第2話 Firefall 恋に落ちる

「はあ、はい。この町でファイヤーフォールの事知っている人初めてです」


 俺がそう答えるとその話になる。彼女が答える。


「そのアルバムが発表された時この町で売ってなかったよね、1976年でしょ」


「いや、これはセカンドだよ、1977年。でも買ったのは去年です。(1977年)当時まだ洋楽聴いてなかった」


俺がそう答えると、彼女はすぐ答えた。


「あ~あ、そう、Just Remember I Love You は Luna Sea ね」


 俺がうんちくを述べても彼女はついてくる。ここまで趣味の合う女性に出会うのは初めてだ。


 彼女のルックスからすれば、十分すぎるほど俺にとって良かった。ただ、前述のタレントさんからすると、そこまでは綺麗ではなかったかも知れないが、同年代の女性と直に話すということは男にとって舞い上がってしまうものだ。

 俺はうんちくを続ける。


「1976~77年と言えばイーグルスのホテルカリフォルニアが流行ってた頃だ。イーグルスはこの町でも誰でも知っていたけど、ファイヤーフォールは誰も知らない」


 彼女は熱が入り、少々興奮してきた。


「そ~う、そうそうそう。あの頃ファイヤーフォールは誰も知らなかった。友達にこれ良いよって勧めたんだけど、誰も良いって言わなかった。でもホテルカリフォルニアは当時学校で流行っていたな」


 よく考えると、どうも年代的にずれている。1976年と言えば、俺は小学校高学年だ。しかし彼女はそんな年代でそれを知っていたと言うし、ホテルカリフォルニアが小学生のなかで流行るなんてあまり思いつかない。

 田舎の小学生が聴いていたのは女の子だとベイシティローラーズ位で、男の子だとキッスだった。


 あとから調べたところによると、ひねくれたロックオタクは早くからレインボーなど、ハードロックにはまる人もいたらしい。

 おそらく彼らはそんなアイドル系ロックを横目で冷ややかに見ていただろうとも推測できる。

 これがあと10年過ぎると、その対象がイングヴェイマルムスティーンに変わる。彼らは何のファンを冷ややかに見るのだろう。ボンジョヴィか?ヨーロッパか?


