第5話 彼女の部屋へ デュランデュラン
和美の家は、自分の町よりも少し田舎になる。
町の作りとして、道路などの区画は少々余裕が出てくる。
家の前の通りに駐車しても余裕があった。
少し歩けば無料の駐車スペースがある。この町で、乗用車の車庫証明が無くとも車を登録出来そうなくらいである。
ただ実際にはそれは、軽自動車に限っていたが、
浩の町はどちらも車庫証明が必要であった。
和美の家に着いた時には、まだ西に鋭い陽光が照りつけていていたが、西の山に太陽がかかりそうになっていた。
夏の陽気が、付近一帯の草木を照らしつけた時の芳香がする。
いわゆる牧場の周辺のような佇まいだ。
空気は田舎特有の時間が止まったかのような、停滞と、もの静かさに覆われている。
車を和美の家の道路をはさんだ反対側に置き、車降りると、20メートル位離れた隣の家の2階の中年のおばさんに声をかけられた。
「あなたが浩君ね」
田舎あるあるである。
3度会っただけで噂が広まっている。
少々苦笑気味に答えた。
「はい、そうです。こんにちは。」
和美の家の玄関の呼鈴を鳴らそうと、一歩足を踏み出すと、もう玄関が開いた。
和美が出てきて、開口一番言う。
「来たなヒロシ。あがってあがって。」
玄関は、女もののスニーカーやスリッパを脱ぎ散らかしたものを横へ寄せてある以外は、散らかっていない。
家の中は落ち着いた雰囲気だ。
2階建てだが間取りが広い。
一階の居間は20畳以上ありそうで、ステレオのオーディオセットが目立つ。
テレビも30型以上ありそうな大きなものだ。
その他は至ってシンプルで、大きなテーブルの周りに座布団いくつか敷いてある。
これを取り囲むように、長いソファーが直角に2つ並べてある。
ペットはいないようだ。
和美に聞いた。
「このステレオでファイヤーフォールなんか聴くの?」
和美は答える。
「ああ~、これはパパの。パパはエルビスと演歌だね」
ステレオのラックの中に2~30枚のレコードが立て掛けてあった。
俺にとってエルビスプレスリーとは、和美の父と趣味が合いそうな気がしてくる。
自分の親もエルビスが好きで60年代のエルビスゴールデンレコードを持っている。当時無理をしてエルビスのレコードを所有している人がけっこういたのだ。
その影響もあって2枚組のスペシャル24を買って、聴いている。
彼の50年代の楽曲が特に好きだ。
しかし、エルビスの50年代の音源はモノラルだ。この点を考えるとステレオオーディオでは釣り合わない。
俺の持っているスペシャル24の音はステレオはなっているが、古い曲はもとの音源はそのまま片チャンネルに、もう片チャンネルへリバーブをかけただけの疑似ステレオサウンドになっている。
それでも、それで気に入っていた。
和美の父が演歌を聴くのに、この豪華なステレオセットとはと少し考えていたが、和美にまた聞いた。
「和美の部屋にもステレオあるの?」
彼女は冷蔵庫からジュースを出して手渡し、答えた。
「うんそう。そのジュース飲んだらわたしの部屋へ行こう」
生まれて初めて成人した女性の部屋に入ることになったが、4回目の会合に戸惑いはなかった。
彼女はどんな生活をしているのだろうかと、興味がわいてワクワクしていた。
隣の家のおばさんとの挨拶と、和美が家の玄関を開けたこと、彼女の居宅について目に入る新たなるものが多く、それらに注意をひかれていたが、和美の服装についても違っていた。
いつもはバイク乗りらしく革のジャケットの下がジーンズに半袖姿だが、今日は上下ジャージ姿で、長髪を頭の上でまとめて留めていた。
いわゆるヤンキー娘のようなラフな姿だ。
低い身長からか、上下ピンクとグレーの姿は中学生の女の子のようだ。
この姿を見るのははじめてだ。
