薔薇と斑

 オーブスト島の中心部、鉱山の麓の街ネーベル。そこは鉱山産業で栄えた大きな街で、多くの商店や市場、カフェ、書店などが軒を並べていた。人々は買い物を楽しみ、時には公園や海辺でゆったりとした時間を楽しんでいた。側から見ると非常に違和感のある不気味な光景である。皆数メートル先も見渡せないほど深くどんよりと暗い霧の中で楽しそうに生活しているのだ。誰一人としてこの異常現象に疑問を持つものはいなかった。

 街の中でも特に華やかなエリアがブルーム通りである。そこに並ぶのはパステルピンクやライムグリーンの可愛らしい焼き菓子や煌びやかな装飾のついた化粧品、フリルのたっぷり使われたブラウスやリボンのついたワンピース。街の少女たちが胸をときめかせるようなものばかり。少女たちは目当ての店に入ると店中をくるくると歩き回り、大きな紙袋を手に満足そうに店を後にする。


 ロゼは一番お気に入りの青いロングワンピースに、白色のシェルの形ポシェットを掛けて友人のエリーとブルーム通りを闊歩していた。

「今日はどこのお店を見る?」

ロゼは問いかける。

「まずはヴィオレッタでワンピースのチェックね!あとマリーコスメの新作リップも見たいし…。喫茶店でお茶しながらおしゃべりもしたいわ!」

エリーはあちこちと指を差しながら興奮気味に答える。

 まず二人は軽やかな足取りで洋服店ヴィオレッタに向かった。店の中はパステルカラーのかわいらしい服や小物が陳列されており、思い思いの服に身を包んだ少女たちで溢れかえっていた。ロゼは店の中で一番奥に陳列してあった真っ白のレースのワンピースとサテンの水色のショールのセットに目を奪われた。ロゼは

「ねえ、このワンピースとても素敵じゃない?似合うかしら?」

と問いかけるが、エリーは自身の買い物に夢中である。ロゼの持つワンピースに一寸目をやると、あら、いいんじゃない?と一言だけ返し、手元のフリルのついたスカートに視線を戻した。二人はそれぞれ気に入ったものを購入し、満足げに店を後にした。エリーは少し疲れてしまったからと、喫茶店でお茶でもしようと提案した。ロゼもその意見に賛成し、一番近くにあった美味しい紅茶を淹れてもらえると有名な喫茶店に入った。店内は暗く、蝋燭のようなオレンジ色の優しい燈が灯っており、人々は優雅に紅茶やお茶菓子を楽しんでいた。二人はブルームのメイン通りに一番近いテラス席に通された。エリーは席に着くとさっとメニューを開き、何にする?ケーキがいいかしら?それとも焼き菓子にしようかしら?と首を捻りながら考えている。

「私はアールグレイとラズベリースコーンにするわ。」

とロゼはメニューも見ずに決めた。エリーは暫くメニュー表と睨み合って、オレンジのパンケーキとダージリンのセットにすることに決めた。二人は近くを通りかかったウェイトレスに注文を申しつけた。二人は注文したものが来るまで最近流行りのコスメの話や、先ほど購入した服の自慢話で盛り上がっていた。


 その時突然目の前が明るく開けた。二人は何が起きたのか全く理解できなかった。辺りを見渡すと街にいた人々は全員が上を見上げている。すると一人の青年が

「どういうことだ?」

と困惑しながら呟いた。人々は何が起きているんだ?と口々に騒めき、狼狽えた。強い光に照らされた通りの看板は禍々しい赤や緑に反射し、少女たちのサテンやレースのワンピースがチカチカと煩い。ロゼとエリーは二人でこの異常事態に固まっていた。すると二人が座っていたテラス席に強く光が差した。ロゼは目が焼けて落ちるような感覚に顔を顰める。数秒がたった時、突如エリーの悲鳴が耳を裂いた。エリーはパニックになり悲鳴を上げながら、椅子を蹴り飛ばして逃げ出した。ロゼは突然のエリーの行動に困惑した。人々が逃げ惑うエリーに視線を投げかけた。

「エリー待って!どうしたの!?どこに行くの!?」

と呼びかけ、彼女の後を追おうと鞄へと伸ばした腕を見て驚愕する。ロゼ腕にはどす黒い斑模様がくっきりと浮かび上がっていたのだ。それは腕だけでなく顔や首にまでも広がっていた。ロゼが目を見開いて腕の斑を凝視すると、それはまるで強い光に照らされて生き物のように蠢いているようだった。その時隣の席でお茶を楽しんでいた少女三人組から悲鳴が上がった。

