昭和末期の物語 海と音楽と恋と家庭

小川初録

第1話 砂浜での出会い

 この浜は北東側から入ると、右手に町工 場が軒を連ねている。

 その大半は機械か金属にまつわるものが多く、付近にある大手企業の発注を受けたりする下請けなどだ。

 浜の脇にあるこれらの工場にしてみれば、錆のことを考えると場違いに思えるのだが。


 この車道の左側には大きな空き地がある。

ここに町工場勤務の従業員が駐車するのに利用したり、砂浜に訪れる人が利用したりする。

 ここから浜に出ると、南西に向かって黒い砂鉄の砂を多く含む砂浜が2キロにわたって続いている。


 この大きな空き地を通り過ぎて2~300メートル先の海水浴場の施設があるところの一帯になると、時期により路上に駐車した車で一杯になる。


 皆海好きの人ばかりで、老いも若きも訪れている。

 サーファーもいるし、サーフィンを見に来る人も、浜で戯れるだけの人も、海の景色を見るだけの人もいるし、一人の人も、家族連れも、デートスポットにする人も、グループの人も誰でもいる。


 皆が海の美しさを堪能するロマンチストばかりで、都会のギスギスした感じのすることがない、ちょっとした聖地と言える。


 ここは1970年代よりサーファーが目を付け、サーフィンが次第に活発になり、1980年代になると沖にテトラポッドを導入して海水浴場になった。と言っても子供が海中で遊泳できるほど波が穏やかでもないが。


 海水浴客が少ない場合や、真夏でない時はこのエリヤでもサーファーが波乗りをしている位なのだ。

 しかし大抵は、テトラポッドの入っていない海水浴エリヤ外での場所でサーフィンをする人が多かった。その方が良い波が来るから当然の話だが。


 その頃、俺は、高校を出たばかりの若い公務員として勤めていたが、夏の時期などは何かにつけてこの浜に出てきて海を眺め、サーフィンを見たりした。

 海水浴場として開放している期間は長くはないが、その期間中はスピーカーから音楽が流れていた。


 夜になってもライトアップされ海岸の夜景を楽しむことができるのだが、平日の夜の時間帯はさすがに誰もいない。


 スピーカーから流れる音楽は有線なのかわからないが、当時流行りのサザ○オールスターズや山○達郎など海によく合うものが思い出される。


 しかし個人的趣味は海外のロックに向けられており、自分の自家用車内のカセットテープは

Little River Band, Pablo Cruise, Doobie Brothers, Pages, Pure Prairie League, Firefall

など、ウエストコースト、AORロックなどが主体だった。


 これら海岸(海外)ロックの夏の海辺を思わせる音楽と、地元の砂浜の雰囲気に酔いしれるというのが自分にとっての享楽であった。


 そう述べると単に趣味的に思えるかも知れないが、若い当人にしてみれば、もうそれは一種の宗教じみた崇拝に近いものがあった。


 この田舎の一地方で音楽と言えば、テレビで流れる歌謡曲か演歌主体の世界で、自分の趣味を主張するのは精神の病んだカルト教団の教祖の卵のようなものだろう。ただ信者となる者は誰もいないのだが、それはそれで他の誰かに布教しようなどと気持ちは微塵も思わなかった。

 趣味というのは自分自身が満足すれば良いのであって、そもそもそれが趣味の成り立つという基本なのだろう。


 さて、1980年代も数年が過ぎ、上述の一連の夏の屋外活動的なサーファーの好む音楽はリアルタイムではもう全然流行っていなかった。

 イギリスのシンセサイザーを使ったポップスやプリンスやマイケルジャクソンなど、どちらかと屋内活動を思わせるものが流行っている印象があった。

 Little River Bandではヴォーカルのグレンシャーロック(ショロックとも)がもうバンドから脱退していて、しかもPlaying to Win というエレポップかハードロック調の楽曲を、これまたハードロックのヴォーカルを思わせるジョンファーナムがとっているものまで発表され、失意のどん底に落ちてしまった。


 他のバンドも活動を終えたものや、活動を縮小したものなどがいる時代に差し掛かって、自分のカルト的趣味も懐古的になっていた。

 しかし、Little River BandがNo Reinsを発表したとき雑誌で紹介され、その侮蔑の極みの一言でこう書かれてあった。「こんなもんはサーファーのオヤジだけ聴いてりゃいいんじゃ~!」

この一節に小さく狂喜した。

 さっそく買って聴いてみたところ前作のPlaying to Winよりはよほどサーファーのオヤジを満足させる内容で、毎日このアルバムを聴くローテーションに入った。


 雑誌で侮蔑の言を発したライターは、おそらく流行っていないものを廃したい主義なのか、他の趣味があったのかわからないが、当時の主流はプリンス等だったと感じた。

 あの頃の彼の人気とプロモーションは凄かった。「ああ、プリンスでないから他は全部クズと言うワケね」も思った。


 懐古主義に陥っているのでないつもりでも、個人の趣味というのはしつこいものだろう。

 流行りや他人の意見で自分の趣味をコロコロ変える人というのは、自分が他人にどう見られているのかが主な生活の中心であり、それをするというのが趣味なんだろう。

 さらに、何かを侮蔑するというのは、他の誰かを自分の方に引き寄せたいという願望も晒している。


 ただ、この物語の舞台となっているのは、まだ1984年でPlaying to Win も No Reins も発表されていない。


 どちらかと、まだマイケルのスリラーの印象の方が残っていて、プリンスの人気はまだ日本では大きく盛り上がっていなかったように思う。少なくともこの田舎ではそんな印象だ。

