失※2

 視界が黒から白に変わる。

 見つめる先には、目が眩むほど白い天井が見える。

 ここはどこだ、と思う。


「目が覚めたか」


 顔の脇から美鳥みどりの声が聞こえる。

 ベッドに横たわっていることに気づいた。


「俺……」


 跳ね起きるとぐわんと頭が揺れる。

 たまらずまたベッドに逆戻りした。


「まだ起き上がらない方がいい。ドラッグの副作用で倒れたんだ。体からはだいぶ抜けたと思うが大丈夫か」


 大丈夫ではないと思うがそれは問題じゃない。

 まず、最初に思ったことを口にする。


ひいらぎ夢路ゆめじは……?」


 残念そうに美鳥は首を横に振った。

 俺は唇を噛む。

 ついで、ざらついた声で聞いた。 


西園寺さいおんじさん……。西園寺さんはどうなったんですか?」


 美鳥が怪訝な顔をする。


「西園寺がどうかしたのか?」


 俺は早口でまくし立てた。

 柊夢路が撃たれたときに西園寺が隣のビルにいたのが見えたこと。

 柊夢路を撃ったのと同じ人物が西園寺を撃ち、ビルから落下するのを見たこと。

 今話しても現実感がない。

 だからか、美鳥も懐疑的だった。


「死体があがったなんて話は聞いてないけどな」


 西園寺さんが死ぬわけない。

 そう思ってても困惑してしまう。


「じゃあ水の事故に遭った人とかは……」

「まあ落ち着け。すぐに手配するように言っておく」


 それは美鳥にとっては西園寺はどうでもいい存在かもしれないが。

 いけない。

 八つ当たりをしている場合ではないのだ。

 シーツを強く握り、俺はなんとか気持ちを沈める。


「……俺はどれぐらい寝ていたんですか?」

「柊夢路が亡くなってから丸二日だ」


 少し冷静になると、申し訳ない気分がこみ上げてくる。


「付き添っていただいてすみませんでした」

「気にするな。俺が巻きこんだような形だからな」


 わずかな沈黙の後、俺は切り出した。


「……あの今聞くことじゃないかもしれないんですが。西園寺さんは美鳥さんとどんな関係なんですか?」


 美鳥の顔が険しくなる。

 顔が引き締まり、眼光が鋭くなってーー怒りか?

 いや、それより重い。

 憎しみのこもった表情だ。

 感情を押し殺すように抑えた声で言った。


「あいつは、俺の家族を殺したんだ」



 西園寺さんが人を殺した?

 その言葉が頭の中で結びつかない。


「俺には妹がいてな」


 財布から折り畳んだ写真を取り出す。

 照れ臭そうな美鳥に腕を絡めて快活そうな人が笑っていた。ショートカットに白のワンピースが似合っている。


「名前ははる。美鳥晴。西園寺と同じ大学に通っていたんだ」


 西園寺さんが大学に?

 そこにも違和感を覚える。

 俺の表情を見てか、美鳥は頷いた。


「勿論、あいつは普通の大学生じゃなくていわゆる潜入調査だ。大学内で学生に扮して何かの事件を追っていた。そこで晴と知り合ったんだ」


 そう言ってため息をつく。


「そうして、晴と親しくなって……。話ではしばらく二人で探偵の真似事をやっていたらしい。晴が助手として西園寺に付き添ってな。……そして、ある事件の時に晴は消えた。現場には血染めのコートが落ちていた」


 言い方に違和感を覚える。


「コートだけですか?遺体はなかったと」

「……ああ」


 じゃあ亡くなったとは限らないのでは、という俺の表情を見てか顔を歪めて美鳥は言う。


「現場に広がっていた血の量が尋常じゃなくてな。あれだけ出血していれば命はないと思われる」


 また瞳に暗い光が灯る。


「あいつはその時現場にいなかったと言い張っているが、事実かはわからない。仮にいなかったとしてもあいつが殺したも同然だ」

「……それは、どんな事件だったんですか?」


 口を開いて閉じて。

 それから、何の感情も窺えない声で美鳥は言った。


「ドッペルゲンガーの事件だと言っていた。詳細はわからないが」



 看護師が病室に入ってきたことで会話は途切れた。

 意識を取り戻したので検査をすることになった。

 消化不良ぎみだが美鳥とはそこで別れた。

 忙しい身だが時間を削ってここにいてくれたのだろう。

 いずれきちんとお礼をしようと決心する。



 なんだかんだで入院が長引いて、病院で年を越すことになってしまった。

 ようやく退院するとツンとする寒気が肌を刺す。

 外は久しぶりだ。

 金をおろして、しばらくはホテルかどこかで滞在しようかと思った。

 こんなことなら携帯電話を持っておくべきだった。

 西園寺と連絡する手段がないことにここに至ってようやく気づいたのだ。

 あの洋館に帰るのが当たり前になっていたから。

 話さずともつながっている気になっていたから。

 たまらない気持ちになる。

 俺は脇目もふらずに走り出した。

 病院から遠ざかって街を突き進んでいく。



 気がつけば西園寺と春に会った桜並木の通りにたどり着いていた。

 白いものが舞う。

 肌に触れると冷たく溶けていく。

 雪が降りはじめた。

 季節はずれの花びらのようで。

 吐息が凍りそうになる。



 この一年ほどの出来事は全部夢だったのではないかと思ってきた。

 意識が混濁していたせいで余計に心が揺れる。

 一人の男が現実逃避のために見ていた夢。

 その方が辻褄つじつまが合っているように感じる。

 その方がよかった?

 本当にそれでいいと思っている?

 俯く。

 手首につけた鈴が目に入った。

 そっと触れる。

 夢じゃない。

 夢なんかじゃない。

 俺は叫んだ。


「西園寺さん!」


 どこにいるんだ。

 絶対生きている。

 そんな簡単に死ぬはずがない。


「西園寺さん……!ハツさん……!」


 帰りたい。

 帰らせてくれ。

 俺はもう一度、あの場所に帰る。



 無明の闇をひたすら走る。

 西園寺さん。

 西園寺さん。

 手を伸ばす。


 鈴の音が聞こえた。

 フッと目の前の景色が変わる。

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