「きゃあああああ!あれは何!?」

「肌が黒くなっているわ!」

人々の視線がロゼに集中する。周りにいた人々は慌てながらロゼからさっと距離を置く。ロゼは両手にできた気味の悪い模様を凝視し、固まってしまった。すると、

「呪いだ!」

ロゼを囲んでいた人々の中、一人の男が叫んだ。

「霧が裂けたからだ!災厄が起きたんだ!」

別の男が叫ぶ。

「この光に当たったからよ!陰に隠れて!」

「何か病気かもしれない!その子から離れろ!」

「いいえ、捕まえて役所に引き渡しましょう!」

恐怖で人々は次々に叫び出す。少女たちの悲鳴や街行く人々の罵声怒声が響き渡り、皆が逃げ惑う。野次馬たちもひと目ロゼの肌を見るなり、化物だと罵った。得体の知れない物への戸惑いと恐怖が周辺を襲い、人々のパニックを引き起こす。ロゼに向かって食器や菓子、ゴミが飛び始めた。ロゼは身の危険を感じ、荷物をひったくるとひたすらにブルームのメイン通りを走った。少女の背後からは大波のように人々の怒声が聞こえる。

「なんだ!?」

「この光に当たると化け物にされてしまうぞ!」

「感染症よ!早く捕まえて!」

「早く陰に隠れろ!」

「化け物だー!」

ロゼは近づいてくる大人たちの手を払いのけ、投げつけられる石や水を身に受けながらひたすらに走った。どんどん青く、明るくなっていく空の様子に、街の人々は慌てて建物の中に隠れたり、持っていた衣服で肌を覆い光から逃れようと必死だ。ロゼはメイン通りを駆け抜け、路地裏のゴミ置き場の陰にしゃがみ込んだ。荒い呼吸が震えている。生まれて初めて自分に向けられた人々の怒りや蔑みの言葉に鳥肌が立った。恐る恐る両腕を確認すると、先ほどの斑が気味悪く蠢いている。ロゼは混乱し、すすり泣きながら頭を抱えた。可愛らしいエナメルのパンプスは傷だらけになり、靴擦れで踵から血が滲んでいる。ロゼはなんとか呼吸を落ち着かせ、そっと周囲に聞き耳を立てた。遠くで人々の叫び声が聞こえる。ロゼは恐怖で鈍った頭を必死に働かせ、とにかく家まで帰ろうと考えた。現在の場所から家までは歩いて十分程だ。ロゼはぐしゃぐしゃになった紙袋から水色のサテンのショールを取り出し頭から被ると、購入した白いワンピースを袋ごとゴミ箱に捨てて、家までの道をさらに走った。薄暗い裏通りで数人の住民とすれ違った。ここまではまだ騒ぎが広がっていないようで、不思議そうに一瞬彼女に目をやるが、皆一様に青くなった空を陰から見上げていた。ロゼは細い通りから通りへと全速力で走り抜けた。慣れている道だったが、いつもと見え方が違うためか全く知らない土地を走っているように心細く感じた。数分走ってなんとか家の敷地に辿り着いた。ロゼが暮らす家はネーベルの街でも有名な豪邸で、大きな庭があり、大変立派な門の外には警備隊の男まで立っている。ロゼの父親のトムはブルーム通りで人気の菓子店の経営者、母親のマリアは非常に優秀な医師であった。トムは美しく成長するロゼを非常に可愛がり、愛らしい服やお菓子などを買い与えた。一方マリアは、将来ロゼに医師になってもらいたいと考えていたため、幼い頃から熱心に教育し、自身が卒業した私立の女子校に入学させた。そのため、ロゼは教養ある美しい少女だと街でも評判が高く、二人はそのことを非常に心地よく思っていた。両親はこの姿を見たらショックを受けるに違いない。娘が呪われたと噂が広がったら父の店は潰れ、母も医師として仕事ができなくなる。もしかすると街の人々と同じように自分を攻撃してくるかもしれないと色々な感情が胸の中に渦巻いた。ロゼは家の正面の門ではなく、庭につながる柵をよじ登り敷地内へと入り、庭の生垣の陰からこっそりと家の中の様子を伺った。トムとマリアは二人して大きな窓にかかるカーテンの隙間からじっと空を見上げていた。しばらくすると二人は窓から離れ、姿が見えなくなる。ロゼは家の正面の門の方が騒がしいことに気がついた。ロゼは生垣に身を隠しながら、正面の門の見える場所まで這い進んだ。ブルーム通りで騒ぎを見ていた人々が家まで押しかけてきたのだ。皆傘をさしたり、上着を頭から被るようにして身を守っている。トムとマリアも大きな蝙蝠傘をさし、警戒しながら外に出て来たのが見えた。