一瞬こんなラフな姿で本気で何をする気なのかと
和美の身長は150センチは無い。
俺が172センチだから頭1つ分違う。
和美に先導され2階へあがるとき、彼女の下のジャージが垂れ下がったのが目に入る。
ジャージのだぶつきから、また足がさらに短く見える。
しかし、がっしりとした下半身は女性の色気をほのかに漂わせる。小柄なわりに女性のなめらかな流線型があるのだ。
彼女はその視線を感じたよか、微笑みかける。
「ふふふっ」っと。
情欲を一方的に燃やすのでない、ある種の尊敬の目線を送ることは、そんなに嫌がられるのではなかった。
中には、ただ視線を感じるだけで怒る女性はいたが、田舎で変態的痴漢行為という話はあまり聞いたことがなかった。
そういう空間があまりなかったのである。
和美の部屋は簡素で綺麗にまとめられて、シンプルなベッドに、ロック好きを主張するものがあった。
居間の父親のオーディオと比べ、高価なセットではないが、レコードプレーヤーにアンプとチューナーが一体化したものに繋げて組み合わせてあった。
スピーカーは一体化しておらず、机の上と本棚の一部の中に左右別れてセットされていた。
本棚の中にレコードを置いてあるスペースに30枚程度あったが、カセットテープは100以上はありそうだ。
俺はさっそくレコードに目をやる。そして尋ねる。
「レコード見て良い?」
「うん」彼女は素直に答えた。
意外なのはデュランデュランのセブン&ザ ラグド タイガーがあったことだ。
俺がへえ~っと思って見ていると、彼女が突っ込んでくる。
「いいじやん、サイモンカッコいいじやん。」
ファイヤーフォールからすると彼女も女の子なんだなあ、と感じたが、彼らは田舎でも週末の深夜MTVを流す番組があって、彼らの曲が流れていた。
このアルバムからリフレックスがヒットしたが、それ以前にもデビュー当時から日本で売り込んでいたように思う。
イギリス盤ジャ○ーズといったところか。
和美の所蔵の中で、自分の持っているものはリトルリバーバンドの栄光のロングランがあった。
どういうわけか、初期のレッドツェッペリンやドゥービーブラザースがあった。
ドゥービーブラザースと言うとマイケルマクドナルドがいる頃の洗練されたAOR、ウエストコーストサウンドを思い浮かべるが、初期はトムジョンストンを中心とした少し泥臭いサウンドで、あまり洗練されていない。
トムジョンストン在籍時はキャプション&ミー、スタンピードあたりだと完成された楽曲になるが、それ以前のものとは意外だ。
もっともセカンドアルバムではリッスントゥーザミュージックやロッキンダウンザハイウェイと言う代表的ヒット曲があるが。
考え込んでいると、彼女が答える。
「ああ、ドゥービーブラザースは兄が好きでないみたいで、家に置いていったのよ。兄もマイケルがいる時が好きみたいね。ツェッペリンもそうみたい。ツェッペリンは中~後期が好きみたい。部屋でよくかけてたもん。」
確かに当時評論家筋にはツェッペリンのファーストとセカンドを勧めることが多かったが、我々のよく聴く曲は、ブラックドッグ、天国への階段、永遠の
彼女にツェッペリンが好きかどうか聞くと、上述の楽曲の入ったアルバムが好きなようだ。
彼女の兄について少し聞くと、年齢は28歳で、東京に在住して中小企業に勤めているとのこと。
彼女と7歳の歳の差があることから、幼い頃に兄のかける、それらの音楽の影響が大きかったのだとか。
7歳の歳の差があると、彼が高校を卒業する時でも彼女はまだ小学生だ。レッドツェッペリンを聴く小学生とはずいぶんとませたものだ。
俺の場合、ビートルズがデビューしてから2年位で生まれている。
