第4話 赤飯 交際開始
7月の暖気とウエストコーストの音楽が俺を包み、善良な田舎での生活と安定した生活。
老後まで希望を抱ける時代であった。
そんな自然の息吹きとともに、淡い幸福と地味な職業生活、これから俺の人生はどう変わっていくのだろうか。
見通しはあまり暗くはなかった。
通常通り朝を迎え役所へ出勤し、いつもの業務を終え帰宅する。
頭の中を完全に支配していた和美の存在が、少し薄れてきている。
それでも、確実に彼女を自分と正式に交際する、恋人にするという思いは何も揺るがなかった。
ただ彼女と結婚するなどと考えるほど年端はいかなかった。お互い青春の中にいるようだった。
二晩たったので勇気を奮い起こし、彼女に電話してみることにした。
家の電話は、友人や生徒会の打ち合わせや集合等でよく使っていたが、俺の様子が少しいつもと違うことに親は気付いた。少々堅くなっているのだ。
電話番号の書いたノートを手にダイヤルをまわす手がぎこちない。
生徒会の打ち合わせ時間を告げるために女子生徒に電話をしたことがあるが、その時は少しも意識しなかった。彼女の名を電話口の親族に告げた時も動揺しなかった。時間を伝えるだけで用はすむからだ。
しかし今度は違った。
電話番号を間違っていないと祈りつつ、呼び出し音を聴きながら心臓の音が耳もとにまで伝わってきた。
呼び出し音を聴いている時間も長いが、先方と繋がる時の、パチッというクリック音の長いこと。
0.1秒にもならないクリック音が長いと感じたことは人生初めてである。と同時にもう訪れないだろう。
しかし、この緊張も一瞬にして痛快な
出たのは非常に若い女、それも幼い声だ。和美に似ているが少し品がない。
「もしもし高橋です」
この意外な声の主にほぐれた。彼女の姓は高橋。
俺は言った。
「佐藤と申しますが、和美さんお願いします」
俺の姓は佐藤。当時この姓が日本で一番多かったが、名前の
聴いたことのない女性の名に、横で聴いていた親が反応したが、電話口の声に爆笑しそうになる。
「はい、わかりました」
敬語の次に聴こえてきたのは、電話口から離れても音量の変わらない大声だった。
「カズミ-!デンワダー!!」
少々品のない声は、思い切り品がなくなった。
一体どういう家なのだ。妹だと思うが、姉妹はそんなものなのか?
さらに追い討ちをかけるように、またその姉妹は叫ぶ。
「オラー早く出ろよ、男からの電話初めてだろ✕✕✕✕」
こう聞き取れたが、まだ他にごちゃごちゃ言っていた。
和美が電話に出た頃には、これら緊張と爆笑の極端な爆発にすっかり翻弄されてしまった。
「はい、もしもし和美。高橋です」
彼女の姉妹とはうって違う、品が良い和美が出た。
俺は答えた。
「佐藤です。先日はどうも。……あの、電話に出たの妹さん?」
彼女は答える。
「そう~、妹。恵子はいつもあんなんだけど、男遍歴も激しくって」
家庭においても彼女が妹と同じでないことに安心したが、これから2度目の会合にどうもっていくか、思いつかなかった。
前回話題が尽きなかったこともあり、あまり話す内容についてまで考えてもいなかった。
そして、隣町との通話は市内通話なので電話代はさほどかからないが、家庭の電話で長話するなどという習慣はなかった。
当時は直接会って長話をするのが普通だったと思う。家のこと、親族のこと、天気のこと、政治のこと、芸能人のこと、趣味のこと…。
当時も今も、中年の主婦が道端ですることを、当時若者もした。
海外のロックのことを話すというのは、当時の若い世代にとってはわりと多かったように思う。
高度成長を達成し、円のレートも上昇し、給料も所得も上昇したが、物の値でさほど変わらないものもあった。
レコードの値も20年あまり上がっていない。
後々の時代には洋楽黄金時代と呼ばれる時だ。
社会人が給料の大部分を使ってオーディオを買い込み、レコードも買いそろえて再生するのは1970年代に入ってからだ。
1970年当時、ジミヘンドリックス、フリー、レッドツェッペリン、ディープパープルのレコードをリアルタイムで聴いていた機器は、おそらくはプレーヤーとスピーカーが一体化したものを使った人が多かったのではと思う。
ステレオのオーディオを揃えていた人は、富裕層の人だっただろう。
これらを70年代に何年もかけてサラリーマンは揃えていくのであった。
さて、和美との交際を確実にするため、初めての通話は当時の俺にとっては、人生で重要な起点にいるということだろう。
ただ、何も俺たちで結婚して家庭に収まる、という気はまだ想像していなかった。
ただ、若いというのは色恋となると前後のことは関係なくなる。惚れる相手に突進するのは収入や職業に関係ない。
10代の学生時代から肉体関係を伴う交際をしているものもいる。
これはいつの時代でも同じだろうが、日本では近世の頃10代の早い頃から嫁に出る女性も多かった。
ただ、調べたところ男性は