「今日街の中心地で騒ぎがあったの知ってるか?」

一人の男が門番を押し退け、トムに問いかける。トムはこの空のことだろ?と煩そうに返事する。

「ロゼは帰ってないの?」

男の隣にいた青年が家の中を覗くように尋ねた。

「ロゼは今日お友達とお買い物に行っていて、まだ帰ってきていないわ。突然こんなことになったから心配していたところだったのよ。」

マリアがそう伝えると、数名の住人は目を見合わせた。すると青年は、

「少し前にブルーム通りでこの光に当たった女の子が突然化け物みたいになったんだ!それが…ロゼにそっくりだったんだよ!青いロングワンピースを着ていた!」

と捲し立てた。するとトムは怪訝そうに青年の顔の前に人差し指を突き出して見せた。

「化け物とはどういうことだ。馬鹿げたことを言うんじゃない!」

青年はトムの指を払い除け主張した。

「確信は持てないけど。確かに似ていたんだ!一緒に出かけていた友達ってエリーじゃないのか?」

青年の言葉にトムとマリアは押し黙って目を見合わせた。

「本当にそれはうちの娘だったのか?ロゼだったのか!?その後その化け物とやらはどこに行ったんだ!?え?」

トムは青年に掴みかかり肩を激しく揺さぶった。青年は、みんなパニックになっていたからその後どこに消えたか分からないと首を横に振った。そこまで黙って聞いていたマリアは青年を問い詰めるトムを一旦落ち着かせ、ゆっくり一つ一つ説明するように求めた。すると一緒に来ていた初老の女が口を開いた。

「午前十時頃だったかね、私は喫茶店で紅茶を飲んでいたのさ。そこにロゼちゃんとお友達が二人で来てね。二人は確かテラス席で楽しそうにおしゃべりしていたんだが、突然こうさ。そこで悲鳴が上がって。私も眩しくて良くは見えなかったんだけれども、ロゼちゃんの腕や顔一面に黒い痣みたいなものが浮かび上がっていたように見えてねえ。心配で来てみたのさ。」

トムとマリアは黙って眉間に皺を寄せながら真剣に話を聞いていたが、

「なんだその話は!作り話だろう、馬鹿げている!」

と拳を握りしめトムは真っ赤な顔で発狂しそうな程であった。マリアは数名の住民に分かった、ありがとうとだけ伝えトムを引きずって家の中に消えていった。ロゼは生垣の間からその話を聞いていた。その後も門の外には数名の住民が押し寄せてきて、

「おい、俺はお前のとこの菓子を食っちまったんだ!呪われたらどうしてくれる!」

「私はあんたのとこで治療を受けた!私にも感染したらどうするのよ!」

と口々に叫び、門番に取り押さえられる者まで出る騒ぎとなった。ロゼは、このままこの家にいると二人に迷惑をかけてしまうと感じ、とにかく家を離れようと決心した。しばらく様子を伺い、野次馬たちが警備隊に追い払われていったのを確認して、こそこそと庭を出た。

 家の中ではトムとマリアが娘の帰りを待っていた。トムは家中をうろうろ動き回りながら

「まずは…街の警備隊に連絡しよう。でも大ごとになるといけない。そうだ、学校や教会にも連絡せねば!それから…」

と落ち着きなく呟いている。マリアは

「少し落ち着いてください!まだロゼだと確定した訳ではないです。それに呪いなんてそんな非科学的なもの…信じられないわ。」

とややうんざりした様子で言い放った。そして奥の本棚から分厚い医学書を引っ張り出し、ページをばらばらと捲り始めた。しんとした部屋の中、時計の秒針の音とマリアが医学書のページを捲る音だけが響いた。一通り皮膚疾患などのページを見終えるとばたりと本を閉じ天を仰いだ。その後二人はロゼの帰りを待ったが、街が不気味に赤く染まり始めても家に戻らなかった。そこに、街の警備隊が数名やってきた。街の住民から化け物探しの依頼があったため家を訪れたという。トムは怒りに任せ警備隊の胸ぐらを掴んで、

「娘はまだ帰ってきていない!傷つけたら容赦しないぞ!金ならいくらでも出すから無傷で保護しろ!」

と吐き捨て警備隊を追い返した。そしてトムは、全く使い物にならん等とぶつぶつ言いながら、門にいた警備隊の男を呼び寄せた。

「いいか、娘を探してくるんだ。何がなんでも!」

と言い放つと、警備隊のうち一人を家の警護に残し、残り数名を娘の捜索にあたらせた。

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