 初対面の相手にガンガン話し込み、その趣味についてまで聞きだしてしまうのには、たとえタイプの女性であっても、少々うざったいと思うかも知れない。

 しかし当時の男の子には女性の方からぐいぐい来られるとキュンとなってしまう。そういうタイプの男の子は多かったように思う。

 お淑やかに振る舞い過ぎると、変に警戒されているようで、逆に恐くなるのだ。


 趣味が合ううえに見た感じもOK、もう俺は彼女のペースに完全に支配されていた。自分のなかで彼女が法律化したようなものだ。


 年代のずれを感じ始めたことに追い打ちをかけ、彼女は続ける。


「ホテルカリフォルニアが学校で流行ってたんで、学園祭でこの曲のバンド演奏をしたのよ」

 ホテルカリフォルニアのコピーバンドを小~中学生がするというのは、ちょっと聞いた事がない。それに流行っていたのは1977年だ。彼女は30歳近くにもなるのか。


 歳を聞こうとしたが止めた。中学生でもあの曲を演奏したかも知れない。


 好みからすれば、高校を出てすぐ勤め始めた身としては、当然年上の女性に憧れるものだ。

 10代の頃は田舎の洗練されていない同年代の女性などにそう惹かれはしない。

 年上の20代の女性を見て美しいと思うのは当然の成り行きだと思う。

 ただそれが、なかなか思いつかないのは親が意図的にそれを阻んでいたのだろうか。

 たとえ彼女が30歳であろうとも、それはそれで受け入れたであろう。


 そんな気分になっていたが、夏の暑い最中革ジャンのまま立ち去ろうともしない彼女に心がワクワクした。


 若い異性と話すのは社会に出てからは増える。

役所勤めだと女性の職員も多い。ただ職務上それをするのであって、特に気を惹かれたりする程心の余裕はなかった。

 高校を出て一年ちょっとだ。前述20代の洗練された女性は職場にはあまりいない。

 別の部署でそのような人を見掛けたが、少々化粧が派手に思えた。

 時々ずっと年上の先輩職員の女性に冷やかされる事があるくらいだ。


 そういうわけで、ファイヤーフォールとホテルカリフォルニアの話の内容の僅かな時間に、この決定的出会いの重要な訪れは現実の事だ。


 18時を過ぎても、まだ陽光が車の右側になる西側から強く照りつける。海は沖合い100メートルにあるテトラポッドに西陽がさし黄金色にまばゆく輝いている。

 海は濃い青色が見事だ。


 一瞬右側にいる彼女から左側の海へ目をやった。

彼女が聞いてくる。


「ねえねえ、いつもここに来るの?」


俺は答えた。

「ああ、来るよ、来ますよ」


 彼女の軽快な口調に、他人行儀をしていた俺の敬語の口調が崩れてきた。

これを彼女がからかってくる。


「くるよ、きますよ…ははっ!」


 年上ばかりに囲まれて敬語が板に付くと言うより、慣れない職場に身体が畏縮してそうなっている。

 時々家に帰っても家族に対しても敬語が出るようになった。当然家族に笑われるが。


 さて、当時カーステレオはカセットテープがほとんどで、レコードから市販のテープにコピーさせて使うのが主流だった。

 ミュージックテープも販売されていたが、解説書が大体付いていないのに価格がレコードと同じだった。

 CDはすでに2年前の1982年に開発され市販されていたものの、まだまだ普及していなかった。

今でも1982年プリントのディスクを探して見ると良い、まず見つからないだろうし、有っても高額な値が付くだろう。

 そしてカーステレオにCDプレイヤーが搭載されるのは、まだしばらく時間がかかるのである。


 ミュージックテープを使うとすると、カーステレオのデッキが大抵質が悪く、テープ自体が絡まって台無しになることが多かった。

 レコードをテープにコピーすることは著作権問題となり、その対策にレコードのどこにも曲の演奏時間が記される事がなくなるようになった。

 当時2~300円のカセットテープにコピーをして他人に渡すという問題があるからだが、10代の子たちに2000数百円のものを複数買うという事などそうできることではなかった。

 都会ではどうかわからないが、当時レコードの中古販売や貸しレコードなどと言う店は少なかったと思う。田舎では一般販売店はずっとあったが、中古や貸しの店は著作権法に触れて訴訟問題になったのだろうか。


