第3話 眠れぬ夜 Treat Her Right

 当時の男の子の性はエロ本と深夜番組がせいぜいで、なかなか学級の女子、いわゆるイモな人には向かなかった。


 ホームビデオの普及は殆どしていなかった。ビデオデッキが高価で、ビデオテープで映画か何かの映像を購入するにも高額過ぎた。


 ポルノ映画はそれ専門の劇場に行く必要があった。

 ちょうど1960年代に、まだサラリーマンの収入が低くレコード購入が難しいため、ジャズ喫茶へ通って音楽を聴くという手段だったのに似ている。


 数年後、西部劇のビデオを購入したが、かなり高かった。

 後にDVD化してからは、それが一枚あたり何百円かそこらの値段になったのには驚く。


 エロ本と言われないまでも、ヌードグラビアを含む雑誌は多くあったが、外国人のモデルのものや、くたびれた感じのグラビア女性が占めていた印象あった。

 そんな雑誌を持って、人前で昼間から平気でなかなかレジの前に立てないものだった。


 そして10代の頃、学校にいる女子生徒も中にはそれなりの見た目の人はいたのだが、現実的な興味の対象には中々ならなかった。


 気になりはしたけど、あまり話さなかった高校時代の女子生徒、タレント、グラビアで肌を晒したモデル、そのどれも現実的存在にはならなかった。

 それらと現実の存在は類似しないし、親しくもならなかった。そのギャップを埋めたのは彼女なのである。

 手の届かない存在でないばかりでなく、趣味が合う、それにもう会話が弾んでアドレス交換もした。


 それでいつ、この場を解散させるかだ。

時間はすでに夜の10時をまわっている。

 もう町工場の事務所もすべて業務を終え、遠くの住宅地の夜景も少しずつ消灯していく。

 彼女に今日の解散を告げるため何を言おうかと考えて話が途切れた。


 あっけなく彼女が言う。


「じゃ、そろそろ帰ろうか」


 こうして出会いの日のデートは終了した。


 家に帰ると母に心配された。


「お帰り、ずいぶん遅かったね、何してたの?」


 それまで、いつも海に行っても日が落ちてすぐに家に帰っていた。腹もすくし。

 半分冗談で答えた。


「あ、彼女出来た」


 母は答えた。

「え、彼女?お前風情がねえ。てっきり伊藤君のところだと思った」


 伊藤とは小学生時代からの親友だ。彼もロックが好きだが、趣向が違っている。彼はハードロックにのめり込んでいる。


 母はその冗談に付き合ってやるよ、というような口調だった。

 高校に通うようになっても、家族にガールフレンドの顔を見せるような事がなかったからだ。

 家族の夕食を欠席し、残ったおかずの冷蔵庫に保管してある冷めたものを食べた。

 いつもの事だが、当時の独身者あるあるである。


 もう深夜に差し掛かり、自分の部屋に戻った時は少し空気が変わっていた。

 入れ込んではいないが、何となく富○靖子の雑誌の写真を壁に貼っていたが、それを剥がした。

 今ではあまり知られていないかもしれないが、当時彼女はアイドルとしてはセンセーショナルだった。


 とこに仰向けになると、彼女の声が頭のなかで響き渡る。

 いきなり話かけられた時の声。あのサンドイッチの軽く香る唇。

 音楽の話題に興奮したり、夢について胸一杯になったこと。


 そして別れの時バイクにまたがる時の颯爽とした姿。

 それはあまり長くない片足をさっと上げ、乗り込んだたくましさと、女性ならではの格好の良さと可愛らしさ。

 バイクのエンジンをかけて右手でピースサインして走り去った姿。

 それらが自然に混然一体していた。


 ノートを開いたアドレスを確認したところ隣町在住である事がわかった。


  名前は和美。


 当時としては少し新しめの名前だったが、ありふれた名でもある。

 隣町の市街地図も持っていたため、およその地域は把握できた。


 次にいつ合うか、俺の方から何かロックバンドのレコードの録音したテープを持って行くべきか。


 話した以外に何のバンドが好きなのか。どんな彼氏がいたのか、いるのか、いないのか。職業は?出身学校は?


