第13話 義兄との和解と和美の秋

 朝まで和美と抱き合ったラブホテルを出て、昼には自分の町に戻ってきた。その後、駅構内の旅行会社へ行き、東京行きの航空のチケットの明日の便を取ろうとしたが、さすがに次の日のキップは取れなかった。

 キャンセル待ちはもあまり期待できない、とのことで、明後日の出発のチケットを取った。

 帰りのチケットも取ったが、到着した次の日に戻るという、少々強行スケジュールになる。

 

 チケットが取れたので、夜に義理の兄に電話をかけた。それは、父修の軽いノリも、母和恵の古ゆかしさもない、神経質で狭量な若い、そして俺よりもずっと年上の男性であった。

 彼が言うには、

入籍してから初めて電話をかけてくるのは失礼だと言うこと、妹を何だと思っているのかと言うこと、俺が未成年だと言うこと、公務員はいいが、若い年齢の給与で生活費は足りるのか、と言うことなどくどくどと問い詰められた。

 このことですっかり気分が落ち込んでしまった。

 母和恵との挨拶の後のラブホテルでの和美との夜もあって、すっかり疲弊してしまった。

 俺の狭い部屋で、床の上で大の字になって横たわる俺を見て、和美は黙って音楽を聴いている。

 和美は大人なしくなった。あの独身の時の俺の反応や顔色に細かく穿鑿せんさくしてくる彼女はもういなかった。

 義理の兄にすっかり打ち叩かれた俺のことをよくわかってくれているようだった。

 居間の黒電話での会話は聞こえていないが、内容は予測出来たようである。

 5分か10分か床のうえで仰向けになったあと、深いため息をして和美を見た。俺の事を気遣ってくれる様子に見えたので、それが余計に可愛く見えた。そして言った。

「和美ちゃん、愛してるよ、可愛いい」

 そう言うと、和美は照れた。

「何言ってるの、急に。照れるじゃない…あのね、兄はね(両)おやともいろいろあったみたいなの。わたしたち妹とは歳の差あるでしょ、幼心に兄とおや、したしそうに話してるイメージなくて」

 また、彼女は続ける。

「それでね…あのね、浩の身体凄い。わたしでも頭の中まっ白になるもの、何だか悪いもの抜けた」

 和美の悪いものとは、あの不安定さと、モヤモヤむらむらとした性欲のことだろうか、それが秋が深まってもヌケたままでいてくれるのだろうか。

 明後日、早くはないが、午前中のフライトだ、義兄は夕方仕事は終わらない。

 残業をして、夜8時~10時まで働いているという。当然俺と会うために急に休暇は取れない。

 前もって日付を告げても休暇は取ってくれそうもなかった。

 しかし、東京で宿の予約をしていないことを話すと、ビジネスホテルの予約をしてくれた。俺よりも和美の身の心配があるのだろう。

 義兄のアパートはワンルームだ。泊まろうにも、夏とはいえ、二人分の布団などないだろう。

 今考えて、都心に行くのに宿を取らない俺と旅行会社は何なのだろう。


 さすがに、この晩は和美と夜の営みはせずに眠った。


 狭い一人用のベッドで我々新婚夫婦は眠るのだ。互いを抱きまくらにしあいながら。だが、新婚にはそれが暑苦しいなどとは思わなかった。

 賢者タイムと言うが、一人の時は一回で自己嫌悪に陥ったが、和美相手だとそんなことはどうなったかと思うほどだった。若すぎる性とはそんなものだ。それも、愛のなせるものなのだろうか。

 朝が来て、その日はゆっくり明日の東京行きの準備をした。

 そして次の日、朝早く起きて出かけ、国鉄で飛行場のある町まで行き、そこからタクシーで飛行場へ行った。

 飛行機に乗るのは初めてだったが、緊張したが問題はなかった。夏休みシーズンは終わりにさしかかり、ほぼ満席だったが、無事羽田空港に到着した。高校の修学旅行以来の東京だ。

