第07話 公務襲撃の意図

 案内されたのは内務局にある、鏡月キョウゲツに与えられた執務室であった。そこかしこに積まれた書類と巻物が、文官の仕事の大変さを物語っている。


「大変なことになってんな」

「尚書局に比べればそれほどでもない。少し待て」


 休憩用に置かれていると思われる椅子と机にも書類が積まれており、それをいそいそと避け片付け始める鏡月。それ横目に、燕皓エンコウは部屋の中を物色しはじめた。

 壁一面の棚にはそれぞれの空間に付札で識別できるようにされており、一目で分かるようになっている。執務机に積み上げられた書類にはそれぞれ未対応、確認中、対応済みと付箋が張られており、卓上の対応中の書類にはきっちりとした文字で埋め尽くされていた。几帳面な気質がそこかしこに見て取れる部屋に、よくもここまでできるなあと内心感嘆する。


「書類を触るなんて子ども染みたことをする訳ないだろうな?」

「俺を何だと思ってるんですかね。しません」

「あー、すみません! 扉叩くの忘れました!」


 ばたん、と開けられた執務室の扉から、書類を持った文官が声を上げる。燕皓が驚いたように目を向ければ、目礼で挨拶される。どうやら、鏡月の部下らしかった。


「鏡月さん戻ってきてるとは思わなくて。もう食事終わりました?」

「急用です。すみませんが、執務室に昼食を追加で二人分頼んでもらえます?」

「構いませんよ。伝令追加で出しときますねー」

「よろしく頼みます」


 そう告げた鏡月に、ここに書類置いときますね、と伝えて文官は去っていく。


「昼食持ってきてもらうことってできんの?」

「現在、尚書局と内務局に従事する者だけ可能だ。食堂まで距離があるため、安易に食事を抜きがちな文官たちへの対応策となっている」

「あー、そういうことか……」


 数年前、地方で飢饉ききんが発生した際に、尚書局と内務局の仕事が寝る間を惜しんでも片付かない量になったことがあると苓安レイアンに聞いたことがあった。その際は出仕する、あるいは退宮するという概念が存在せず、食事を摂らない文官も多く存在したとか。

