民が新聞を買いにやって来た。ワルダ村では毎朝のように見られる光景である。ブルーノの売る新聞は村の多くの住民に読まれていて、記事に書かれたことがその日一日のトピックになるのだった。新聞を買った一人の男がその場でパラパラと新聞を読み始めた。

「へえ。霧が裂けちまってもなーんにも不都合なことはおこりゃしなかったなあ。…ほう、やっぱ大きい街は違うねえ。…ありゃー。なんて可哀想なこった。」

とぶつぶつ独り言で感想を述べながら帰っていく。ブルーノは新聞を捌きながらそわそわと落ち着かない様子で、ロゼから渡されたメモをポケットの中で握りしめた。しばらくすると、見慣れない顔の男二人こちらに向かってきた。

「新聞を売ってくれないか。」

一人の男が声をかけ、ブルーノはいつものように新聞を渡し銀貨を受け取った。見慣れない顔の男はブルーノに背を向け、歩きながら一面の記事を何気なく読んだ。しかし、すぐに足を止めこそこそと二人で耳打ちすると、青ざめた顔で引き返してきた。そしてブルーノに尋ねた。

「ちょっといいかな、君。この新聞の記事は誰が書いているのかな?」

ブルーノは手短に俺だけど、と答えた。するともう一人の男はブルーノの前に屈み込んで一つの記事を指差し、

「この記事について詳しく聞かせてくれないか?」

と迫った。ブルーノは記事について二人の男に話し始めた。

「昨日新聞を売りに村の方に来る途中、湖の近くを通ったら畔に人影が見えたんだ。普段人気のない場所だからさ、不思議に思って声をかけたんだ。そうしたらその人突然大声でよく分からないことを叫びながら、暴れ出したんだ!化け物がどうとか、呪いがどうとか言ってたかな…。俺怖くなっちゃてその時は逃げちゃったんだけど、帰りに同じ道を通ったんだよ。そしたら、朝その人が暴れていた場所にこの服とメッセージが残してあったんだ。」

ブルーノは籠に入れていた青い布と傷ついたエナメルのパンプス、一枚のメモを見せた。メモにはこう書かれていた。

『私は呪いにかかり醜い化け物となりました。もう生きてはいけません。お父さん、お母さん、今まで育ててくれてありがとう。遺体は探さないでください。さようなら。 ロゼ』

男二人は青ざめた顔を見合わせた。男はブルーノにこう持ちかけた。

「あまり大きい声では言えないが、俺たちはこの服の持ち主を探してこの村に来た。よかったらその服と靴、遺書をくれないか。…遺族に渡したい。」

ブルーノは

「いいよ、あげる。その代わり条件がある。」

と提案した。

「条件?一体どんな?」

二人の警備隊の男は尋ねた。

「この新聞を村の外でも広めたいんだ。どこでもいいんだけど、大きな街の方でばら撒いてくれない?」

ブルーノはそう言うと、新聞の束とともに青い布とパンプス、遺書を差し出した。男たちは一度考えた後承諾し、それらを受け取ると走り去っていった。ブルーノは男たちの去っていった方向をしばらく見つめていた。


 ネーべルの街では昨日までと打って変わって、人々が公園や家の庭で日光浴を楽しんでいる。皆数日前の悪夢のことはすっかり忘れているようだった。事件のあったブルーム通りでさえも、以前と変わらず少女たちが各々お気に入りの服で粧し込んで通りを闊歩している。寧ろ柔らかな光で彼女らは以前よりもキラキラと輝いていた。一方、街の一等地に建つ少女の住んでいた屋敷では、少女の父親のトムと母親のマリアは憔悴しきった様子であった。ロゼがいなくなった後もしつこく数名が屋敷の前で張っており、二人が窓辺や庭に姿を見せると罵声を浴びせるのだった。そんな中、街の警備隊の数名が息を切らしながら屋敷に駆け込んできた。二人は何事かと警備隊に尋ねる。警備隊の隊長と思われる男が重い口を開いた。

「トムさん、マリアさん、落ち着いて聞いていただきたいのですが、お二人に見ていただきたいものがあります。」

そう言うと、一部の新聞を二人に差し出した。

「おそらく、ロゼさんはもう探しても見つからないでしょう。」

二人は示された記事を凝視した。そこには『ワルダ村で少女自殺か。遺書、遺品見つかる』という見出しに続き、自殺前の少女に会ったという人物の証言が載っていた。そこには肌に禍々しい痣のようなものがあり、呪いだと叫んでいたと言うようなことが載っていた。二人は青ざめた顔で息を呑んだ。マリアはようやく口を開くと警備隊に

「新聞記事だけでは確信が持てないわ!遺体は上がっているの?」

と食ってかかった。すると警備隊の隊長はビニール袋に入ったボロボロの青いワンピースと靴、遺書と思わしきメモを渡した。その服や靴は事件の日にロゼが身につけていたものであり、遺書も明らかに彼女の筆跡であった。二人は狼狽しその場に崩れ落ちた。隊長は気の毒そうに続ける。

「ご遺体に関してなのですが、本人の希望もあるのですが、この新聞記事を書いている人物によると、その湖はかなり底が深く人が立ち入れるような場所ではないみたいなのです。捜索は困難かと・・・。」

二人はまるで現実を受け入れられなかった。

 その日の夜、街の警備隊の男の一人は新聞屋の少年との約束を思い出していた。そして、ネーべルの街の配達業者に頼み、どこの家でもいいからこの新聞全てを投函してくれと頼んだ。翌日、その新聞はネーべルの人々の目に触れ、化け物は死んだという話が街中に広まった。すると、トムとマリアの家に張り付いていた人々が一人、また一人と減っていった。中には化け物と罵声を浴びせてしまい申し訳なかった、謝罪させて欲しいと申し出る人もいたが、二人には全く話が届かないようであった。マリアは部屋のソファに腰掛け、家族三人で撮った写真を見つめている。全く顔の似ていない親子。

「また二人になってしまったわね。」

とため息まじりに呟き、涙を零した。

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