 そこからメモ書きを見ながら、モノレール、電車タクシーを利用してやっと義兄の住むアパートを確認した。夜にここで会うかと思ったが、結局行かなかった。

 義兄が予約してくれたビジネスホテルは、前日の電話で住所など教えてもらっていたので、行って見るにも、まだチェックイン出来る時間ではなかった。

 しかたないので時間を潰すことにし、輸入盤レコード店や大手レコード店へレコードを見に行くことにした。

 しかし、行ったは行ったが、2人のよく行く地元の大都市の大手店とさして変わらない販売量で、多少多い分については、自分たちの知っているものよりもマニアックなバンドのレコードになるとちんぷんかんぷんだった。

それにこんな旅をしていると貯金も少なくなってきている。

 それからさらに時間を潰すため、レストランや喫茶店などに入り、夕方になってビジネスホテルのチェックインをした。

 それから義兄に会う時間までホテルの部屋にいた。

 東京は思ったほど暑くはない印象だが、湿度は高く感じた。あらゆる施設でエアコンがついていたためだろうか、そういった体感を覚えていた。


 ホテルの部屋にいてそう長くない時にホテルのフロントから電話があり、何だろうと思ったら、義兄からの電話だった。

 義兄にはホテルの公衆電話から連絡するつもりでいたが、まだ働いている時間に連絡があったので少し驚いた。

 夜は7時である。

彼はこちらへ出向いてくれるとのことである。

 東京は夜7時、もう陽は落ちきって、夜なのだが人の往来がすごく多く、ネオンサインと数多くの店の明かりが、これからが本当の時間だと主張している様子だ。

 昼の時間はネクタイ姿のビジネスマンと、そうでない人々が往来していたが、夜になっても人々のその姿は変わらなかった。


 30分くらいして義兄は我々の泊まるビジネスホテルに来た。

 彼の姿は俺よりは少し背が低いが、スラリとした洗練さが印象的だ。父修というより、母の家系の似なのだろうか。

 彼は一度ホテルの部屋に来たが、喫茶店へ行こうと言うので、彼の後についていった。

 

 まだ、バブルまで数年あるが、東京は盛り上がっているようだ。

 そんな大きな通りを出て左に曲がり、少し小さな通りに入るととたんに喧騒がなくなり落ち着いた雰囲気になった。

 少し歩いたところで大きなガラス窓が印象的な店に、広巳は先導して入って行く。

 照明は明るいが落ち着いた雰囲気の店だ。中には客が数組入っていて、エプロンを付けた痩せていて口ひげの男が店の業務をしていた。おそらくここの経営者なのだろう。


 義兄はあっさりとした態度でここまで来、あの電話での怒っている感じはない。

 この颯爽とした感覚をもっていないと、この町で市民権は得られないのだろうか。

 彼も行き交うビジネスマンと同じ半袖のワイシャツに黒のネクタイを締めている。

 4人座れるテーブルに先導するかのように彼は席につく。

 彼に向かってテーブルをはさみ2人で並んで座った。

 彼は言う。

「どう、疲れた?よく来たね。飛行機遅れなかった?田舎懐かしいなぁ、もう3年も帰ってないな」

 俺はおそるおそる口を開いた。

「あのう、お兄さん、佐藤です。妹さんとの結婚認めて下さい」

 すると彼は言った。

「へぇ〜、佐藤君、キミ本当に未成年なの。しっかりしてるね、認めるのなんのって、もう親が保証人のサインしたんでしょ。俺がどうこう言えるもんじゃない」

「あの~電話ではずいぶん…」

 俺がこう言って詰まると、彼は答える。

「ああ、怒ってたって、だって、妹は子供のイメージしかないもん。恵子の彼氏の渡辺ってやつのイメージ少しあったかな」


 その後に和美から詳しくこの件について聞いたことによると、兄広巳が最後に帰省したのは1981年のことである。和美は18歳の高校生のときだ。

 恵子は16歳で佐藤洋一という彼氏のいくつか前の彼氏が渡辺という男だった。

 その時、渡辺氏は23歳の社会人で、高校を出て解体工や運転手見習いなどの職業を転々した、いわゆる今で言うDQNタイプである。


 *注 解体工と言っても都会でこの職に就くのと、田舎での人の質が大きく違う。田舎ではちゃんと高校を出たそれなりの人が就いていることが多い。長年にわたり生業とする人や、定年まで勤め上げる人もいる。