おそらくその頃からラジオや街頭で耳にしていたのだろう。幼い頃テレビを見ていたもは思わないが、テレビでもかかっていたかも知れない。
音楽に詳しくなる耳を持っているなら、上述の様なことでビートルズの赤盤、青盤の曲はレコード無しでも覚えることになる。
ただ、ツェッペリンが街頭などでかかることは田舎では考えられないことだろう。
高校時代に初めてそれを聴いた時は衝撃的だった。耳馴染みがまるでないから、衝撃を受けるのだ。
ただ、我々二人の出会いのきっかけなるものが、海岸とそれを想起させるものなので、当然話題はその辺へと移る。和美に尋ねた。
「うん、じゃあ、俺が知らなくて、気に入るようなの無い?」
和美は迷うかと思ったが、瞬時にあるテープを取り出した。
そのテープに収録されているバンドは、EL Chicanoで、意味はメキシコ系アメリカ人であるが、ラテン系のバンドだ。
アルバムはthis is …EL Chicanoだ。
和美のオーディオからこのバンドの曲を流れた。アルバム全体的にはラテン色の濃い楽曲だが、Dancing Mama とJust Crusinが我々の求めるドンピシャな曲だ。
ヴォーカルの入る曲は、もろラテンのアクの強さもあるが、この2曲にキャッチーなリフレーンにトロピカルなエレクトリックギターの響きが耳をとらえる。
彼女は聞く。
「これ、知らないでしょう、どう?」
俺は答える。
「ああ、これは良いね。これもお兄さんが送ってくれたの?」
と聞くと。
「うん、そう。ここにあるテープ殆ど兄からのもの。でも中には自分でFMチェックしたのもあるよ」
もっと知らないバンドの楽曲のテープがあるものかと心おどらせたが、次第に和美の態度が変わっていく。
俺がそこにあるテープの事を聞こうとすると、何かしどろもどろと言う。
「あのね、ヒロシ、和美ね…」
「え、はい、何?」
俺が意表を突かれそう答えた。
ロック談義に盛り上がった空気を一変させたのは驚いたが、和美は答える。
「えーと、はああ~、ちょっとね。あの~」
このしどろもどろとした意味がわかるのは、その後しばらくしてからだった。
そう言えば彼女と二人きりなのだと、はっと気づきもした。
彼女がまた口を開く。
「あ、えーと。次なにかける?デュランデュランかける?」
俺が無意識に、EL Chicanoから一変した世界のデュランデュランに変わると言う違和感が口に出てしまう。
「デュランデュランかあ~」
彼女は怒り出す。
「別にいいじゃん、デュランデュランで。何もファイヤーフォールだけがロックじゃねえ」
そう言って、今度はレコードプレーヤーを起動させてラグドタイガーアルバムをかけはじめた。
ふくれた和美をなだめるように言った。
「ああ、これね。MTVで良くかかっているやつ」
一曲目のリフレックスの事だ。確かに良く聞く曲だ。
洋楽の方もアイドル系と言う側面のものもある。
これが男にとってアイドルとなると、リンダロンシュタッドやオリビアニュートンジョンとかになる。
アイドル系の女性が全員で、ロックバンドを組むというのはあまり当時覚えがない。
AMラジオでかかる洋楽だが、出自がはっきりしないアラベスク、それと一緒にヒットしていたノーランズというのがあったが、音楽としては軽すぎるし、甘過ぎて受け付けない。
ましてや、ランナウェイズなんて怖い姉御集団と来ては……
その辺の事情も和美は知っていた。
彼女はまた、ぶっきらぼうに聞いてくる。
「お前は家でリンダロンシュタッド聴かないのか、それでムラムラ~っとして」
これを言われて思いっきりこけて、爆笑した。
そして答えた。
「リンダロンシュタッドのレコード無いよ。女性の洋楽あまり聴かないなぁ」
彼女がこの話に下品に突っ込んでくるなら頭の痛い事になる。
