第06話 腹違いの第二皇子
広い
しかし一方で昼食の場に向かう暇もなさそうに、慌ただしく早足で歩く者も散見される。その多くは文官であり、
殿下が襲撃を受けたのは、地神参拝の儀と呼ばれる公務である。第一皇子および第二皇子による神事であり、それらを取り仕切っていたのは尚書局。つまり、今まで第一皇子の捜索により小休止していた対応事項が、帰還によって倍になりどっと押し寄せてきている状態である。
(それなのに医務局に顔を出してる
よく柔和な笑みを浮かべて優しげな姿を対外的には見せているものの、優れた嗅覚で食事に混ぜ込まれた微量な毒物を検知することもある食わせ者でもある。のほほんとしているように見えて、尚書局で一・二を争う恐るべき速さ書類を捌いていくというのだから、人は見かけによらない。
(見かけによらないといえば、あの人も怖かったな……)
連想するように燕皓の脳裏に浮かぶのは、一人の美しい女性。彼女と顔を会わせたのも、今日のような麗らかな日の昼下がりであった。
それは
現皇である陛下が抱える後宮は然程大きいものではない。というのも、皇后である
『あら。あなたが四侯になられた子?』
引き合わされた紅花は、物語として語り継がれる美しき姫――傾国を体現しているような美人であった。数少ない妃の中でも炎の血筋であるという理由だけで、
『この者が、智星殿下の炎の四侯となった』
『
『そう。壊されないよう、せいぜい頑張りなさいな』
そう告げながら目を細め、にっこりと笑んで見せた紅花の表情を今でも覚えている。思い出してまた、そこはかとなく体温が下がり背筋に冷たいものを感じる。
(まるで、氷を飲まされたみたいだったな……)
微笑んでいるのに目は笑っておらず、対峙している人物に対して興味の欠片も抱いていない。紅花ほどの感情と表情の乖離は燕皓にとって未曾有の事象であり、初めて他人に向けられた笑顔に対して恐怖を抱いたのがその日であった。
(やめよ。こんな事を考えている場合じゃ――)
「――燕皓、止まってくれ!」
「え?」
背後から掛けられた声音に、思わず驚声が漏れる。振り返れば、
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
「
「兄上が、帰ってきたと聞いて。その、居ても立っても居られず」
突然付き人なしで宮中に現れた彗英に、周囲の耳目が否応なしに集まる。どこか別の場所で話すというのも手であるが、場所を移したら移したで政治的に血筋の関わりが深いとされる第二皇子へと二心を持っていると邪推されかねない。
「兄上は、兄上は無事だろうか? 面会をしようにも、どうにも難しくて」
周囲を歩く人々を避けて、欄干の方へとさりげなく誘導する。他人の目が気になるものの、とりあえず言葉で対応することに燕皓は決めた。
「殿下は身体に傷を負ってはいますが、ご無事ですよ。今朝の招集のときも、俺たちに気を使って微笑みを浮かべられてました」
「そ、うか。そうか……」
「
智星の容態を伝えるほどに、心底安堵したような表情になっていく彗英。胸に片手を当てて、ほっとしたように頬を緩ませた後。
はっ、と何かに気が付いたように息を短く吐いて、表情筋を硬くさせる。
「彗英殿下?」
「ああ、すまない。その、燕皓。一つ尋ねたいのだが」
「はい、なんでしょうか?」
「何か。帰還してから殿下について、違和を感じたことはあっただろうか?」
(っ!!)
おずおずと告げられた言葉に、ごくりと唾を飲む。
「違和感、ですか?」
「いや。何もなければ別に構わない。そう、構わないのだが」
「おや。彗英殿下ともあろう者が付き人もなしに、宮中の廊下で何をなさっておいでですか?」
返答に詰まった燕皓の背後から、会話の流れを切り断つように言葉が投げかけられる。これほどまでに厭味ったらしさを滲み出させることができる人物は、一人しかいない。
「それに燕皓。何を油を売っているのですが? 智星殿下の一大事に、ふらふらしている暇があるとは思えませんが」
「出てきて早々、随分酷い言い方じゃねえの」
隣に並び立つ足音で視線を投げれば、藍色の髪の間からじろりと蒼天の瞳が見返す。思った通り、
「すまない、鏡月。どうしても兄上のことが知りたくてな、私が燕皓を呼び止めたのだ」
「智星殿下のことを、ですか? 彗英殿下でありますれば、直接お会いすることができると思いますが」
鋭い切り返しに、ぐっと言葉を詰まらせて彗英は僅かに視線を逸らし下げる。口元に過度に力を込め、歯を食いしばっているような表情を一瞬で消すと。
「いや、そうだな。兄上の体調が安定した頃に、お会いできないか打診してみよう」
にこりと笑みを湛えながら、そう声に出した。
「はい。そうされるのがよろしいかと。それに、付き人もなく宮中を歩かれるのはお控えください」
「それについては俺も賛同します。宮中が慌ただしい今こそ、どうか警戒を」
「ああ、肝に銘じておくよ」
「……彗英殿下ー! こちらに居られましたか!」
時機を見計らったかのように、向こうから呼びかけながら寄って来る第二皇子の付き人達。それをちらりと振り返り見てから燕皓たちに視線を戻すと、徐にふらつき、立ち眩みを起こしたように彗英の身体を揺れる。
「おわっと!」
持ち前の身体能力で燕皓が咄嗟に支えれば、体重を預けるように肩口に頭を預けられる。その様子に、付き人がどたどたと足音を立てる中。
「大丈――」
「――今宵月が在る間に、どうか
小さく、小さく耳に届けられたのは、謎の要望であった。
燕皓が少し目を見開いたところで、立ち眩みが収まったように彗英は自らの足で立つ。
「彗英殿下!? ご体調に何か問題が!?」
「いや、ただの立ち眩みだ。幸い、燕皓に支えてもらったから大事ない」
「そうでしたか。しかしながら、急に出ていかれてしまうものですから心配したのですよ……!!」
「うん。すまない、手間をかけた」
背後から辿り着いた付き人たちをあしらいつつ、彗英は穏やかに笑みを浮かべる。焔丞相と縁続きの皇子であることもあり、第二皇子ながら彗英は智星に勝るとも劣らないほど丁重に扱われている。その象徴たる付き人の態度に対しあからさまに鏡月が冷めた目で見ているのを、燕皓は脇腹突いて自重するよう促した。
「二人ともお時間をもらってすまなかった。ではな」
微笑みながら挨拶をする彗英に、軽く頭を下げて返答とする二人。その背後に控える付き人たちは、睨みつけるように視線を投げてから声を掛けることなく去っていく。その姿が遠く見えなくなったくらいで、鏡月はふうと溜息を吐いて。
「全く、躾の鳴っていない従者で困りますね。あれでは主の資質も疑われてしまう」
「……それについてはお前もどっこいどっこいじゃね?」
思わず口を突いて出た感想に、ぎろりと一睨みが返ってくる。間違ったことは言ってない、と目を半眼にして睨み返すと、静かに鏡月は足を踏んできた。
「
「それよりおまえ、私に用事があってきたのだろう? 何があった」
「それより、じゃねえだろが……!!」
「時間は有限だ、さっさと言え。でなければ食堂に行く」
涼しい顔をしながら時間制限を表すように、鏡月は数字を数え始める。その様子に踏まれた痛みに悶えつつも、燕皓は何を告げるべきか思案して。
「色々と考えが浮かんだから、少し整理してほしい」
「いいだろう。付いてこい」
伝えた言葉は食事より優先するに足ると判断され、二人は連れ立って内務局の方へと進みだした。
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