 いろいろと頭の中は彼女のありとあらゆる、あること無いこと、知ることのないさまざまなデータが去来していた。


 今日話をして自分の得たデータと、そうでないものの頭の中での錯綜で眠られなくなっていた。


 もう時刻は午前3時になった。

7月上旬の夏至時ではもう夜明け近い。こんな時間に彼女の家に電話は出来ない。

 まだ平日だ。

 俺も7時に起きて役場の勤めに出なければいけない。

 そう考えるといつのまにか眠っいた。


 ショートスリーパーでない俺は、僅かな睡眠時間で出勤するのは酷だった。しかし、若さで押しきり、役所の業務をこなす。

 時々眠そうにすると先輩の女性職員に冷やかされる。「ヒロシ君、眠そうね。一晩中彼女といたの?」


 俺の名前は浩。ヒロシである。

図星だが、こういう冷やかしは日常茶飯事だ。そうだ、と言って自慢してもいいが、別にまだなにも付き合った仲ではない。

 眠い業務の中でも彼女の声が耳にこびりついている。


 上司のタバコの煙が部屋を漂う。時々彼はタバコをくわえたまま電話で先方と話している事がある。

 ガムも軽食もディスクの上では口に出来ないが、タバコは吸い放題である。

 こんな環境でも、女性は当然の顔をして職場にいる時代である。

 喫煙権はあっても、嫌煙権はない。


 あまり眠れなかったこともあって、勤務が終わっても今一つスッキリしない。

 ただ若いのに夕方から眠るつもりはない。浜へ行くにも今日は少し曇っている。


 それで、あっさり定時で家に帰った。


 食事のあと外が少し晴間が覗き、夕闇の前の西の鋭い陽光が部屋の窓を刺す。


 そして僅かな時間眠りこけた。


 起きるとまだ夜の7時半だった。

外は日没後の薄明かるさが残っている。

 家にある電話で彼女に電話するかどうか考えていたが、決断できなかった。


 電話は家のリビングに置いてあって、親父がプロ野球か何かのテレビを見ているか、新聞を読んでいるはずた。

 当時田舎では、プロ野球は巨人の試合しかナイターでは放送しない。

 それ以外のカードはデーゲームを試合の途中から中継して、試合の途中で放送が終わる。

 これではあわただしくて見た気がしない。


 そんな中、女性に電話するのに躊躇った。彼女の家も同じように、家族がいるなかで電話を受けることになるからだ。

 おそらく、そうだろうと。

 ファイヤーフォールの例の曲 Just Remember I Love You をレコードでかけて聴いてみた。


 昨日の彼女の声がこだまするかのようだ。


『そーう、そうそうそう。当時ファイヤーフォールは誰も知らなかった……』と。


 昨晩の眠れなかった時の状態は、ややさめて、少し落ち着いたが、まだ余韻が残っている。

 このあいだに役所の勤めや家での事があって、何とかあの印象が薄らいだようだ。


 1980年代の通信手段は述べた通りだが、もう何年か経つと、切り替え機を使って別の部屋へ電話を通すという手段が出てくる。

 しかし別の電話機を買う必要があったため、そう簡単にはできなかった。

 無線で繋がる子機付き電話はまだ先の事である。


 従って、自分の部屋でプライベートに外と通信する手段がないのだ。

 SNSがあれば、どうでも良い相手でも、最重要相手でも、気軽に繋げ意志の疎通が出来る。


 だが当時は父親の見ている場所で電話をし、先方の知らない親族の誰かが電話を受けるのだ。

 この難関を突破しなければ彼女を作ることは出来ない。


 ただアパートを借りるなどして一人暮らししている場合この限りではないが、当時若い人の入る部屋に個人の電話を引き込むことは珍しかった。

 着信の出来る公衆電話などを、管理人などの呼び出しによる通話になることが多かった。

 それは当時個人が電話を引き込むには、電電公社に8万円の設備料を一括で払うことになっていたのだが、当時この金額を簡単に払える若者はそういなかった。

電電公社とはNTTの前身団体である。

 電話機はリースになるか購入かよく知らないが、黒電話のリースはうっすら覚えている。

 もっとも若者が働くために一人暮らしする場合も、アパートに入るだけの預金を持っている人もあまりいなかった。

 親の資金力で一人暮らしの準備をするのである。


 ただ、親が電話の設備料を払ってくれても、通話料まで払ってくれるわけではないだろう。

 長電話しようものなら、支払い不能なほどの料金の請求が来るのである。


 当時の電話料金は極端で、市内通話と言って自分の居住する狭いエリア内での通話料は安いが、この範囲を超えると高くなる。


