逃走

 完全に日が落ちた頃、ロゼは家から数キロ程離れた雑木林の中にある空き家に隠れていた。空き家は半壊しボロボロで窓も割れ、カサカサとなる虫の羽音がなんとも不気味であった。見慣れているはずの夜がとても暗かった。じっと息を潜めていると、街の警備隊らしき数名が何やら話をしながら近づいて来るのが分かった。ロゼは息を殺し耳をそばだてた。

「まだ十代の女の子って話じゃないか。かわいそうに。」

「恐らく街のどこかに隠れているんだろう。きっとすぐに見つかる。」

「なんでも感染症とか呪いの一種らしいじゃないか。あんまりうろうろ動き回られると困るな。」

「取り押さえるときは気をつけろ。うつされないように防護服をしっかり着ておけ。」

などと話しながら警備隊は空き家の前を通過していった。ロゼは蔦の這った壁に背中を預け息をゆっくり吐き出す。ここに居ても見つかるのは時間の問題だ。なんとかしてネーベルの街から出られないかと思案を巡らせた。その時、数十メートル離れたところにある林道の方で、ぎいぎいと音が聞こえた。ロゼは体を小さく丸めた。すると、そのうるさい音に混じって男の鼻歌が聞こえてきた。ロゼは恐る恐る割れた窓から外を覗くと、初老の男が荷引き馬車に乗ってゆっくりと林道を進むのが見えた。ロゼはこの馬車がネーベルの街から数十キロ北にあるワルダ村へ荷物を運ぶものだと知っていた。ロゼは、頭から被ったショールをぎゅっと握りしめ、空き家からさっと飛び出すと、運転手の男に駆け寄り声をかけた。

「すみません。」

男はかなり驚いた様子を見せたが、ロゼは構うことなく早口で話を進めた。

「この馬車はワルダ村へ向かうんですよね?荷台に乗せてもらえませんか?もちろんお金はお支払いします。」

男は、財布を握りしめながら必死の形相で訴えてくる怪しげな少女をしばらく怪訝そうに見つめ、口を開いた。

「ああ、確かにワルダ村には行くが…。」

運転手の男は戸惑っている。

「お願いします!どうしても急ぎ行かないといけなくて!」

ロゼは財布から数枚の大ぶりの金貨を取り出し男に握らせた。男は少しの間悩んだが、仕事の邪魔にならないならいい、と少女をワルダ村まで運ぶことを受け入れた。ロゼは何度も礼を言うと、あたりを少し気にしつつ、さっと荷台に潜り込んだ。荷台の中には古い本の山や中身の分からない木製のコンテナ、丸められた絨毯などがぎゅうぎゅうに詰められていた。ロゼは固いコンテナの上に腰掛けると、ゆっくりと動き出す馬車に揺られてネーベルの街を出た。

 ロゼが眠りこけている間に馬車はワルダ村に到着した。運転手が着いたぞ、と声をかけるとロゼははっと目を覚まし、荷台からするりと降りた。ロゼは運転手にさらに銀貨を数枚渡し、礼を言って足早に立ち去った。ワルダ村に到着したのは深夜であったが、空には見たことのない大きく丸い光が浮かび、明るい夜だった。村はしんと静まり返り、人は誰もいない。ロゼはとにかく隠れられる場所を探そうと村の中に足を進めた。数軒の民家、商店、八百屋などが静かに佇んでいる。すると村の奥の方に、「立ち入り禁止」の看板の立つ空き地を見つけた。空き地は長年人の手が入っていないようで、腰程の高さの草で一面覆われていた。ロゼはその空き地に身を隠そうとどんどん草をかき分けて進んでいく。すると、空き地の奥が森へと繋がっていることに気づいた。その森には枯れた池や遊歩道のようなものがあり、奥に進むことができるようになっていた。ロゼはきょろきょろとあたりの様子を伺うと、森の中へと入り、遊歩道を歩き始めた。森の中には木々の葉が強い風に揺さぶられる音が響いている。数十メートル進んだところで、湖とその周りを取り囲むように生える一層大きな木が目に入った。その木は根元が大きく地表に這い出ており、ドームのようになっている。ロゼは木の根元を覗き込んだ。大人が二人は入れるような広さがあるだろう。ロゼはゆっくりと木の根のドームに這い入ると、根に寄りかかるようにして座り、一息ついた。中ではしっとりと湿った根や苔が優しくロゼを抱きしめ、吹き付ける風からも守ってくれる。ロゼは段々と眠たくなり、ショールを肩に掛け、目を閉じた。


