政敵手は宮中の影を射る

蟬時雨あさぎ

第01話 “第一皇子”の帰還

(これは、誰だ・・?)


 灯燕皓トウエンコウは、困惑していた。

 大陸一の大国・天耀テンヨウ、その中心とも言える明陽宮めいようきゅう。そこへ第一皇子が帰還したとの報せが駆け抜けたのは、目が眩むような清々しい朝のことであった。

 先の公務の帰路にて何者かの襲撃を受け、行方不明となっていた智星チセイ。必死の捜索が三日目に差し掛かる中、皇子たる彼は自身の足で宮殿の門をくぐったのである。夜間勤務の衛兵により保護された彼は、医官による一通りの手当と侍女による身支度を受けるとすぐさま四侯しこうを呼び寄せた。

 だからこそ、屋根伝いに木々の上を飛び移り、宮殿の塀を乗り越え、智星の元へ一目散に燕皓は馳せ参じた。


 その筈であった。


クン苓安レイアンギョク瑛珉エイミンケイ鏡月キョウゲツ、ならびにトウ燕皓エンコウ。参りました」

 

 四侯の中で最も年長である苓安が声を掛けると、さっと黄金きんに煌めく瞳が燕皓たちを捉える。寝台から半身を起こし、力なく笑みを浮かべた礎智星の姿。三つ編みにされた輝く金の髪もくすみ、今までに見たことがない程に弱り果てた彼らの主人の姿が、そこにはあった。


「呼び立てて、すまないね」


 少しかすれた柔らかに響く声に、さっと燕皓たちは片膝を地につけ礼を取る。


「殿下。四侯一同、御身の無事を喜び申し上げます」

「ありがとう、苓安。私も、皆とこうして再び会えたことを嬉しく思うよ」


 だから、顔が見たいな。

 そう零す智星に、いち早く藍色の長髪を揺らして顔を上げたのは鏡月だった。一瞬遅れるようにして、燕皓、瑛珉、苓安がさっと面を上げる。その様子にくすりと笑んだ音を立てて、主人は信頼する配下の顔を見遣った。


「心配を掛けた。燕皓と瑛珉の目の下に隈を作ってしまったとなれば、侍女たちに叱られてしまうな」

「そう思うんなら御身を大切にするか、……俺たちを側に置いといてくださいよ」


 瑛珉が目を細め苦笑するように告げれば、智星は曖昧に笑い返すのみにとどめる。いついかなるときも四侯がかたわらに侍ることができるとは限らない。現に襲撃された公務も、四侯の帯同は許されていないものであったのだ。理解はしていても納得はできない反応に肩を竦めれば、瑛珉の背後で結えられた銀白色の尻尾が揺れた。


「ま、難しいことは分かりますがね。その為に俺らは鍛えてるんだもんなー?」


 そう銀灰の目だけで問いかけられ、気を取られていた燕皓はこくこくと黄赤きあかの頭を上下に振る。


「そ、うですね。でもあの、殿――」

「――そのようなことを言ったとて」


 意を決して開いた口を、鋭い声が遮る。


「四侯が出来ることには限界がありますから」


 弾かれるように目を向けると、燕皓を蒼天の瞳が睨み付ける。

 家系が敵対している。その事実だけで事あるごとに噛み付いてくる四侯が一人、鏡月。


「御身が無事であるなら、少しでも早く回復していただくお手伝いをするのが良いのでは?」

「おいおい、手厳しいな鏡月クン?」


 淡々と述べられる事実に、揶揄うように瑛珉が言葉を重ねた。空気を中和するような振る舞いに、智星もくつりと笑みを溢す。影武者ともどこか異なるその笑顔に、燕皓は神経を尖らせる。


「そうですか? 四侯として当然の判断だと思いますが」

「おやおや。心配のあまり、いつにも増して鋭い棘みたいですねえ。ね、燕皓」


 同意を求めた苓安が朗らかに、緩く結えた深緑の長髪を翻して振り返る。遮られてなお観察を続ける柑子こうじいろの瞳。その焦点が合っていないことを認めると、伸ばした掌をひらひら左右に動かして。


燕皓えーんこーう? どうしました?」

「あ、……すいません苓安さん。えっと、殿下のお姿が、その。余りにも」


 ぎろりと鏡月に睨みつけられ、そこで一呼吸置く。


(全部同じなのに、別人すぎて・・・・・


 顔の造形、身体の肉付き、背丈に腕の長さ。何から何まで目の前の寝台から身を起こす礎智星は、燕皓の知る殿下と同じ姿形をしている。にもかかわらず、明らかに目の前の男は――この場における“礎智星”は、行方知れずとなる前の第一皇子と全く異なる存在として燕皓の目に映っていた。


