第04話 不明瞭な違和感

 ぺら、ぺらと紙を捲る様子に燕皓エンコウが身を寄せて、書かれている内容へと視線を落とす。すると、瑛珉エイミンは節ばった指で文字をなぞって。


「例えば此処を見てくれ」

「えっと。『月明かりに輝く黄金の髪により、一目で智星チセイと判別することができた』?」

「衛士の一人による証言だな。だけどこっち」


 またそこから数枚捲ると、新たに文中の一文が指差される。


「『誰かを連れていることは分かったが、それが誰であるのかを判ずることはできなかった』。後から合流した衛士のもののようですね」

「しかも、こうも書かれている。『殿下だと言われてようやく、事の重大さに気がついた。それまで殿下であると気がつくことができなかった』」


 銀灰の瞳と柑子こうじいろの瞳が、じっと目を見合わせる。

 国を治める一族いちぞくは、特別な色合いを持っていることが広く知られている。智星の髪や目の色にも表れていた黄金きん――光を浴びて煌めくような黄色の輝きは、国を治める資質としても重要とされる地神の加護の象徴だった。

 陛下や殿下に通ずるその色を、宮中で働く者が見間違えることはない。


「もしかして、方術?」

「その可能性が、十分にあるよなあ?」


 すっと目つきを鋭くさせながら笑う瑛珉。小さくも掴んだ黒幕の糸口と“偽影ぎえい”の何たるかに、燕皓はごくりと唾を飲んだ。


「てな訳で少しでも情報が欲しい。医局には苓安レイアンも居るはずだしな」

「多分まだ居ると思います。行きますか」


 調書を預かる旨を衛士長に伝えてから、二人来た道を戻る。

 宮中には大国たる天耀を陛下が恙無く治めるため、六つの局で構成されている。政策や公務を担う尚書しょうしょきょくに、出納や書類の管理他、雑務を担う内務局。武人の育成と隣国との軍事的政治を担う軍務局と、明陽宮めいようきゅうの警備を担う衛士局。宮中の医療全般を担う医務局、そして食事や宮中の調度品と木々の管理を行う膳庭局ぜんていきょくである。


「もし体調が良さそうであれば、殿下からも顛末を聞き出してもらうか」

「苓安さんに、ですか?」

「だな。アイツなら容態を診ながらうまく立ち回るだろうし」


 燕皓は衛士局に所属だったものの、四侯に取り立てられた際に瑛珉によって軍務局に引き抜かれていた。苓安は尚書局と医務局を中心に仕事を掛け持ちしているような状態であり、鏡月キョウゲツはといえば内務局で若いながらも出納官長を担っている。

 それぞれが要職に就いているため顔も広く、こういった有事の際には宮中の端から端まで動くことも彼らにとってはままあることであった。


「邪魔するぞー」

「苓安さん、まだ居ますか?」

「はい。此処にいますよ」


 声をかけながら医務局に入れば、生薬の複雑な香りと草花の芳香が入り混じった独特の空気に包まれる。奥まった薬棚の前に苓安の姿が見え、つかつかと二人は近づいていく。すると、その影からひょこりと顔色の悪い無精髭の男が顔を出した。


「おー……四侯勢揃いだな。一人足りんが」

リウ医生いせいじゃないですか」


 へへっ、と小さく息を零してから、瀏は顎をぽりぽりと指で掻く。白衣を上掛けのように羽織り、瑛珉と同じくらいに背は高いものの一目で分かるほどの猫背のせいでそうは見えない。


「相変わらず体調悪そうですね」

「うるせえぞ燕坊。ったく、そう思うんならこき使わねえで欲しいなア」

「何を言いますか。劉医生の存在があるからこそ、医務局は成り立っているのですよ」

「とか持ち上げといて、自分は好きな調薬の実験すんだから……殊更タチ悪ぃよなア」


 苓安の言葉に、じとっとした目を向けて瀏は溜め息を吐く。こう見えても有数の陛下お抱えの医生の一人である彼は、知見の深さも相まって何かと頼られる男であった。今回もゆっくり寝たい気質にもかかわらず一連の騒動で叩き起こされたからか、目の下には隈ができていた。


「それで。瑛珉は、何故こちらに?」

「衛士局で今朝対応した衛士たちの調書を貰ってきたんだが、どうにも内容が一致しなくてな」


 そう言いながら調書の束を渡され、ぺらぺらと目を通す苓安。速読で荒い粒度てありながらも概要をつかむと、要所要所で動きをとめて顎に手をやり沈黙する。それを横目で見た瀏は速さについていくのを諦め。


「で、何が気になってんだ?」


 早々にまとめを要求する。


「当時の状況を細かに書いてくれているんだが、殿下であるという認識に差異があったみたいでよー」

「もしかしたら残存した方術の作用かと思って。瀏医生はどう思いますか?」

「あー……、なんだ。面倒めんどっちいのを引いたかア?」

「それを言うなら」


 苦々しそうな顔をする瀏に、口を挟むように声をかけたのは調書の束から目を離した苓安で。


「最初に殿下の診察した時点で、貧乏籤だったということになってしまいますよ?」

「ああ言えばこう言う、しかも人聞きの悪ぃ言葉尻でな。燕坊、見習うんじゃねえぞ」

「あー、えっと。はい……?」


 苦笑しながら燕皓がそう返せば、黄赤きあかの頭がぐりぐりと撫でつけられる。同じ平民出身ながら類稀なる知識でお抱え医生になった、そんな彼なりの親近感の表れであった。


「大体事情はわかりました。二人が来るまでに、殿下の容態についてはこのまま問題なく快方に向かいそうだ、と結論づけたのですが」

「それは一安心、ではあるんだが。瀏医生は何か、殿下の容態について気になることはなかったか?」

「気になること、ねエ?」


 後頭部をがりがりと左手で掻いて、瀏はうーんと唸る。とん、とん、とん、と彼の足が一定の時間を刻むように音を鳴らす。


「んー」

「瀏医生が、最初の診察から現在まで、変だなと思ったことならなんでも」

「あ、そうだ」


 燕皓が言い切ってからすぐさま、ぽん、と閃いたという手の仕草と共に呟かれる言葉。


「一つ、あったなア」

「おや、なんでしょう?」

「思い過ごしかもしれないが。最初に診察したときから、どうにも殿下の傷の具合ってのが――生きて帰還できるように手加減されてるように感じたんだよなア」

 

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