 一方ネーベルの街では、警備隊による化け物の捜索が夜遅くまで行われていた。ブルーム通りの店、街中の細い路地裏や家屋の庭、橋の下まであらゆる場所を捜索したが、見つけられたのはゴミ箱に乱雑に捨てられた白いワンピースだけであった。日中は日の光を避けながら、夜は暗がりの中で。思うように捜索をすることができなかったため、一度捜索は打ち切りとなった。少女の家の警備隊も、下水の流れる地下道まで探したが手がかりすら掴めなかった。マリアはトムに、夜は捜索の効率が悪いこと、夜間家の警備が手薄なのは危険であることを伝え、一度警備隊を呼び戻すことを提案した。

 翌朝、午前六時頃ロゼは眩しさで目が覚めた。ロゼが眠っていた木の根元には柔らかく光が差し込んでいた。ロゼは大木の根の隙間から今までに見たことがない鮮やかな世界を垣間見、息を呑んだ。湖は空の青を映し、木々の葉はキラキラと輝くエメラルドの様だった。ロゼは木の根からのそのそと這い出ると、鏡のような湖に近づき水面を覗く。そこには斑模様の化け物が映し出された。ロゼは悲鳴をあげそうになるのを必死で堪え、木の根元にまた這い戻るのだった。ロゼはその悍ましい顔が脳裏に焼き付き、木の根に包まれたまま暫く動けずにいた。体を丸め頭からすっぽりとショールを被る。その時、腕の斑模様が昨日よりも薄く消えかかっていることに気づいた。ロゼはよく見ようと明るい方へ腕を伸ばした。すると、光に当たったところからじわじわと斑が濃く浮き出たのであった。ロゼは急いで腕を引っ込めるとショールをしっかりと被り直した。

 森の中は巨人のような大木が生い茂り、木陰が多く見受けられた。昼過ぎあたりになりロゼは恐る恐る木の根から這い出した。そして光を避けながら再び湖に近づく。ゆっくりと覗き込むと、あっと声を上げた。顔の斑模様はやや薄くなっていたのだ。ロゼは安堵のため息をつくと湖の畔に座り込んだ。暫く青い空を見上げ、胸いっぱいに森の空気を吸い込んで落ち着いた頃、辺りを少し散策してみることにした。ロゼは立ち上がり、遊歩道のところまで出ると、森の奥へと進んでみることにした。辺りはどこも同じような景色だった。さらに奥へ奥へと歩みを進めると前方にいくつもの異質な看板や貼り紙が見えた。そこには、私有地につき立ち入りを禁ずると書かれており、バリケードのようなもので道が塞がれていた。その奥には森の木々に隠れた廃墟の屋根のようなものが見えた。ロゼは何だろうと気にはなったが、それ以上に不気味に思い、光を避けながら遊歩道をそそくさと戻っていくのであった。暫く歩くと湖のある場所に戻ってきた。大木の根の中に滑り込み、一息つく。遠くの方で真っ赤な光の塊が沈んでいくのが見える。しばらくした後、ロゼは初めて自分が空腹であることに気づいた。ロゼはぐうぐうと鳴き声を上げる腹をさすりながら木の根から這い出ると、湖に近づき、湖面に顔を映して斑の様子を伺った。かなり疲れた顔をしているが、一見分からない程斑は薄くなっていた。ロゼは村の方へ降りてみることに決めた。