「こう見えても、そこまで深刻な傷はないんだ。だから、そんな顔をしないでおくれ」


 心配のあまり言葉が欠けたと受け取ったのだろう、やつれた顔で目いっぱいの笑みを浮かべて“智星”はそう告げる。見れば見るほど同じであるのに、気のせいには思えない違和感が燕皓の胸を満たしていく。しかし、視界の端に映る四候の長ともいえる苓安も、武官としての先輩である瑛珉も、不信感を抱いている様子はない。


「そう、仰るなら。どうか、安静にしてください」

「と、いうことで」


 困惑したままの後輩から引き継ぐようにして、苓安が朗らかに声を発する。さっと瑛珉と視線を合わせて頷き合うと、智星へと向き直り立ったまま礼の仕草を取った。


「長居しても御身に障ります故、そろそろ御前失礼するといたしましょう」

「嗚呼、忙しいところすまなかった。一刻も早い回復に、努めることとしよう」


 主人の自身の胸に手を当てる仕草に、揃って一礼。そして出入り口に最も近い燕皓から退室する。苓安を最後に四侯全員が出るまで笑みで見送る姿を留めつつ、すっと戸が閉じられた。そのまま先導するように歩き出す瑛珉に連れられて、あてもなく宮中を進むこと幾許いくばく


「さて」


 辺りに誰もいない廊下、苓安の声掛けに足を止めて振り返る。


「殿下がご帰還されたということは、」

「私たちの手番が来たということ。でしょう?」

「……手番?」


 先読みをして声を発した鏡月に、燕皓は首を傾げる。文官同士頭の回転が早いのだろうか、と助けを求めるように瑛珉を見れば。


「どうして事が起こったかを明らかにする段階に変わった、ってーことさ」

「あ、そっか」


 示された思考の道標に、ぴこんと閃く。第一皇子の行方不明は民草には伏せられており、明陽宮から四侯が大々的に動くことはできなかった。しかし、“礎智星”の帰還によって、その限りではなくなった。

 最優先事項が繰り上がり、事態の究明へと動き出せるようになったのである。


「僕は医務局に向かうよ。容態によっては、効く薬を煎じれるかもしれないからねえ」

「んじゃ、俺は衛士局に行ってから軍務局を覗くとすっか」

「それなら俺も――」

「――あなた、昨日書庫に忘れ物をしましたよね?」


 武官として馴染み深い方へ着いて行こうとすれば、制すように告げられる心当たりのない言葉。目をまんまるにして瞬いていれば、やれやれといった様子で溜息を吐かれる。


「時間は有限です。さっさと行きますよ」

「え? ちょっ、おい」


 それだけ言うと鏡月は踵を返し、すたすたと足を進める。唖然としていたのも束の間、ちらと先輩二人を見れば苦笑を浮かべており。振り返れば既にその背は遠く、廊下の先を曲がろうとしていた。


「と、取りに行ってきます! あー、待てって鏡月!」

「はは、尚書局の前では歩けよー」


 瑛珉の気の抜けた注意を背中で聞きながら、燕皓は軽やかに廊下を駆けた。

 鏡月を追うために耳を澄ませると、ここ数日鳴りを潜めていた人の活動音が響く。


(元に戻った、って感じがする)


 第一皇子の帰還に、城内はどこか慌ただしくも活気を帯びているようだった。鼻を掠める花の香りは華やかに、陽だまりの温かさを眩しく感じる。その一方で、屋根が作り出す影が、燕皓にはどこが寒々しく感じられた。

 すれ違う官吏らに何度か挨拶をしつつ、ようやく恐るべき早足で進む文官へ追いつく。だが、追いついたとてその歩みは止まらない。


「おい。どういうつもりなんだよ?」

五月蝿うるさい、此処だ」


 そういって鏡月が立ち止まったのは、あまり利用者の居ない宮殿外れの書庫だった。すっと無言で二人とも中に入り、戸を閉める。そのまま、鏡月は懐から硝子玉がらすだま――呼水こすいを取り出すと。


「〈みずとばり緞子どんす〉」


 ぱきりと指で割り、中から溢れた水で燕皓たちの周囲に球体状の膜を張る。


「こんなところで水方術使うなよ。紙が湿気るだろ」

「念のため、致し方なくだ」


 方術。それは天耀の民の血筋に宿る、方神の加護により行使できるちからだった。水膜は音の揺らぎを大きくし、中にいる者の姿を不規則に揺らめかせる。鏡月が用いたのは、盗聴防止に長けた術であった。


「それよりも。おまえも気がついたんだろう?」

「んえ?」


 唐突な話題の転換に、素っ頓狂な声を上げる。意図を読みきれずに燕皓が目を瞬かせていれば、額に手を当てやれやれと首を振る仕草を見せた。


「全く。何もかも顔に出し過ぎだ、相手に気取らせるつもりかな」


 目を瞑ったままふうと息を吐き切る鏡月。そして蒼天の眼を鋭く開くと、淡々とした声音で告げる。


あれは・・・私たちの・・・・主人・・ではない・・・・。そうだろう?」

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