 当時この田舎でヤンキーという言葉すらなく、不良とか、ツッパリと呼ばれていたタイプだ。

全く、恵子はどこでこんな輩と出会うのやら。

 恵子は当時まだ高校1年である。

 兄広巳が最後に帰省したのが3年前、その時遠慮もせずに恵子は部屋に渡辺を招き入れて男女の関係の行為をしたのだ。

 オマケに恵子の真隣の部屋が広巳の部屋だ。

広巳への挨拶も渡辺にとって精一杯のものであったかも知れないが、「あっ」と声を出して首から上を下げただけ、というのも良くなかった。

 

 そんなイメージしかないのも和美の純潔を裏付けるものなのかも知れない。

 電話のイメージと大きく異なる広巳の態度のそれは、父親似の軽さに、東京での数年にわたる社会人としての生活から来るのだろうか。

 義兄広巳はすっかり気分が良くなった。和美が一言も言わないうちに饒舌にまた語る。

「渡辺ってやつ『あっ』だったけど、今キミ、未成年が『結婚認めて下さい』だもの、そりゃあ認めるよ。和美もよくこんな男見つけたもんだね」

 和美は照れて言う。

「あのね、広巳。わたし処女で結婚したのよ」

 広巳は笑って言う。

「あっはっは、あれからも何もないのか、恵子と大違いだな。それにしても大人になったもんだな、前(3年前)こんなじゃなかったろう」

どうも和美は音楽の影響を受けていると言いながら、兄に対して萎縮しきっている。なかなか口を開かないし、話しにものらない。

 そこで俺が口を開く。

「和美さん、綺麗で、可愛いです。結婚出来て良かったです」

 兄は言う。

「あ~、昔と比べて、そうだな。大人になったんだな。そこまで惚れ込んでいるのか、昔の和美だったらそんなのわからんよ。ただの背の低いイモだもん、あっごめんな」

 和美やっと口を開く。

「広巳、もう」

 広巳は取り繕う。

「あっ、ごめんごめん。今見てたら一人前の美人だよ、ホント。久し振りに見て誰だろうと思ったもん。綺麗になったもんだ」


 それからしばらく談笑は続いた。心配だったが、父親のノリと同じで肩の荷が下りた気がした。

 和美の口数が少ないなか、男同志の談義にも花が咲いた。ロックのこと、田舎のこと、東京での職業のこと、俺の役所のこと、浜のこと、和美との出会いのことなど。

 

 ビジネスホテルに戻る時、時間はもう夜の11時をまわっていた。

 それでも町は明かりと活気に満ちていて、人の往来が多い。一体東京の人はいつ眠るのだろう。

まるで田舎の昼食時の賑わいのようだ。


 広巳は別れ際に封筒を渡してくれた。中に厚い何かが入っていたが、それは一万円札の札束だった。20万円も入っている。

 正直驚いて、これをどうするか悩んだ。

田舎でこんなことをする人はいるのだろうか。和美も驚いたが、それほど慌てていなかった。

 東京で職業を持つということは、こういうことなのかとも思った。あと2〜3年すればバブル隆盛になる。これが、その時期ならばもらう金額がいくらになるのだろう。


 親同志も頻繁に会うようになった。修は自分の車で時々会社名義で納入された食品やビンビールを箱ごと佐藤家に持って来たりする。

 俺の親が返礼に困っていると、気にしないでの一点張りだ。


 父は市内の大手企業に勤めている。工場内勤務だったが、今では管理職に就いている。

 それでも、経営者である修との収入差があるようだ。

 しかし、両家族の親にとってこれから気になることがある。結婚式だ。

 和美と俺は夜の営みにすっかり捕らわれていて、そんなことは頭から消えているようだ。

 当時、まだまだ世間の体裁を保つために、結婚式を盛大に催すということが義務であるかのような雰囲気だった。当然親たちもそんな常識の範囲内にいた。

 どちらも、資金は豊富なのだか、これを挙行するにはどうしても秋になる。和美の不安定の中それを実行することに問題があるのかどうか。


 ある夜、また修が気を使って俺の家に来た。今度は恵子も一緒だ。

 修の車は日産のローレルで2800ccモデルで3ナンバーだ。当然新車で購入している。

 