 今では中古CDがネットやオークションで大量に出回り、中には一円になるものもある。


 多くの音楽に出会いたければ、それなりの財産が必要な時代だった。


 俺がファイヤーフォールのレコードを手にしたのは公務員の給料を貰うようになってからで、わざわざ電車で都会に出て数軒のレコード店を廻った挙げ句のことである。


 こうして1983年になってファイヤーフォールのファーストとセカンドを輸入盤で手に入れたのだった。


 話を聞いていて彼女は本当にリアルタイムでファイヤーフォールの日本盤を買ったのだろうか。俺は彼女にこの件について聞いてみた。


「あの~、ファイヤーフォールのレコードどこで買ったんです?」


「ですか」の敬語に か を除いて少し砕けてみた。

彼女は答えた。


「えっと、買ったんでなくて、東京にいる兄がテープくれたのよ。たしか2~3年前」


 思っていたよりも意外な答えに納得と言うか、肩の荷が下りた。

 それは8年も前に2500円、いやファーストとセカンドをあわせて5000円も出したのかとも考えたからである。

 ある意味別の疑問をぶつけることもこれで失った。それはあまり知られていないこれらのアルバムを、この町に住む若者がどこで、どうやって手に入れたと言うかことである。


 彼女はまた答えた。


「一応解説書のコピーを送ってくれたの。それで詳しくわかったのよ。兄にはいろいろと教えてもらった。でももうリックロバーツはこのバンドに参加してないのよ」


「えっ」俺は驚いた。


 ファイヤーフォールはリックロバーツが結成したバンドだと思っていた。

 年老いてネットがつながって漸く調べたところで、果たしてその通りだった。

 彼がそれから参加していたとしても、それはバックコーラスでのことだった。

 もうすでに日本ではマイナーと言うより無名のバンドになったファイヤーフォールだが、彼らの情報を伝えてくれる雑誌は田舎の俺には見つけられなかった。


 レコードコレクター誌などマニア向けなら取り上げていただろうが、田舎の書店にはそういう雑誌は置いてなかったかもしれない。


 当時はリック氏がフライングバリトーブラザースに参加していたことも知らなかった。

 そのフライングバリトーブラザースすら当時知らなかった。後々一時期カントリーロックに凝った時に知ったのである。


 カーステレオから流れるファイヤーフォールの曲も話をはじめてから3曲目になった。


 町工場に勤める工員の残業組がわずかながら帰宅するのに出てくる。


 車道側に、車の運転席に向かって話す若い女性の姿を見ることはまずないことだ。


 一台の車がスピードを落としてこちらを覗き込んだ。


 その顔は若い女性に捕まった男とはどんなものかということと、こんな若い女性に捕まえられた羨ましいやつ、という微妙に混在した表情のように感じられた。


 海に向かってそよ風が吹くので、潮の香りはないが、彼女の吐息が僅かだが感じられる。


 それは特に甘くもなく、美しい芳香でもなんでもない。


 自分の弟が幼く素直だった頃の、単に食べた食事の匂いが薄く残っているだけ、という感じを思い出す。

 ただ弟が好きだったラーメンのそれでなく、サンドイッチか何かパン食というもの。


 ただ、それに吸い込まれるような感覚があり、そのままその口を自分の口でふさぐような衝動も僅かにあった。


 一般の道路ならばこんな光景はあり得ない。

交通妨害なのだが、海岸の行楽地と誰もが認めるため誰も気にすることはない。


 ただ長話となると、女性を立たせ続けるのは良くない、そう思って一緒に浜へ下りようかと考えたが、彼女がこの場を納めようとし始める。


「あっ、突然すみません。話長くなっちゃいましたよね、どうしよう」


 人にアドレスを聞くというのはとても勇気のいることだが、ここでは何かそのたがが外れたかのように声を発した。


「え~と、すみません。お名前は?聞いていいですか、名前と住所と電話番号」


 まだネットも携帯電話もない時代、お互いの連絡手段はこれだけである。

 それに今で言うSNSの交換という気軽な手段も無いのでそうするしかなかった。

 いくら昔は言え、プライベートを聞きだすということはそんなに簡単に出来ることではなかった。

 そういうナンパ行為と言うものに関する法律というものが、殆ど施行されていない時代でもある。

 普通こういうことは女性が自分で防衛することが求められる。ストーカーという言葉すらまだなかったが、そういう事をする輩はいたのである。


 あれだけ自分から話しかけ、グイグイと話も引っ張った彼女でも、一瞬静まってから答えた。


「わかった。教える」


 音楽の話の時よりも、トーンも音程も下がってそう答えてからお互いのアドレスを交換した。

仕事帰りなので筆記具があったので良かった。

 自分のアドレスを書いたノートを1ページ破って彼女に渡した。

 彼女はそのノートを折り畳んでポケットに入れた。

 しかし、若い男女が出会って10分やそこらで今日は解散、というわけにも行かないだろう。


 彼女の数秒黙っまま下を向いた。


 今思うと、あの若さで良くあの空気を察したものだと感心する。

 これをもって彼女との交際に繋げたからである。


 自分の車の後ろ数メートル開けて彼女のものとおぼしきバイクがある。

 白いヘルメットがハンドルに掛けてある。

俺はドアを開けて車を降り、車の鍵を抜いてエンジンを止めた。

 当時の国産車のイグニションはこうだった。


俺は彼女に言った。


「さっ、浜へおりませんか」


「うん」


 彼女もバイクの鍵を抜いて浜へ向かう。

車とバイクの運転手がデートをするというのもあまりないことだろう。

 革ジャンと思ったのはバイク用ジャケットのようだ


 浜の砂の上に腰をおろすのでなく、手前のコンクリートの階段のようなところに座った。

彼女と俺の間隔は1メートルよりは少し狭い程度あった。

少しの警戒が互いに表れていた。


 陽光が斜めに傾き後方、車からは右側の2階建ての建物にかかって、浜が日陰になりだした。


 ここからだと夕陽に照らされていたテトラポッドが、またいっそう強く輝いている。


 その向こうにある、水平線が夜を思わせる灰色に暮れなずむのと対照的だ。