 ロゼが村に着く頃には日は完全に落ちていた。村の家々には灯りが灯り、通りには出店がいくつか並び村人が夕食を食べたりしていた。人々の会話をこっそりと盗み聞いてみると、霧が裂けたことや光の話で持ちきりだったが、失踪した化け物の話は聞こえて来なかった。ロゼが彼らの近くを通ると、村人はあまり見ない顔だ、とひそひそと話し始めた。ロゼは居心地が悪くなり、近くにあった小さい商店へと逃げ込んだ。そこの商店は女主人が経営しており、食品や衣類、生活雑貨などが所狭しと並んでいた。女主人はレジのカウンターからいらっしゃいと威勢よく挨拶し、ロゼは目を合わせないようにどうも、と小さく会釈した。女主人はロゼの顔をまじまじと覗き込むと、

「あんた、この村の住人じゃないね?どこから来たんだい?」

と問いかけた。ロゼは旅をしていて・・・と口籠る。女主人は、そんな格好でかい?と驚く様子を見せた。確かに埃に塗れているが、他所行きのワンピースにショール姿と旅人の風貌ではない。女主人は狼狽えるロゼの横を通り過ぎると、商品が陳列される棚を示し話し出した。

「うちの店はこの村で唯一の商店でね。一通りなんでも売ってるよ。」

近くに陳列されていた菓子を手にとってロゼに持たせた。

「見た感じ、旅人っていうか…。」

ロゼはおずおずと口を開いた。

「実は親と喧嘩してしまって。家を出て来たんです。」

ロゼが咄嗟に嘘をつくと、女店主は

「やっぱりね!そうじゃないかなって思ったんだよ!まあ、人生色々あるもんだからさ。」

と豪快に笑いロゼの背中をばんと叩いた。そしてロゼに食品、水、地図や衣類、歩きやすい靴など必要そうな物を見繕ってくれた。ロゼはお金を渡し、礼を言うと少し安堵した様子で商店を後にした。ロゼは両手にいっぱいの荷物を抱え空き地に戻る途中、気のいい女主人の優しさを思い返していた。


「ちょっと、お姉さん。」

突然暗がりから声がした。はっと声のした方へ視線を向けると、そこには地面に胡座をかき、新聞を売っている少年がこちらに向かって手招きしていた。ロゼはあまり関わりたくないと思ったが、その少年は目を輝かせながら手招きを繰り返す。ロゼはおずおずと少年の方へ歩みを進めた。

「お姉さん、この村の人じゃないよね?もし良かったら僕に面白い話聞かせてよ。」

少年は言う。ロゼは不審に思いつつ、少年の前に屈み話を聞くことにした。新聞を売る少年はブルーノといった。ブルーノはこの村の人向けに毎日新聞を書いているといい、新聞をロゼに一部手渡した。記事を読んでみると、この村の話題だけでなく、ネーべルの街のお店の情報や旬の野菜の情報、到底少年には理解できないような小難しい経済の話など話題は多岐に渡っていた。だが、やはり一面に大きく載っていたのは突如として消えた霧の話であった。

「この記事全てあなたが書いているの?」

とロゼが記事を読みながら問いかける。ブルーノは自慢げに、

「書いているのは僕だよ。でも話のネタを色んな人から売ってもらってるのさ。例えばよく大きな街に行く馬車の運転手とか、お姉さんみたいな旅人とかにね。」

と得意げに答えた。ロゼの瞳が一瞬ゆらっと煌めいた。そしてブルーノにある提案を持ちかけた。

「私は大きな街の出身だからあなたがまだ知らないような話をたくさん知っているわ。それを無料で提供する代わりに、明日の新聞にある記事を載せて欲しいの。どうかしら?」

ロゼが持ちかけると、期待と警戒を含んだ何とも言い難い表情で、

「明日?んー、急だなあ。まあそれはなんとかなるかもしれないけど。でもその内容によるかな。到底新聞に載せられないような記事だったら無理だからね。」

とロゼの方に人差し指を突きつけながら返した。ロゼは微笑みながらええと頷いた。

 ロゼは抱えていた荷物を地面に置くと、ブルーノの横に座った。そしてネーべルの街で今流行りの喫茶店の話や、新しくできた本屋の話などいくつかを提供した。ブルーノは熱心にメモを取っている。ブルーノは全ての話を聞き終えると、

