第3話 記憶


「......」


今日は日曜日で家族が出かけていたため、誰にも見つからずに洗面台の前へとたどり着く事ができた。


父さんはゴルフ、母さんは友達とお茶、姉貴は大学の友達とどっかいった。俺もほんとは今日茜の買い物に付き合う予定だったのだが、鏡に映る元の俺とは別人の姿をみてキャンセルすることを決める。


「いや、誰?ってなるもんな、これは」


指先で長い睫毛に触れた。......ホンモノだ。次に頬を手のひらでなぞってみる。すべすべとした肌触りで、今までの俺とは違って不思議な感覚がする。

ふっくらと艶のある唇、小くなった鼻と口。しかし、そこからのぞく白い歯と長めの犬歯は元のまま。


「......別人、ではないか?俺の名残があるっちゃあるか。無理矢理美少女化したような、そんな印象だ」


まあだからって男では通らないんだけど......。決してナルシストとかじゃないんだが、この容姿はあのモデルやアイドルと遜色ないあのダ女神と同レベルに思える。

だから、たとえ男物の服を着たとして男のふりをしようと頑張ったとしても、ボーイッシュ美少女ができるだけで以前の男としての生活はもう無理だろう。


というか、今ある男物の服が着られるかも怪しい......。


胸部がぱんぱんに膨らんだTシャツを暗い気持ちで見つめた。一派的に大きい胸というのは男子の憧れでありその膨らみには希望が詰まっているモノだと思う。しかし、これから先の事を考えると絶望で胸がいっぱいになる。もしかしたら俺の胸は絶望で膨れ上がっているのかもしれない。


「つーか、シャツで胸がキツいってヤバないか?」


俺は女体化したことによりどうやら身長が縮み体格が小柄になった。元々の身長が176あったのに対し、今の身体は目測で150〜160の間あたり。多分、姉貴や茜よりも小さいんじゃないだろうか。

そんな小柄になってゆるゆるのシャツにも関わらず、胸が苦しい。あと重いのが割とヤバい。


「はぁ、どーしたもんかな」


とりあえず、髪か?どっかで散髪してきたほうが良いか。一夜にして短髪だった人間が腰まである長髪になってるとか髪が伸びる呪いの人形も二度見してビビり散らかしちゃうぞこれ。もしかすると弟子入りを志願されるかもしれない。


せめて元の長さに戻してみるか。あと服が欲しい。おっきい服がほしい。


「仕方ねえ、近くのエオンでも行くか」


家から徒歩十分程で行けるエオンモール。食品衣類フードコートまで様々なテナントが所狭しと詰め込まれているショッピングモールだ。品揃えが良く、行けば大抵のものが揃うのと近場という点で重宝している。


.....よし、行くか。


「そうと決まれば膳は急げだ。リミットは家族が帰って来るまで......今が11時で一番早く帰って来る姉貴が18時だから、約7時間で散髪と服を買ってこなければならない」


散髪で1時間、買い物で1時間......余裕だな。よし、行動を開始する。


「と、その前に。......心苦しいが、今日の予定をキャンセルさせてもらうメッセージを送っとかねえとな」


「予定って、誰との?」


「え、友達との......って、ん?」


文字を打ち込み終わり、指先が送信に差し掛かった状態で時が止まった。ぞわりとする背筋。視線をあげ鏡越しに今の声の出どころを探ると、そこには出かけているはずの姉貴が口を開けて「ぽけー」ってな感じで呆けこちらをみていた。

やはり俺たちは血を分けた姉弟らしい。俺の顔をみると全く同じ表情をしていた。遺伝子レベルで同じリアクションだ。

つーかこう見ると女の俺と姉貴の顔似てるな?目つきがとろんとして眠そうなのと髪型がショートボブな事以外はそっくりだ。


(ーんんんッ、いやなんで居るのッ!?)


この状況は最悪だぞ!帰ってみれば鍵をかけている筈であろう自宅に知らない女が侵入してるわけで、泥棒的な空き巣的なそれに間違えられかねない状況なわけで!


(ひ、一言......この一言で俺の運命が決まる)


姉貴の手に持っている木刀をみて本能的に理解する。俺がもしも罪人の類だと判断されれば、奴は容赦なくそれで攻撃してくるだろうという事を。


まさかの自宅で不法侵入でタイーホの危機に、俺の脳内で雷の如きパルスが迸る。過去の記憶、今使える有効打、先を見据えた未来、その全てにおいてこの状況を打破できる可能性のある一言を......神の一手を打ち出さなければならない。


一秒にも満たない刹那、脳裏に流れた映像。誕生日に作ってあげたパンケーキに涙を流した姉貴、夏祭りの花火を俺と一緒に見たいと拗ねて泣いた姉貴、ちょっとだけ女装させてよと頼み込んできて泣いた姉貴、奴との様々な記憶が高速で巡り......そしてついに弾き出された神の一手、それは。


「は、八月十四日」


「!!」


「中1で、姉貴がおねしょして濡れた布団を......俺の布団と取り替えて、俺が漏らしたように偽装した......八月十四日、夏休みの夜......!」


姉貴の顔色が変わった!良し!


「な、なぜ......その事を」


俺と姉貴、二人だけの秘密。それを知っているのは俺と姉貴だけだ。これは親も知らない秘密。つまり、これにより奴の弟「佐藤響」であることを示せる......!


姉貴は顔を真っ赤にして、握っていた木刀をポロリ床に落とした。



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