丁稚奉公の期間は約10年とされ、10歳頃からこの奉公に入るので20歳には一人前になる年齢というわけだが、10歳の未成熟の者が、それから10代の多感な時期にそれに耐え抜くということが、誰にでも出来るものではないだろう。
戦後(当時この言葉は日本の第二次世界大戦後を示していた。時々外国にまでこの言葉を使うほどであった。その国が他の戦争を継続中でもだ。)受験戦争がこれにとって代わるのだが。
俺が和美と初めての電話通話で何を言い出そうと戸惑いそうだったが、和美は間を置かず言い出す。
「あ、今日会える?また浜でも良いし」
俺は答える。
「そうだね、そこからだと30分位かかるの?バイクで」
和美は答えた。
「行く行く、待ってて」
出掛けを母に告げると少々様子が違っている。電話口の相手の名前を聞かれていたのだ。
母は心のなかで思っただろう。
「カズミという女の子に会うんだわ」と。
電話の件もスムーズにいったため心のなかで小さくガッツポーズをした気でいた。
浜に行くと、前より少し風がある。今度は浜風と呼ぶもので潮の独特の香りが鼻をつく。
浜の陸側は町だが、数キロで湾状の海に面している。
この浜はそんな地理的条件で、同じ季節でも風向がよくかわるのだ。
まだ霧は出ていないが、この浜では浜風の時よくそれが発生する。
この後、陽が落ちると霧が発生する可能性がある。
浜風に乗って穏やかだが、人の背丈ほどの波が立っている。
当然のことながら、サーファーが数人も波間に揺らぎ、テイクオフとライディングを試みている。
時々ライディングが決まったのを見て、この辺のサーファーも上達したものだと心をはずませた。
車をエンジンは切っていたが、窓は開けていなかった。今日は少し涼しい。
7月でもそれほど暑くない日も多かった。
10秒を超えるライディングを見て目を奪われていると、窓をノックする音がする。
和美だ。
今度は少し前より大人に見えたが、話していくとはじめの日と同じ和美だ。
前は詳しくは言わなかった家庭の話になった。
それは彼女の妹が電話口に出たことがきっかけだ。
妹の恵子は中学生時代から男性との交際が派手で、深夜に帰宅したことに始まり、無断外泊をするようにもなったという。
中学生の女の子が家に帰らないと大騒ぎになる。
言葉使いも、声の大きさも小学生時代からのもので、何ら変わっていないという。
和美とは2歳下の19歳で俺の1つ下。
しかし、和美本人のプライベートについては、あまり聞いていなかった。
聞くと、この町にある女子短大を卒業して、今年から俺の町にある建築会社の事務職として就職している21歳だ。
俺浩より一学年年上である。
あと5ヶ月後の12月に20歳になる身としては、少しだけ歳上とは願ってもないことだ。
誰でもそうであるとは言わないが、大人とも青春ともつかないような若い者には、この組み合わせは喜ばしかった。
これは、前述したとおりのことたが、若いのに、はじめから自分よりも歳の若い(というか幼い)女性に憧れる男の性癖とは何なのだろう。
この日話したことは多いが、互いの年齢を確認しあったところで、どう態度に表れるかだが、そんなこともどうでも良かった。
彼女が30歳でも受け入れる気でいたからだ。
そうこうしているうちに、また夜になった。
今日は浜に降りなかった。
シビックの助手席に彼女が座っての長い会話である。もうサーファーも他の車もあまりいない。
町工場の灯も消え、夜の闇のなか霧が立ってきた。
何台も停まっていた車も、陽が落ちてヘッドライトを付けて去って行く。
通りのずっと向こうに車が1台停まっている気がするが、暗闇でよく見えない。
このまま話続けてももう夜が更ける。そろそろ空腹になってきた。
この町では深夜営業している店はなかった。
コンビニも無いので、自販機のジュース位しかない。
空腹をどうするか話しているうちに、俺の家に行くことになった。
それから、どこで、いつまで話すか決めていない。
この日はもう週末で、次の日は日曜で休みだ。
また夜の10時を回ったが、互いの車とバイクで俺の家に向かった。
家に着くとまだ両親は起きていた。
二人で家の玄関に入り、母がお帰りと言う。
そこで少し恥ずかしそうに佇んでいる和美を見て、母ははっと驚く。
そこで母は和美に尋ねる。
「あなたが和美ちゃんね。はあ~」
「はい、高橋です」
器量よく受け答えする和美に対してまたも驚いて母は言う。
「高橋さん。なんてこと、こんな可愛い女の子を浩が連れて来るなんて」
母は大袈裟な反応をしているが、本人にとってそれは、本心からのものだ。
今まで俺の連れて来る女性は幼い頃のグループ交遊の時の子とか、伊藤の彼女、生徒会の実行委員の女子位だ。
よく考えると和美のような女の子はいなかった。
恋愛対象でない女性は両親にも、さして重要でない様子が感じられたかも知れない。
母がその大袈裟な反応をさらにする。
「お父さん、浩が凄い可愛いお嫁さん連れて来たのよ。お赤飯炊かないと」
母の出身地では彼女やガールフレンドも「お嫁」というか習わしがある。
昭和の時代は何かにつけて餅米を炊いて、赤い色を付けてあずきや甘納豆を入れて食べた。