 これは、今と昔では人工衛星やデジタル伝送とかの通信方法の違いに起因している話で、複雑なので、専門の人に聞くと良い。


 別の都道府県等の遠ければ遠いほど、非常に通話料が高くなる。

 遠距離通話で長電話を繰り返すと、若者の一ヶ月の給料が飛ぶ。


 遠距離恋愛を成就させるには、手紙をマメに書かなければ難しい時代だったかも知れない。

 あるいは、新幹線や特急列車を使ってマメに会わなければならないかも知れない。

 まあ、その両方こなせて並み居る敵を打ち負かして、恋愛を盤若にするしかないかも知れない。そんな時代だ。

 ZOOMやメッセージ通話などテレビ通話は当時、SFの世界の話であった。


 さて、俺、浩は和美への思いはつのるばかりだが、若さはそれを止める事は出来ない。

 この心理状態で夜を迎えるのはまずいと思い、曇りがちだが夜闇のあの浜へ向かうことにした。


 車はシビックで知人のつてで紹介してもらって購入した。


 あまり自動車には詳しくないが、あの時代はソアラなどハイソカーブームで、乗っているだけで若い女性をナンパできた位である。

 ソアラも良かったが、あまりのナンパのイメージを嫌い、その共有部品で作られたセリカXXに憧れていた。

 しかし両者とも当時の給料でローンを払って行ける範囲外なので、買うリストから外れていた。


 シビックは1979年型で、CVCCエンジンで有名なモデルの最終型だ。

 4年落ちで買ったが、安く良く走ってくれるので良かった。

 同級生の中には給料の殆どの額をローン返済に当てている物もいて、ソアラやセリカXX、レパード、マークⅡに乗っている強者もいた。

 しかし彼らはその後ガソリン代をなかなか工面出来ず、他人の車に便乗してもらう事があった。その度「お前の3ナンバーのソアラどうした?」「修理なら代車位あるだろう」と冷やかされるのだった。

 若者の安月給で当時3ナンバーと言われる国産の2800cc車を持つがいたのである。

 当時の車で2800ccの排気量だと燃費も悪かった。

 自動車税も2000ccの国産車よりも800cc多い2800ccでは2倍以上の額だった。


 当時は副業やフリーランス経営など簡単に手が出せない雰囲気だった。

 給料以外で収入を得ている人は、休日アルバイトという話が多かった地域である。

 公務員のアルバイトは許可していない事が多かっと思う。不許可ですると闇になる。

 車を買うために、高額の収入を得るにも、なかなか難しい時代だった。


 10代最後の歳となり、職業を持つようになると親もうるさく言わないが、出掛けることを告げて出掛けた。

 この時間家から浜まで10分程度だ。

 浜に来てみると、何となく和美と出会った地点に無意識に止めた。


「ファイヤーフォールをかけると彼女来るかな~」


 情けない話だが、あの偶然の出会いをまた期待していた。

 電話番号はわかっているのだが、昨日会って次の日電話をかけるということに気が進まない。

 もう海を眺めようにも、彼女が心の中をすべて占めている。


 携帯のない時代は当然、通信手段として公衆電話が非常に多かった。

 この浜にも公衆電話がある。

 電話機だけにカバーかけられているものだ。

 電話帳に個人も公的なものも載っている分厚い本があるが、露天の電話機の下に泥まみれになってそれはぶら下がっていた。


 浜から少し離れたところにもBOX型の公衆電話がある。


 公衆電話を使って彼女に電話をかけることを考えていたが、朝まで起きていたこともあって、少々眠くなってきた。

 まだ夜は8時だ。

 若者はたった一晩の寝不足で事故や職務上の心配などしないが、女の子よりもベッドが恋しくなってきた。

 それであっさり帰宅して、床についた。家では父が「バカ巨人」と呟いている。

 入れ込んでいない、応援していないと言っていながら、巨人が負けるとそう言う。


 床の上でパブロクルーズのOut Of Our Hands

を聴いていた。

 このアルバムは1983年のリリースだが、すっかり当時の流行を追った内容になっている。

 Journey風あり、ヒューイルイス風あり、という印象で少々インドアぽい。


 それでもアルバムの最後の曲が、夜のトロピカルな海辺の雰囲気を伝えて来る、その調べとともに眠くなる。


 曲の名は Treat Her Right 。

まさしくその時の俺を表しているタイトルだ。詞の内容もまさにそれだ。

「彼女を大切にしてやれ」と。




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