 色恋に話題の事欠かない恵子の現状は、当時あまり考えていなかったが、どうだったろう。

 若い俺たちの我がままで親戚になった両家だか、その子供の兄弟同志では、まだ会っていなかった。

 弟の建二が恵子と広巳に会っていないのだ。母和恵とも会っていない。

 後に、建二にこの件についての私生活に驚かされることになるのだが。


 さて、我々は兄広巳との挨拶を終え、8月31日のフライトで地元に帰って来た。


 そして9月になった。

東京は残暑だったが、地元田舎は暑くはないが少し暖かい日がある。

 夜朝に涼しくなり、長袖や毛布や布団を使うことがあるが、夏の余韻も残している中で生活していた。

 公務員宿舎の空きがあり、申し込んだが、入居できるのは10月だ。その間2人は実家暮らしをすることになる。

 まだ、2人とも入籍一週間後の一週間の休暇以外仕事を休んでいない。

俺の役所の方は、まだ有給休暇を取ってハネムーン休暇が取れるが、和美の会社の方は、もう一度長い休暇が取れるかどうかわからないという。


 19歳の公務員の給与の低さは半端ではない。和美が退職して、専業主婦になるほど俺の収入は多くない。

公務員宿舎に入って、配偶者手当を貰ってもだ。

 そんな心配事も頭の中を占めていたが、毎日の和美との性生活に少々疲れを感じ始めていた。

 女はそういう微妙な変化を確実に認識する。


 9月の最初の日曜、深夜狭い部屋の狭いベッドの上で、一回の行為の後眠ろうとした。和美は吠える。

「浩、もう終わりなの。もう一回!」

 この日はきつかった。東京から戻ってきて気力を使い果し、週末が終わり明日から出勤だ。いくら役所と言えども、日曜の深夜に精力を使い果すわけにはいかない。

 それでも、日曜の深夜の第2回戦をやってのけて眠りについた。

 それでも、精力を使い果してからのキツイ勤務でも、幸せな気持ちでいた。

 どちらの実家に泊まっても、2人の通勤手段は俺の車だ。和美の実家から出勤するとき30分早く出ないといけない。もう、和美は自分のバイクにはそんなに乗らなくなった。

 

 9月も一週間が過ぎ、あまり気候は変わらないが、確実に日が短くなってきている。

 そろそろ夕方の定時に帰宅する時間でも、曇りだと少し暗くなる。

 和美の実家に泊まっている朝、和美は今日はバイクで出勤すると言う。それで出勤時和美と別れることになった。

 一抹の不安がよぎったが、相変わらず夜の営みは続いている中での日だ。

 日替り宿泊なので、俺は夕方自分の実家に帰ったが、和美は俺の家には来なかった。

 入籍して1ヶ月もしていないのに別々の行動には気が気でなかった。

 夕方陽の落ちる6時、和美の会社と和美の実家に電話しても、どちらも和美はいなかった。

 困った。

仕方なく車を出して和美の現れそうなところを探すことにした。

 浜に行くと和美がいた。

 息荒く、和美に声をかけると、開口一番こんなことを言う。

「ヒロシ別れようか」

 冗談にしろ少々腹のたつ言葉だ。

「えっ」と声をあげたとたん茶化す。

「なんてね、ねえ、今日はホテル行こうよ〜」


 毎日毎日の性生活はもう少々具合が悪くなりそうだったが、恵子から聞いた予備知識があったので今日は承認することにした。

 これでまた一睡もしないで朝を迎えることになる。そんな覚悟で和美と結婚したのだと、諦めることにしたが、それは贅沢な悩みだろう。

 まだ欠勤したことがなかったが、朝に上司に電話をして臨時に有給休暇を取ろうかと本気で悩んだ。朝方風邪などにより、そんな休暇はけっこう取るものだ。ただ、そういう人は出世しないが


 それでも、和美が可愛くてかわいくてたまらなかった。ただ、まだ独身だった頃のキスをするだけの青春はここにない。

 しかし、あの『別れる』という言葉がずっと引っ掛ける。職務中にしても、彼女と共にいてもだ。






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