別に何も無くとも、母は気分でそれを炊くこともあった。
高校の入試試験合格祝や、入学祝、公務員の市職員試験に合格した時も、赤飯を炊いて家族と少数の友人とで祝ってもらった。
そんな母の炊く赤飯が好きだった。
ただコンビニもない時代に家で食事を取らなければならないのは、仕方のないことだった。
あわてふためく母が大きなお握りを3つ握ってくれたが、また、食事を作るだとか言っている。
父が少し照れくさそうに和美に目をやり軽い挨拶をする。
そしてキッチンの洋式のテーブルで両親をまじえて、二人で食事をした。
そんなものだから、ちょっとした家族パーティーと化した深夜の賑わいで、今回は解散することにした。
和美のバイクは車の前に停めたが、通りは広く、他の車の通行の邪魔にはならない。
冬は除雪車が余裕をもって作業が出来る程だ。
和美を俺の部屋に入れようにも、親が盛り上がり過ぎて、そんなことはできなかった。
さて、2回目から親に会わせてしまったが、もしこの町にコンビニがあったなら、こんなに早く両親に会わせていなかっただろう。
会って早2回目の人を両親に会わせるなんてことも、空腹で仕方なしにしたことである。
俺にしても少々バツの悪い思いでいた。それは、彼女に気を使わせることになるからだ。
こうして自分の親に和美の顔を見せたのだが、車を持っている男として、彼女を迎えに行くということになるのは当然の成り行きだった。
何も毎回あの浜にだけで会うのでない。
和美の住む隣町からさらに向こうに、温泉街を含む景色の良い湖がある。
時々、俺は1人でもそこへドライブに行くことがあった。その湖へ向かう途中に和美を拾っていけるのである。
3回目のデートはその方面と決まった。
この時は日中のデートのドライブなので、観光地でも食堂やレストラン、ドライブイン、スーパーなど営業しているので、空腹を満たす必要に迫られることはなかった。
もうすでに俺の両親に和美を会わせたので、彼女の家へ挨拶をしようかと聞くと、彼女の親は多分不在なので今回はしなくて良いという。
デート後家に帰ると、母の作った赤飯が居間にあった。相変わらず旨かった。
それから、次第に和美は、何故かしどろもどろとしたところが見られるようになる。
日曜日に一日中デートをしたのだから、火曜日か水曜日にでも連絡をするつもりでいた。
しかし、火曜日に和美からいきなり家に電話が入った。
もう両親に会ったのだから、電話しやすかったのだろうと思った。
母が電話に出て俺を呼び出す。
「浩、和美ちゃんから電話だよ」
器量の良い美人と付き合う息子に親は息を弾ませて、生活に活気が満ちているようだった。
そのまま順調に行けば良いと。
火曜の夕方、まだ西の陽光が家を照らしている。6時過ぎ和美と会話する。
しかし様子が少し変わっている。
「もしもし、ヒロシ~、あのね、何で昨日電話しなかったの」
一瞬ギョッとした。毎日毎日コンタクトが必要なのかと思ったが、俺も内心昨日電話かけるべきかなと思ったからだ。
その旨を伝える。
「昨日電話しようかと思ったけど」
和美が食い付いてくる。
「けど~お↑?市内通話だぞ、何迷ってんの」
俺はなだめるように答えた。
「昨日は良いけど、今日会える?浜で会う、それとも和美
和美は少々不服そうな口調で答えた。
「会う!今すぐ来い!うちには誰もいないし、食べるものもあるから心配ないよ」
はじめアドレス聞いたときもそうだが、口調が時々ぶっきらぼうになる。
そんな幼い部分がとても可愛く感じた。
しかし、一軒家で二人きりになると言うことが、どういうことか理解していた。
19歳だが、当時俺は女を知らない身だった。
性うんぬんいう前の小学生時代に、フランス映画などのかなり激しいラブシーンの描写のあるものが、昼間からテレビで流れていた。
幼心に何で彼らは、配偶者でもない他人同志であんなことをするのかと悩んだ。
そういった性描写を植え付けられた中、実際に身体に表れてくるのは、思春期と言われる中学生になってからだ。
中学2~3年生の頃は白黒のテレビを自分の部屋に持ち込むようになって、一時期深夜番組にのめり込んだ。
そんな自分の欲求に悶々とする日々は、思春期の頃の人なら共通のことであった。
友達同志でそういう話題になることが多かった。
そんな思いをかなえてくれる相手を探し求めて、奔走することはなかった。
クラスメートと話しても、高校2年位から、同じくらいの年齢の女の子と交際してるだの話を聴いたくらいだ。
中学生の男性が女子高生や女子大生や社会人の女性に相手にされることはなかった。
今でもおそらくはそうであろう。
未熟で不安定な時期の子供を相手にする大きなリスクを犯すほどの、性的指向のある女性はめったにいないことだろう。
この田舎ではそんな話題はまるでなかった。
そういう訳で女の子の家に勇気を持って、単独で向かったのだ。
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