第05話 傷は雄弁に語る

 リウ医生いせいの言葉に、その場の空気が張り詰める。


「どういうことか、説明してもらえるか?」

「おいおい、顔が怖えぞ瑛珉エイミン? まあ、なんてうかねエ……」


 逡巡しゅんじゅんしながら顎に当てられた手の、髭をさするように指を動かす音が響く。


「医務局にはいろんな奴が来る。傷の種類も様々だし、俺あ、数少ない街の医生としても色んな奴を診てきた」

「軍医の時期もあったと、そのように聞いていますけれど」

「一言多いぞ苓安レイアン。中でも良い経験になったのは、街医生ン時だ」


 天耀テンヨウの国内を転々とする放浪医を師に持つ瀏は、様々な場所で医生として医療を求める人々を診てきていた。師と別れた後は街医生として常駐し、多くの患者をその観察眼で助けてきたという。


「人がどうしてその傷をこさえたかってのは、傷口によく表れるんだなアこれが」

「傷ができた経緯が、ってことですか?」


 燕皓に顎を前に出すような頷きが返る。


「左腹部に刺し傷をこさえた或る男がいた。『恋人に刺された』と申告したそいつの傷は、体表面の傷口に対して内部損傷に角度がついていた」


 こういう向きでなア。そう言いながら自分の左脇腹を指すと、瀏は傷口の位置とどのように刺されたかが伺える刺し傷の角度を説明を始める。曰く、診察によって身体の外側に向かって角度を付けて刺されたようだったと。


「事件だって衛士も駆り出されてな。血みどろで半狂乱の恋人が捕まったんだが『やっていない』の一点張りでよ」

「それで、その恋人はどうなったんだ?」

「おうおう、瑛珉は結論から聞きたい気質かよ。罪なき者として解放されたさ」

「――反対に傷を負った男性が捕縛された、ですか?」


 考え続けていた苓安のぽつり、とした呟きに、三対の視線が集まる。


「ええっ? 何でだ?」

「おー、流石流石。これだけで分かるとは医務局も安泰だなア」

「すみません、登場人物が二人なのでもう片方かなと。瀏医生、是非解説を」

「まあ簡単な話、自作自演だったってエことさ。男は、……自分の右手で刃物を持って、自分の腹を刺した」


 自らも右手で刃物を握る仕草をし、先程傷口の位置だと指し示した辺りに向けて刺す動きを模倣してみせる。その瀏の様子に、状況を飲み下した燕皓が弾かれるように目を見開いて。


「だから刺し傷に角度がついたのか!」

「そ。恋人に試しに刃物を持たせたら右手で握るし、と他にも色々あったんだが。ま、言いてえこたアよく分かるだろ」


 つい先程、苓安が『殿下の容態についてはこのまま問題なく快方に向かいそう』であると瀏と共に判断を下したと告げていた。智星チセイの行方を捜索して三日になるところで帰ってきた“殿下”は、傷を負っているものの生還している。

 彼を本物の第一皇子であると認識している人々からすれば、公務に帯同した護衛たちの手によって逃され、事態と相反して軽い傷で済んだのだと考えるだろう。しかし、燕皓と鏡月にとっては違う。

 瀏の言う、傷が帰還できるように加減されたという観点。これが“偽影”の存在目的に限りなく近いように、燕皓は感じられた。


「どういう経緯で戻ってこれたのか、それがやっぱり重要か……」

「だな。無理させたくはないが、殿下の口からも何があったのかを聞くしかないなー」

「そうですね。瀏医生、昼下がりの二ノ刻か三ノ刻に殿下の診察を入れ込めますか? 私の帯同付きで」


 苓安が尋ねると、医務局有数の医生は草臥れたような溜息と一緒に苦笑を漏らして。


「四侯さまは人使いが荒いねエ。掛け合うだけやってみるさ」

「有難うございます、大変助かります」

「代わりに一週間ぐれえは調薬を自重して、薬草の仕入れに徹してくれよ?」

「ふふ、善処いたします」

(あ、これ絶対守らないやつだ)


 にこやかに物分かりが良すぎる返答に、燕皓の直感がそう囁く。

 そこでリリーン、リリーンと鈴の音が鳴り響いた。


「おー、昼食の時間かア」


 宮中の多くの部屋に置かれた金方術が掛けられた呼び出し鈴が、膳庭ぜんていきょくの料理人の手によって鳴らされたのである。全く同じ型の鈴を連動させることによって、核となる鈴が鳴らされると他の鈴も鳴るような仕組みとなっているのであった。


「さて、と。俺あ昼食がてら掛け合ってみるさ。一ノ刻半までには伝える」

「よろしくお願い致します。私は一度尚書局におりますので、もし何かあればお越しくださいね」

「へいへい。じゃあな」


 そう告げると瀏医生はひらひらと片手を振って医務局を出ていく。ひらりと白衣の裾を翻しながら行く様だけは、頼りになる医生そのものであった。その後ろ姿を見送り、自然と足が赴くまま、医務局の外へと歩き出す三人。


「そういえば瑛珉兄、衛士の仮眠はいつまでなんだ?」

「確か三ノ刻までだから、その半刻後には衛士局に戻ってきているはずだな」

「ふむ、ちょうど重ねてしまいましたか。そちらの話も詳しく聞きたかったのですけれど」

「再度調書作って、後でで苓安さんにもお伝えします。なんでそっちのことは」

「ええ、任せてください。そうだ」


 そこで言葉を区切ると、深緑の長髪がふわりと宙を舞い、燕皓と瑛珉の方へ身体ごと向き直る。そのまま苓安は一本、人差し指を立てて。


「夕刻に一度、四侯で集まりましょうか。それぞれが得た情報をすり合わせなければ」

「そうだなー。場所は任せる、決まったら聴石ちょうせきで連絡を」

「はい。それではお先に失礼しますね」


 ふわりと笑みを浮かべてから去っていくのを横目に、燕皓は自身の耳たぶを飾る聴石にそっと触れる。紅玉と呼ばれる赤い石を加工したそれは、瑛珉によって造られた遠隔で声を届ける方道具ほうどうぐであった。揃いの石が嵌め込まれた指輪、言輪げんりんと二つで一つの道具であり、言輪に嵌め込まれた石が受け取った声の振動を、聴石に届けるような金方術が掛けられている。


「どうした? もしかして刺してる部分が痛むか?」

「いや、問題ないです! まだ聴石を使うのに慣れなくて、思わず」


 四侯同士で連動するように製造されたそれは、それぞれを象徴するような色の石が嵌め込まれており。燕皓が赤、鏡月は青、瑛珉が白、苓安が緑の石をそれぞれ身につけていた。


「ま、気持ちはわかるさ。俺は軍務局に寄ってから食堂に行くが、燕皓はどうする?」


 宮中は昼食の時間として、鈴が鳴ってから二刻の間だけ食堂が解放される。その間に、宮中で働く官吏らは各々が機を見て食堂へ向かうのだ。やはり混み始めるのは、半刻が過ぎた頃であるため、瑛珉と共に行けばまだ空いている頃合いに着くことが出来るだろう。

 だが。


「いえ――ちょっと、内務局に行ってきます」


 ふと脳裏に鏡月の顔が過ぎった。虫の知らせともいうべき、直感である。


「ちょっと気になることがあるんで」

「そうか。じゃあ、二ノ刻半には衛士局に来てくれ。また後でなー」


 内務局と食堂は異なる方向になる。瑛珉の足音が遠ざかっていくのを聞きながら、燕皓は歩き出した。おそらくどころか、そちらに鏡月がいることを確信しながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る