すべてをカミングアウトしても良かっが、まだ女性に話すには恥ずかしかった。
前述のとおり当時の田舎の若い人の性については知れたところだ。
そのすべてを話す相手は幼なじみの伊藤位だが、時々高校のクラスの男子の下品な話に加わることもあった。
ただ、女性にどう話すかなんて知らなかった。
おそるおそる言い返す意味で俺は言った。
「その、ムラムラ~って。話が
和美はふくれっ面で一瞬きょとんとして答えた。
「あっ、ごめん。そんな話じゃないわね。デュランデュランはサイモンがちょっと博学でね。自作の詩書いたノート持って歩いて…」
あまり興味の無いバンドだが、話を合わせるべきだと思った。
そうして、このアルバムが終わるまで話に付き合った。
一軒家で二人きりで、何でそんなにとぼけ事を男がしているのだと思うだろう。考えて見るがよい20メートル離ているとはいえ、隣の家のおばさんにもう会っているのだ。
若い男女が夜何をするのかと耳をそばだてて、とまではいかないにしろ、神経はこちらに向けていることだろう。
それについてとやかく言う大人はあまりいないだろうが、噂はそのまま広がる。
和美の家は我々だけで留守なのだが、妹と親がいつ帰宅するかわからない。
初めて訪れる、人の家に滞在するのは緊張するものだ。
それだけ気を張り詰めて、男女の仲になることは難しい。
和美の妹恵子はそんな諸事情へったくれもなく、その目的に突進しているのだろう。
ただ、その妹と同じ血を和美は引いているのだ。その事ももう心に刻まれているのだ。
和美も妹に似た側面をいつか見せるものだと。
デュランデュランのアルバムを聴き終えたところで、彼女が黙り込む。
レコードを大切そうにジャケットにしまい込み、本棚に戻した。
俺の頭をすっぽりと包み込むような、暖かいぬくもりが感じられた。
そのぬくもりは、和美の頭のあたりから伝わって来る気がした。
ベッドに無口に座る彼女の横に腰をおろした。
もう1時間立ったままだ。ちょっと疲れたこともあるが、何かそうするように引き寄せられる感覚があった。
7月の暖気は夜も続いて涼しくならなかった。
今日はその2~3日よりも暑かった。
和美の部屋の窓を開け、部屋のドアも開けっ放しにして風を通して何とか過ごせる。
窓の外は隣の家の灯りが見え、夜の団欒を思わせる活気がある。
田舎だけあって、数十メートル離れた通りを走る車の音もまばらである。
俺の家とは少し生活のペースが違った感覚がある。
そんな自分の家の周辺との雰囲気の違いを、一瞬感じとった。
和美が静かに口を開く。
「お前、わたしのベッドに座ってどうするの?」
冗談を込めて答えた。
「俺がサイモンに変身して、ムラムラ~っとする」
先程の会話をまとめたジョークに彼女は大笑いする。
それと同時に俺の肩や腕をペタペタと軽く叩きはじめた。
少しゾクッと鳥肌が立つような感覚と、和美の暖かいぬくもりと衝動が混じった、若い女の子の勢いを感じる、不思議な感覚だ。
こんな感覚は今まで味わったことがなかった。
そして落ち着かない和美が話す。
「わたし、リンダになれないよ~」
俺は答えた。
「俺は別にリンダロンシュタッド好きじゃ無いって、ミュージックライフ読みすぎた」
当時音楽の情報、特に洋楽となるとミュージックライフでしか得るものがなかった。他にも洋楽専門の雑誌はあったが、限られた収入で何冊も雑誌を購入する気もなかった。
ミュージックライフは洋楽の情報や宣伝の他に少々砕けた話題も載っていたのだ。
その辺まで雑誌の世界に染まるというのは自然な事だった。
ネット1つでありとあらゆる情報が得られるのでない時代とは、こういう事になる。
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