「さすが、街住みのお姉さんは違うなあ!荷引きのじいちゃんからはこんな話聞けないよ。」

と興奮気味に目を輝かせている。

「いいのよ。」

ロゼは微笑むと、ブルーノが書き散らしていたメモ帳とペンをすっと取り上げた。ブルーノはロゼの方へ視線を移した。

「それで本題なのだけど…。」

ロゼは話ながらスラスラと文字を書いていく。一枚、そしてもう一枚書き終わるとブルーノに手渡した。ブルーノは二枚のメモ用紙を受け取り、表情を曇らせた。

「これ、本当なのかい?うち基本的にフィクションは載せない主義なんだけど。」

と眉を顰めた。ロゼは

「ノンフィクションよ。心配しないで。載せてもらえるわよね?」

と笑顔でやや圧をかけた。そして、

「一つ注意があるのだけど、その記事のメモは必ず処分して。もう一枚の方は…機会があったら使って。それじゃあ。」

と残し荷物を抱えて立ち去った。ブルーノは少し疑り深い視線をロゼの背中に投げかけると、渡された二枚のメモに視線を落とした。

 事件の翌日、ネーブルの街は早朝から騒がしかった。街の住民はカーテンの隙間やドアの陰から外の様子を伺っている。空は深紺から赤の美しいグラデーションを作り出している。しばらくすると赤々とした光が顔を覗かせた。人々の中には、この光を浴びると例の化け物になってしまうと信じている者が多くいたが、神々しい美しさに人々は感嘆した。しばらくすると街の警備隊が化け物の捜索を再開した。警備隊は光が当たらないように傘のようなものを被り一軒一軒家を訪ねた。しかしどの住民もあの化け物を匿うわけがない、今窓の補強作業で忙しいから他を当たれなどと、手一杯の様子で一向に手がかりは掴めない。その日、事件の時にロゼと一緒にお茶をしていたエリーの家にも警備隊が訪れていた。

「昨日君はロゼと一緒にいたんだね?」

警備隊の男がエリーに尋ねた。エリーは顔面蒼白でおどおどしながら警備隊の質問に答えた。

「昨日は、ブルーム通りでお買い物をした後に少し休もうと思って喫茶店に入ったんです。そうしたら突然目の前が明るくなって…。二人で顔を見合わせていたらロゼの顔とか腕に痣みたいなものが浮かび上がったんです。私パニックになってしまってロゼを置いて逃げてしまったの!その後の行方は分かりません…。」

エリーは当時のことを思い出し身震いすると、もういいかしら、と残し家の中に入っていった。警備隊は手当たり次第街を捜索したが結局何も分からないまま、辺りは暗くなっていくのだった。

 その日の夜警備隊の本拠地では、街の警備隊がこれからの捜索方針について話し合っていた。警備隊の長は

「もしかしたらもう街の外へ出てしまったのかもしれないな。そうなってくると我々の管轄外になってしまうのだが。皆はどうしたいか?」

と問いかける。すると皆が口々に意見を述べた。

「街の外に出たのならあえて深追いする必要はないんじゃないか?俺たちの守るべき街が安全ならそれでいい。」

「いや、巧妙に俺たちの捜索を掻い潜っているだけかも知れない!まだ街に潜伏している可能性も捨てきれないだろう。」

「もし街の外に出ているなら追いかけて捕まえるべきだ!いつ戻ってくるか分からないぞ。」

「どこを捜索するにしろ、あの光を避けながらってのは無理がある。効率が悪すぎる。」

さまざまな意見が交わされた。結局議論は白熱し、意見がまとまらないまま警備隊は疲弊しきった様子でそれぞれの家路についたのであった。

 

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