 大ヒット作パープルレインは凄い売り込みだったが、彼は1970年代から天才的な活動をしていたが、アメリカで流行ったから、売れたから日本でもという当時の風潮が表れていたように思う。


 そのアメリカで売れた、流行った作品が日本でプロモートされてから売れるには時間がかかるし、へたをするとその作品をプロモートするのでなく、それから後に発表された次作のものを強力にプロモートしたりするのである。

 こんなことを繰り返すのだから、当然本当の傑作を強力にプロモートすることが難しくなり、レーベルのプロモートにあおられて其れが傑作だと信じ込むということが起こる。

 これは当地のアメリカでも同じことが言える。

音楽に詳しい人がこれは最高のバンドだ、この作品は最高傑作だ、などと言ってももう製作時からしばらく後の事なので、ここからプロモートしたりしては随分と時間がずれる。

 そうこうしているうちに、バンドはこの傑作の次作の製作に取り掛かるのである。

 そこでこの作品の製作に多額の資金を投入して、ある意味重々しい傑作が作られるが、話題性ばかりで、何だか疲れた作品が売りに出される印象がある。

アーティストとは繊細なのである。

 そうすると日本で本格的に売れるアルバムの2作前の作品が傑作である可能性が出てくる。

 イーグルスのホテルカリフォルニアが売れても、2作前のオンザボーダーからのシングルが全米一位なっていることがそれを示すかもしれない。


 1984年当時山○達郎もプリンスも聞く耳すら持たなかったが、数年前流行ったような夏の太陽はもとにいる、海もうでの生活で自己満足耽っていたかと思えば、わりとその一面ではそうだった。


 ただ、若い男の一面としては当然、女性の事についていつも考えていたのは当然の成り行きだろう。

 この浜で見られる女性は暇をもて余した女子高生の集団だったり、子連れの主婦だったりするが、若い女性も大抵集団で訪れていた。

 だが、どちらかと年金生活の老人が犬を連れての散歩というイメージが先行する。

 自分と同年代の女性が単独で現れるというのは、想像してもなかなか思いつかなかったが、そんな訪れを経験することになる。


 いつものように夕方と言ってもまだ7月、仕事後で立ち寄ったこの浜でカーステレオを聴き、海水浴場の施設のある路上に駐車してサーファーを目で追うことにしたが、車の窓を全開にしたりドアを開放して外へ音楽をガンガン鳴らすような主張は避けていた。


 時間は夕方の6時を過ぎていたが、右手斜めから差してくる陽光は逆方向にある青い海を鮮明に輝かせている。

 今日は波が今一つ低いためサーファーが少ない。

 

 2台前の車はサーファーのものであることがわかる。

 車のドアを開放してウェットスーツを干している。

 ここでは夏でもウェットスーツが必要なのだ。

彼は昼間から波に乗り、もう帰る前のようだ。

 

 二人が海中にいてサーフボードにつかまって乗れる波を待って穏やかに揺られている。

 この時間帯は退屈なほど穏やかだともう浜に上がってしまうだろう。

 この浜は、海中で自然と対話をして絶好の波をいつでも期待できるほどではなかった。

 そもそも絶好の波が来たところで、長いライドをできるほど上達した人も当時少なかった。

 詳しくないが、一眼レフのカメラを持っていて、時々この浜で撮影することもある。

サーファーを撮影出来るだけの望遠レンズも持っている。


 その時は運転席側の窓だけ開けていたのだが、浜へ降りようかどうか考えていた。


 「あら、ファイヤーフォールね、珍しいわね」


 車の前方はサーファーなどの車、右側は車道、左側は浜に望む。

 カーステを聴いているか、浜へ出るか迷っている時だった。

 若い女性に話かけられるのは覚えている限りこれが初めてである。

 そのチャーミングな声にギョットしたが、何の前触れもなく、そしてそよ風のように自然に自分の視界に入ってきた。

 自分と同じ位の年齢だと思うが。革ジャンを着て背は低い。

 当時タレントの誰かと比較して、誰が○○似だとか考えたことはなかったが、今で言うと中○翔子の髪型で輪郭の雰囲気は似ていたが、目があんなに大きくはなく、むしろ綾○はるかを丸形にしたとでもいうか。(ただ当時この二人は生まれてもいないのだが。)


 学生時代は共学だったが、特にガールフレンドすら出来なかった身としては驚くべき出会いだった。

 流行らないロックばかり聴いて、他の誰とも趣味が合わないでいる偏屈なオタクと思われていたのだろう。思い返せばどうでも良いと思っていた女子生徒とは気軽に話していたが、気になる人には何も話せないでいた。中には逸脱した輩がいたが、そういう例外とはかかわりがなかった。

 一人で行動しているところに、一人の異性に話しかけてくる人と言うのは逸脱の輩と思われこともあるが、彼女にはそんな雰囲気はなかった。


 背が低いと言っても、どちらかと女性らしい体型をしながらもある程度の筋力のありそうな人で、革ジャンを夏に着ているのと一人でいるのは、彼女はバイクで来ているということである。

ルームミラーに映る自分の車の後ろに400cc位のバイクが停めてあるのが見えた。


  *Little River Band の Playing to Win はアナログで言うA面はエレポップ調のハードロックや、プログレッシブロック調の曲が目立つ内容ですが、B面で言う後半の部分は従来のLittle River Band の青い空のもとの世界の曲が含まれます。ファンは聴いて損はない内容です。







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