第23話 浩のその後とアドバイス

※作者注

また浩が上目遣いでまくし立ててます。

老害だと思って勘弁してやって下さい。



 それから長い年月が過ぎた。

 もう佐藤家も高橋家も親の代は亡くなった。


 俺浩は定年まで数えるくらいしかない。

 子供も3人恵まれ、もう3人とも成人して家庭を持っている。


 ただ、和美はもうここにいない。


 10年程くらい前から乳癌が発見され、治療したが、癌細胞が骨に転移して2年前に亡くなった。

 子供たちがいるのでそれほど寂しくなかったが、老後静かに昔を懐かしむ相手がいなくなった。

 口は悪かったが、心穏やかで素直な和美だった。

 出会った時から変わらない愛情深い妻だった。


 若いうちにあった毎日のような夫婦生活は続かないにしろ倦怠期と言うのがなかったように思う。


 はじめに子供を授かった時の2人での喜びは大きかった。

 弟の幼い頃を思い出すことなく、自分たちの子が生まれるんだと言うものだった。


 年配の和美が立ち去ると言う縁はどうしようにもないが、若い身で結ばれたのが良かったと思う。


 子供が出来てもまだ少し秋に不安定になった和美だが、それも乗り越えた。


 イングランドダン&ジョンフォードの秋風の恋 は、さほど秋には馴染まなかったが、1990年代レコードからCDへと完全に移行した時代北欧の様々なバンドの作品を聴いた。


 90年代のグランジムーブメントでこれらの影響下のバンドに接したが、やがてかつての自然情景豊かな昔のバンドの音楽に回帰しようとした。


 2000年代もなか頃に差し掛かり古いバンドのCDが手に入らないので困っている頃からさらに数年後、家にネットを引き込み通販で思った商品を手に入れられるようになった。それはレコードで過去に発表された作品のCD化したものだ。


 それで原点回帰をするようになったが、家にはなかったアナログプレーヤーを再び買い、レコードも積極的に購入するようになった。

 そんな時代がまた巡って来たのであるが、不思議なことだ。


 1980年代後半、1988年だろうか、店によっては完全にCD販売へと転換したところもあり、レコードは時代の長物としたかのようだったが、その後ハード、ソフト両面においてあらゆる技術努力があったにもかかわらず、結局アナログを上回る豊かな音楽の味わいは得られなかったようである。


 ウルトラハイクオリティーレコードなる(UHQR)ものまで出てくるしまつ。

 これは1980年代にもあった。12インチシングルと言うもので、シングルの曲を30cmサイズのレコードに入れ、45回転で再生する。当時それは1000円から1500円くらいだったと思う。

 今のUHQRでは何万円もするものもある。

短い曲でも片面2曲ずつ収められ、30分程度のアルバムでも2枚組である。


 別にアナクロニズムによってアナログ回帰しているわけではないのである。


 アナログ信号をサンプリングし、0と1の2進法だけの信号に変換するのがデジタルだ。

 別に近代的表示法をデジタルと言う信号方式を示しているのではない。


 2進法によって大量の情報を獲得できるようになったが、これはノイズを電子計算機で修正できるから可能になったとも言える。

 あまり詳しくないが、これによって天文学的数のデータを扱えるようになった。


 アナログだとそんなことは不可能だ。データのすべてが連続信号でしかも無限大に要求されることになる。と言っても人間の感覚で確認できる範囲は極限られているのだが。


 音楽を音波として扱い、サンプリングをした瞬間に一度信号に分解される。

 そこからアナログの音波に完全に戻すことは実は不可能なのだ。

 ただし人間の耳の感覚は大したことはないので、CDでも音楽は楽しめる。


 CDのデータ量ではまだユニゾン音の完全な再現は難しいと思う。

 クラシック音楽のファンはCD時代(CDしか販売されていないような時代、日本では1990年から2005年くらいまで)どうしていたのだろうか。

 

