鬼※4
屋上の下の階で待機していたところ、
「気が変わらないうちに逃げろ」
それがどういうことかわからなかったが、言葉の通りにすぐ建物から出た。
そして夜明けが来た今。
「西園寺さん」
俺は駆け寄る。
「どこか怪我したりしてませんか?大丈夫ですか」
あの人とどんな話をしていたのかは気になったがそれは聞かないほうがいい気がして。
長い前髪から覗いた瞳は暗い色をしていた。
それなのに、こんな時もその白い肌や朝の光を反射する灰色の瞳が綺麗だと思ってしまった。
だめだ、疲れている。
朝日に眩しそうに目を細めて、西園寺は沈黙している。
「あの……」
俺がなにかを言いかけるとぽんと俺の頭に手を置いて、西園寺は言った。
「
そう言ってコートを翻す。
俺は固まる。
え?
いま何が起きた。
今回の事件について俺は西園寺にもらった万年筆で顛末を手帳に書き綴っていた。
戻ってきたのだ。
ハツが整えてくれたのであろう広間は出て行った時と何も変わらないように見える。
珈琲を飲みながら、ふと思い出したという口調で西園寺が聞いた。
「そういえば、
え、と固まる。
「西園寺さん俺が気づいたことに気づいてたんですか」
「……当たり前だろ」
馬鹿を見る目で見られる。
「えーっと、まず手がかりはこのカードでした」
花の鉢植えにささっていたギフトカード。
竜胆の花言葉、『勝利、正義』。
「自分が西園寺さんに勝ったってことーー、勝利をやけに強調していたのでそれがヒントじゃないかって思ったんです」
「ふうん」
「あと、烏丸さんはいつも帽子を目深にかぶって眼帯で目も隠しています。つまり、顔が見えにくくて誤魔化しやすいから変装しやすいのかと。あと、決め手になったのは」
俺は西園寺が手に持っている珈琲カップを指差した。
「烏丸さんはその珈琲カップに口をつけていました。西園寺さん専用ですよね、そのカップ。ハツさんが間違えるとは考えにくいですし西園寺さんが貸すとも思えない。だから、ここにいるのは西園寺さんだと思ったんです」
何か間違えていますか?と首を傾げてみせると、フンと鼻を鳴らして西園寺は棒読みで言った。
「よくできました」
わかったぞ。
絶対馬鹿にされている。
不意に頬杖をついて西園寺は言った。
「件」
「はい」
「これからも僕の助手を続ける気はあるのかい?」
唐突な言葉に目を見開く。
「今回のことで思い知ったんじゃないかい?命がいくつあっても足りないということを。……僕のまわりにいる限りいくらでも不幸は降ってくるよ」
それこそ、探偵とはそういうものなのだから。
「……あの人に何か言われたんですか」
否定も肯定もしない。
ただ黙って宙を見つめている。
そっちじゃない。
話をするなら目を見るべきだ。
俺はガンと机を叩く。
驚いた顔で西園寺は目を丸くした。
「あの日、西園寺さんが俺の手を引いてくれましたから。今度は俺が西園寺さんの手を引く番です」
俺は手を差し出す。
「迷うときに探偵を助けるのが助手の役目だと俺は思うんです」
パチリと瞬いて差し出された手を見て。
皮肉気に西園寺は嗤う。
「犬が飼い主の手を引く、か」
次の瞬間、膝に蹴りがめりこんだ。
俺は悶絶する。
「調子に乗るな」
「……すみません」
長い前髪に隠されて目元は見えないが。
口元は緩んだ気がして。
きっとそれは嘘じゃない、本当の笑み。
「やあ、お二人さん今日も仲がいいね」
情緒というものを台無しにする声が聞こえた。
烏丸が今日も今日とて同じ格好で立っている。
「なに勝手に入ってきているんですか」
「だって、玄関開いてたよ」
たしかに開いている。
はて、と俺は首を傾げた。
空気の入れ替えでもしていたっけ?
「ほい、手紙。それじゃお邪魔虫は消えますわ」
そう言って本当にさっさと烏丸は出て行った。
「西園寺さん、依頼です」
俺は白の封筒を差し出す。
でも、西園寺はまだ躊躇っているようにそれにチラリと視線を向けるだけだった。
ほら、とそれを手渡す。
「人の罪を明かすのが西園寺さんの
仕方がないという呆れたような、けれど満足そうな顔で西園寺は言う。
「本当に人が好いやつだよお前は」
開封して中身を見ると、つらつらと目線が上から下に動く。
どうやら、興味がある事件のようだった。
インバネスコートを翻すと立ち上がる。
「出かけるよ」
「おともします、西園寺さん」
街に出て、俺は外の景色に息を飲んだ。
「わあ……」
ザァッと風が吹いて花びらが舞い上がる。
一面の白が広がっている。
街の中は暖かい光に満たされ桜が満開になっていた。
また、春がくるのだ。
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