 カモメはもう飛んでいないが、犬の散歩の中年の男性や、中学生位のグループが通りかかる。


 俺がロックの話をしようとすると、彼女が口を開く。


「良いねえ。海を見て、そんなロックの話になるなんてね」


 この言葉の返答として、またロックの話しようとしたが、また彼女は言う。


「海なんてそんなに意識してなかった。兄がファイヤーフォールもだけど、AORとかのレコード沢山持ってて、良いものテープにコピーして送ってくれたりしたの」


 俺は少し考えて答えた。


「それでそんなロックのサウンドから海を思いうかべたわけね」


 彼女は答えた。


「そう、小学校の時遠足でこの浜へに来たのを思い出したの。

うわっ! この曲、この浜の海面のキラキラした輝きだって」


 俺はその衝撃の海面の輝きの曲が何であるか聞いた。そして彼女は答えた。


「リトル リバーバンドのクールチェンジよ」


 これには面食らった。俺もあのピアノのイントロを聴いた時の衝撃を覚えていたからだ。

ただそのインスパイアされた海はここではない。


「へえ~、それは驚きだ。俺も同じだよ、あの曲のイントロのピアノが流れたとたん、海に突然追いやられた」

 自分の事を俺と初めて使った。

彼女は答える。


「凄~い。でもよく考えたらそういうAORとかウエストコーストのサーファーの好きな曲って、あの曲位しかテレビでかからなかった」


 リトルリバーバンドが日本でヒットしたのはこの曲が主なものだと思うが、情報の少ない田舎では、その前のアルバムのヒット曲リミニッシングはまだ知らなかった。

 1982年にクールチェンジがサーフィン映画で使われることになって、そのシングルレコードを買うとB面がリミニッシングだったことにより、この曲を知ったのだが。

 ただ、我々がテレビでクールチェンジを知ったのは、この映画の宣伝のためだろう。

 あまり英語に長けていないながら、この曲はサーファーの賛歌でないことに気付いていた。どうもクルーザーか大型ヨットで一人で大海に乗りだして行くという歌詞なのだ。

 それでもこの映画ストームライダース(邦題)に取り上げられ、日本のサーファーが好んで聴いた曲である。


 サーファーの好みはこの曲や、他のバンドだとパブロクルーズ、ハワイのバンドだとカラパナ、セシリオアンドカポノ、アイランドバンド、この辺りが田舎でも情報が入ってくるバンドである。

 ビーチボーイズは60年代の曲がよくかかるが、個人的に1970年代の楽曲が好きだ。

 他にピュアプレイリーリーグのビンスギルの参加しているもの、ドゥービーブラザースのマイケルマクドナルドが参加しているものなど、海を思わせる楽曲として認知していた。


 ただハワイやLAやオーストラリアのゴールドコーストなどの温暖な気候のなかで作られる作品は、アーティストにその気候の影響を無意識に与えるものだという認識は、当時からすでに持っていた。

 なぜ二人がこれ程海に憧れるのか、それは後々の会話から読み取れる事だろう。


 彼女が尋ねてくる。


「あのう、夏はここに来たりするけど、冬はどうしてるの。雪のなか海に来ることがあるの?わたしはバイクなので無理なんだけど」


 砂浜、サーフィンというキーワードから意外に思われると思うが、ここは冬になると雪で閉ざされるのである。

 豪雪地帯ではないが、バイクの免許を持っていないし、自転車で冬にここへ来ることはなかった。


「そうだね、来ないね。家で音楽聴いて大人しくしてる」

 俺がそう言うと、

彼女が言う。


「じゃあ、冬でもファイヤーフォールなんか聴いてる?」


「そうだけどね」


 そう答えて、冬の閉ざされた時の諦めた雰囲気の時を思いうかべた。


 ただ、当時若かった。

冬は長かったが、雪が融けると冬など忘れてしまい、永遠の夏の中にいるかのようだった。


 それで俺は話した。


「でも、真夏にここでそんなロックを聴いても、ここはLAでもゴールドコーストでもハワイでもない。ヤシの木もはえてないし、ちょっとずれてるかも」


 どこからか散歩のおじさんからか、誰かのタバコの臭いがする。

 喫煙はしなかったし、今もしないが、当時男なら誰でも喫煙をした。

 灰皿すらない所でもタバコに火をつけて歩いていることなんて普通にあった。


 彼女が質問してくる。


「それで本場のLAなんかの海岸に行きたいの?」


俺は答えた。


「いやぁ、無理だろうね。お金があったとしても英語が出来ない」


 当時の円のレートは覚えている限りでは1ドル200円位あったと思う。

 田舎の公務員が財産はたいて渡航するには勇気のいる時代だった。

 しかし、若い女性にそんな勇気と言うか、その離れ技をやってのける人がいたのである。


 そういう話題と、音楽の話に花を咲かせ夜になって行く。

 若い男女は時間の流れなどどうでも良くなっていた。


 俺と彼女の間隔は7~80センチあったが、それは埋まらなかった。

 しかし話題のなかの間隔はとても狭まったのである。


 音楽の話とちょっとした夢の話、そして自分の周囲にいる友人や職場や家庭での話。


 夕闇が海水浴場用のライトに飲み込まれて、海は暗闇のなか黒色に変わる。


 月明かりがわずかに水平線を見せている。

海面は月の光で遠慮がちに美しく輝いている。


 散歩のおじさんも、犬連れも歩かなくなった。


 町工場のシャッターは全部閉まったようで、静寂に包まれているが、僅かに事務所の灯りがついている。


 ただ遠くの道路は車の往来でにぎやかだ。

それでもなんの危険もなかった。


 7月の暖気は陽が落ちても暖かく俺たちを包んでいた。


 夢の話に頭をもたげ、音楽の中に甘美な英語圏での生活に思いを馳せて、俺たちは胸が一杯になってきた。


 彼女の美貌に誘惑された瞬間はあったが、そんな思いも忘れ去っていた。


*  文中のレコードのカセットテープへのコピー問題は当時社会的に取り上げられていた。

 売り上げにかなりの影響が懸念されたからだが、結局は文中の諸問題もあって条件付きに咎めは解除された。

個人で楽しむ範囲ならコピーをしても良いと。

 コピーしたものを売るとその時点で違法だが、これを取り締まる方策はあまりなかったようである。








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