 こう言ったことは人間がいくら技術を尽くしても、無限の事象には追いつかないことの表れであるかも知れない。


 子供に恵まれても、時々和美とキスをした。

かつてキスもしたことも無いのに和美に求婚プロポーズしてブチ切れられた時の夜など忘れられなかった。


 生活の匂いのする、食べたものや部屋の埃のわずかな香りの残るお互いの口の中の味が何度も思い出された。

 何年もキスをする度にそんな青春の甘い思い出が蘇ってくる。

 新婚初夜の思い出もそんな感じで継承していった。


 セックスレスだとか言う言葉が耳に入るようになったが、男女が結ばれていくのに夜の営みを放棄するのは一体何なのだろう。


 若い頃の性行為の後の賢者タイムはどうしたのだろうと思ったが、ただ単に若く精力が旺盛なだけだった。

 一度それをすると落ち着きをもたらす。


 互いの信頼と慈しみの心のもとでは性差による苛立ちはない。

 イッタた後男が冷たくなったとか拗ねる女。

 女を自分の満足のためになると思っている男。


 性の完結は出産で終わらない。

 子供が健康に育っていくのを見ることもその延長であるかのようだ。


 男女は互いの肉体の要求することに従い満たされるのだが、その義務にはすべてを捧げることが求められる。


 社会のなかの自分の地位のためそれをするのは相応ふさわしくない。

 要するに結婚と言うのは自分の欲求を満たす先に、あらゆる義務が発生する。

 それを満たすために財産にしろ忍耐にしろ守護にしろ家庭を守るためにすべてを行使して尽くさなければならないのだ。

 それが出来て初めて幸福と言うものが訪れる。


 何か1つでも欠ると何らかの不協和音を生じることになる。

 ただ、欠点や力不足があっても努力は幼い子でも認めてくれることもある。

 自分の名声のため家族を利用するのは良くない。

 家族や子と言っても自分の意思を持っている。


 引き籠もりと言う言葉があるが、これは子供に良い大学に入り、良い企業に勤めるべきだと言う親のもとでの子供に見られる。

 親は、子供は子供でその世界を持っていると認めるべきなのである。


 上述のように言う親は戦後の混乱の時の飢えを経験していることが多い。

 要は時代を見誤るのである。


 働かなかったら、貧しくなったり飢えたりするのは今でも同じだが、時代は常に変化するのである。


 1990年代から2000年代の数年、アナログレコードは100円で叩き売りされたこともある。

 それがこの時代を越えてから逆転してくる。まだ配信やCDが主体だがずいぶんと高いレコードが見られるようになった。

 5年、10年単位でもこれだけ変わるのだから、すべて変わる、人も変わる。

 これを聞いてうんざりするだろうが、異性に惹かれるなら積極的になれ。

 時代の変化に敏感になれ。人の心の動きに敏感になれ。

 悪い感情に翻弄されないよう強くなれ。純粋な感覚を大事にしろ。自分の身体を大切にしろ。朝起きて陽の光を浴びろ。たまに安め。趣味を持て。男は女を大切にしろ。女は男に依存しすぎるな。

 恋愛しろ。恋愛に失敗しても死ぬな。何ヶ月かするとまた別の恋愛ができる。若者よ恋をしろ。


 すべて捧げると言っても、それは後からついて来て何とかなる。


 不況のなかでも政治ばかりに目を向けないで、その時得られると思う方法を自分で考えて自分の能力を信じて自分を磨け。


 30歳を過ぎているからと学ぶのを止めるな。学びは学校だけで得られるのでないのだ。

 ただし基盤となる基礎は疎かにするな。



 さて

 俺浩は寡夫となってもう2年。役所を退職してからの年金生活も目前に迫ってきたが、和美が生きている前提で考えても十分な収入を見込めたためか、後妻を迎えてはと言う話をよくされる。

 

 この2年1人で和美との38年間の結婚生活の思い出にひたっている。


 我々を励ましてきた洋楽ロックは今でも聴く。1人になって音楽の中に自分たちの人生だけでなく、曲の作者の思いや環境を感じられるようになった。


 我々の出会いの浜へは今でもあまり変わっていない。そこへ1人で行くこともある。


 家族が家にいるまではそれなりに賑やかだったが、1人の静かな思いとはそんなだ。


 科学的環境はずいぶん変わったと思うが、人の心の中はあれからそれほど変わっていないように思う。

 当時からも今のような問題は沢山あったし、かつての時代に戻りたいと思えば、そんなことはない。


 恋愛の物語なのでそればかり書いてきたが、思い出すだけでも嫌になることも沢山あった。

 自分のこと、学業や職業のこと、子供のこと、車の運転のこと、人間関係についてはいつの時代でもついて回る。


 ジサツの問題は昔からあったし、犯罪についてもいじめも、暴力もありとあらゆる不条理もあった。


 今の時代の方が良いと言う部分はたくさんある。

 和美と上手くいっていた若い頃だって問題はたくさんあった。

 彼女がいなくなっても昔に戻りたいともあまり思わない。

 あの幸せだった結婚生活を子供たちが証明してくれるからだろう。

 今和美がいてくれたらどれだけ良かったかとも思うが、昭和の時代が何でもかんでも右肩上がりと言うのは言いすぎだ。


 地方はそんな思いで生きる人などさほどいなかったのだ。

 俺は運が良かったとしか言いようがない。

 

 地方の企業の倒産の多さと、荒っぽい人間の割合の多さ。

 不安定な収入の人の多さと、それに翻弄されて心の荒んだ人の多さ。

 公務員が安定していても、それら不安定な人々からの偏見と風当たりの強さなど、心穏やかでなかった。


 バブル期のほんのわずかな期間、人々はアウトドアなど享楽を味わう雰囲気で酔いしれたが、全体的にはそれだけだ。

 まあ地方だからキャンプ場の賑わう夏は例年ずっと続いていて、コロナ禍ですら一部営業していたが。



 歳をとってネット上でも様々な人々がいる。

 SNSなどでは、自分より歳上なのに未だに独身で婚姻経験のない人。

 子供がいるが、長男と上手くいかず次男と仲の良い人。

 生涯未婚を続ける男性の群れ。

 若いのに俺にいいよってくる女性。


 SNSをどっぷり行なっている人とは、どこか問題のある人なのだろうか。


 ネットに溢れている情報も稚拙なものばかりだ。

 本を読むのとネットで調べるのとでは大きな差がある。タダより高いものはない。多少金をかけても本を読むことを勧める。まあ酷い本もあるが。


 先述したとおり縁と言うものはどうしようもない。

 運と言い替えても良い。


 日本人は日本での暮らしが良すぎるのか、宗教的とも言える生きていると言うことに対する執着が強すぎるのではないか。


 生きると言うのは必ず何かを乗り越えると言うことが必要だ。

 自分が変われなければ幸せになれないと言われている。だがこれも限界がある。


 和美を病で失ったが、病を裁判で訴えることは出来ないし、治せなかった病院を訴えても医学はそこまで進歩していないからと、訴えた側が敗訴することは確定している。


 伊藤も結婚したが彼の息子は20代で病気で亡くなった。

 彼の職業も不安定な時期があったが何とかここまで来た。


 誰の人生にも完全は与えられない。

 人の人生には必ず欠けているものがある。

 時々人はそれに気付かないこともある。


 何も得られないがために何か得られたことに気付かない人もいる。

 

 完全を求める人の失ったものははかり知れない。


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