第02話 方術士たちの疑念
はっ、と息を飲む音だけが響く。
それだけが沈黙の中で、雄弁に
「やはり、気がついていたか。全く、素直なのも考えものだよ」
「ちょ、ちょっと待て! やっぱりあの人は殿下じゃない、のか?」
一歩迫るように距離を詰めた
「
「なら。俺が感じた困惑も、瓜二つのように見えたのも、間違いじゃなかった……?」
「おまえも、
古くより
東を司る神は、緑豊かな土地とするため草木に関する術を。西を司る神は、生活をより良いものとするために鉱物に関する術を。南を司る神は、夜闇に怯える者を照らすために火に関する術を。北を司る神は、多くの生命を育むために水に関する術を。
「
そしてそれらの加護を得た始まり血脈たち――
そうして国が栄えていく中で、礎の皇子に仕える四族でも一際強く方神の加護を持つ者を
(正直、実感なんてないんだけどさ)
時代を経るごとに血は混ざり、加護により行使できる術も変容する。その影響か、宮仕えとなんら関連なく平民として育っていた燕皓が、こうして四侯の座に登用されているのである。しかしこれも、
ただ、ずっと夢を見ているような、そんな思いが燕皓のどこかにあるだけだった。
「問題は、あれ――暫定的に“偽影”と呼ぶが。それが何者で、何の目的を持って、どのようにして成り代わったのか。そして殿下が何処にいらっしゃるのか、ということだ」
重苦しく告げた鏡月に、燕皓も口を真一文字に引き結ぶ。
第一皇子の帰還を以って、公務からの帰路に襲撃されたという一連の騒動は収束へと進んでいくように思われた。しかし実態は礎智星は行方知れずのまま、よく似た別の誰かが殿下の座に収まり、明陽宮のほとんどの者はそれに気がついている様子もない。
「それに、
「確かにな。
(だから余計に、訳が分からなくなったんだ)
四侯の最年長たる苓安は、葦の一族を表する男である。智星へと数多の薬を煎じ、草木から糸を撚り合わせ衣服を縫い繕い、有事の際には自ら戦う文官でもある。瑛珉は玉の直系であり鉱物から秘められた力を引き出す方術を扱う。優秀な武官であり、平民上がりの燕皓の面倒見の良い兄貴分であった。
人を見る目も、殿下との付き合いの長さも比べ物にならない二人が、疑う様子一つなく接している。そのさまを目の前にすれば、全て自身の気のせいかとも思ってしまうのも仕方のないことである。
「二人を欺ける、っつーことは、しっかり叛意を持ってるってことか」
「第一皇子に手を出しているんだ、よほど手の込んだ策を弄したのだろう」
「なら、苓安さんと瑛珉兄に」
「――おまえ、何のために私がわざわざ呼び寄せたと思っている?」
ぴしゃりと、至近距離で投げつけられた言葉に燕皓は口を噤む。そして、すぐさま思考を巡らせた。
文官・武官になるべくして育てられた生粋の官吏たち。彼らは生まれながらに血筋や、治世や、権力関係を考える場に立っていたが、燕皓は違う。
『何か道理にかなわないことや文句を言われたら、とりあえず考えろ。鏡月と喋るとか、いい訓練になるだろーさ』
(四侯の中で俺だけを呼びつけた、その意味?)
「それって、まさか」
一つ思い当たった考えに、思わず燕皓は目の前の男を睨みつけた。
「二人が手引きしてるかも、って言いてえの?」
「あるいはどちらかが、だ。ありうる全ての可能性を排除すべきではないだろう?」
「そりゃ、……そうだけど!」
思いの外大きく響いた声に、周囲の水膜がぶわりと揺らぎを見せる。無言でとんとん、と床を二回足で叩く鏡月に、燕皓は深呼吸を挟んでから口を開いた。
「じゃあ、なんで俺は良かったんだ?」
「……率直さという美徳のせいだろうな」
「てか、お前じゃないんだよな?」
「愚問だな。私が手引きしていないと分かったから、おまえは付いて来たんだろう」
断定するような言い方に、あれと内心首を傾げる。確かに付いて来はしたが、鏡月が内通してないという確信を持ってはいない。
その心情が顔に出ていたのだろうか、じつと見つめてから燕皓へ向けて、すっと向けられ挙げられていく指先。それにほんの半歩だけ下がり、すんでのところで当たらないように上体が退けられる。
「ほら。おまえの五感は、おまえが思うよりも正しく物事を捉えているんだよ」
「そう、かもな?」
「だから、その目で見極めてもらう。手始めに、瑛珉から」
そのまま伸ばされた腕でぱちり。鏡月が指を鳴らせば、水の球膜がふわりと霧散した。少し空間が広がったような感覚と共に、遮断されていた外界の音が鮮明に鼓膜を打つ。
「時間をとらせて悪かった。お前のではなかったのだな」
ごそごそと何かを袖にしまう仕草をすると、じっと返答を待つように蒼天の瞳が燕皓を見遣る。くい、と小さな顎の動きで返答を催促され。
「……っ、別に、問題ねえよ」
「なら、さっさと衛士局に向かうといい。私は尚書局で書類の確認をしてこよう」
そう返せば、さりげなく次の行動を指示しつつ、そそくさと部屋を去っていく鏡月。少しだけ開けられたままの扉から日が差し込む。僅かに水の匂いが残る部屋に一人、残されたまま立ち尽くす。
(さっきの話は他言無用。――この件については、二人で探るってか)
ぐぐっと両手を組んで伸びをすると、緊張していた身体がほぐれる。無意識に詰めていた息を緩く吐き出し、考えを巡らせる。
(睨みつけるばかりの
鏡月の足音は既に遠く、近くに人の気配もしない。すいと戸を開け書庫から出ると、次はしっかりと部屋を閉じた。
「瑛珉兄、まだいるかな」
きょろきょろと辺りを見渡し、宮中の位置を確認する。衛士局までは距離があるな、と燕皓は駆け出した。
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