 一度経験した成功は、文官たちの文化として深く根付いてしまったらしい。今でも繫忙期になると、食事を抜いて仕事をしようとする者が後を絶たないという。


「ってなると俺、怒られない?」

内務局ここに運ぶまでが彼らの仕事だ。誰が食べるのかまで気にしている暇があるとでも?」

「それもそうか。じゃ、有難く」


 促されるまま、二脚ある椅子の片方へと燕皓は腰を落ち着ける。肌触りの良い木造の椅子は、座っただけで背凭れや座面の凹凸がよく考えられて作られているのが分かった。


「さて。何を見聞きしてどのような考えが浮かんできたのか、話してもらおうか」


 同じようにもう一脚の椅子へと座りながら、そう鏡月は話を切り出した。長い髪を巻き込まないように背凭れの外側へと流すと、さらり藍色が天幕のように広がる。

 瞳を閉じた燕皓は一呼吸を置いて、時系列を追いかけて話していくことに決めた。


「お前と別れた後、瑛珉エイミンにいとは衛士局で合流した。今朝対応した衛士たちの調書を確認し、そこで分かったのは、衛士たちの証言に食い違う部分があったことだ」

「食い違う部分か。それは、具体的にどのようなことだ?」

「明陽宮へと訪れた人物が、殿下・・であると・・・・一目で・・・見抜け・・・たか・・否か・・


 蒼天の瞳が、少しだけ見開かれる。さっと腕組みをしながら片手を顎に当てると、考え込むように数舜沈黙した後。


「興味深いことだ。今や私たちだけが気が付いているともいえることが、初期段階では異なっていたということか?」

「断言はできないけど、それに似た現象だとは思う」

「調書に書かれていた、応対した衛士の名前は?」

「……いや、悪い。そこまでちゃんと覚えてないな」


 頬をぽりぽりと指先で掻くと、じとりとした視線が燕皓を襲う。


「いい。内務局にも調書の写しがあるはずだ。こちらで調査しておく。それで?」

「調書と同様の違和が診察の時に何か気が付かなかったか聞くため、次に医務局に行った」

「そうなると、苓安さんとも合流したということか。何か有益な話があったということか」

「ああ、こっちが重要。……“殿下”の診察を対応したリウ医生いせいは、まるで傷が手加減されているように感じた、って」


 人体に生じた傷は、その傷ができた経緯を雄弁に語る。燕皓にとってはただの切り傷でも、ひとたび瀏が診れば傷の角度や位置、治り具合からどうしてその傷ができたのかが詳らかになることだろう。そう感じさせられた、ある意味で衝撃的な一幕であった。


「傷が、手加減されている?」

「苓安さんと瀏医生の見立てでは、問題なく快方に向かいそうだと。ってことはだ」


 燕皓の中でそれぞれの情報の欠片が繋ぎ合わせられていく。“偽影”と呼んでいる礎智星とよく似た何か。四侯が帯同できない公務で行われた襲撃。そして生還できるように手加減されたと思われる傷跡。


「襲撃されたにもかかわらず、無事に戻ることが目的とされていた。それってつまり――」

「――成り代わりが、目的だと?」


 同じ帰結に辿り着いたらしい鏡月が、呆然としながらも食い気味に呟く。

 天耀テンヨウの次皇には、智星チセイであることがほぼ確定している。現皇陛下が月鈴ユーリン妃を深く愛していることもあるが、智星の持つ地神の加護が彗英ケイエイよりも強いことが大きな要因であった。陽の光を受けて煌めく黄金きんの髪と瞳は、その輝かしい色合いで天耀の血を豊かにすると信じられている。彗英も黄金きんの色を持つことには間違いないが、陽の光を受けると赤銅のような赤みを少し帯びるのだ。


「確かにそうとなれば、納得がいく。殿下の存在を損なわずに、権威を意のままにすることも可能か……」

「けど、そんな罰当たりなことする奴がいるのかって話なんだよなあ」


 数年前の飢饉の際に陛下が体調を崩し床に臥せっていたことも相まって、今の宮中で地神の加護をないがしろにするものはほとんどいない。その際に燕皓はまだただの衛士であったものの、その関連性をまことしやかに囁く噂話が流れてきたことを覚えている。


「だって方神さまの加護があるから俺たちは方術を使えて、地神さまの加護があるから天耀は豊かでいられるんだろ?」

「ああ、そうであると信じられているな」

「なんだよ、歯切れが悪いな」

「だからこそ取れる方策があるということだ」


 背凭れに体重を預け、額に手を当てながら鏡月はふうー、っと深く長い息を吐く。珍しく脱力しきったような姿でありながらどこまでもその瞳は鋭く細められ、眉間には深く皺が刻まれている。


「お前、何を思い付いたんだ?」

「……皇太子の挿げ替えだよ」

「は、あ!?」


 がたん、と音を立てて燕皓は思わず立ち上がる。突拍子もない言葉に無意識に口の端がひくついて、驚きでそれ以上声も出ない。その様子に手だけで座れ、と鏡月が命じると、一つ深呼吸をしてからそれに従う。


「どういうことか、ちゃんと話せ」

「いいか。先の公務は地神参拝の儀だ。地神さまのおわす地に皇子たちが参る、その最中で起きた襲撃は、いわば人が持ち込んだ不祥事だ」

「……確かに、そうだな」

「つまり、神の庭を荒らす不届きものに、裁定が下る事象とも捉えられる」


 そこで言葉を切ってから、言いにくそうに鏡月は重苦しく口を開いた。


「つまり、だ。先の襲撃により殿下の地神の加護が失われてしまったとして、彗英殿下を皇太子とすることも不可能ではないのだよ」

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